後編
父の書斎から目に入った本を二冊取ってきた。父は結構本を読む。評論もあれば難しい物理の本だったり、小説本だったり、はたまたエッチな本だったり、種類は様々だ。どれも好みがバラバラで、だから俺はこの書斎に入ると少しワクワクする。くじ引きに似たような感覚だ。
今日取ってきたのは、伝記と小説だ。
「なに、これ」
チヒロは顎で本を指した。タイトルが手書きされているだけの本だ。
「ああ、父さんの書斎に会った本。タイトルくらい読めるだろ」
「ええと、『伝説の吸血鬼一族』?」
「ああ、それそれ」
自伝形式で語っているような本だ。著作者は何百年物前に生きて、もう死んでいるという。いや、死んでなかったらおかしいけれど。
「聞いたことある!」
チヒロは今までと打って変わって、まるで人格が変わったように目を輝かせ、まるで子供がはしゃぐように言った。
「たしか、吸血鬼のおおよその弱点となるものを全てカバーしてるんでしょ!?」
「そうだったな……太陽とか、十字架とか、ニンニクや玉ねぎってどうなんだっけ」
「人間より感覚が優れているから匂いが強いし臭いからを理由に弱点扱いされているんだ! あと聖水とかもだめだっていうね! 試したことないけれど」
「焼けるんだっけ、たしか。灰になるとも聞いたけれど」
「それで、それで!伝説の吸血鬼ってその弱点すべてカバーしているっていうんでしょ!?」
さっきから何故こうも拘るんだ、伝説の吸血鬼に。
伝説の吸血鬼というのは、一部伝承になっているが吸血鬼の中では結構知られている話らしい。その奇妙な生態が理由で。
チヒロの言う通り、伝説の吸血鬼には弱点という弱点がない。
理由は本に書いてある通りであれば、様々な怪物の血を吸ってきて、その血から性質を奪い取っていき、最終的に吸血鬼というよりさまざまな性質を盛り込んだ化け物みたいになってしまったらしい。
そして、伝説となった。
その過程が書いてあるのがあの本。
「僕ね、伝説の吸血鬼にあこがれているんだ!」
目を輝かせて言うチヒロの言葉に嘘はなかった。
憧れるという言葉が、俺には一瞬理解できなかった。いやしたくもないと思う。
「なんで、憧れるんだ?」
「だって、だって、強いし、血を吸わなくても禁断症状とかでないっていうし、回復力もすごいっていうし、なによりやっぱ強いんだよ!? 憧れというより、ヒーローさ!」
ヒーローには憧れるものだ、と言った。
伝説の吸血鬼をヒーロー、か。
「ヒーローっていうキャラじゃないのにな」
吸血鬼とかさ。
あ、でも最近の特撮の戦隊で鬼をモチーフにしていたというし、いいか。
吸血鬼のチヒロが憧れるには、十分だろう。
無敵のヒーロー。最近多いな、そういうの。アニメやラノベにしたって、そう。一昔前の、一から強くなる方式が面白いと思うのだが。
おやつのウエハースをかじりながら、本に夢中のチヒロを一瞥して、小説を読み始めた。
にしてもよかったな、伝説の吸血鬼。
可愛いファンがいて。
白くてなまっちょろい、野郎だけどな。
「正義の味方は嫌いだがヒーローは好きだな。ヒーローにはダークヒーローという種類があり、そいつは正義の味方と違って現実を分かっている悪のヒーローだ。悪がなぜできたのかを理解している。そういう意味では伝説の吸血鬼はダークヒーローかもな。しかし俺から言わせてみたら、やつも正義の味方に近いところがあると思うんだがな」
小さい頃、あの本を読んでいた時に父に言われた言葉を思い出した。
当時俺は本当に小さくて、でも読み聞かされた内容は、どう考えても子供向けではなかったことは覚えている。話のほとんどが訳が分からなかったのだ。
親族は俺にはまだ早い、と笑っていたが、父は違った。熱心に読み聞かせた。内容も大人でさえ難しいと言わしめるほどのものだったのに。
「伝説の吸血鬼はな、滅多に人間の血を吸わなかった。いろんな化け物を倒していく内に、いろんな血を吸っていく内に、その形質を取り込んでしまったらしい。いやこれは伝説の吸血鬼が化け物過ぎてもう笑うしかないような話さ。だがな、伝説の吸血鬼は、晩年が近づくにつれて何の血も飲まなくなっちまった。おかしな話だぜ、いや、血を吸わなくなったから晩年を迎えたのかもしれないが」
父が何を言っているか、あまり理解できなかった。
「血を飲まなくなった理由は『もう必要ないから』だったらしい。おかしなもんだ、自分の栄養源を断ち切ったようなもんだからな」
血を栄養素にしている吸血鬼からしたら、吸血断ちは死活問題だったはずなのに。
と、親父は結論を出したように言った。
「しっかし、その晩年になってまさか、人間との結婚で子孫を残しちまうとはなあ。血が薄くなること覚悟でな。その嫁もまさか夫が吸血鬼だと知っていて結婚しているとか。どこの恋愛小説だって」
後に父と母も恋愛小説顔負けの出会いと結婚をしていると叔母に教えられて、案外父の言うことは信用ならないと学んだけれど、この時の会話はなぜか忘れられないのだ。
もう慣れたように輸血パックをすするチヒロと、それを見ながらナポリタンを食べる俺。
じい、と俺の食べているナポリタンを凝視している。食べたいのだろうか。
「いらないから。僕はこのくそまずい血で何とかなってるから」
「……」
嘘つけ。
「そもそも、吸血鬼とはいえ、血しか飲まないとかいうのは極論だよ……」
「肉食だよな、たしか」
「人間の血を摂取しているとかいうけれど、一番血を美味しくいただける効率のいいのは人肉食べることだし。お腹も満たされるうえ喉の渇きも潤せる」
「あれ、お前の大好きな伝説の吸血鬼は人間以外も食べたとかいってなかったか?」
「そりゃあ伝説だからね! 何でも食べるに決まってるさ!」
伝説の吸血鬼、の名前を出した途端に顔を輝かせるチヒロ。子供っぽいを通り越し、もはや気持ち悪い。
それほどまでに好きなのか。
俺は、彼を好きになれそうにないけれど。
「じゃあ、お前はなんで人間以外は餌にしないんだ?」
「僕たちが弱いからさ」
チヒロは即答する。
「考えてもみてよ、吸血鬼の弱点って多いじゃない。太陽の光、十字架、にんにく、心臓に杭、他にもいろいろあるみたいだけれど、それを補えることなんて難しい」
「たしかに、吸血鬼は最強とか無敵とかいう話、よくあるけれど……それは話の中におけるチートキャラとかってよくあるもんな」
「世界にはそういうの、一人は絶対にいるけれど、普通に考えればみんながみんな最強なわけじゃないしな」
「それを考慮すると、吸血鬼って実は潜在能力や種族レベルからしてそこまで高いわけじゃないんだよね。だから弱い人間にしか手を出せない」
雑魚キャラのやりそうな手だけれど、これが正しいのだと思う。
吸血鬼残党においては、本当に。
「でも最近は人間の力も強い。ますます吸血鬼はいなくなっちゃう」
「人間からしたら脅威がなくなっていいのかもしれないがな」
「そうしたら次は別の脅威に晒されるだけさ」
吸血鬼に代わってゾンビが闊歩する世界になったりね、とどこぞのゲームを思い出す。たしか、人間がゾンビ化して町を襲ってくるという、あの話。
「いっそ人間が滅べないいのかな」
じゅる、と液体をすする音が響く。
「それこそ駄目だろ。吸血鬼は一発で死ぬぞ」
「そうだね。弱点多いからね」
フランケンシュタインとかはどうなんだろうね。
あれって実在するのか?
