怠惰な日『平凡なとき』
現実問題、忙しい日と暇な日を比較してどちらが良いかと問われれば、私は迷わず暇な日だと断言するだろう。勿論、忙しい日でも暇な時間、休む時間はあるだろうし、暇な日であっても働くべき時間があるだろう。もし仮に、どちらかだけに偏ってしまったというならば、それは憂うべき出来事である。忙しいだけの日は心身ともに疲れ果て、世界の美しさに気付くことは叶わぬし、暇なだけの日ならば、退屈すぎて脳みそがどろどろと蕩けて消えてしまうだろう。無論、私の日々の大半は退屈によって構成されている。そういう意味では、私の脳みそは蕩けて消えてしまっている可能性も、無きにしも非ずという状況なのかもしれない。
と、このようなことを長ったらしく語っても意味はあるまい。ただ、今日という日を語る上で、この話は必要不可欠だと私は判断したに過ぎない。否、もしかしたら必要のないことなのかもしれない。必要か必要ないかは、よくよく考えれば私には全く関係の無い話である。
関係が無い、と言えば今回の場合、無責任な風に聞えるかもしれない。無論、私自身、自分のことを責任感の強い人物であるとは微塵も思っていないわけなのだが、しかし、安直にそういう風に判断されてしまうのは少々不快である。否々、別にこの語らいを聞いている人にこの言葉を発信しているわけではない。むしろ、自分自身の心の中にある偏見の心に向かってそう訴えているのに過ぎない。自分の心の中に棲む悪を討ち滅ぼした後に、他人の心の悪を討ち滅ぼすべきなのだ。と、私は声を大にして叫びたいと思う。叫ばないが。
話を最初に戻すが、やはり、忙しい日の中にある安らぎの時間や、暇な日の中にある締まりある時間のバランスというか均衡は、非常に重要なものであると思う。それはつまり、どちらか一方に偏ってしまうのは、ある意味では危険であるということに他ならない。何故か、それは恐らく精神に与える刺激に関すると思うからである。難しい話になるので割愛するが、私としてはどうしてもこのバランスというものが気になって仕方が無い。バランスは重要である。これは何度も言っており、鬱陶しく思われてしまっているかもしれないが、紛れもない事実なので仕方がない。
ところで、退屈な日は完膚なきまでに退屈なのにもかかわらず、忙しい日に限って有り得ないような頻度で電話が掛かってきたり、有り得ない密度の世間話に巻き込まれてしまったというような経験は無いだろうか。
私はある。それはつまり今である。そして前者であるわけで、私は今縁側に寝転がり空を見上げている最中である。客人は全くいない。神出鬼没で来ても不思議ではないのに、長身の友達も現れない。饒舌な友達や消えてしまった友達など論外であり、細身の誰かなど、前記の二人以上に論ずる必要の無い人物である。妹と弟が家にいるのだが、二人とも何やら忙しそうにしている。今現在この状況に限って言えば、私は世界に一人だけ取り残されてしまったような錯覚に陥ってしまっているわけである。もしくは置いてきぼりを喰らったということだ。どちらにしても、私は寂しいわけである。もしかしたら、暇という概念は寂しさという感情から転じて生じるのかもしれない。
「兄さん、申し訳ありませんが飲み物を持ってきてくれませんか?」
家の中から妹の声が聞え、確かに世界には私以外の登場人物がいたことに安心した。とはいえ、この状況は妹に使われていると言わざるを得ない。しかし、私は決して拒否はしないのである。
立ち上がって冷蔵庫へと向かう。巨大なそれは(私が小さいのか?)開けると、麦茶を私に寄越した。気前の良い冷蔵庫である。冷蔵庫から貰った麦茶をコップに入れて一口。
もう一杯注いで妹の待つ部屋へと運んだ。
妹は机に向かい何かを書いていた。
「何をしているんだい?」
麦茶を机の上に置いて、妹に聞いてみた。
「ありがとうございます、兄さん。これは物語を書いているのです」
妹はそう言って私に書いている途中であろう原稿を差し出す。勿論、私はそれを手にとって目を通した。
“先程まで湖だった場所に、大きな教会が出現していた。湖の面影は微塵も感じられない。教会の中は、真っ暗だった。それでも一歩を踏み出す。急に光が教会内を包み、咄嗟に目を腕で覆った。腕を下ろして目を開けると、其処は森だった。”
成程、中々の良い感性を持っているがしかし、意味が分からない。どうして湖が一瞬で教会に変貌を遂げ、何故その教会の中が森なのか。完膚なきまでに、私の想像力は妹のそれに敗北していた。否、もしかしたらこの物語の全てを読めば、その規則性に気付くことが出来るのかもしれない。ただただ意味不明なだけでは無いのかもしれない。
「兄さん。どうですか?」
妹が笑顔を私に向けた。
「中々面白いと思うよ。完成した際には是非とも読ませて欲しい」
「勿論です。兄さん」
そう言って、妹は執筆に戻った。私も邪魔にならないように部屋から退散した。
結局、またやることが無くなってしまった。退屈で退屈で仕方が無い。いっそのこと、妹のように物語でも書いてしまおうか。否、妹の想像力に敗北した私が書いても、それはきっと駄作になるだろう。否々、妹の想像力のレベルが低いと言う意味ではない。私が言いたいのは、物語をきちんと紐解く技術の無い私には、書くという作業ができないだろうということだ。私個人の見解では、物語は読むより書くほうが難しいのだ。
縁側に戻ってまた空を見上げた。いつの間にか暗くなっている。今は幾つ目の月だろう。数え損なってしまった。仕方ないので眠ることにする。
全く。今日という日は退屈な日だった。