表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Vampire  作者: 風来坊
1/2

前編

学校を無断欠席している。それは、こいつを俺の家においているからだ。別に俺はこいつを誘拐しているわけではない、むしろ匿ってやっているのだ。

白々しいやつ。そういう印象を持つ同級生のこの男はチヒロという。

俺とチヒロは、別に友人でもなんでもなかった。クラスがたまたま一緒だった生徒同士、それだけのはずだった。いや、むしろこんな状況にさえならなければ、ずっとそのままでいられただろう。むしろ、そうしたほうがよかったのかもしれない。俺がこいつを自宅で匿っている行為は、間違っているのかもしれない。

たまたま、だった。

たまたま、気分転換に遠回りになる帰り道で帰宅しただけだ。最近は太陽の光が強くなっていて、暑いのが嫌いな俺は日陰を歩いていたのだ。そしてたまたま、住宅街の喧騒に混じる、静かなうめき声が耳に入っただけだ。

チヒロは全身に怪我を負い、暗い路地裏に倒れていた。



臼井チヒロ。

俺のクラスメイトであるが、今まで話したことはない。

印象、白々しい。日本人離れした色素の薄い髪の毛の色や陶器のように白くてしなやかな肌からそう連想することもできたが、そうではない。いつも彼の目は人をまるで見下しているようだった。そして人を避けるように嫌味な発言ばかりする。

クラスメイトはそんな彼を避けた。彼も人を避けた。

彼はクラスでひとりぼっちで、どこにも馴れ合おうとしなかった。一匹狼だった。

他人事のように言っているが、俺も心底親しい人間はいないので似たような性なのだと感じていた。しかしだからといって近づくことはしなかった。

そもそもひとりぼっちでいるやつは大抵二種類に別れる。友達が作りたくても作れないやつか、そもそも作る気がないやつ。

チヒロは後者だ。俺も後者だ。

だから似たもの同士でも近寄らなかった。

おそらく互いにそれに気づいていたから、この先声を掛けることもないだろうと思っていた。

そう、思っていたのに。



チヒロの地毛である色素の薄い髪の毛は泥や塵で汚れ、白い肌は切り傷や打撲痕があった。肌と対称的な真っ黒いTシャツも所々破けていた。

不良と喧嘩でもしたか、と思った。しかし放っておくことにした。白状だが、不良や反社会的な出来事に巻き込まれるのごめんなのだ。誰だってそうだろう。面倒事にあえて自分から飛び込もうとするのは創作の世界のなかだけだ。現実にいるのであればかなりのツワモノだ。

しかし、去ろうとしたのだが、できなかった。

なぜなら、チヒロはの低く唸った声が聞こえたからだ。

「血が足りない」

そして俺にその血走った目を向けた。飢えた獣の目だ。あ、やばい、となんとなく察知してその場を離れたのが正解だった。チヒロは完全に正気を失い俺に飛びついてきたのだ。間一髪で避けたものの、チヒロが落ち着くことはなかった。

仕方がないから反撃に出た。

満身創痍のこいつの攻撃を避けるのは簡単だった。とはいっても、普通の人間相手よりは難しかった。最初は武器マニアで機械オタクの親戚から貰った改造されたスタンガンを護身用に持っていたので、それを使った。なんとか飛びつくために伸ばされた腕を掴んでひねり上げ、脇腹にスタンガンをずどんと一発。安全装置のようなものがついていて、それが外されていれば人間相手なら前後の記憶がいくらか吹っ飛ぶほど強力な電流が流れると言っていた。

チヒロは獣のような呻き声で苦しそうに唸った。やはり安全装置がついているとはいえ強力なのか。ぐったりしてしまった。本当に大丈夫なんだろうな。外れてないよな、安全装置。一応つけてるはずだ…と思っていたら、安全装置が外れているのに気づいた。

