魔女の母
迎えに来たのかと思ったカーネルにもう行くのかと尋ねれば、「まだ晩餐には随分早いよ」と笑われた。そう言われてみれば確かに昼食時を過ぎたばかりで、カーネルと昼食を共にした後、サイネリアはジルットが図書室から借りてきてくれた本を読んで、のんびりと過ごした。
そして、時刻は夜。
「今晩は。ゴッカル将軍、ノース補佐官」
「おお、魔女殿……
いやはや、素晴らしい
女性とはこうも変わるものですか」
「よ、よくお似合いです」
だだっ広い晩餐室に足を踏み入れて、サイネリアは先ず最初にゴッカルとノースに頭を下げた。もう既に椅子に腰掛けた二人も、サイネリアのドレス姿を見て椅子から立ち上がり賛辞を贈った。
因みに今は晩餐と言うこともあり、深い藍色の落ち着いたドレスに代わっている。形はシンプルだが美しく身体のラインが出るデザインで、サイネリアの髪の色と相まってまるで夜空のようだった。装飾品もドレスに合わせてダイヤからサファイアに変わっている。
晩餐の為に一々着替えをするとは、王宮とはなんと面倒なのかと初日から辟易したサイネリアであった。
「殿下はまだ御出でではないようですね」
「もういらっしゃるのでは……」
ノースの呟きに被さるように、扉が開かれる。
重厚な扉が重々しく開かれる。
そこにはこの晩餐の招待主が見え、どうやら公務の後らしく少し疲れた顔をしていた。
「すまない、遅くな……」
胸元のカフスを外しながら入ってきたカーネルは、顔を上げて目にしたサイネリアの姿に、途中で言葉を切った。
眩しいものでも見るかのように目を細めて、柔らかく微笑んだ。
愛しいものでも見るかのような瞳に、サイネリアは胸が不本意に小さく音を発てるのを聞いた。
「よく似合う。
まるで夜空のような静かで、確かな美しさが……」
「はいはいもういいからねー」
そしてその雰囲気をぶち壊してくれたのは、侍女のお仕着せを着たチンピラ……
ではなく、サイネリアの護衛兼侍女を務めるジルットであった。
「おい」
カーネルの責める視線も何のその。
カーネルをそのまま無視して、サイネリアの元へ寄ってくる。
「お嬢様、少しよろしいでしょうか?」
ジルットのその口調にサイネリアは、嫌なものを感じる。
「え?……はい」
が、断る理由もないまま返事をすると「失礼します」と言ってサイネリアの背後に回る。そこまできてサイネリアも自分の身だしなみに乱れがあるのだと察して、大人しく背中を預けた。後ろ首に回ってくるジルットの指が擽ったく、小さく声を上げてしまう。
その声が妙に色っぽかっただとか、無防備に晒された項の白さだとか、後れ毛が一筋だけ開いた背中に落ちていることだとか、目のやり場に困りその場に居た誰もが目を逸らしたいのに釘付けで逸らせない。などと言う状況になっているなど露知らず、サイネリアが顔を上げると同時に、物凄い勢いでバッと顔を背ける男連中に首を傾げるのだった。
勿論ジルットは計算ずくである。サイネリアの後ろでニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべていたのを、カーネルは見逃さなかった。
これからはカーネルがジルットの気に入らないことをした時、この様に手玉に取られてしまうのかもしれない、とこの先を想像してちょっと絶望したのは内緒である。
「おっほん!」
皆が、その場を諌めるような声に振り向くと、そこには女官長のマーサがいた。
「皇后様が参られます」
その一声に皆立ち上がり、大きな食卓を囲むようにして尊い者の訪れに息を呑む。
荘厳でさえある緊張感の中、サイネリアただ一人が違和感を感じていた。
「(この感じ…)」
その違和感の正体を探る間も無く、王子を迎えた時と同じように、いや、尚も重く扉が開かれる。
皆優雅に頭を下げた。ゴッカル将軍、ノース補佐官、カーネル、ジルット、マーサ。今まで見た彼らのどの顔よりも、一番緊張しているのが分かる。
そして隣が動いた気配のないジルットが、慌ててサイネリアの裾を引いた。
ただ一人、彼女だけは知っていた。
ただ一人、頭を下げられなかった。
ただ一人、サイネリアだけは、知っていたのだ。
王妃の顔を。
「あら、可愛らしい魔女さんだこと
半月の魔女さんね」
どこか幼ささえ残す顔立ち、漆黒の髪、黒曜石の瞳、抜ける雪の肌、血のような赤の唇。
少女と言える容貌なのに、醸す色香は容易に人を惑わす。
全ての魔女の母・メドゥーサ。
「どうかしたのかしら?
私がお知り合いに似ていて?」
その言葉に、含みがあるのを感じて、サイネリアは眉を寄せる。
静かに、音も無く歩く小柄な身体はサイネリアの前から動かない。
ようやく顔を上げ始めた面々は、ただならぬ雰囲気にお互いの顔を見合わせる事しかできない。
「無礼を承知でお伺いしたい議がございます」
「サイネリア……」
何事かとサイネリアを止めようとしたカーネルの言も、ただの指一振りで遮られてしまう。
「いいわ。
何を聞きたいのです?」
「お名前を……
ご尊名を、窺っても、よろしいでしょうか」
緊張で、喉が張り付くようだった。
威厳に見合わぬ、幼い声が、一音一音紡ぐのを、サイネリアは全身で聞いていた。
「私の名は、メドゥーサ。
メドゥーサ・サル・ウィネーシア・ティア・メノン。
ノルン国第127代目国王、ロードリック・ウン・ゲイリアム・クラン・メノンが妻にして、第132代目皇后。
メノン神の尊名を預かる、王家の一員にございます」
にっこりと弧を描く、半月形の赤い唇が、不思議な程に脳内を侵食していった。