国の値段
「セルプコヴィア皇国って知ってる?」
その名前をカーネリアは告げる。当然燿一には聞き覚えがなかったので、尋ねるように視線をセレナに向ける。
「この国よりは遥か北方にある国だ。たしか十年ほど前、激しい内乱があった国だとは見聞きしているが……」
「ええ。わたしの真名は、カーネリア・デ・セルプコヴィア。セルプコヴィア皇国の元皇女よ」
「……やっぱり、か」
その言葉に、静かに燿一はつぶやく。やはり彼女は王族だったのである。
「どうして王族がこんなところに、って言ってたわよね。フフ。笑えるわよね。かつては第二位皇位継承者まで上り詰めた皇女様が、異国の下民の通うカジノで裸同然の格好で、バニーガールよ。ほんと、笑っちゃう」
「……亡命したのは、皇室のごたごたか? 皇位継承権の争いに巻き込まれ、命を狙われでもしたのか?」
「そう。わたしにはお兄さまがいたんだけど、お父さまが流行り病で死んで、お兄さまが第一位皇位継承者みたいなことになっちゃってさ。皇帝のおじいさまはそのころはもう病気で、寝たきりって状態で、いつ死んでもおかしくなくて。でもお兄さまはそのときまだ十一歳よ。わたしなんて九歳だし。で、そんな子供が皇帝なんてふさわしくないって、おじさま方が一致団結しちゃってねー。皇位なんて捨てたっていいと思ってたんだけど、だっていうのに、何もできない子供を皇帝につけたいと思ってる貴族連中もいた。国を私物化しやすいからね。ガキなら、操りやすいってわけ。んなわけで、わたしらは皇位を捨てることも許されず、シンボル的皇帝の座につかされそうになっちゃってさ。で、国が二分され、内乱がはじまった」
なるほどたしかに政治の中心に携わっている貴族からしたら、分別のある彼女らの叔父を皇帝につけるより、子供を皇帝につけたほうが、自分たちの思い通りに国政を操れるだろうという思惑があったのだ。しかしながら今まで通り皇帝に発言権を持たしたいと考える、伝統派の貴族もいたことだろう。そして、国は二分され、内乱が勃発した。
「そんあとは悲惨よ。もう、悲惨! お兄様は殺されちゃうしさー。わたしも殺されそうになって、でも、内乱中に死んだことにして亡命したわけだけどさー。どうしろっていうの、九歳よ、たった。たったの……。それからずっと、わたしはひとりで。ひとりだけの力で……」
九歳の少女が、たった一人で国を捨て、異国の地へと逃げてきたのだという。どれだけ心細かったことだろう。どれだけ、辛かったことだろう。そんな小さな子供が、ひとりで生きていけるほど、この世界は優しかったのか?
いや、違うだろう。きっと。この世界は、そんなに優しいものではなかったのだろう。震える声で語る彼女のその一言一言が、それを如実に物語っていた。
「なんでもやったよ。盗みだって。だって、そうしないと生きられないしね。そのあとの旅で汚い大人をいっぱい見てきた……。だいたいさ、まだ九歳だよ、九歳っ! そんないたいけな少女をさー、たーっく、ベッドに連れ込もうとする野郎どもはホント、頭壊れてんじゃないのかって……。だけどわたしにはこの力があったから」
「魔法か?」
「そ。サキュバス系魔法石。この右手で額に触れることで、その相手を眠らせる。この力を使って、へーこら近づいてきたバカどもを眠らせて、お金を奪って生活してきたのよ、ずっと。ヨウイチくんにしたみたいにね」
「う……」
思わず燿一はしかめっ面を作る。まったく面目ない限りだ。
「でもわたしは、いつかあの国を取り戻す。そのためにはお金がいる。あのカジノには貴族もけっこう来るでしょ。たんまりお金持ってるやつが。そんで誘いに乗ってほいほいホテルについてきたところを眠らせて、それでかなりの額を集めてきた。そ。ヨウイチくんみたいにね」
「あー。わかったからっ!」
ほんと、めんぼくない。
「待ってくれ。少しわからない。セルプコヴィア皇国の皇族がサキュバス系魔法石を宿しているなんてそんな話は見聞したことがないぞ」
そのとき、セレナが怪訝そうな表情で口を挟む。
「サラマンダ系や、ペガサス系魔法石といった自然系魔法石と違って、精神系魔法石であるサキュバス系は、遺伝確率が極端に低いからね。セルプコヴィアの皇族の血には、サキュバス系も元々付属しているけど、こうして発現する例は十数代に一度。一般に知られていないのは当然よ。とくに精神系魔法石を持っていることを王族は隠匿する傾向にある。人の精神に作用する力は民衆に知れ渡ったら無意味な恐怖と混乱を生みだけだもの」
そう言ってカーネリアは右手を掲げる。そしてその瞬間、その腕が炎に包まれる。
「基本はこっちでしょ。セルプコヴィア皇族といえば、サラマンダ系って、こっちは知ってるでしょ?」
と、すぐに炎をかき消しながら、またカーネリアは燿一の方を見る。
「で、どうする? 闘う?」
「は?」