やばい、やっちまった。

「お、おい、大丈夫か」

ちょっと焦ってチヒロの反応を待った。

こんなもん食らってただで済むとは思えない。本当に記憶がぶっ飛んでいるかもしれないし、どこか電撃で変な刺激を与えてしまったかもしれない。

確実に距離を取りながらチヒロにじりじりと近づく。それはどうやら正解だったらしい。

チヒロはヨロヨロと起き上がった。

身体は小刻みに震えているが、飢えた獣のような獰猛な目は健在だった。ぎらぎらと獲物を狙う肉食動物のようだった。

食いしばる歯が鋭い。犬歯がもともと鋭いのだろうか、位置的に八重歯なような気もするが。その歯に噛まれると恐ろしいことになりそうだと思った。

タフなやつだ。

と思うと同時に、人間離れしている気がした。回復力が高いのか。それとも痛みを感じていないのか。もしくは、痛みに慣れているのか。それとも、襲いかかるくらいだから興奮状態にあって、アドレナリン過多とかで痛みを感じにくいのか。どっちにしろ最悪の状況だ。

騒ぎは大きくしたくない。ここは今は他の人が通る様子もないし、路地裏なんて誰も気にしないが、声を荒げたりすればもしかしたら聞かれるかもしれない。悪いが学校にはいい子ちゃんでいたいのだ。間違っても、こんなやつとは関わって問題になるなんてことは起こしたくない。こんな、どうでもいいやつに。このときはそう思っていたし、今でもそう思う。

先手必勝、チヒロは今まだ体制が整っていない。これは真剣勝負ではない。どんな方法を使ってもいい。そのとき思ったことは正解だった。すぐさまチヒロの懐に入り込み、鳩尾に拳を一発。ぐ、と鈍い声。しかしまだ倒れなかった。もう一発と思ってまた同じことをしようとしたら今度は当たり所が違った。避けたというより、よろけたというべきか、体が揺れて、俺の拳はチヒロの心臓部に当たった。今度こそチヒロは倒れた。

従姉弟の姉ちゃんが護身術で習っていた空手の達人で、伯父さんも格闘技をやっていたためある程度の喧嘩殺法を教えられ、そのせいで喧嘩には強い。もともと家族一体、体が丈夫で運動もできるという遺伝のためだからなのだろうけれど。

一悶着終わったと思ったその後が問題だった。

正確には、まだ夕方で太陽が出ていたことが問題だった。暗い路地裏から日向に引きずり出し、肩を支えながら歩いていた。そうしたところ、段々とチヒロが辛そうにし始めた。怪我が原因かと思ったが違った。先ほどと比べて、日の光の当たる肌が赤くなっているのだ。炎症を起こしているように。息も絶え絶えで、さっきよりも辛そうだった。日の光が原因とみた俺はすぐに日陰に移動し、急がないと取り返しがつかないことになると悟って、チヒロを担ぎ上げて帰った。周りの目など気にしていられなかった。流石にこいつが死んだら問題だ。なんせ、俺がぼっこぼこにした傷が残っている。警察沙汰にでもなって、学校関係者まで取り締まられて、俺にたどり着かられたらまずい。例えば指紋や毛髪。学校から帰宅する時間。俺もチヒロも部活に入っていないから早くに帰る。俺にたどり着く可能性は少しでもある。はっきりいえば証拠隠滅だった。

俺の両親並びに親族は全員家を出ていた。両親は一週間ほど海外へ仕事をしに行くと言った。他の人たちも各々用事があって、俺の家は俺だけしかいなかった。

チヒロを家に半ば放り投げるように入れ、急いで玄関の鍵を閉めた。チヒロの怪我を見たところ、俺がつけた怪我以外はただの怪我ではないことが分かった。

心臓部分に十字架模様の火傷があった。

血。鋭い歯。日に弱い。十字架。

これですべて悟った。

チヒロが吸血鬼だと。



吸血鬼とは読んで字のごとく、血を吸う怪物のことだ。鉄の塊が走り、有線が無くても連絡が取れるこの科学こそが真理だと言っているようなこのご時世に何を空想上の怪物のことを言っているのかと言われるのだろうけれど、当たり前だ。吸血鬼は隠れて暮らしている。最近の夜は明るい。吸血鬼にとって餌が狩りにくくなってしまい、数は激減、生活の苦しいのだという。俺たちが生きている代より何百年前が吸血鬼の全盛期だった。吸血鬼は生き延びるために今も人間社会になんとかして溶け込んでいる。