しそうじゃないかな。だって人造人間なんだし。
狼男もいるんだっけ。
きいたことあるよ。会ったことはないけど。
海にはクラーケンだな。
それは何? 聞いたことない。
映画にも出てきた怪物だ。島くらい大きいタコやイカみたいな形したやつだって。
へえ、あ、バジリスクは聞いたことある。
蛇だかトカゲだか言われてる怪物か。たしか石化させるとか毒が強いとか言ってたな。
トカゲといえば、サラマンダもいるね。
火のかまどに住んでるんだろ、たしか。
他にもいるよね、きっと。
コナン・ドイルの小説の題材にも使われたブラックドッグなんてどうだ? 落雷とともに現れると言われる、炎のような赤い目に漆黒の身体を持つ、極めて凶暴な妖獣だってよ。
うわあ、勝てないかも。それじゃ。
吸血鬼に似てるかもしれないが、モズマとか。
モズマ?
昼間は棺桶で寝てて、夜になって口から内臓を出しながら体を裏返しにして人間の脳を吸い取るんだとよ。
なにそれ怖い。そしてグロい。
人間の姿してるし、昼間も活動できるんだぜ。
うらやましい……。
結論は。
吸血鬼で勝てる気がしない!
だな。
僕すぐ死んじゃうね、これ。
俺もだな。
心中しちゃう?
馬鹿言うなキモい。
酷いなあ。
ははは、と俺たちは笑った。
ああ、勝てる気がしないけれど、人間が滅んだらこうなるんだろうな、世界は。
ああ怖い怖い。
「でも、すぐ死んだほうがいいのかもね」
チヒロは聞こえるか聞こえないか分からない音を発した。
「だって、苦しいのは嫌だよ」
まるで何度も経験してきたように、そう言った。否定の言葉が出なかった。
チヒロ。
吸血鬼で、何よりも生きたがっているような、死にたがっているような、そんなやつ。
きっとあいつを見れば、俺の家族はみんなして言うのだろう。
「平和が好きなんじゃないの?」
吸血鬼としては終わってるかもしれないが、チヒロは闘いに疲れてしまったのだ。だから死にたがっている。
逆に、闘わなくていいなら生きたいのだ。
チヒロは平和を渇望している。
チヒロの親はチヒロを守ろうとしないから、チヒロは自分で自分を守るしかない。でもチヒロは闘いに疲れた。
だから、泣いている。
疲れに疲れて泣いている。
「うわあああっ!」
夜に魘されているチヒロの声で飛び起きた。
チヒロは身体を縛られているから動けないものの、口を大きく開け、大声を出し、だらしなく涎を垂らし、両手両足を激しく暴れさせ、頭を床に打ち付けている。
これはまずいのでは。
そう感じた俺はまずチヒロを落ち着かせるために取り押さえた。
「うーっ、うーっ!」
それでも暴れることをやめない。
抵抗しすぎて俺でも手を焼くほどだ。
「ああもう!」
なんでこんなことになってんだよ!
と内心毒づきながら、チヒロの顔を無理やり俺に向かせて、なんとか正気を戻させようと彼に呼びかけた。
「チヒロ、起きろ!起きるんだ」
泣いていて、ひきつけも起こしているみたいで、息が苦しそうだ。
「いやっ、やだっ、殺さないで」
チヒロの目が少し開いていたが、焦点が合っていない。幻覚でもみているのかお前。
「たす、けてよ、父さん母さん、いかないでよ、すてないでよお」
まだ暴れ続ける。
何を見ているのだ、彼は。何を思い出しているのだ、彼は。
「しにたくない、きえたくない」
ひっ、ひっ、と速いスピードで息継ぎをしている。
危ない、これは。
「やめてよ、やめっ」
チヒロの顔が恐怖で引きつっている。
もしかして。
俺はチヒロから拘束をすべて取り払った。
縛っていた手を解き、足をほどき、彼から一歩離れる。
チヒロはその場で蹲る。
まるで身を守るダンゴムシのようだ。
体を震わせ、恐怖を抑えるように縮こまっている。
俺がハンターに見えるのかもしれない。だから俺を恐れている。
「おい、チヒロ」
いやだ、とチヒロは首をふって何かから抵抗するようにまた小さくなった。
「お前、さみしいのか」
チヒロは答えず、小さくなり続けている。
「ひとり、なのか」
誰も助けてくれないのだ。彼は、一人で闘うことを早くに強いられていたのだろう。
何度も傷ついてきて、何度も襲われてきた。
親は守ってくれず、死はいつも隣り合わせなのだ。
「よく、頑張ったな」
気づけばチヒロの脇に座り、頭を撫でていた。
いい成績をとった子を褒めている気分になる。
そんな感じで、チヒロを労った。
「ひとりで闘って、傷ついて、それでも生きてきたんだろ」
うん、うん、とチヒロは僅かに頷く。
「痛かったか」
うん。
「辛かったか」
うん。
「怖かったか」
うん。うん。
チヒロが小さな子供に見える。
今のチヒロに必要なのは、安心できる場所だ。
俺がそれになれるかは分からないが、簡易でいいからなれればと思う。
「俺な、小さい頃、殺されかけたことあった」
チヒロの肩が僅かに震える。
「吸血鬼に関わっていたこともあって、無免許ハンターにな、神経質な奴らで、吸血鬼と思われて、襲われた」
閉じ込められた。あの時、やつらは傷つく俺を弄んだ。
「すぐに協会の奴らと家族が助けに入った。けれど、恐怖だけは未だに残ってる」
そうだ。
俺は、ハンターに襲われたんだ。
理由は実は分かり切ったことだった。
やつらにとって、俺らのような存在は邪魔だった。
だから、殺されかけた。
小さい頃の話で、もう記憶も曖昧なのだが、未だにあの情景は忘れられない。
「チヒロ、怯えるな、俺は、なんもしねえ」
あの時、父がしてくれたように、俺はチヒロに胸を貸した。
チヒロは戸惑ったように離れようとした。多分慣れてないんだと思う。こんな、他人同士のふれあいに。
「大丈夫だ、大丈夫。ここには俺しかいない」
