盲執の花嫁行列
「ちりん」
最初は小さな音だった。
だから、気にも留めていなかった。
「天音、昼ごはんもうちょっとでできるからお父さん呼んできて」
「はぁい」
「はい、でしょ?」
「はいはい」
「はいは一回でいいの。まったく。いつになったら大人になるのかしら。早く大人になってもらわないと安心できないわ」
母の小言を背にサンダルを履いて水田に向かった。
「大人って、別に言動が変わったからってなれるもんじゃないよね〜」
私、駒門天音は十五歳。あと十日もすれば十六歳になる。
「十五も十六も大して変わんないよ」
そう強がってみたものの、急に何かが追ってくるような気がして走り出した。
「チリン」
「ちリん」
鈴の音が二回聞こえた。
「おとーさーん!」
音を振り払う様に走りながら大声で呼んだ。
「あまねー!」
あぜ道で細身の男性が私に向かって大きく手を振った。白い長袖Tシャツにベージュのズボン。大きな麦わら帽子を被り口元を手拭いで覆っている。肩に掛けたタオルで汗を拭った。
「昼ごはんできたって、お母さんが呼んでこいって」
「あぁ、もうそんな時間か。ありがとな。それにしても随分と暇そうだな、うちのお姫様は」
「暑すぎて出かける気にもならないよ。そもそも街は遠いし宿題はあるし……。それにさー、おじいちゃんちにいる間に宿題終わらせないと遊びに行っちゃダメって言ったのお父さんでしょ!」
父が無言で私の頭を撫でたから慌てて払い除けた。
「ちょっと、手を洗ってからにしてよー!」
「すまんすまん。さ、行こう! 母さんが待ってるだろ」
「チリン」
「ちリん」
「チりん」
「あ、まただ」
「ん? どうした?」
「なんでもない。早く行こ!」
私は父の腕を引っ張った。
「おっと! 危ないだろ! 急にどうした」
「お腹すいちゃったの! 早く早く!」
「分かった分かった。お姫様の言う通りってな」
「またそれー?」
「だって天音は世が世ならお姫様だからな」
「はいはい。田舎の殿様の家系なんだっけ?」
「結構な家だったらしいぞ? 母さんの実家」
「確かに家はやたらと大きいけど古いだけだし、殿様って言っても今じゃ兼業農家だけどね」
「米を作るって凄いことなんだぞ」
「はいはい」
「チリン」
「ちりん」
「チリン」
「チりん」
「ねー、お父さん」
「ん?」
「この鈴の音なんだろね」
「えっ」
「え。聞こえるでしょ? 鈴の音。あ、モスキートーンみたいな。いたた。急に何?」
父が私の肩を急に掴んだ。怖い。
「鈴の音が聞こえるのか!?」
初めて見るような父の焦った顔。
「う、うん。今年おじいちゃんちに来てから何度か。最初は遠かったけど今日はなんか近いって言うか多いって言うか」
「くそっ」
父は右手で顔を覆った。こんな風に焦っているのは初めてかもしれない。いつもは冷静な人だ。
「天音! 走れ!」
「う、うん。分かった」
真剣な顔で私の腕を掴んで走り出した。父の迫力に気圧されて、何も聞けないまま必死に走った。
「弓子! 天音が鈴の音を聞いた!」
玄関に入るなり父が叫んだ。
「そんな! あと少しで十六なのに」
絶望が混じる母の声。
「嘆くのは後だ! 準備はできているか? お義父さんはどこだ!」
「誠司くん。ここにおる」
「お義父さん、天音が!」
「落ち着け。まずは天音を奥の部屋へ。全て用意してある。弓子も一緒に行って支度を整えてやりなさい」
祖父の案内で入ったことのなかった廊下の先へ進む。
「天音、鈴は今何回聞こえた?」
「え。分かんないよ。多分三、四回?」
「……そうか。音は均一か?」
「きん、いつ? え。意識してなかったから分かんないけど。……違ったような?」
「そうか。言われた通りなら間に合うな」
祖父が少しだけホッとしたように見えた。
「天音と弓子は隣の部屋で着替えてきなさい。誠司くんはこちらの部屋へ」
祖父に言われた部屋へ入ると、母に言われるまま私は着ていた服を脱いで、渡された水を頭から被った。母は今にも泣き出しそうな顔で、何かを堪えているようだった。何が起こっているのか分からない。でも言い出せる雰囲気ではなく、言われた通りに動くしかなかった。
母に着せられたのは白い着物だった。不思議なことに髪の毛は乾いていた。真っ黒で真っ直ぐな私の髪。腰まであるその髪は白い着物に映えて高貴な娘にでもなったかのように感じる。