専門的ではないが、実をいうと俺と俺の一族はそういうことに関わっている者だ。

本物の吸血鬼を見たことだって、実はある。俺も、家族も。

だからチヒロが吸血鬼ということを疑いはしなかった。

そして、吸血鬼の存在を脅威と感じる人間は必ずいるわけで、今も存在する『狩人』がチヒロを狙ってこんな怪我を負わせたのだと、怪我を見ていくうちに納得した。

吸血鬼を狩る狩人。さしずめ、ヴァンパイアハンターとでもいうのか。

吸血鬼の血は年々弱くなっているともいう。というより、吸血鬼にも強い者もいれば弱い者もいる。人間の生まれ持った体質と同じようなものだ。吸血鬼の場合は生命力というのだろうか。実は弱肉強食の世界では弱いものが生き残ったりするケースが多いらしく――恐竜と他哺乳類で生き残ったのは後者であったように――また、吸血鬼の中で強い者ほど変なプライドがあって、日に日に人間の勢力が強くなっていく内にほとんどは人間社会に溶け込むのを選んだ中で彼らはまったくそれまでと生活を変えなかった。そして餌が中々とりにくい環境を呼び込み滅ぶ。弱い者たちは徐々に人間社会に溶け込んでいったが、遺伝のため彼らは戦闘能力が高くない。普通のヴァンパイアハンターにすぐに倒されてしまうのだ。チヒロもその類なのだろう。

そして命からがら逃げ延びて、あの暗い路地裏で倒れていたのか、と彼に同情心を抱いた。かわいそうに、と哀れみさえ持った。

適当に手当てを終えてから、また暴れられたら困るし弱いとはいえ飢餓状態の吸血鬼の吸血衝動はかなり恐ろしいので、かわいそうだが腕を縛って部屋の家具の取っ手に紐を括り付けた。俺からは十分離れている。必要になれば口を塞いだり足を縛ったりするつもりだ。

前述したとおり俺の家族は吸血鬼に関わることがある。実をいうと狙われたこともあるのだ。そのために曾祖母の妹の血統が営んでいる個人病院からいくらか輸血パックを頂いている。秘密だぞ。

吸血衝動が出たらこれでなんとかしよう、と冷蔵システムのある倉庫から勝手に拝借して自室に戻ってきたら、チヒロは目を覚ましていた。

じっと俺をにらむように見ている。

状況の分からなかった彼に大体の説明はした。彼はじっと俺を見ていた。また襲われたりするのは怖いので、後ろ手にタオルに包んで十字架を隠し持った。なんとなく察知していたらしいチヒロは大人しくしていた。

「気分はどうだ」

「さあね」

「お前は吸血鬼か」

「さあね」

答えは白々しかった。

全体的に体が白いのに態度も白々しいのか、と心で笑った。

「腹は減っているか」

「すごく」

これだけはまじめに答えた。俺は用意した輸血パックを差し出した。彼は驚いていた。なぜ持っているのか不思議に思ったのだろう。

「一応、家族が吸血鬼に理解を持っているやつらだから、こういうの持っているんだ」

適当に説明してごまかした。「ハンターの家系かい?」「違うが吸血鬼を見たことはある」「あっそ」納得したのか分からないが、チヒロはそれを食すことにしたらしい。手を縛っているので動けなさそうだったから、ストローを持ってきた。

