論戦の日『キミとボク』 前半
舌から生まれてきたと揶揄され続けてきた、いや、現在もそう揶揄されているのだろうボクは、女である。彼も、長身の友達も内気な友達も、最近増えた細身の友達だって誰も知らない。一人称が「ボク」であるだけで男だと決め付けて掛かっている。しかしながら、ボク自身それが嫌だというわけじゃない。というよりも、最早、諦めの境地だと言えるかもしれない。これじゃあ彼と同じになってしまうわけだけれども、これは皆が勘違いして、勘違いされていることに気付かなかったボクが悪い。彼とボクの間には、自分の所為にするか、世界の所為にするか、という違いがあるってことさ。些細なことだけどね。
昨日は一人で酒を呑んでいた。一人月を見ながら呑む酒は、中々どうしてしみ込んでくるものがある。じんわりと心に染み渡ってくるような気分にさせられてしまう。
関係ないけどね。
「やー、美味しそうな鳥」
空を見上げると、空を滑るように飛ぶ鳥がいた。青と茶色の毛並みで、プニプニしていそうな体。艶やかな羽。実に美味しそうだ。ん? 不思議そうな顔をしているね? まさかキミ、鳥を焼いて食べるとか野鳥は食べないとか、そういうことを言うわけじゃないだろうね? もしそうなら、その考えは即刻打ち払うべきだと言っておくよ。ボクの友達は未だにボクの提案を呑まないけれど、キミの為に言おう。野鳥を食べ、焼かずに生で食べることさ。まあ、あまりしつこいのも問題だからこれくらいにしておくが、さっき言ったことは忘れないように。
「それにしても退屈だ。退屈すぎて体が液体になってしまう。まったく。孤独は致死の病で、退屈は慢性の病だね。気を抜いたらすぐに姿を現してくる。別にボクは退屈の顔なんて見たくないのにね。迷惑極まりない連中だよ」
独り言でもこれ程だから、舌から生まれたというのも、あながち嘘じゃないのかもしれない。ボクの友達には耳から生まれた、と、実しやかに囁かれている者もいるくらいだしね。人間なんて、何から生まれてきたのか分かったものじゃない。
家を出て、急な斜面を駆け下りる。人里が目に入り、自分が人間であることを認識した。
ボクの家は山の上にあって、長身の友達以外は滅多に人が来ない。基本的に、ボクの方から出向くからね。長身の友達は何時の間にか其処に座っていて、怖い思いをしたこともしばしばある。それはさておき、この街にはその長身の友達が住んでいる。隣町には彼と内気な友達と細身の友達が住んでいる。向こうは賑やかだろうな、なんて思ってもそれはない。なぜなら、彼は自称傍観者。内気な友達は半引きこもり。細身の誰かは私と同じく山に住んでいるらしい。接点は少ない。
「あ、久しぶり」
誰かがボクの肩を叩いた。突然のことで驚いたけれど、振り向いてみれば長身の友達だった。
「ああ、キミか。久しぶりと言う程でもないだろう? 四日前に会ったばかりだ。なんて、キミなら一日空いただけでそう言いそうだね。否々、半日でもそう言いそうだ。言わない?
そうか。ふふふ。で? キミはこんなところで何をしているのかな?」
「自分の街を歩いてたらおかしいかな?」
まるで当然のように言ったけれど、ボクにとっては不思議で仕方が無い。
「キミね……今は四つ目の月の時間だよ? つまりは深夜で、普通なら睡眠の最中のはず。何故キミはこんなところでボクと出会うんだい? ボク? ボクは良いんだよ。この街の市民権持ってないから捕まらない。まあ、住所がバレたらまずいけどね。まずバレることは無いはずさ。あの山に入ろうなんて人間、キミ以外には中々居ないだろう」
長身の友達は考えるように腕を組んで、しかし首を振った。
「居るよ。彼とか」
「……確かに彼も来るが、一年に一度か二度だろう? というより、先日初めて来たんじゃないか。自分の妄想の中で叱られた、とかなんとかで。彼の思考回路はどうなってるんだろうね? 何でボクが出てくるのさ。まさか……」
「それは無いと思うよ。キミ、男でしょ」
ほら、純粋無垢な笑みでこんなことを言ってくれる。ボクは女だ。ていうか、一人称で決めるなら、彼は女になってしまうだろう。ああ、一人称が私っていうのは共用だったっけ。どっちにしても、何時になればこの勘違いが正されるのだろうね。ボクが言い出せば早いのだろうけど、絶対信じてもらえそうにない。裸体を晒す? ご免こうむるよ。其処までボクの貞操観念は低くないし、何より、絶対に後悔するに違いない。
「それもそうだ。けれど、彼がソッチの趣味に走れば話は別だよ。人の嗜好なんて理解できるわけがないんだから。何が彼をソッチの趣味に目覚めさせるかは、正直分かったものじゃない。もしかしたら、今、この瞬間に、何かが変わっているかもしれないよ? ああ、分かってるさ。そんなことが有り得ないことくらいね。でも、何かが変わるときっていうのは、常に一瞬の出来事なのだよ」
「刹那主義なの?」
「そういうわけじゃないさ。ボクはね、事実を端的に述べるだけだよ。事実を端的に述べて、補足的事項を長々と語るのさ。なんて冗談だよ。ボクは基本的に無駄話が好きなのさ。決して事実を端的には言わないよ。長々と無駄に長く言うのさ。皆がボクを饒舌な友達と称する所以だね。ボクがボクであるための、ね。つまり、饒舌じゃないボクなどボクではないのさ」
「話が飛んだね。刹那主義の話だったのに」
「甘いね。実はそれ以前に、何故キミがここに居るのか、という問いがあるのだよ。さり気なく後回しにされていたけどね。ボクは誤魔化されないよ。さ、丁度話題になったんだ。答えてくれないかい?」
「うん、キミの家に忍び込もうとしてた」
そして無垢に笑った。ずるい。こんな顔で笑われたら怒れないじゃないか。全く、そういう役は女性たるボクの役目だろう? 内気なあの子? 似合わないさ。やっぱりボクがその役を買って出るべきだろう。まあ、周りは男だと思ってるんだけどね。おっと、少々自虐的な語りになってしまった。ボクは個人的には自虐的な語りは好きじゃないんだよ。陰気な気がするだろう?
