……『…………』
世界とは一体何なのだろうね。ボクは分からなくなる時があるのだよ。彼がよく世界を引き合いに出すからかも知れないね。それ以外の友達はそうでもないのだけれど、彼だけは『世界』という単語をよく口にする。すると、話を聞くボクもその影響を受けるわけだね。世界とは何か、世界の規則性とは何か、不規則が規則であるこの世界とは一体、とね。熱い氷が存在してみたり、冷たい炎が存在してみたり。飽きが来なくていいのだけれど、しかしどうだろう。本来、世界に対して飽きなど存在し得るのだろか。というのも、別に不規則な現象など起きなくとも、毎日の現象の有象無象は全て異なっているし、日々刻々と一秒一秒毎刹那ごとに変化している。それはつまり、同一であるということがない、ということだろう? それなら飽きなど存在し得ない。金輪際有り得ないということになるだろうさ。けれども、この世界は世界に対する飽きを恐れるかの如く、その姿を変貌させる。
その変化は美しくもある。けれど、こういうことを考えた後、ボクはそれを、哀れみを込めた目で見てしまう。哀しい存在に思えてしまうのだよ。世界そのものが愛おしいモノを失いたくないと、そう叫んでいるように思えるのだよ。ある日突然人が消えて、ある日突然戻ってくるのも、世界が愛おしいものを近くに感じたいと願っているからだと思うのだよ。
ボクはね、たまに、ごくごく稀に、彼の思想を完全に完璧にどうしようもないほどに、否定してしまうときがある。それはボクが世界を哀しい存在と思ってしまうとき。その時にだけ限れば、ボクは世界に規則など存在しないと思ってしまう。完全に絶無だと思ってしまう。なら何がある? ボクはね、意思があると思うのだよ。ボクらのような、脆く儚い、紙切れのように薄っぺらく、鋼のように固く、この世の万物よりも重い思想があると思ってしまうのだよ。世界そのものが思想によって成り立っている、まるでボクらと同じ存在に思えてしまうのだよ。
ボクは今日、白塗り街道を歩くことにした。ありとあらゆるものが白で統一されていて、目が痛くなってしまいそうな街道。この街道を歩いていると、何故かいい事が起こりそうな気分になってしまうから不思議だね。尤も、気がするだけで起こることなんて滅多にないんだけれど。まあ、たかが街道にそれを望むのは酷な話かもしれないね。
贔屓にしていたイモリ焼きの店はいつの間にか店じまいされていて、柄にもなくときの移ろいを感じてしまった。店の人も年だったから、引退したのかもしれない。決して流行らないということが原因じゃないと思う。あの店は十二分に流行っていたはずだ。
「むぅ」
いつもの如く、ボクの周りを鬱陶しいアイツがチラつく。退屈と暇。一見同義の言葉に思えるけれど、ボクにとっては天地程の差異がある。暇は耐えられるが、退屈は耐えられないよ。今は本当に退屈な気分だよ。如何にいい事が起こりそうな気分になっても、それが起こらなければ退屈にもなるさ。
何か楽しげなことはないかと思案していると、一つ暇ではあるが退屈をしのげる方法を思いついた。けれども、あまり乗り気になれることじゃない。こんなことをするくらいなら、普通に彼らの所へ遊びに行くほうがいい。けれどもそれは一時的な退屈しのぎでしかなく、慢性的に退屈を飼っているボクは、家に帰ったときの虚しさが怖い。というよりも何よりも、ボクがソレをすることによって、もしかしたら今までの生活に巨大な亀裂を発生させかねない。いや、もしかしたらそれはそれでいいのかもしれない。それは彼の言うところの、必然なのだから。
事の準備を終え、ボクは彼の家に向かった。ボクの退屈しのぎの犠牲者は、彼の妹と弟。まあ、間接的に彼。でも、一番被害を被るのは彼。でもまあ、数日で元に戻るから大丈夫だろう。それに彼なら、沈黙だけで全てを終わらせそうな気がしないでもないこともなくなくもないこともない。多重否定をして悪いね。ふふ。一度やってみたかったのだよ。
