魔法の国
「……ほら、きみ。すまなかったね。ほら、お茶でも」
席につくと、オッサンは燿一の前にお茶を置く。
「あ。いえ、こちらこそすみません。ありがとうございます」
あの、地図……
しかし、心中に浮かんだ愚かな疑いをすぐさま振り払って燿一は促されるまま席に着くと、ずっとお茶を飲む。
ありえない。おそらくあれは世界地図ではなく、この国の地図なのだ。少しおかしな形をしたひとつの島国を映しているだけなのだ、と、そう解釈する。そうとしか考えられない。そう、考えるしかありえなかった。
「それできみは自分の国に帰ろうとしているわけかい?」
「あ。はい、そうです」
「なるほど。ならば、やはり首都に赴き、役人に協力を求めるのが得策だろう。ちょうど行商人が村にきていてね。これから首都で品物を卸すようだから、事情を話して首都まで乗せてもらえばいい。おれの方から話を通してあげよう」
「えー。もう行っちゃうのー?」
「しかたがないだろう。行商人が村に来るのはひと月に一回。さすがにこの村にそんなに長居をさせるわけにもいかんだろう」
「すみません。本当に……。ルチルにも。日本に帰って落ち着いたら今度は旅行者として遊びに来るよ。そん時はまたよろしくな」
「うん!」
そう言うとルチルは嬉しそうにほほ笑んだ。だから……。
そう言えばこんな女の子の笑顔が自分に向けられることなど、もしかしたら自分の今までの人生の中で初めてのことかもしれなかった。
「よし、そうとなれば善は急げ。行商人は今、広場で商品の買い付けをしているが、終わればすぐにでも村を出てしまうだろう。早く言って話をつけようじゃないか」
「はい。ありがとうございます」
そうしてオッサンに続いて家を出る。やはり日本とは全く違う街並みが広がっていて、ほとんどの家は一階建てのレンガ造り、煙突がついており暖は薪でとっているようだ。とはいえ気温はかなり暖かく春先と言った様子なので、煙が上がっている煙突はひとつとしてなかったが。そして、町のどこにも街灯はひとつとしてなく、いや、それどころか近代文明の名残そのものが一切ない。
そうして歩いていくと、一風開けた場所までたどり着く。
「いやー。あれだ、あれ。あの馬車のところにいる人が行商人さ」
そんな広場の中心には、大きな馬車が止まっており、その荷台に多くの人たちがむらがり、野菜やら果物やらを詰め込んでいた。
「はあっ?」
それを見て、燿一は思わず声を上げる。
「なんだよ、これ……」
そして今まで少しずつ感じていた違和感についに答えが出る。しかも、最悪な形で、という形容つきで。つまりその馬車、いや……それを引く、動物の姿に、である。
「どうしたの、ヨーイチ」
「あの……あれは」
恐る恐る震える指先を馬車の前に向ける。それを引く生命体の存在を。そう馬である。馬。たしかに燿一の常識感の中ではそう形容せざるを得ないだろう。ウマ科の生物であろうことは絶対だが、しかし……。その、姿。体長は3メートルは在ろうかという巨体。さらには、そのひたいには角が、そして、その胴体には双翼が、なんてばかばかしすぎる。これは……。こんなことが。
「あれ。見るの初めて? あれはユニススだよ。ユニコーンとペガサスのあいの子なんだ。繁殖力はないんだけどね、すごく体が大きく生まれて、馬力も強いから、行商人の多くが馬車を引かせるために利用しているの。まあ、体が大きすぎるせいでペガサスみたいに空を飛んだりはできないんだけどさ」
「……あ、う」
ちょっと待て。
待ってくれ。なんでもいい。何でもいいから、だれか……納得のいく解答を。
「あ、見てみて、ヨーイチ」
そう言ってルチルは楽しそうにはしゃいで空を指差す。
「な……なに? って……」
無数の黒い影。かなりの上空でその正確な姿形を認識することはできなかったが、しかし、しかしどう考えても、それは鳥などではなく。
「王国の天空騎士団だよ。村の方まで飛んでくるなんて珍しいなー。かっこいいよね」
ドラゴン、そして、ペガサス、だった……いわゆる。燿一の脳みそにある単語で、説明するなら、空に飛んでいた不可思議な生命体たちは。
まったく、夢なら冷めてくれ。そう思う……。
けど、そうだ……いつもそう。例えば開局すぐにノーマークだった国士無双に振り込んだときとか。理不尽なことが起こったときはいつもそう、夢なら冷めてくれ、と。
でもそんなとき、よかった夢だった、なんてことが今まで一度もあったか?
そういうときは、絶対、確実に、いつもより絶対的なまぎれもない現実でしか、ありえなかったのだ、だから。
だから……。
ここが、異世界である、と言う現実を……。
「ちくしょう……」
それでも願いたくなってしまう。願ってしまう。目が覚めて、あの日常に、そうふと目を開けると、授業中で、なんだ燿一また授業中に居眠りかっ! なんて、教師の怒号が飛び込んできて、教室内に笑いが立ち込めて……。
「う……」
負けがこんだ時、神頼みする輩がいる。そう言うやつは絶対に勝てない。まず間違っても女神は微笑まない。そう思い、そう言う人間を見下して生きてきた。しかし。
今だけは願わずにはいられなかった。この世界のどこかにいるかもしれない神さまに、それを。