「キミ、いつもそんなことをしてるのかな?」
「うん。そうしないといつの間にか其処に居た、っていう展開が出来ないじゃない。まあ、前に一度、彼が起きてて縁側で座ってたから諦めたけど」
「そうか。でもあまり感心できる行為じゃないね。無断で他人の家に入るのはご法度だよ。いいかい? いくらボクらのような関係だからといって、そこまでしちゃいけないと思うんだよ。神出鬼没がキミの売りだけど、種と仕掛けが分かったからね、見逃すことは難しいよ」
「無理な相談だよ。ボクがボクである所以なんだから。それはキミに無口になれというのと同じだよ」
成程。
存在理由、存在意義として語るべき一面か。
「成程ね。分かったよ。ボクはもうこの件に触れることは止そう。ボクとしたことが大切なことを忘れていたらしいよ」
「ありがとう」
長身の友達は笑顔で首を傾げた。彼ならきっと純粋で素朴な笑顔だと、魅力的な笑顔だとこの笑顔を称するのだろうけれど、ボクに言わせてもらえばこれは明らかに、陰謀と策略が入り乱れた笑顔としか言い様がないよ。確かに、表向きには彼の表現は正しいのだけれど、その裏側、笑顔の裏側となると話は別に為ってしまうわけだよ。つまり、彼は何かの目的の為に演技をしていると見て間違いがない。もっとも、ボク達のこの関係がもう何十年と続いているところから考えると、自分に対する負の感情が怖いだけだとも言えなくもない。どうであったところで、ボクは長身の友達に対して一切の警戒はしないのだけれど。
傾げた顔を元に戻して、彼は何処かに歩いていった。ボクはそれを見送って、歩き出そうとしてすぐに立ち止まった。
ボクは一体何をするために下りてきたのだろう。全く思い出せない。否々、もしかしたら最初から目的などなかったのかも知れない。特に目的も設けずにここにやってきたという可能性が一番高く思える。
よく分からなくなって、ボクは家に戻ることにした。
翌日、否、寝たのが今日だからその日の朝、ボクは野鳥を捕まえようと森を散策し始めた。見たところ、あたりに鳥の気配を多く感じる。ピーッと口笛を吹いて、じっと待ってみる。パタパタと羽音を立てて、数羽の鳥がボクの周りに集まった。その中で一番美味しそうな鳥を捕まえて、残った鳥を追い払う。
何処で食べるかを迷ったけれど、結局その場で食べることにした。
彼曰く、ボクが野鳥を食す様は不気味でグロテスクであるらしいので、ボクが野鳥を食している部分はカットさせて頂くよ。きっとその方が、キミ達の為にも良いはずさ。
それにしても、一体ボクの生活を覗いて何が楽しいんだい? 別にボクは彼のように特異な生活を送っているわけでもなければ、長身の友達みたいに頻繁に人に会っているわけでもなく、内気な友達みたいに家に引き篭もってもいなくて、細身の友達みたいにミステリアスな人格でもない。ちょっと人よりも口数と言葉数が多くて、野鳥を生で食べるだけのつまらない人間なのに。ああ、また自虐的な物言いになってしまったね。全く、注意してもすぐにこういう物言いになってしまうよ。どうしたものかね? 否、キミ達に聞いても詮無いことだね。忘れてくれて構わないよ。
腕で口の周りに付いた鳥の血を拭い、湧き水でその血を流した。仲間を失った鳥達の叫びが聞こえてきたけれど、この世は弱肉強食。仕方ないことだと諦めて欲しい。キミ達よりもボクが強かったというだけの話なんだからさ。
それにしても、やはり肉は生で食べるべきだと思うよ。こうして食事を終える度にそう思う。店頭で並んでいる肉ときたら、見るだけで惨めに思えてくる。もはや肉としての存在でしかない物へと成り下がってしまっている。これは予想だが、鳥の全体像をアレだと思っている子供だとか、大人が居るかも知れない。
「退屈だね。暇といってもいい」
同じことだった。
「こういう時に彼ならどうするだろうね。きっと寝るに違いない。……それはいけないな。こうも天気の優れている時に寝るなんて言語道断。日々顔を出してくれている太陽に対して、失礼というものだよ。そして、ボクにも出来ることが一つだけある」
呟いて、ボクは彼の家へと向かったのだった。