頭をガシガシと撫で回し、時々小突いたりした。
安心したように、彼はまた目を閉じた。
「ありがとう」
と聞こえた気がした。
チヒロを助けた理由が、なんかいつも言い訳地味ていた気がして、それでもう一回頭の中を整理したら、分かったことがある。
俺はチヒロを昔の自分と重ねたのだ。
ハンターに殺されかけているチヒロが、ハンターに弄ばれた俺に似ていたのだ。
だから助けた。
「やっぱりあなた、まだ引きずっているんじゃない」
母から電話がかかってきて、片付けはまだのことと、俺の思いを言った。
「小さい頃のことだから、トラウマなの?」
「恐怖は拭えてない」
「で、その吸血鬼を助けるの?」
「できれば」
「それがただの貴方のエゴだって理解してる?」
母の言葉はいつにも増して厳しかった。
心配かけてるんだろうな、きっと。なんとなくわかる。だったら丸投げしないでくださいよと言いたくなるが。
「これで貴方がその吸血鬼を助けたとしても、また別のハンターが狙うわ」
「でも、今やれることは、それだけだ」
「貴方の身の危険もあるしね。うん、身の程をわきまえてるならいいわ」
じゃあ、もうすぐ帰るから、よろしくね。
電話は切れた。
闘うか。
外にいるハンターと。
ご飯というものは実にいい。
温かいご飯は尚いい。
腹が満たされ、心が満たされる。幸福を感じる。快楽といっても過言ではない。
心配性なのに放任っぽい育て方された俺は料理は簡単なものならできるようになった。というか作らされて育った。母の料理は結構独創的な味がする。それよりは美味しいらしい。その味で育った俺の料理も似たような味がすると思ったのだが、意外と受けのいい料理なのである。
今日の料理もナポリタン。
この赤色具合がいいのだ。トマトソースの匂いでとても食欲をそそられる。
そして今日は多めに作った。
理由は、チヒロの分もあるからだ。
「いったいどういう風の吹き回し?」
部屋から出した挙句食事まで用意されているのだから、チヒロはかなり驚いていた。
「今日が最後の晩餐とかにでもなるの?」
「だったらお前の好物聞くよ」
「いや……好物これなんだけど」
マジか。
なんという偶然。
「ナポリタンっていいよね。赤いし、トマトソースとオリーブオイルで形成された味や匂いって食欲をそそらせるし」
これもなんという偶然。
多少驚きつつも、チヒロの目の前でさらにナポリタンを盛り付け、テーブル前の椅子にちょこんと座る彼にナポリタンの入った皿を渡した。
目がわずかながら輝く。おいしいものを前にすると、誰だってこんな顔になるらしい。
それでもまだ食事に警戒しているのか、手を付けようとしない。俺は構わずナポリタンを食べ始めた。おいしく出来上がっていた。口の中に入れたら広がる酸味と甘みに頬が綻ぶ。
チヒロは俺を見て大丈夫だと思ったらしく、口の割には小さめの量をフォークで掬い取り、口の中に運ぶ。そして顔の筋肉が緩んだ。
「おいしい」
その言葉が俺を嬉しくさせた。
やはり誰かに食事を作っておいしいと言われるのは気分がいい。
「よく料理できるね」
「家族に作れって言われるしな」
「僕は作らないな……意味ないし」
ああ、そういや、チヒロにはこうやって一緒に食べる親がいないんだな。
俺だって一人だったら食事なんて適当だ。
たまにこうして家族総出で出払っているとき、自分の食事はかなり適当だ。
食べない時もあれば、出来合いのものを買ったり、一日で大量に作って何日間にかけて食べていたりしている。
チヒロはたぶん、そういうのに興味ないんだろうな。
一緒に食べる誰かもいないのだし。
「吸血鬼にこういう食事は必要なのかと問われたら、どう答える?」
「ううん、そうだな……嗜好品として楽しんでいたりするけれど」
「それで好きなものがナポリタン、と」
甘酸っぱいナポリタン。
いろんな味が混じったこの料理は、本当においしい。
「ごちそうさまでした」
チヒロはあっという間に完食してしまった。
口の周りいっぱいを赤くしてまるで小学生だ。
「口の周り拭いとけ、みっともない」
俺も最後の一口を食べて終わり。いい出来だった。
「みっともないもなにも、この家には僕と君だけだから」
「身だしなみはいつも整えてなんぼだぜ」
「結局汚い死体になって死ぬだけの体さ」
「でも、綺麗に死にたいだろ」
チヒロは首を傾げた。意味が分からなかったんだろう。
分からなくていいと思う。俺の考えなんて。
「綺麗な顔して死ねればな、と俺は思うぜ」
チヒロも綺麗に死ねればいいと思う。
老衰が一番いい死に方なんだと思うけど。
「たまに君って、変な考え方するよね」
チヒロはそう言った。
そうだろうな、と自分でも思う。
ハンターというのは大航海時代の冒険家みたいなもんだ、と爺さんに言われたことがある。冒険家とは聞こえがいいが、考えてみれば当時は貴族がいて、身分が高い者がそんな危険な航海に乗り出すのはあり得ないと言っていい。大抵が野蛮な連中だったという。事実、新大陸に無理矢理侵入したという文献も残っている。
そんな冒険家とハンターの共通点は、力や技術があるから次々と生まれてくるという点らしい。
冒険家も、航海技術が発達したから生まれた。
ハンターも、吸血鬼を殺す技術の確立で生まれた。
最近は弱体化でより吸血鬼を殺しやすくなり、ハンターも増えている。
爺さんは嘆いていた。
ハンターでもまだ節操のある奴は違う。ハンターはちゃんと相手と自分の技量を見極めているのが必要らしい。でも最近は弱い吸血鬼を徹底的に狩り、金儲けを企み、かつ酷いことに吸血鬼の肉体の部位を持ち帰り高額で売っているのだ。