奴がすべて飲み干した後、顔を顰めて「不味い」と言った。

餓死するよりましだろ、と言うと、そうかもね、と白々しい答えが返ってきた。

「お前、ハンターっていうのに狙われているのか?」

「どうだかね、いきなり襲われたから分からない」

「いきなりか」

「最初に十字架を胸に押し付けられた。なんとか致命傷は避けたんだけど、逃げるには重荷だったよ。正直、どうやって逃げたかなんて覚えていない」

それだけ必死だったようだ。

かわいそうだな、と再び思った。

その後逃げて疲れていたらしいチヒロはすぐに眠りについた。縛られているのによく寝られるものだと思ったが、欲望に従えば妥当な行動であったろう。俺は自分の分のご飯を適当に用意し、チヒロを監視しながらそれを食べた。風呂に入る気はしなかった。夏でもないしそのまま寝てしまってもいいかと考え、とりあえずチヒロはそのままで、俺はいつものようにベッドを使った。腕も縛り付けてあるが俺が寝ている間に起きてなんらかの方法で拘束がほどかれて血を吸われないように足も縛り口には猿轡を入れた。猿轡を持っている理由は、父の弟の趣味で集めたという本人にとっての宝箱から取り出した。あの人はたしかSM趣味があるらしい。

酷いことをしているのかもしれないが仕方がない。間違いがあってからでは遅いのだ。

これからどうしようか、と俺は思った。

チヒロは吸血鬼。人間ではない。それに人間の脅威になるかもしれない。だから狩られるのは当たり前で、庇うと面倒なことな起こるのは必須だ。

しかしここで外に放り出したらそれはそれでまずい。吸血鬼を招き入れた家はハンターに特定されることもまた必須だ。そう簡単にこの家には入れるとは思わないが。

なんだか考えるのが面倒になってきた。よし、眠ってから考えよう。

そう思って眠りについた。



「酷いよ、君は。眠っている奴に対してさらに拘束を強めるなんて何を考えているんだい」

翌朝、息苦しそうにもがくチヒロのうめき声で目が覚めた。噛まれたら嫌だから、と拘束を解きながら説明したが不服そうだった。

「そんなに僕は信用がないかい?」

「衝動って怖いだろ」

「じゃあ僕なんて放っておけばいいじゃないか」

「外に放り出したらお前は狩られるだろ」

「君には関係ないじゃいか」

「お前を外に出したら、誰構わず血を吸いそうで、放っておけない」

チヒロは嫌そうな顔をした。あからさますぎていっそ清々する。

縛られている手を解こうと手首をねじるが無駄であろう。いや、吸血鬼の身体能力では可能かもしれないが、そう簡単にはいかないほど頑丈な作りになっている縄だ。これも所謂吸血鬼対策用らしい。噂によると銀が混じっているらしい。道理で妙な手触りだったわけだ。

抵抗も意味がないと悟ったチヒロは動くのをやめ、再び俺を睨んできた。

「これほどいて」

「いやだね」

「じゃあ僕を殺せ」

急に極端なことを言い出した。

この返しは予測していなかったので、俺の言い返す言葉が出てこない。

「殺してよ。苦しむ思いはね、したくないんだ」

「……なら、」

俺はチヒロの腹を容赦なく蹴った。

血しか入れていない胃袋には他に胃液しか入っていなかったようで、チヒロは中に入っていた何とも言えない何かを吐いた。掃除の手間が増えた。

「てめえの分の食事は、血は、用意してやらねえ。干からびて死んじまえ」

扉を開けた。ドアノブにつないでいる彼は動きにしたがって引きずられる。抵抗する気はないようだ。

罪悪感など感じなかった。

こいつの自業自得だ。

自業自得。因果応報。

救いようもない馬鹿。

こうして監禁生活二日目は過ぎていく。


 

二日目の食事は言葉通り用意しなかった。

部屋にも入りたくなくて、リビングのソファで一晩を過ごし、三日目の朝を迎えた。

これからどうするかを考えたら、やっぱり若い自分にはなにをどうすればいいのか分からないので、とりあえず母親に連絡を取ることにした。

「え、吸血鬼を拾った? 珍しいわね、あなたが面倒そうなことに首を突っ込むだなんて」

(自分でもそう思うが、巻き込まれただけだ)

「嘘でしょ、それ。巻き込まれるくらいなら、家に置いてある十字架でその吸血鬼君を殺しているでしょ」

(死体とかどうするんだよ、俺は処理できねえぞ)

「原型とどめないくらいに十字架を押し付けるとか、日光を浴びさせるとかしたらどう? ニンニク料理を作って部屋に放置でもいいんじゃないのかしら? 吸血鬼の直接的な死傷に関わるような傷は出来ないけれど、拷問には打ってつけよ」

