実はあった下心
軽くカオスと化した空間。混乱したようなゴッカル将軍の声と、様子が見えずに必死になって見定めようと身を乗り出すひ弱、絶望に近い眼差しを以って潰れたカエルの様な兄であったもの、を見るカーネルに、事態の収拾を図ろうと顎に手を当てて思案の体勢を取っているサイネリア。とりあえず、と思い言葉を発した。
「隣の部屋へ移動いたしましょう。こう暗くては、気分も落ち込みます。
ボルマット殿下をお運び致します、少々お控えいただけますか」
ゆっくりと緩慢な仕草で、濁ってしまった濃いバイオレットの瞳をサイネリアに向けて、カーネルは一つ頷くとボルマットとの距離を数歩の距離に広めた。
ゴッカルも、その巨体で塞いでいた私室への入り口から退いて、私室の内側へと控える。ひ弱も一拍遅れでそれに倣い、移動し易げな空間が出来た時点でサイネリアはボルマットに近寄り、その上に手を翳した。
「浮くは易し、羽のように軽い男よ」
うつ伏せに潰れたように不恰好に投げ出されていた手足は、持ち上がるにつれてだらんと下に垂れ下がる。月光だけが頼りの室内では細かい部分は見えないが、絨毯に広がっている染みを見る限り恐らく頭部から出血しているのではないだろうか。
お気の毒様。そう内心毒づくのは、まだ震えている膝の所為だ。先程の出来事は、サイネリアの中で確かに恐怖として記憶されている。
「大丈夫だ」
サイネリアの気丈な様子を見抜いて、まだ恐怖から抜け出られていないことに気付くと、先程よりも幾分光の戻った目でカーネルはサイネリアを見つめた。
その一言に力が抜けて、サイネリアは安心したように微笑んだ。
何に対してそう言ったのかはわからない。自分に言い聞かせる様も聞こえたし、サイネリアを励ます様にも聞こえた。恐らくその両方なのだろうな、と頭の隅で考えながら、明るい私室へと移動する。後ろでフワフワと揺れているボルマットを見て、頭の中を整理する必要があるなと思った。
「どうぞ、こちらをご覧ください」
そう言ってサイネリアが一同に示したのは、先程ボルマットの首から拝借したものだ。
「それはっ」
正面に座るゴッカル将軍がソファーから立ち上がりそうな勢いで以って、目の前のテーブルを突いたが何とか踏みとどまったようだ。
「次期国王の紋章で、間違いありませんか」
そう確認を取るサイネリアの手の中には、彼らが捜していた人間だと言う真実が突きつけられている。
絶望にも似た境地からそのペンダントを見たカーネルは、兄の見つかった嬉しさと、その兄の犯した先程の行為、そして何より、サイネリアの言う「死人」という言葉に混乱していた。
「まず、順を追って説明いたします。」
手にあったペンダントをテーブルにそっと置くと、サイネリアはカーネルを越した床に横たわっているボルマットを一瞥する。皆一様に頷き、サイネリアの言葉を待つ。
「そうですね……。
では先ず、この男がこの町に現れたのは、約一ヶ月前となります。バレン、と名乗り、この町唯一の貴族の屋敷に身を寄せていました。」
「この町に住む貴族と言うと……」
訝しげに呟くゴッカルの言葉には、以外にもひ弱が答えた。
「ラザール伯爵家ですね。この地方では、よく慕われているようです。
ラザール伯爵に、ラザール伯爵夫人、それに一人娘のマリエ嬢がいらっしゃる筈です。
覚えてらっしゃいませんか?殿下。
いつぞや、ボルマット殿下ではなく、カーネル殿下に婚約の申し込みをして参りました、地方貴族です」
以外にも博識な一面を見せるひ弱に、しかしゴッカルもカーネルも驚いた様子も無く、首を捻っている。恐らく、覚えが無いのだろう。
「いや……」
「地方貴族でまさか第二王子との婚約を望むとはなんとも珍しいな、と殿下も仰っていたではありませんか」
「ああ、あの一家か」
ひ弱の言葉に思い当たる節があったのか、カーネルは頷いた。
しかし、王城に上がっていたなど初耳だ。ラザール伯爵夫妻は、出世とは全く無縁で、出世欲も持ち合わせては居ない。
それに、確かに妙な話だ。有力な地方貴族でもなければ、王都や王宮に勤める中央貴族でもない、貴族と言っても、あまり権力もコネもない地方貴族が王家に嫁ごうとするなど、端から相手にもされないことは目に見えている。しかも第二王子になどと、言わば身の程知らずとも言える所業だ。