チヒロが標本のようになったり、部位が売買されているところを想像したら気持ち悪くなった。
最近は金に走るからハンターは面倒だ。
まあ、倒せればいいけれど。
そんなわけで、もう決着をつけるべきだと思ったので、ハンターを倒すことにした。
簡単ではないけれど、もう放ってはおけないだろう。
屋敷の周りにいるハンターが増えやがった。
時刻、深夜。天気、晴れ。満月。
窓から覗くと、明らかに不審者の格好をしている影が見える。
影なら黒くて分からないと言われそうなのだが、シルエットからしておかしいのがいた。
どうおかしいかといえば、持ち物。
二メートルくらいある十字架を抱えている影が見たのだ。
もうそれ、十字架というか協会とかにぶら下がっているロザリオみたいなもんじゃねえのかあれ。いやロザリオって小さかったっけ、あれ? と思考が混乱した。ちなみにロザリオは十字架型の装飾品だ。ネックレスになっているのが多い。なぜあの馬鹿でかい十字架をロザリオとか思ったのだろう。謎だ。
まだハンターらしき影がある。
……あと2人か。
一人は完全に素人だ。何故ならジーンズにTシャツ姿で、しかも影に隠れもしないで堂々としているからだ。なめきった態度でなんかムカつく。
もう一人はヤバいと思う。何故なら気配を殺すのがうまい。一瞬影も見えなかった。けれどやはり確認はできる。神父の格好をしている。マジもんのハンターかと思ったが、それにしては何か違う。
計3人か……やれるかな。
ふう、と一息つく。
心臓がバクバクと激しく脈を打つ。
説得ができればいい。
でも確率は低いだろう。
無免許であってもハンターが団体行動をとるんだ、そうとう狩りたいんだろう。
ああ緊張ヤバい。
出た瞬間攻撃されるなんてありえるだろうな、これ。
でも、もう遅いな、俺。
後から帰ってくる家族に任せるのもいいが、そうなるとチヒロの安全は無だ。何もしなかった俺に彼を守ることはできないだろう。権利さえない。協会に連絡が入って、彼は協会に回収される。
それが俺たち一族がやっていたこと。
俺たち一族の平穏のためにやっていたこと。
もう今さらなんだけど。
「それでも、チヒロは、あの時の俺がなろうとしたように、殺されそうなんだ。標本にされるかもしれない、マニアの手に渡るかもしれない、消えてしまうかもしれない」
怖いな、それは。
体が震える。
武者震いだと言い聞かせる。
玄関の扉を開ければ、何をされるか分かったものじゃない。
ドアノブに伸びる手が震えている。
手汗がひどい。
歯ぎしりもしてきた。
「興奮しすぎ、俺」
ばか、と自分に言う。
チヒロは部屋に閉じ込めた。ぐっする寝ているだろう。あいつにも効く睡眠薬を、盛り付け皿にあらかじめ塗っておいたおかげだ。正直そこまで寝るなんて思わなかった。あの会話が終わった後静かになったと思ったらぐっすり寝ていたのだ。間抜け面していた。またあいつの体を引きずって部屋に押し込めた。拘束はしていないけれど扉は開かないようにした。余計なことをされたら困る。涎を垂らしていたら殴ろう。
「大丈夫」
きっとうまくいく。
俺は大丈夫。
扉を開けた。
一歩前に出る。
大きな十字架に押しつぶされた。
「やっと開けてくれたなあ、はっはっは、なんかよく分かんねえけど、この屋敷ってぜんっぜん入れなくってよお」
下品な笑いが、まだ機能している聴覚に伝わる。
体があったかいような、寒いような、そんな感じだ。体が重い。あの十字架か。乗っけられたのかよ。
「なぜかわからなかった。この屋敷に入って行ったとそこのチャラいのが言っていた。何度か扉を壊してでも入ろうとしたが、壊れなかった」
この屋敷は頑丈だからだ、と言いたいが、顔が半分押しつぶされているような状態だ、話せない。
「……学生。貴様に罪はない。が。吸血鬼をかくまった。許し難し」
上に体重がかけられる。あの素人が乗っているのか。笑い声がするから楽しんでいるのだろう。
「馬鹿だよなあ、お前。吸血鬼をかくまうからこうなるんだよ」
どん、どん、と音が聞こえる。上で飛び跳ねてやがる。振動が伝わっていてえんだけど。
しかし情けないことに、大丈夫と言い聞かせてしょっぱなからやらかした。動けねえ。しかも痛い。
これ、人間死ぬわ。
だって俺、今たくさん血が出てるし。頭潰されかけてるし。体めっちゃ痛いし。焼けるみたいに。
状況整理をしよう。
今十字架の上に載っているジーパンTシャツのよく見ればチャラいやつが素人。
扉云々のことを話したのが十字架を抱えていた奴。
で、最後に神父と。
「つかさ、吸血鬼かくまうとかマジありえなくね? 馬鹿じゃねえの」
「巻き込まれただけかもしれんがな」
「はっはー! あんたがそれ言うかあ? 真っ先に十字架投げたあんたが?」
「吸血鬼かと思ったのだ」
「ビビりだなあんた」
「喧しい二人とも」
騒ぐ二人を制する神父。リーダーみたいな扱いだな。
腕を動かす。だめだ、ちょっと重い。銀だろうな、吸血鬼対策で。
「この屋敷は可笑しい。お前が何者か気になる。が。興味はない」
「…………」
「お前は死ぬ」
神父は言った。
死ぬ、か。
そういえばチヒロのことしか頭になかったから、俺が死ぬということは考えてなかった。
これってまずいな、思えば。
やばい、軽率だった。
俺の上に乗っている十字架の上に乗っているチャラい奴以外の二人は開いた玄関から屋敷へと足を進める。
「っておいおい、置いていくなよ。あと横取りはやめてくれよ、もとは俺が見つけたんだしさあ」
チャラいやつが言う。ああ、素人でしかもここの屋敷が開かなかったから他の奴に依頼した、的な。
何となく状況が理解できた。
しかしもう、遅い。