「まあ、なんやかんや言ったって結局わたしは、ただの盗人。制裁を加えるのならお好きにどうぞ。ま、わたしも魔法を使って抵抗はするけど、……この距離で剣士がいるってなると、勝ちの保証はできない、か。今の話を聞いて、同情して逃がしてくれるっていうんなら、ありがたいんだけど」
そう言ってカーネリアは立ち上がる。
「どうすんの? 行っていいかな?」
「待てよ」
「そ……か。なら、やるしか」
わずかに悲しそうな視線を揺らして、すぐに右手を前方に掲げる。
「やめろっ!」
が、すぐに燿一はその手を掴み取る。
「離し……」
「ヨウイチ……!」
その瞬間すぐに、セレナは剣を抜く。だが……。
「動くな、セレナッ!」
しかしすぐに燿一はそれを制止する。
「離してよっ!」
その瞬間、つかむ燿一の腕ごとセレナの腕が炎に包まれる。
「聞けっ!」
が、苦痛に表情をゆがめながらも燿一はその手を離さない。そのまま叫ぶ。
「もう、バニーなんかやめろ」
「なに言って……」
「ここにいろっ!」
「は?」
「カジノで言っていたよな? ギャンブルは嫌いだけど、一回だけおれに賭けるって。撤回しろ、その言葉! 一回だけじゃねえっ!」
「なに言ってるの?」
「おまえの国はおれが買ってやるっ! だからもう一度、おれに賭けろっ!」
「なん、……で?」
ツイとカーネリアの頬に涙が伝う。その涙に鎮火されたかのように、腕から吹き出ていた炎は静かに静まっていく。
「なんでそんなこと言うのっ!」
「言っただろう。おまえはおれの幸運の女神なんだって。だからお前が隣にいてくれれば、それができる」
始まりはたったの10シェルだった。リンゴ一個二個買えるだけ、と言うはした金。だけどそれが始まりだった。すべての奇跡の。
それがなかったら紡げなかった。それがなかったら、燿一はトリディマイト卿に出会うこともなかっただろうし、そうしていたならセレナとともにいられることもなかったはずなのだ。すべてはあの10シェルがくれたことだった。その10シェルが、この今の生活を、この家を、九億シェルと言う圧倒的成功を、生み出したのだ。というのは、少し言いすぎか?
「だ、だいたい国を買うって、何を考えているの! そんなこと……本気で」
そこでカーネリアは口を閉ざす。国を買うためにと金を盗み蓄えていたカーネリアではあったが、その実、国を買うことが本気でできるわけがないと言うことは、本当はわかっているのだろう。
だが、それでも盲目的にそれを目的に生きるしかありえなかったのだ。金持ち連中に取り入って騙して金を奪って、そうして金を蓄えてなんになる? 何百、何千万。あるいは、数億と言う金が本気で集められるとでも思っていたのか。あるいはそうまでして集まって数億ですら、国などという商品にはまったく届きようもないのだから……。
不可能だという現実から目をそらし、それを信じていなければ、彼女はこの地獄の中で生きてなどいられなかったのだ。いつか頑張って生き抜けば、その努力の末に、あの頃の幸せが、自分の手に戻ってくるのだと、そんな夢物語を信じて闘わなければ、生きられなかった。
生きる希望なくして、人は生きれない。永遠にその地獄が続いていくという事実を知覚しまった人間に残された道など、自らその道を閉ざすこと以外にはありえないからだ。
「おれの手にあったのは10シェルだった。おれは一週間でそれを九億シェルにして見せただろ!」
そう。それは奇跡と称して相違ない偉業である。この国いるだれが、今までいた数々の人間たちがひとりでもそのような奇跡を起こせたか?
現代社会に生きてきて育まれた知識。
高レートギャンブル、それを生業にして生きる大人たちとの戦いで培ってきた経験。一歩間違えば命を失うやもしれぬという鉄火場の中で、それでも燿一はしたたかに大人たちを欺き、その思考を読み、裏をかくことで、莫大な勝利を手にしてきたのである。
だからこそ、成せるかもしれなかった。
燿一ならば、先人のだれもが成しえなかった奇跡を起こしうるかもしれなかった。
「おれに賭けろっ! いつか、おれはおまえの国を買ってやる。おまえに王にしてやる。それだけの富を築いてやる。だから……!」
国家を、買うという、異常を。それほどまでの莫大な総資産を。一代で!
そんな夢物語も、しかし、どうしてだろう。
「……信じても……信じていいの? わたしは……」
燿一ならば、成し遂げられるのかもしれないと、そう思わせるのは。
「ああ」
「っ!」
燿一がうなずくとカーネリアは涙をぼたぼた流しながら燿一に抱きついてくる。
「わたしはずっとひとりで、ずっとひとりで……ひとりでっ!」
「ああ。もう、ひとりじゃないよ」
そう言うとカーネリアは大声を上げて泣きじゃくった。何度か抱きつかれた時に感じていた腕から伝わる彼女の柔らかい感触はそこにはなく、むしろ、むさぼるようにしがみつく彼女の腕は、痛みすら燿一に伴わせていた。だからきっと、それが彼女の初めての本当なのだと、その痛みをかみしめながら、そう思った。