「地方貴族が体面も何もなく王家の一員になろうと言うのだから何かしらの切迫した理由があると思ったのに、一度断りを入れればそれ以上も食い下がらずに妙だと思ったのは覚えているな」
本当に妙だった。引っ掛かりを覚えたのだが、この話にはさほど興味のなさそうな様子のゴッカルが先を促したので、この疑問は後に置いておくとする。
「して、魔女殿?」
「ああ、失礼いたしました。
話の続きをさせていただいてもよろしいでしょうか?」
横のカーネルが頷くのを見て、サイネリアは話を再開する。
「バレンは、旅で疲れたと言って、最初はたった一晩泊めてくれと頼んだそうです。
伯爵夫妻もお人の宜しい方々ですから、一晩と言わず、いくらでも泊まって行けと仰られたようで、そのままバレンは何の仕事をするでもなく毎日酒を浴びていましたね」
「……兄上が」
受け入れ難い様子ではあったが事実と受け止めているようで、真実をそうと受け入れられる、広い許容力が見て取れた。
「そのラザール伯爵家の一人娘、マリエ嬢から、私はバレンの死を知ったのです」
マリエ自身が「手を下した」と言っていたことはまだ伏せておいた。
数ある疑問と矛盾点を解明してからでもいいと思ったのだ。
先ず一つ、本当にマリエが殺したのかどうかなど分からない。女の腕力である上に、いくら地方貴族とは言っても力仕事とは無縁の彼女は、家に閉じこもって研究をすると言う不健康な日々を送っているサイネリアよりも、その力は劣る。果たしてそんな力で人一人を殺せるのだろうか。
二つ目、ボルマットの遺体の状況だ。サイネリアが直接死体と化したボルマットを見たのは、マリエを自宅へ送り届けてから一時間前後だが、何故か額には包帯が巻かれ、胸元には小さくいくつもの内出血が浮かんでいた。死因に直接関係があるのかどうかは分からないが、無いとも言い切れないと言うのが正直なところだ。鈴蘭の香りも、引っ掛かっている。花を愛でるような男ではなかった筈だ。
三つ目、これは恐らく全員が疑問に思っていて当然の点だ。何故、死人が動くのか。なんらかの魔術の類だとは思うが、サイネリアには手に余る。物を操り人形のように動かす術なら知っているが、死者自身が意思を持ち、己の判断で自発的に動く術など聞いたことが無い。これでは、死者を甦らせたことになる。そんなことは不可能だ。魔女や、魔に興味のある者達の、遥か太古より探し求めてきた幻。長い年月を持つ魔女たちでさえ、もうとうの昔に諦めてしまった。そんな術を、一体誰が知り得ると言うのか。
「殿下っ」
焦った様なゴッカル将軍とひ弱の声に、思考の渦から急速に浮上する。
横に座るカーネルを見れば、眉を寄せて瞳を閉じている。身を乗り出す将軍たちを手で制すると、サイネリアはカーネルへと顔を寄せる。
「大丈夫です。お疲れだったんでしょう、眠られているだけです」
サイネリアのその言葉に安堵の溜息を吐いた二人の顔にも、疲労の色が見て取れる。窓を見れば、高い位置で月が輝き、もう夜も更けていることをサイネリアに知らせる。
「今日はこれぐらいにしましょう。お二人は、隣の客室をお使いください。入浴等も、あちらに見えるドアの向こうで済ませられるようになっております」
サイネリアが指し示した途端、ただの白い壁に、金の取っ手と白いドアが現れる。魔女の館の不思議な様子に目を丸くした二人だが、素直に礼を言って頷いた。
「何から何まで、申し訳ない」
「構いませんわ」
実はずっとある下心を押し隠して、サイネリアは微笑む。
「殿下は、如何なされるのか?」
「大事をとって、今晩一晩は私が傍についております」
「おお、それは有り難い」
ほっとした様に相好を崩すゴッカルに、安堵の溜息を吐くひ弱、寝息を立てるカーネルを見て、サイネリアは良心がチクリと痛むような感覚を覚えた。
――ああ、言えない。実はお金が欲しいんです。だなんて……。
ノルン国唯一の魔女にして、数少ない善良な魔女と人々に認められるヴィヴィッド家は、実は代々、お金が大好きな一族なのである。