押しつぶされたし。
見つかるのも時間の問題か。
あーあ。
「……吸血鬼の匂いがする」
神父が言った。
「やはりここにいるか。場所は特定できるか?」
十字架の持ち主が神父に聞く。神父は吸血鬼殺しには慣れているらしい。特定もできるとか、かなりの手だれなんだな、なんて考える。
「……なんだ?」
神父が神妙な顔をして屋敷を見渡した。
十字架の持ち主が怪訝な顔をする。
「どういうことだ」
神父は動揺していた。
「は? んだよおっさん、はやくやっちまうんだろ、何がおかしいんだよ」
チャラいやつが苛立ちを含んだ声をあげる。
「なにがおかしいのだ」
「どういうことだ」
神父は言った。
「なぜ吸血鬼の匂いが2体もあるのだ!?」
あーあ。
「ばれちった」
十字架は砕けた。
俺が叩き割ったのだ。重かったが、別に砕ければどうだってことはない。銀は確かに俺に、俺たちに有効な手段ではあるが、接触面には服があることで防御されていた。たたいた拳が銀に接触して焼けるような痛みを感じたが問題ない。たしかに焼けていたがすぐに治った。
押しつぶされたとき、人間なら死んでいただろう。しかし俺は死なない。そしてべらべら話している間にさっさと回復するのを待ち、もう全快していたのだ。
あとは思いっきり殴って十字架をぶっ壊せばいい。
十字架がぶっ壊れたせいで上に乗っていたチャラい奴はふっとび、空中に身を投げ出された。
やはり素人であった。空中で受け身が取れないのだ。
地面をけり上げる。地面を押す力で床が割れた。関係ない。
崩れた十字架の破片を取る。十字架の形もしていないガラクタに効果などない。
それをメリケンサック代わりにひっつかんで、宙で身動きの取れないそいつを突いた。
心臓部を抉った。血が飛ぶ。赤い。綺麗。
男の悲鳴が上がった。もう遅い。心臓は抉った。お前は人間だから死ぬ。ついでだから壁まで蹴っ飛ばした。人形のように吹っ飛ぶ。壁がペンキをぶっかけられたように赤く染まった。
俺の体のあちこちが、派手にやったせいで返り血がついた。なめとる。個人的に不味いが、吸血鬼的には水みたいなもんだ。不味かろうが生きるには必要なもの。人間にとっての水。それが血。
「……そういうことか」
神父は俺を睨む。
「吸血鬼の気配がずっとしていた。屋敷に閉じこもっているときは気づかなかった。しかし貴様を背後に取り、屋敷の吸血鬼の気配を探ったら……違和感に気づいた」
「こ、こいつが……吸血鬼だってか」
十字架の持ち主は若干青くなっていた。あんな無残に殺される瞬間を見たことがないのだろう。関係ないけれど。
「とんだおつりだ」
神父は拳銃を取り出した。
銀の弾丸が入っているとかいうやつか。
十字架の持ち主も大きめの武器を取り出した。乱射銃だ。もうこいつのことなんて呼ぼうか。武器マニアでいいか、あんなの持っている奴なんてそんなにいないだろうし。
武器マニアが銃を乱射する。銀の弾丸のようだ。しかし、狙いが定まっていない。吸血鬼特有の脚力をもってすればよけることなんて簡単だ。それとその乱射銃は対人間用に作られているようで、吸血鬼を狙うのには精度が悪い。
走ってさっきの男の死体のところまで駆けていった。死体のところにあったものをひっつかみ通り過ぎ、弾丸がその後を追う。だから死体は弾け飛んでもっと惨い状態となった。武器マニアから裏返った声が喉からなったのが聞こえた。さっきよりも顔が青い。
乱射銃の精度がいくら悪かろうが、数には不利だ。だから近寄れない。遠回りしようとしても神父の拳銃に狙われる。あれはどうも吸血鬼対策用のようだ。フォルムからして人間社会で取り扱っているものではない。
まあ、さっき投げ道具は手に入れたし、いいか。
武器マニアに目がけて思いっきり振りかぶったそれを投げた。
放物線を描いてはいない。
しいていうなら、バスケットボールをすばやくまっすぐ投げるのと同じだ。大きさも大体それくらいあったし。
もしかしたら投げている間に物そのものが壊れるかもしれないという不安があったが、一応は大丈夫だった。
それは武器マニアの顔面に叩き込まれ、勢い余って赤くはじけ飛んだ。
武器マニアの首から出たのかと思ったが違うらしい。痛がっているが。
「な、あ、あああ、あ」
武器マニアの口からは意味のない音が出るしかない。
さっきの死んだチャラい男の首が飛んできて自分の顔面で弾け飛ぶなんで思わないからな、誰も。
武器マニアの目の焦点が合っていない。戦意喪失してもおかしくない。錯乱しているようで体を揺らしている。
「なんかいえよクズ」
乱射銃を持つ手が震え、まともに弾丸が出せていなかった。簡単に武器マニアの懐に入れる。武器マニアの前髪をひっつかみ、乱射銃の銃口をそいつに向けた。俺を殺そうとする手段の銃をなんとか発砲しようとしている手はまだトリガーにかかっている。
「ひっ、あ、ああ、ぎぃ、あああ」
声にならない声を漏らしている。
「死ね」
自分の手を添えて、男の指を押した。
銃口から銃弾が次々と発砲され、男の顔はハチの巣にされ、そこから蜜のように中身をまき散らした。
「おっと」
まだ神父が残っていた。
俺に向けて拳銃を発砲する。
それをつかんでいた武器マニアの死体を盾に避けた。
死体からまた血が噴き出す。
吸いたい。
「貴様……」
神父の声には怒気が含まれていたが、あまり怖くないと思った。
やはり、無免許だな。
免許もちの怒気はかなり怖い。
「吸血鬼か……!」
「だったらどうするんだよ」
吸血鬼だったら殺すか? 殺すよな、だって今まで吸血鬼を殺してきたんだろ、なんだ一人でしかやったことないのか、だから殺せないのか? なんなんだ?