(何も白状することとかないのになぜ拷問の方法について語るのか、我が母よ)

「なぜって……ハンターに襲われたのでしょ? まだその情報を聞き出せていないじゃない。うろつかれると困るのよね」

当然と言えば当然なのかもしれないが、母はチヒロのことを微塵も考えてはいなかった。

それ以上に、ハンターのことはこちらとしては面倒なことありゃしないのだ。

「ハンターも、協会に入っていれば『我々』のことを認識しているからいいんだけど、最近のハンターは協会未登録者ばかりだもの。いいえ、協会登録者よりも未登録者のほうが多いというのが現実だわ。まったく、吸血鬼狩りをいい金稼ぎに考えている馬鹿どもよ」

母は苛立たしげにそう言った。

協会とはハンター教会のことで、海外に拠点を持つため正式名称は英語となるが、まあ直訳してしまえばハンター教会のことなので俺たちはそう呼んでいる。協会では一流のハンターになるための教育・修行が課され、履修を突破した後最終的な試験をし、合格すれば免許を持つことができる。そのためにお金と時間が必要となる。自動車免許を持つために教習所に通うこととほとんど同じなのだ。教習所にかかる代金、免許を持つための代金、そして時間。面倒なことこの上ない。そして最近の吸血鬼は血が薄れたことと人間の勢力の拡大によって弱っているため、それなりの実力と武器さえあれば一般人でも倒せられるようになった。それにより、無免許ハンターが増えてきたのだ。免許もちよりは吸血鬼を倒したことにより得られる賞金は少ないが、一般のサラリーマンの月給よりは高い。小遣い稼ぎ感覚でハンターをするものはやはり多いのだ。

まともな経験も知識もない故に、俺たちにとって厄介なのだ。

「免許持ちなら家の周りをうろつかないはずだけれど……どう? やっぱり、いるの?」

(いる)

俺は断言した。

あいつを捕えたのは昨日だが、それでも分かる。

外からの異様な雰囲気。殺気というのか。見張られているような感覚のせいで、カーテンを開けられない。

「やっぱり……無免許ね」

始末するべきかしら、と物騒なことを母は呟いた。

「私たちのバカンスを邪魔するなんて嫌だし、あなたがなんとかできないかしら」

やっぱり俺がなんとかするしかないのか。

はっきり言えば俺の力なんて我が家族と比べて低いと思う。いや、他の奴らが高いだけ、と言いたい。一応満身創痍とはいえ吸血鬼であるチヒロを叩きのめしたし。

「協会に連絡を取ってみようかしら、でもそうしたらあなたのかくまっている吸血鬼君が協会によって始末されちゃうわね」

母の案はもともと考えていたことだ。

協会に通報すれば、無免許ハンターは厳重注意のもと追い返されるし、厄介な吸血鬼チヒロは協会によって回収される。始末されるかは分からない。そもそも協会の仕組みがよく分かっていないのだ。聞いたところでは吸血鬼を始末するところもあれば、害が本当にないので協会監視下のもと人間社会に溶け込んでいるとか。最近は人権云々がうるさいのだと、伯父さんが言っていた。

チヒロを協会に引き渡せるかといえば、迷いなく引き渡せると答える。

それが俺たち家族のしてきたことだし。

「まあ、私たちが帰ってくるのはあと一週間。それまでに何とかしなさい、それがあなたに課す課題よ」

(面倒だから俺に任せたいだけだろ)

「あら分かっているじゃない。そうよ、面倒くさいからあなたに丸投げするの。だって、私たちが協会に繋がりを持っていることも、実際それが理由よ」

(…………)

