宮殿の母
「申し訳ありません。
私めのお諌めが不行き届きであったばかりに、ご不快な思いをなさいましたでしょう?」
やっとカーネルから離れられたサイネリアは、先導して案内してくれる女官長の言葉にとんでもないと返した。
「いいえ、あれは殿下ご本人の行いによるものです。
女官長殿がお気になさるようなことではございません」
カーネルが自分に対して楽しむと言うか、からかっているのは分かっているのだ。かと言って、突然免疫など出来るはずも無い。
少し疲れたような表情でそう零すと、女官長は大げさに驚いて見せた。
「まあまあ!
そのような事を仰るご令嬢をとうとうお連れになるだなんてッ
カーネル様にもやっと御慧眼が開かれたのでしょうか!!」
と言う事は、だ。つまりこう言うとこだろう。この様に感動するとは、いつも目下の者に責任を転嫁して当然と言わんばかりのご令嬢を連れてきたことがあると言うことだ。「やっと」「とうとう」と、言わせるほど多く。
「ご期待のところ申し訳ありませんが、私は言わば殿下の奴隷にございます。
私がいるからと言って、殿下の戯行が止むとは……」
「まあまあまあ!!
恋の奴隷だなんて、それほどにカーネル様を愛して下さっているとなると、もうこれは我らが主もきっと一途な愛に目覚めますわ!!」
「……
丸ごと無視ですか凄い技ね」
「私は女官長を勤めさせていただいておりますマーサにございます
どうぞ、御用の際は遠慮なくお申し付けくださいませ」
「……あ、はい。どうも」
マーサの勢いに圧されて返事もまともに出来なかったが、向こうが名乗ったのだからこちらも名乗るべきだと気付いて口を開く寸前、気付く。
あら?私名乗ってもいいのかしら?……良い訳あるかい。
名乗れば家名を名乗らなければいけないが、それでは魔女だとばれてしまう。カーネルが言わなかったのだから、言わない方がいいだろう。
「(それに……)」
民はサイネリアを魔女だと歓迎してくれるが、王宮ではそうではないと思う。だが、王宮に登るのも初めてなら、都にさえ来たことのないサイネリアからすれば、未だかつて魔女だというだけで悪意に晒されたことなどなかった。
そして、この目の前の母のような女性の態度が、自分を蔑むようになるのが、ほんの少し、恐ろしかった。
覚悟はしてきたつもりでも、悪意に晒された経験もないサイネリアには、やはり少し、恐ろしかった。
「……では、少し旅の汗を流したいのですが」
「畏まりました、お嬢様」
にっこりと笑ってそう言ったマーサの顔を見ながら、サイネリアは己のこれからについて思いを馳せた。
悪意、嫉妬、羨望、利益、あらゆるものに、自分は晒されるのだろう。利用され、ぼろぼろになるのかもしれない。
「ご心配なさいますな」
「えっ」
「ふふ」
心でも読んだかのような鋭い指摘に、サイネリアは驚きに瞠目する。
だが、その優しい内容に、少しだけ、気負っていたものが楽になったような気がした。
「なるようになりますとも」
投げやりにもとれるその言葉が、だがしかし今のサイネリアにはとても優しく響く。
母の子守唄を聞きながら嬉しそうに笑っていた、幼いころが頭をよぎった。
マーサの溢れ出る母性は、やさしくサイネリアをあやして、落ち着かせてくれた。
「ええ、そうですね」
そっと微笑んでそう言ったサイネリアを見て、マーサはまた一層優しそうに、そして嬉しそうに笑うのだった。