「なぜ今まで隠せたのだ……お前ほどの力があればすぐに情報が入るはずだ」
「逆に何故その情報を主に聞くのか分からないのだけれど」
「協会なぞなくてもハンターとして戦える。情報交換の場もある。なぜだ、なぜ」
ばっかじゃねえの。
やっぱりこいつアホだ。
そんなことしたって意味がないことに気づかないのだから。
免許があればその分信用や信頼性が重視される。だから協会は常に正しい情報を流し続けている。逆を言えば無免許の奴らはもとから信用も信頼もされていないあくまで一般人の枠でしかみられていないため、身の危険を晒すことではない限り、情報の真偽はあいまいだ。
そしてどんな情報網にも載せるなと規制されている項目がある。
それが、俺らの存在。
「何者だ。貴様。ただの吸血鬼ではないな。なんだ。その力は」
神父は銃を撃つ手を止めなかった。しかし当たりもしない弾を連発するあたりこいつもアホだな。
たしかに神父は玄人らしいが、それにしたって心構えというか、姿勢がなってないというか。
ただ殺したいだけじゃないか。
玄関に柱があってそこに隠れた。
弾丸が尽きて、入れ替えている間に飛び出す。
すぐに弾丸を入れた神父は俺にまた銃口を向ける。
軌道は読みきれる。
人間には無理なことだが、吸血鬼ならできる。
吸血鬼の中でも俺は鍛えられてきたのだ。だから強い。
俺は、強い。
闘いに勝てる。
ハンターに負けるか。
免許持ちだろうが無かろうが、俺は、強い、勝てる。
懐に入り、銃を弾く。瞬間、発砲。弾丸が俺の頭に埋め込まれる。
痛い。
でも止まらない。
止まらせるもんか。
「うううううううあああああああああああああああああああああ!」
咆哮。
空気が震える。
轟いた叫びは、間近にいた神父の耳を震わせた。
神父の耳は耳は麻痺し、耐えきれなくなってその場に倒れた。
銃は弾いたので神父の手元にはない。
まだ持っているかもしれないから警戒は必要だけれど。
「聞こえているかわからねえけど、お前らが無免許だったからこそアホなことしたって教えてやるよ」
俺は神父の手を踏んだ。小気味のいい音が響く。骨が折れたな。
ぎゃっ、と神父の声が漏れる。
「伝説の吸血鬼」
足に力を込める。神父が痛みで顔を歪める。
「吸血鬼の能力を生かし、ありとあらゆる化け物の血を吸いつくした吸血鬼。吸血鬼の弱点という弱点を、その化け物の特性でカバーした、まさに化け物中の化け物」
血を吸わなくても禁断症状が出にくく、回復力は並々ならぬもので、弱点はほとんどない。
まさに化け物。
「当時の人間にとって恐怖の対象だった。けれど、弱点の多い吸血鬼がより強い化け物どもを殺したことは化け物の世界ではある意味革命だった。だから化け物の中でも恐れられた。協会はそれを利用しようとした」
特に自分より弱い人間を襲うことのなかった伝説の吸血鬼を協会は取り込もうと考えた。
最初は伝説の吸血鬼はそれをよしとしなかった。彼にもプライドがあった。プライドは利用されることを許さなかった。
それでも協会は諦めなかった。
双方譲れないまま何年か経った後だった。
伝説の吸血鬼は人間に恋をした。
お伽話のようで、しかもあり得ないことだった。しかし事実だった。伝説の吸血鬼はまるで身体が燃えるような、しかしそれであってもどかしい衝動を感じていたという。性的欲求の不満ではないのかとか思うけれど、感じたことのない感覚だったから、当時の伝説の吸血鬼はそれはそれは戸惑ったという。
その人間、聞くところによると幼女とか少女とか、そういう話らしいけれど。
そしていろいろあって、協会に協定を結ぶ形で協力関係となった。
伝説の吸血鬼にとって、恋しい女性のためだったのだろうけれど、協会にとってこれほどの戦力はなかっただろう。
「協会は伝説の吸血鬼を味方につけた。だけど、伝説の吸血鬼にも寿命はある。最期は大好きな女性のあとを追うように、老衰で亡くなった。ちなみにその女性は伝説の吸血鬼の奥方だ。彼女もまた伝説の吸血鬼を愛したという」
本来ならここで終わる話だが。
話には続きがある。
「伝説の吸血鬼という戦力がいなくなった協会は焦った。今まである意味伝説の吸血鬼という背景から手を出せずにいた化け物どもが人間を襲う機会を作ってしまった。協会は戦力を求めた」
そこで目をつけたのが、俺たち。
俺たちは、
「伝説の吸血鬼の子孫」
耳が回復してきたらしい神父は驚愕の表情を浮かべる。
戻ってきたか、どうでもいいけど。
「彼は妻を吸血鬼として眷属にした。つまりね、妻も吸血鬼なんだ。吸血鬼同士の子孫だ、吸血鬼が生まれるに決まってる。そして吸血鬼は親から性質を遺伝で受け継ぐ。眷属……つまり人間を吸血鬼にするという行為は、つまり自分のコピーを作るっていうことだ」
今までの吸血鬼弱点を克服した性質をそっくりそのまま受け継いだ眷属の女から生まれた子供たち。
「それが、俺たち一族」
伝説の吸血鬼一族。
無敵の一族。
「まあ伝説の吸血鬼は子沢山で、しかも子供達もまた子沢山。つまり子孫沢山だ。そこに協会は目をつけ、子孫として役割を果たすことを求めてきた。いや、協会にとって協力しないとまずかったんだろうな、だって伝説の吸血鬼よりも劣るだろうけれど、ほぼ同等の強さを持った子孫が大量にいる。その気になれば人間を滅ぼせる。だからその脅威を避けたかった」
そうして俺たち伝説の吸血鬼一族は今日まで暮らしてきた。
