闇に紛れて
「腐ってないわよね……」
顎に手を当てて、既に生き物でなくなった物体を見下ろす。
流石に、まだ一日も経っていないのだから腐っていないことは分かっているが、今からこれを運ばなければいけないと思うとそう言わずにはいられない。
「めんどくさー」
最早口癖と化している台詞を零すと、死体のバレンへと立ったまま手を翳す。
「飛ぶが易し、共に風のように舞い降りる」
……なんとかならないのかしら、この詠唱。
「詠唱呪文」って、ちょっと恥ずかしいのよねー。
「あ、やっぱり似てる」
空中へと身体が浮く。サイネリアと共にバレンの身体も浮くので、先ほどよりも顔がよく観察できる。
町全体を覆うこの森の外れに、サイネリアの家はある。遠い訳ではないので、魔法を使えば紅茶を淹れることよりも早く着く。
二階のベランダ目指して降下すると、サイネリアは無事に着地する。後ろにドスンと何か落ちた音がしたのは気にしない。窓を開けて、客室へと入る。そしてまた私室へと続く戸に手を掛けて、先日魔法を掛けたことを思い出す。
「あ……」
侵入防止として掛けた魔法なのだが、自分の身に降りかかってしまった。
一階の階段を上ってすぐにあるのは、サイネリアの私室、白で統一された部屋だ。一見、ただ一室しかないように見えるのだが、実はドアがある。一つはバスルームもう一つは、今サイネリアと青いバレン君が居る客室だ。
この魔法は、サイネリアの私室からしか、ドアが開かないというものだった。しかも、そこに「ドアがある」と認識しなければ、絶対にドアは見えない。
「うわぁ、めんどくさい魔法掛けちゃったー」
先日編み出した新しい魔法だったので、ついつい調子に乗ってしまった。
「これは殿下か将軍に魔法解いてもらうしかないわね」
一度、向こうの部屋で扉の存在に気付けば、魔法は解けるようになっている。
嘆息しながら、隣の部屋に向かって声を張り上げようと息を吸った瞬間、サイネリアの、全ての動きが止まった。
呼吸も、身体の動きも。
口元を強く押さえつけられて、腕を後ろに捻り上げられる。
「っ」
人間の、手の感触だった。
「(ああ、もう全く!!
厄介ごとばっかりよッッ!!)」
内心そう吐き捨てて、サイネリアの視界が捉えたのは、確かに先ほど投げやりに運んできた筈の、青い顔のバレン君だった。
「誰か居るのか!」
扉の向こうから聞こえてきたのは、サイネリアの腕を捻り上げている死に損ないと良く似た顔の、カーネルの声だった。