「今さらやめることなんてできないわ」

ブツ、と受話器の向こうから通信が消える音がした。

今さら。

そう、今さらなのだ。

今さら吸血鬼を始末することなんてためらう必要などない。



果たして何日血を摂取していないと吸血鬼は死ぬのだろうか。

従兄弟に兄曰く、個人差があるが一日とっていないだけで慢性的な空腹に悩まされ、三日経てば飢餓状態に、一週間以上経つと死ぬ、のが一般的だ、とか。

つまり今、チヒロは空腹だという訳だ。

三日目の夜、俺はまだ何もしていなかった。

別にチヒロを庇うことに意味を持っているわけではない。しかし面倒事を丸投げしてきた母に対する反抗の意もある。

引き延ばすだけ引き延ばしてもいい気がした。

結果が同じならいいだろ。

そう思って明日にやろう、と宿題気分でその日を終える。

はずだった。

それができなくなった。

呻き声だ。

獣のようなうめき声が聞こえたのだ。

自分の部屋、つまりチヒロのいる部屋からだ。

血の気が引いた。

まさか縄を解いたのだろうか、そうなるとまずい。逃げられるとは思わないが、家を壊される可能性はないことはない。

急いで部屋に近づき、立ち止まって、耳を澄ませる。

言葉のような響きが聞こえたからだ。

「死にたくない……死にたくない……腹が減った……血が、血が、ほしい、くれ、血を、血をくれ」

これは空腹というか、飢餓状態ではないだろうか。三日経つとなるんじゃなかったのか、兄ちゃん。あ、でも個人差あるんだっけ。

でもただの飢餓状態によるうめきではなかった。

「さみしい」

そう言ったのだ。

「いたいよ」「さみしいよ」「ひとりにしないで」「こわいよ」「しにたくないよ」「とうさん」「かあさん」「みすてないで」「ひとりはいやだよ」

怨嗟のような言葉だった。

そして、その言葉に既視感を覚えた。

チヒロは孤独だったのだ。

こいつを引き取って三日経った。それでも、外ではなんの騒ぎもないのだ。少なくとも学校からチヒロに関する何か情報を聞き出そうと動くのではないか。我が家は電話はきちんとつながっている。無断欠席しているけれど何の話も来ていない。外も騒がしくない。この地区では行方不明者が出ると町内放送がかかるくらいなのだが。

「ひとりいや」「くらい」「こわい」「ひかるのいや」「ひかりいや」「やける」「あつい」「こわい」「さみしい」

チヒロの両親はどうしているのだ。

少なくとも探したりしないのか、家族だろ。

いや待てよ。チヒロは無免許ハンターにここまで怪我させられたのだ。もしかしたら、親もそんなに強い吸血鬼ではないのかもしれない。

つまり。

見捨てたのか。

「すてないで」

切なげな声が妙に心に響いた。

すすり声も聞こえる。

(同情するなよ、お前)

吸血鬼の餓死の話をしたときの従兄弟の兄さんの声が頭の中で再生された。

(お前さ、根が優しいんだよ。俺らはお前より年上で経験豊富だからまだしも、お前は俺たちの中で一番若い。付け狙われたらどうしようもねえぞ)

同情するな。

泣き声に同情するな。

傾きかけた心は傾かないまま、しかし微かに揺さぶられながら、俺は再びリビングに戻った。



あの悪夢だ。

大きな屋敷、つまりこの家なのだが、そこに俺一人でいる。

周りに誰もいない。

そして、部屋には知らない人が何人も。

屋敷は荒れ放題で、俺には拳銃が向けられている。

俺は幼かった。

誰も助けに来てくれないのだ、と思った。

恐怖心だけが俺を支配していた。

知らない人は時折銃を弄んで、俺に向けたりわざと外して撃ってみせて、おびえる俺を見て嗤っていた。

同情するな。

このことを言っているのか、兄ちゃん。

後から知ったのだが、これは悪夢というか本当のことで、トラウマになっているから心に刻まれているらしい。それがたまに夢という形で呼び起される。

家に押し入ったのは、無免許ハンターだった。そういう輩には、賞金稼ぎのほかの目的でハンターしている奴もいる。

人型を傷つけて楽しんでいる、快楽殺人者の気がある人だ。

何を思ったのか、ちょうど一人だった俺をとって屋敷を襲い、俺を袋叩きにして弄んでいたのだ。

家族は免許持ちハンターと会うという目的があって、小さい俺は連れて行ってもらえなかった。ちょうど家に一人だけだった。しかし半日もすれば帰ると言われて、大人しく待っていたのに。