化け物がいれば倒すか協会に引き渡す。
「なあ、お前。なら、協会に要求した俺たち一族の協定の内容知ってるか?」
いや知らないだろう。
なんせ免許ないのだ。
訓練してないのだ。
勉強してないのだ。
伝説の吸血鬼のことを知らないのだ。
「俺たちに干渉しないこと。俺たちに害をもたらさないこと」
これを破ったらどうなるか、そんなのわかるだろう。
協定違反でこちらから人間に攻撃しても良くなる口実をつくり、人間が危険な目に遭う。いや、死ぬ。人間が滅ぶ。
「お前達の無鉄砲な考えで人間が滅ぶんだ」
神父は絶望に染まっていた。
信じたくなかったのだ。
信じられないのだ。
前にもこんな顔を見たことがある。
そうだ、あれは。
俺がハンターに弄ばれた事件。
「嘘だ!嘘だ嘘だ!」
神父はさっきとは一気に変わって取り乱した。
「そんなことがあって、あってたまるか!貴様は嘘をついている!私は神に身を捧げた!その私がお前のような下賤なものの嘘に騙されるか!」
神父はそういえば神職か、髪に身を捧げているのは本当らしい。
関係ない。
神はいるかもしれないが、関係ない。
殺すだけだ。
「信じなくていいさ。お前は今から死ぬんだから」
殺す。
こいつは殺す。
俺の小さい頃のように、さくっとやればいいんだ。
殺ればいいんだ。
家族が来る前に、本能に身を任せればいい。
思い出す。
小さい頃に襲われ恐怖で震え上がり、十字架と銀の眩しさに耐えかね、殺されてしまうと思ったとき、俺は自分の体を支配できた。いやに冷静になって感情をコントロールできた。そして冷静さを極めて、感情を殺した。恐怖を殺した。生存本能に従った。
そして、一面真っ赤になった。
全員殺した。
家族と協会の連中が入ってきたときにはすべて終わっていた。
家族は一族の中でも最年少で子供だった俺に、吸血鬼が何たるかを教え、身を守る方法を叩き込んだ。
ちなみにその時、家族は協定違反を突き付けて人間への協力を断とうとしたらしい。未遂に終わったのはまだ協会と手を組んでいるからおわかりだろうけれど。
「ま、まて、まて!」
神父は手を前に突出しまるで命乞いをした。
「見逃せ! 狩らない。約束する」
「どうでもいい。狩ろうが無かろうがこちらはお前を殺すだけだ」
「待てと言っている。か、考えてもみろ。協会と協力しているのが事実なら、人間である私を殺してはならない。なぜならそうしたことで協定が」
「先に違反したのは人間だ。それに違反しようがしなかろうがどうでもいいんだよ、協定が破れてデメリットが発生するのは人間なんだぜ?」
現在持ちうるハンターの技量を持ってしてでも、伝説の吸血鬼を狩るのは難しいだろう。
一体倒すのに果たして何人犠牲が出ることか。
「で、では、何故他の吸血鬼を庇うのだ、他の吸血鬼を庇っても伝説の吸血鬼一族にはなんのメリットもないだろう」
それは正論。
伝説の吸血鬼に一般の吸血鬼のチヒロを庇う理由はない。
しかし、俺にはある。
「クラスメイトだから」
後付の理由だけれど。
これで十分だろう。
「まあ、他にも理由が欲しいんなら、取り敢えず俺が好きになった相手がたまたま男でたまたま吸血鬼だった、とかそういうのにするか、嘘だけど」
チヒロに恋愛感情を持つなんてない。ホモではないし、なにより陳腐な恋愛小説のような展開には飽き飽きしている。
いや、一部女性の方には受けがいいかも? なんてな。
こうも愉快犯になっている自分がいて、ご先祖様の生涯のせいかな? と客観視。
神父の顔が土色になってきた。
今更ながら死を感じているのだろうか。
こんなガキにか、笑ってしまう。
「さて、人間さん。もう時間だし、そろそろイこっか」
にっこり。
俺は笑みを張り付けた。
神父の口からだらしなく声と涎が垂れる。臭いがしてよく見ると失禁していた。おっさんのくせしておもらしか、うええ。
一歩一歩近づく俺から逃げようと、神父は這いつくばって俺から逃げようとしている。
亀のような速さだ。
「逃げんなよ」
足を踏む。ごき、と鈍い音。神父の悲鳴。
何もかもが俺にとって異様ではない光景に思えた。
俺は壊れている。
それは誰もが理解しているし、俺が一番理解していることだ。
なんだか性格変わってきたかな? どうでもいいや。
頭がこの人間をぐちゃぐちゃにすることだけで占められている。
どう殺そうか。
さっきみたいに頭を弾けされせればいいのかな、そうしたら派手だしいい死に方では……
いい死に方?
あれ、そういや俺、チヒロに綺麗に死ねたらいいとか言ってたっけ。
老衰で死ぬのがいい死に方とか言った気がする。
神父は動けなくなった。もう這いつくばるにも手に力が入らないらしい。
こっちのものだな。
俺は足を振り上げた。
狙いどころはどこでもいい。吸血鬼の力をもってすれば、体のどこでも貫けることができる。豆腐のように。
頭かな、さっきのやつらも頭を潰したし。
神父の顔が最高に絶望に染まった。
綺麗な死に方ってなんだろう。
頭を潰すことを考えながら。
振り下ろした足は、神父の股間に直撃した。
俺はかなり下種なことをしたと思う。というよりも、神父の息子(笑)を潰した直後に従兄が帰ってきて、しかもどうも潰した瞬間を目に入れてしまったらしく、しばらく俺と目を合わせてくれなかった。しかも自分の股間を手で隠す始末だ。服着てるから視覚的に隠しても無意味だろうに。
「俺の弟がとんでもなく怖い」
従兄の言葉がこれだ。怖いか?
