異世界
鷹目燿一は普通の高校生である。と、呼称するにはいささかの疑問が残る。
いや、日々の生活はまったく普通と言わざるを得ない生活をしていた。中堅公立高校に通い、成績は中の上程度、部活もバイトもやっていなく、学校ではまったく目立つことのない影の薄い普通の生徒だった。友人が多いわけでもなく、また彼女がいるわけでもなく、かといっていじめられているのかと言えばそうでもなく、たぶん本当にどこにでもいそうなうだつの上がらない男子高校生と言う感じ。
しかし、それでも彼を普通と呼称できない所以は、その趣味に合った。
授業中ほとんど眠っているような彼が、その実、日が落ちた後、夜の帳でやっている趣味、いや稼業と言うべきか……その裏の顔。
おそらくその界隈に生きる人間ならその噂程度なら聞いたことがあろう。
辻斬りのごとくさっそうと現れ、そして誰にも負けない、無敗の少年。
繁華街の雑踏すら聴こえなくなった、裏通りの一角、看板すら出していない無名の雀荘の中に、その姿はあった。
「……ロン、跳満です」
相手のあらゆる隙を見逃さない、その高度な観察眼から、無敗の高校生ギャンブラー『鷹の目の雀士』などと、今じゃ界隈ではそんな名前で、燿一のうわさは流布していた。
とはいっても、無敗の、とはいいすぎだ。こう見えて実は負けることも多々ある。多々、あるが……それでもトータルでは莫大と言っていいほどの勝ち金を積みあげてきた。
そして、その日はそんな普通とはかけ離れた彼の人生の中でも、さらにかけ離れた異常な日であった。その、莫大なレート。
1000点20万円! ちょっと負けがこめば一回の半荘で1000万近くは持っていかれようという超高レートの場、そこにあった。
つまりそうあって燿一の脳みそはすでに焼かれていたのだ。心臓を焦す様な圧倒的な緊張感、それを味わい続けるためにはもとより、どんどんと自分を窮地に追いやって行かねばならなかったためである。
今まで稼いできた金はおよそ700万円。今日負ければ、そのすべてが逝かれる。そういう場所。いやそれどころか、金は足りないのだ。明らかに負ければ足りない。まさか自分の全財産でも払えないほどの高レートとは思わなかったというのが、実際の心情であったのだが、その実、たしかな充実も感じていた。まさに望んでいた闘いだった。負ければただじゃすまされないという緊張感が、少年の人生に、たしかなる彩を与えていたのである。
そしてその、四位ながら僅差で迎えた、最後の一局。
が……少年の記憶にあるのは、そこまでであった。
「あのー。あなたはどこからきたんですかあ?」
そして気づいたらここにいた。
自分は負けたのか? あの勝負に……だから拉致られて。海外なんかに連れてこられた? 強制労働かなにかのために?
そこで覚えてはいないが、何とか脱走し、ここにたどり着いた?
だがそれにしても解せない。ならばそう言う状況なら、少女が扱う言語が日本語ではありえなかったし、そもそもあの時自分は……。
「そうだ。勝っていたんだ。最後……自分はたしかにあがり牌をつもった。そう、つもった……その瞬間までは覚えているんだ」
その瞬間。
あがったその瞬間、勝利を収めたその瞬間、視界が、光った。そして、気がついたら……。
「あ、あの~」
この状況である。
そして、さらに解せないのは……。
「いきなり天井から降ってくるなんて、どうして? 魔法でも使ったんですか?」
これである。
どんなシナリオを描こうとも、かりに記憶の一部が消失しているとしても、進一がここに侵入するための経路は、ドアからか、あるいは窓からか(まあ、これはかなり乱暴な筋道だが)、いかんせんその二種類しかないはず。だというのに、なぜなのか燿一は天井から降ってきたそうである。
「いきなり天井がパッ! って光ったと思ったら、いきなり……うぅ。それにあのー、その姿……どこか別の国の方なのですか?」
そう言う。たしかに別の国、と言うカテゴリになるのだろう。おそらく彼女は日本人ではありえないだろうから。
「……別の国。たぶんそうだろうと思う……。ここはなんて言う国なの?」
「あ。やっと喋ってくれた!」
燿一がそう言うと女の子はぱあっと表情を明るくする。
「いや、ごめん……別に無視してたわけじゃあないんだけど、状況が呑み込めなくてね」
「あの、あのね。ここはエルバイト王国のトリジマイト村ですよ。トリジマイトは農業が盛んなんです。とくにうちでとれる果物は、首都リューゴクシンでも人気なんですよー」
エルバイト王国……。王国か。聞いたことのない国名だった。小さな国なのだろうか?