そしてあの恐怖を味わった。

あのあと、家族と免許持ちハンターにより取り締まられた。俺は無事保護された。

無免許ハンターを嫌う理由は実はこの事件からひどくなっていったのだ。

チヒロの声が、あの時の俺の心の声と似ていた。

一人ぼっちで寂しくて。

襲われて怪我させられて痛くて。

死ぬ恐怖が付きまとって怖くなって。

結局――。



四日目の朝。

意を決して部屋に入ると、そういえば胃の中のものを吐いた時から放置していたので部屋中異臭が充満していて、床にはシミのようなものができているのに気付いた。

ドアノブに括られている手はあった。

チヒロは歯を食いしばりながら、涙を流して、飢餓に耐えているうめきを漏らしていた。

「おい」

チヒロの目の前に輸血パックを差し出す。

今のチヒロにはごちそうだろう。

キッと俺を睨んできた。拷問のつもりか、とで言いたそうだった。

「悪かったよ」

俺は素直に謝った。

「俺が変に意固地になったせいだよな」

お腹へったろ、ごめんな。

そう言うと、チヒロは睨み続けたまま、歯で輸血パックを奪い取った。そして器用に歯だけで袋を裂き、床に血をばら撒いた。ああ、シミができるのに。ばら撒いた血を、お構いなしにチヒロはすすり始めた。犬のような格好だ。

じゅる、と散らばったものを大体すすった後、チヒロの顔色は少しはよくなり、目の焦点もあうようになった。大方回復したらしい。

「君は物好きだね」

「そうかもしれないな」

「目つきが悪いからおっかないやつだと思ってた」

「人のコンプレックスに触るなよ」

確かに俺の目は鋭い。だから友人というものは簡単に出来はしなかった。どこか恐ろしいやつだとレッテルを貼られた。

それでも別にかまわなかったし不自由したことはないが。

「でも、お人好しだよね」

チヒロはそう言って笑った。そういえば笑うところを見るのは初めてかもしれないな、と思った。

お人好し。そういえば、変わり者である俺の家族にも、そう言われたっけ。



とりあえず掃除をしよう、ということでそれから大変だった。

カーペットに染み込んだものはしかたなくて、これは捨てなければならなくなった。思えば長く使っていた気がする、ありがとよ、カーペット。

窓を開けることは危険があったので開けずに、空気清浄機と消臭剤を持ってきて部屋の空気をきれいにする。さっきよりマシになったと思う。

チヒロの拘束も緩めた。というか、ドアノブから自由になっただけで、腕と足は拘束しているから、芋虫状態なのには変わりないが。

「結局一緒じゃないか」

「逃亡でもしてみろ、外にいるハンターに狙われ挙句に家に入られたら困る」

これは本当。

チヒロは文句を言いながらも言うことは聞いた。

朝ご飯は悪夢のせいで食べられなくて、昼ごはんは掃除のため作るの面倒くさくて食べなくて、俺の食事は夜になってこの日初めて行われた。

慣れない体勢でなかなか食事のできないチヒロにパックのお尻を持ち上げて無理やり口の中に中身を押し込んだ。俺をにらみながら咽せ、口から垂れているのをみたら中々ショッキングな絵面になっていた。しかし抵抗などほとんどできない彼は口で罵るだけで何もしてこなかった。その間に作ったチキンライスを口の中に掻き込む。今度からどんぶりものにしよう。

食後は適当に過ごす。 

「君は家族が大勢でいいね」

「チヒロは家族がいないのか」

「いるけど家庭を顧みないから、きっと僕が狙われているって知っても自分がやられないようにするだけだよ」

そんな会話をした。

カードゲームをしようとして、拘束しているのでババ抜きをやった。両腕を動かす必要のあるチヒロには、手札が丸見えになってしまうと文句を言われ、1ターン終わるごとに手札をシャッフルしていた。滑稽だ。ふははは。

なんて笑ってて、その日は過ぎた。

昨日よりはマシな気分だ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