とりあえず、男の威厳を潰された神父はその後泡を吹いて気絶し動かなくなった。
酷いことをした自覚はある。だがいいのではないだろうか。神職なら穢れがなくなったじゃんか。と反論しようとしたが、自己申告はしたがそもそも服を着ているだけで神父と思っていたので、あれ違うかも? と今さらになって神父と呼ぶことへの疑問を生じた。
「ねえ、兄さん」
従兄に俺は聞いた。
「綺麗な死に方ってなんだろう」
「はあ? そもそも死んだら綺麗もくそもねえだろ」
従兄は面倒くさそうにそう言った。
「大体、人間だけなんだよ、埋葬だか何だかそんな面倒くせえことするのは。自然の動植物見てみろよ、あいつらいくら仲間だろうが同族だろうが、死体をみて泣いたりするか? 樹の下に埋めたりするか?」
「綺麗な桜になればいいんじゃないの?」
「桜の木の下には肢体が埋まってるってか? 馬鹿じゃねえの、ただの作り話だろ」
従兄は馬鹿にしたように言った。夢がありそうな話なのに。
「まったく、末っ子だからってお前は平和すぎる頭してんなあ。死に方に美を求めやがって」
「俺がいなかったら兄さんが末っ子だろ。父さんたちから聞いたら、あんたはかなりのガキ大将だったらしいじゃん、俺のほうがマシさ」
「俺が生まれて百年近くは末っ子だったけど、お前みたいな頭はしてなかったぜ、なりたくもないけど」
「頭脳明晰なんで」
「死ねお前」
「返り討ちにしてやる」
百歳近く従兄とは歳が離れているから実力や経験が圧倒的に俺のほうが足りてないけれど、今血を見て興奮している自分ならできるような気がしている。
頭が高揚している。
いつもなら従兄の言葉なら適当に返すのに、こんな言葉を返したのが意外だったのか、珍獣を見るような目で見てきた。何故か冷や汗もかいている。
「お前、変わったな」
「は?」
何を言い出すんだろう、彼は。
俺が変わることなんてない。俺はいつもこうだ。正確がいつもより上向きなだけであって。
「兄さん何を言っているんだい、これが普通だろ」
従兄はこう言って以降、何も言わなくなった。
「チヒロ。ハンターはもういないよ」
家族がぞろぞろと戻り始めたところで、チヒロがこれ以上俺の家にいることはチヒロ的に危険だと思ったので、帰る旨を言った。家族全員が実は吸血鬼でした、なんてことは隠して、とりあえず家の事情としてハンターがうろついていたことを協会に報告しなくてはならないし、そうするとチヒロも危ないということを言ったまでだ。
「なんだかんだで、君の家に来てから楽しかった」
玄関はさっきの戦闘からしてわかるが、2メートルくらいの十字架ぶっ壊したりチャラいハンターと武器マニアの死体が放置されているため、裏口から帰ることにした。
血の匂いがする、とチヒロが若干興奮しかけたが、実が家族の一人が帰ってきて玄関先でマグロの解体ショー始めやがったと言っておいた。ちなみにこれは事実だ。従兄の荷物に何故かマグロが入っていた。しかもそれを食いたくなったらしく、協会のハンターが来るまで時間があるからとかいって、片付けもロクにせずマグロをさばき始めていた。どうやら瓦礫の片づけはすべて俺にやらせるらしい。あいつ一回殺したほうがいいのではないかな。
「俺は面倒なことしたと思ってる」
「そう? かなり甲斐甲斐しく世話されたなって思うよ」
「軟禁……下手したら監禁した奴によく言うよな、それ」
「そういえばそうだね」
マグロ、解体した後みんなで食べるんだろうなあ。刺身かな、あぶりもいいけれど、生をガッツリ食べるのが一番だから、ブロックそのものを残しておいてくれるとうれしい。
「ねえ、綺麗な死に方の話、したよね」
「ああ」
「僕考えたんだけど、そもそも埋葬という文化に僕なんかがそれを行っていいのかなって」
「ん?」
「人間が考えたような制度をなんで吸血鬼が実行しなきゃならないのって話」
「おまえ、俺の従兄と同じこと言うんだな」
「え?」
「いや、なんでもない。ただそいつが言っていただけさ、埋葬は人間しかやらないって」
「ふうん。でね、綺麗に死ねるんなら、少なくとも死に方を選べるのなら、埋められたいって思う」
「桜の樹の栄養にでもなる気か」
「梶井基次郎好きなの? でもね、埋められて、誰かの栄養素になったり、水に沈められて魚のえさになるのもいいかなと思う。だって、僕の肉体は、きちんとその生命の土台になるから、消えないじゃないか」
マグロで思い出したが、漬け丼は最高だと思う。あれは醤油ですべてが決まる。ご飯の進む一品だ。
しかし、海鮮丼ならばやはりサーモンといくらをのせた、いわゆる親子丼もベストに入れるべきだろう。
帰りがけに、コンビニかスーパーにでも寄ろうかな。お腹すいてきた。
「消えるのが嫌なんだっけ」
「そうだよ」
「なら、いい考えじゃねえの?」
「うん」
ありがとう、助けてくれて。
チヒロとの会話の間、ずっと考えていたことがマグロだった。あほらしいと自分でも思う。
聞いていないわけではなかったが、チヒロの答えに俺は期待しているわけではなかったからいいと思う。
いや、むしろ、思っているのだ。
綺麗な死に方に、答えなどあるのか。
戦場で無残に散った姿を、英雄視するものはそれを綺麗というだろうし、老衰でぽっくり眠るように死んだ姿を綺麗ということもある。
そんな感じで、人それぞれの価値観でいいのだと思う。
だから俺は答えを見つけない。
人の答えは聞き入れない。
チヒロを家まで送り届けた。彼の家は普通の一軒家だった。俺の家ほど大きくないのは当たり前だが、チヒロを含めた三人で暮らすには十分な大きさの家だ。
家族はどうせ帰ってこないとチヒロは言った。たまにご飯くらい届けようかと思ったが、考えてみたらこいつにはとりあえず血をあげておけばいいんだったと、先日おいしそうにナポリタンを食べていた姿からうっかり人間と同等に扱ってしまったことによる物忘れが発生していた。いけないいけない。俺はまだ若いんだし、気を付けないと。
スーパーにでも寄ろうか考えたところで、メールが来ているのに気付いて開いたらなんと、家族全員帰ってきてしまい、マグロが消えそうだったので急いで帰ることとなった。吸血鬼パワーも使ってしまい、目にもとまらぬ速さで、だ。
家に帰ってきてマグロは全部食べられていた。家族で刺身にしたりそのまま食べていたり焼いていたりご飯を炊いていたりした。俺の分はもうないか、とあきらめたら、母が1ブロック残しておいてくれた。今回のご褒美で特別に配慮してやった、と言われた。
母に感謝だ。
マグロは俺の胃に消え、俺となって肉体の一部となる。
それはそれで、そのマグロがチヒロだったとしてもいいのかもしれない。
チヒロが誰かの中で生きる。
それもそれで、彼の望んだ『消えない人生』なのかもしれない。
しかし今は考えるのはやめよう。
今は純粋に食事を楽しもう。
マグロに、醤油もかけず、そのままかぶりついた。
血の味がしておいしかった。
「ごちそうさま」
一度、母校の部活動で発行していた部誌に掲載したことのある話を大幅に改編いたしましてここに掲載しました。
読んでくださりありがとうございます。