「エルバイト王国か……ヨーロッパのどこかあたり?」
「ヨーロパ?」
しかし女の子はきょとんと首をかしげる。
「うーん。日本って知ってる? 自分はそこから来たんだけど」
「にっぽお? あたしは聞いた時ないです。大きな国なんですか?」
「いや。大きな国、ではないけど。まあわからないもんなのかな……。自分もきみの国の名前を知らなかったくらいだしね。あ、じゃあ、近くにある大きな国の名前とかわかる?」
「エルバイト王国は大国ですよっ!」
いまいち話が通じない。……もしかしたら海外とあまり国交を築いていない国なのかもしれない。ゆえにおそらくは小さいであろう自分の国を大国だと誤認している、いや、させられているのだろう。王政がまだ残っている国だということも考えればある程度は納得できる。
「あの、あたし、ルチルです」
「ん?」
「名前、ルチルって言います。あなたのお名前は?」
「ああ、おれは燿一。鷹目燿一だよ」
「ヨーイチ? 変わった名前。やっぱり外国人なんですねっ!」
そう言って楽しそうにルチルは笑う。
「歳はおいくつなんですか?」
こんなどうでもいい質問に付き合っている場合ではないとも思うのだけれど。
「十六歳だよ」
「えー。同い年だよー! なんだー。敬語じゃなくていいねー」
そう言ってあっけからんと笑う。
ふうっと燿一はため息をつき、クシャッと自分の後頭部に手を当てる。
「それで、ルチルさん」
「あー。同い年なんだから、ルチルでいいよー」
「……。あ、あの、ルチル。それで、どうしてかわからないけど、自分は海外からきたわけだけど、なんとかして自分の家に帰りたいなと思ってるわけ。だから、とりあえず警察かな? そう言うところに案内してほしいんだよね」
「ケーサツ? ああ、うん。そうだよね。燿一はやっぱり自分の国に帰っちゃうのかー」
残念そうにルチルはつぶやく。
「でもケーサツはこの村にはいないからなー。首都までいかないと」
どうやら小さな村だしそれも仕方がないのかもしれない。
「……それにヨーイチは気づいたらここにいたんだよね? たぶんどこかに飛ばされる魔法を誰かに使われちゃったんじゃないかな? わたしは魔法は使えないけど、リューゴクシンに行けば魔法を使える人もいるだろうから、帰る方法も見つかるかもね」
「魔法?」
どうやらこの国はやはり一切の外交を遮断した、閉鎖的な国家なようである。魔法だの奇跡だのといった概念がまだ一般的に信じられている国なのだろう。そしておそらくそれを生業にしている人間たちもいる。かつての日本も、祈祷術やら、霊媒師なんかが、常識として信じられてきたようだから、おそらくそういった時代の日本と同じ事情だろう。まあ、一般に信じられてこそはいないが、日本には今でもそう言うことをやってる人たちはいるし。
しかしながらそうなってくると、日本に帰るというのは少々ながら困難を極めるかもしれない。とくに国交を断裂している国ならば国外に出ることがそう簡単にできるとは思えない。が、まあ、とにかく警察に行き、事情を話し、国のお偉いさんに懇願してみるよりほかはないだろう。ある意味では賭けだが、まあそう言う生き方には多少なりとも慣れてはいるわけだし。
とそんなときである。
「ルチル! 誰かいるのかっ!」
いきなり扉が勢いよく開かれたのである。そこに立っているのは熊……いや、無精ひげをはやした、いかついオッサンだった。しかも手にはなにやら熊手のようなものを持っている。
「な、なんだ、キサマ。娘の部屋にっ!」
どうやらこのいかついオッサンはルチルのお父さまのようだ。しかしながら、腕だけで女性のウエストは在りそうなこのいかついオッサンから、ルチルのような華奢でかわいらしい少女が生まれるとは、まさに魔法なり。
「キサマ、盗賊か人さらいの類か! こんな真昼間に出るとは。いや、村の男手が総出で畑仕事に出る昼の時間帯を狙ったのか。とにかく……娘には手出しはさせん」
などといい、グルァアアッなどど怒涛の叫び声を上げながら熊手を持って耀一に襲い掛かってくる。
死ぬっ!