饒舌な友達と呼ばれるボク。果たしてこの一仕事を終えた後に、まだボクのことを友達と呼んでくれるだろうか。多分、呼んでくれるだろうと思う。彼の性格上、それは間違いがない。
バスを降りて、彼の家のほうへ向かう。いくつかの角を折れた其処には、彼の家があるはずだった。けれども、家はなく、ただただ呆然と佇む灰色の人影があった。
「これは……」
有り得ない。ボクはまだあの仕掛けは発動していない。こんなことが起こりうるはずがない。それに、この押し潰されそうな罪悪感。違う。ボクは一切何もやってなどいない。仕掛けを作っただけ。仕掛けを作動させてなどいないし、誤作動を起こすようなやわな作りじゃない。
「ああ……キミか。また、だよ」
ボクに気付いた彼は、酷く辛そうな顔で、しかしそれを隠そうと無表情になろうとしている。こんな顔、ボクの知る彼じゃない。キミじゃない。
「違う」
「何が?」
「違う違う違う違う」
恐らくこれは、世界の仕業。その証拠にボクの視界は真っ赤で、いつもと変わらない風景を映し出している。運悪く、同一のタイミングで起こってしまっただけだ。
「落ち着きなよ。何が違うって言うんだい?」
あからさまにボクが取り乱しているからだろうか、彼は冷静さを取り戻したようで、何時もの達観したような表情になっていた。
「あっ……いや……」
「私は後悔しない。これも世界の規則だ」
何を後悔しないのだろう。
「何に」
「キミという罪深い人間と友達になったことだよ」
「な、何を言って……」
「キミのその気配」
彼はボクの額を指差した。
「…………」
「言わなくても良いさ。どうせ、人為的にこの現象を起こそうとしたのだろう?」
「違うっ!」
「違わないさ。キミと私は付き合いが長い。その程度の嘘など一瞬で看破できる」
彼の顔が般若のような恐ろしく歪んでゆく。
「違う違う違う違う!」
気がつけば、ボクはソレを作動させていた。じわじわと、辺りの存在が希薄になっていく。そして、その波は彼をも包み始める。
「私は後悔しない。これも世界の規則だ」
さっきの般若の形相とは打って変わり、何処か優しさを込めた表情だ。いやしかし、それは諦めという感情からくるものからとすぐに分かる。
「本当にキミはそれで後悔しないのかい? 本当に本当に本当に、だね? 言っておくけど、もしも嘘だったとしたらわたしは怒るよ? 全身全霊をもってしてキミに怒りをぶつけるだろう。ただ勘違いしないで欲しいのは、それは決してわたしがキミを見放すわけでもなければ、縁を切るといった馬鹿げたことじゃない。わたしはそれを言える立場じゃないからね。平凡な言い方をすれば、それは君の事を思ってこそということだよ」
自分でも、ここまで話せたのが奇跡に思える。何よりも、今のわたしは罪悪感と後悔で押し潰されそうだ。
彼は驚いたように目を見開いて、しばらくしてわたしに無表情で謝った。その無表情さが彼らしくて、とても安心した。
「別にいいんだよ。あの時、わたしの家に来てくれなかったことなんて、別にどうでも良いさ。キミが財産を二度も失ったことを、本当のところはどうでも良いと思っているのと同じでね。おっと、これは失礼。言い方が直截的過ぎたね。わたしはこういうところがいけない。注意しなくちゃいけないと思ってるんだけどね。どうしても直截的過ぎる言い方になってしまう。許しておくれよ? …………今回のことも、どうか許しておくれよ」
やっとの思いでへらへらと笑いながら彼に謝って、わたしは家路に着いた。
四人の友達が――三人になった。
『私が見たもの』
これにて終了です。お楽しみいただけたでしょうか?
このようなわかりにくい物語を、最後まで読んでいただきありがとうございます。