新しい朝『歩くような速さで』
この世界は不規則だ。これは私が最初に述べたことである。勿論、これは一定である、安定していることが規則的であると定義した場合の話である。最初、友達が減ることも普通のことだと述べたが、これも事実であり、撤回はしない。だから、この考え方でいけば、私の家族が突如消えてしまったことも、当然といえば当然で普通といえば普通で、仕方ないといえば仕方ないことだ。
私もそう思っているのだが、(思うことで自分を取り留めているのだが)一つ気になるのは弟と妹だ。あの子達はどうなったのだろう。家と共に消えてしまったのかもしれないし、そうではなくて、何処かに出かけているだけなのかもしれない。勿論私は後者を願うわけなのだが、そんなに都合よくことが進むはずも無く、あれから三日後に私は二人が家と共に消えたと、判断した。
勿論、私も人間だから心痛めるのだが、別に死んだわけではない。もう戻ってこない、ということもないのだ。現に私は此処に居る。その点で私は、あまり心配はしていないのだが、問題はいつ戻ってくるか、ということだ。私が死んでしまってから帰ってくるのでは、あの子達が不憫だし、私も少なからず淋しいのだ。消えている間は歳を取らないから(体験者の私が言うのだ。間違いない)、早めに帰ってきて普通に歳を取って、普通に死んでほしいのだ。
私は……どうするべきなのだろう。否、わかってはいるのだ。やりたくないのである。
私には家族が三人居るのだが、それが昨日私一人に減った。前記の通り、別に亡くなったわけでも、引越してしまって会えなくなったわけでもない。そして、喧嘩をしてしまったわけでもない。減った理由は知っている。しかし、減ってしまった家族を増やすのが面倒なのだ。否々、別に減ってしまった家族が嫌いだったとか、会いたくもないとか思っているわけではない。むしろもう一度会いたいと思っている。溺愛しているといっても過言ではない。では何故なのか。面倒だ、という言い方がマズいなら、こう言い換えよう。私がそれを成し遂げるには、莫大な時間と労力と知恵が必要になる。それが私には無いのだ。いずれ戻ってくるなら、それに任せようと考えているわけだ。別に、「間違っている」と言われても構わない。「やる前から諦めるな」と言われても構わない。口汚く罵られても構わない。なんと言われたところで、私には出来ないのだ。しかし、では仮に、私に時間と知恵と労力があったと仮定して、「お前は行動をするか」と問われたとして、恐らく私は行動しないだろう。それは、これが私の信条だからだ。世界はなるようになり、ならないようには絶対にならない。いわば、必然によって構成され、不規則によって規則が構成されている。それが世界であり、ルールである。
長身の友達は私のそれを聞いて、「……そう」と言った。
内気な友達は私のそれを聞いて、「それで……良いんじゃないかな」と言った。
饒舌な友達は私のそれを聞いて、「ボクがキミに言えることは何もない」と言った。
細身の友達は私のそれを聞いて、「潰されかけたらあの樹で心を洗えばいい」と言った。
誰一人として異を唱えるものは居らず、ただそう言って微笑んだのだった。きっと彼らは私の良き友なのだろう。
たとえ、それが勘違いだったとしても、私にとって彼らは友達であり、それ以外の何者でもない。仮にこの惑星が逆転し逆回転を始め、我々が逆さで生活をすることになったとしても、である。
たとえ彼らの言ったことが嘘だったとしても、私が救われた事に違いは無く、私が感謝していることに違いは無い。如何に私といえども、ここで感謝の意を唱えずに無視を決め込むなど不可能に等しい。
ともあれ、たとえ世界が壊れたとしても、私達は壊れず、共に歩いていくのだろう。
そう思う。
決して止まることは無いだろう。我々の歩みはたとえ相手が神であろうとも、止めることは不可能である。
幾度失敗を繰り返したとしても、歩くような速さで。
次回より、名前のみの登場となったあの人が語る、『私が見たもの外伝』が始まります。
外伝は全三話を予定しています。