「ひっ……」
思わず燿一は身をかがめる。すると目の前まで迫っていた熊手はそのまま燿一の頭上を通過すると壁に突き刺さったのである。
「ぐ。避けやがってっ!」
オッサンは壁に突き刺さった熊手を抜こうとするが壁に深く突き刺さって抜けない。仕方なくオッサンは熊手をほっぽると素手で燿一に向かって殴りかかってくる。
「ぶるあああああああああああああっ!」
「ひっ! ちょ、ちょっと待って!」
あんな、極太の腕に殴られたらおそらく肉片すら残らないほどにバラバラにされてしまうだろう。
「うあっ! ひい」
しかしオッサンは力は強そうに見えるが機敏さはなかったようで、運動神経がほぼ皆無であり、一切の運動の経験もない、体育は万年三か二の燿一でもなんとか避けることを可能にしていたのである。
「き、さまっ! ちょこまかとっ!」
「パパ、やめてーーーーーーー!」
しかしそうこうしていると、ようやくルチルがオッサンの拳をとめに入る。
「その人は人さらいじゃあないよ。誰かに魔法を使われてここに飛ばされてきたみたい。外国の人なんだって」
「ん? なに……?」
息を荒げて興奮していたオッサンも、ルチルの言葉でようやく拳を収める。
「たしかに……人さらいにしては若い。そしてたしかに、人さらいにしては呆けた表情だ。ありえん、か」
とか失礼なことをのたまっている。とはいえ、そのぬけた表情のおかげで命拾い出来たようである。
「失礼した。最近、近隣に盗賊のうわさが多く流れていたのでね。神経質な対応を取ってしまった。きみにもまあ、事情があるのだろう。魔法でここまで飛ばされたか……。元は何と言う国に?」
「あ、いえ。自分は日本から来ました」
「……聞いたことがないな。どの大陸にある国なんだい?」
「日本は島国です。アジアの一国なんですが……」
「……ふむ。まあ、わかった。とにかく、詳しい話を聞こうじゃないか。すまないね。お茶でも入れよう。リビングの方に来てもらえるかい」
そう言ってオッサンは扉の外へと向かって行く。
「助かった……」
ホッと燿一は胸をなでおろす。
「ごめんねー。お父さん怖いから」
ありゃばけもんだよ、とはさすがに言わず燿一はとりあえずうなずいておく。
そしてルチルに促され部屋を出る。部屋を出ると廊下はなくすぐにリビングにつながっていた。リビングには大きなテーブルがひとつあり、そしてお国は戸棚や食器入れ、簡素な造りだが水桶などもあり、キッチンを思わせる施設があった。そして、気になったのは……。
「あの、絵。地図かな? この国の」
壁にかけられていた地図である。
「ううん。世界地図だよー。ほら、ここが、エルバイト王国。大きいでしょっ!」
そう言って地図のうちひときわ大きい大陸の中にあったひとつの文字をルチルは指差す。
「世界、地図だって?」
しかしそこにあったのはまったく燿一の知っている世界とはかけ離れた姿形をしていた。
巨大な大陸が五つあり、それらが円状につらなり、中心にはひとつの大海が描かれ、その中央にも大きな島が描かれている。そんな地図。
「な、んだよ、これ……どうなってやがる」
明らかに違いすぎる。地図を製作する技術力がなく、現実との間に差異がある地図になってしまっている、と言うレベルではない。まったく、もう、それは……。
まるで異世界の、地図……。