「今ならお姫様っぽいかも」
場を和ませようと言ってみた。母は何かを言いかけたけどそのまま黙った。私も、それ以上話すのはいけないことのような気がして黙った。
「天音、入っていいか?」
しばらくすると父の声がした。
「大丈夫だよ」
空気が変わってホッとする。父が部屋に入ってきて私を見ると息を呑む音がした。天井を見る父。涙を堪えているんだと思った。私の知らない何かがあるに違いない。
「誠司くん」
父を追うように入ってきた祖父も私を見た。祖父は目を大きく開いて息を呑むと、しばらく下を向いてから何かを決意したように私を見た。
「天音、これから、見たこともない姿の者がお前の前に現れる。だが決して悲鳴をあげてはいかん。必要な言葉以外、絶対に話してはいかん。つけ込まれるぞ。そうなったら終わりだ。全ては水の泡だ。いいか、ここに書いてある文言を覚えてその者に告げろ。それ以外は絶対に口に出してはいかん。詳しくは全てが終わってから説明する。今は時間がない。急いで隣の部屋に行こう」
祖父に渡されたノートを見た。時代劇の台詞みたいだ。練習しようと声に出して読み始めた時だった。
「いかん! その時が来るまで決して声に出してはいかん!」
「ご、ごめん」
「いや、いい。声を荒げてすまない」
そのまま私たちは無言で隣の部屋へ入った。母は入らなかった。
そこには大きな鏡が置かれていた。何かのドラマで見たような大きくて丸い鏡。ピカピカに磨かれていて冴えた美しさが恐ろしいくらい。その鏡が置かれた台の前に座布団が敷いてあった。着物を整えながら正座をした。
小さく息を吐いた。何が起きているのか分からないけど、やるしかない。目を閉じて手を合わせ、祖父に貰ったノートにあった台詞を言った。
「我、此処に有り」
指示通り柏手を一つ打つ。呼応するかのように鈴が鳴った。
「チリン」
思ったよりも大きな音が響いて驚いた私は目を開けた。目の前には閉じられた障子がある。障子の向こうには広縁、広縁の大きな窓ガラスの先には立派な回遊式庭園がある。
障子にウヨウヨと蠢く何かを纏ったような大きな影が映った。何かを引き摺るような音がだんだん近づいてくる。大きかった影が小さくなった瞬間、大きな窓が開く時の、あの独特な音がした。
「キュルキュルキュル」
チリン、チリンと絶えることなく鈴が鳴っている。広縁をズルズルと移動している音がする。ズルズル、ズルズル。重たい何かが進んでくる。ただひたすらに待つしかない。緊張が高まってくる。喉が渇く。早く!
その時、スパーン! と音を立てて勢いよく障子が開け放たれた。
(何あれ? キモい! 怖い!)
叫びたい! 逃げたい! でも声を出すわけにはいかない。当然逃げるわけにもいかない。顔が強張る。ゴクリと音を立てて乾いた喉が水分を求めた。
無数の目。触手のようなその太長い何かの、一本一本に目がある。人が這っているような、四つ足の獣のような、なんと表現したらいいのか分からない異形のもの。無数の太長い蠢くものが纏わり付いたナニカは私を見つけた。そして、ソレは移動速度を上げた。
「……メ……マ……、……二…………ダ…………」
「オ……エ…………シ……モ…………」
何かを伝えようとしている声と、私に向かって何かを言っているような声が聞こえる。聞き取ろうとする余裕はない。異形のナニカはどんどん私に近づいてくる。
鏡を挟んで左右に一人ずつ座した祖父と父が動く気配はない。つまり私も動くべきではない。いつもとは違う祖父が怖い顔で、動くな、文言以外声は出すな、と言っていた。私はなんとか悲鳴をあげずに耐えていた。
でも今こそ言わなければ! あの畳を越えたら言えと書いてあった、祖父のノートにあったもう一つの台詞。喉が張り付く。上手く声が出せない。ウネウネと蠢く黒くて太長い何かは必死に何かを訴えている。重たそうな体を引き摺ってズルズルと近づいてくる。マズイ。目に涙が浮かぶ。来る! 怖い!
その刹那、背後から眩しい光に包まれた私は体の自由が奪われた。いや、勝手に誰かが体を動かし始めた。その誰かが勝手に叫ぶ。乗っ取られた感覚。いや、私は『私』を見ている!
「皆の者、大義であった!」
『私』はスッと立ち上がり、力強い声でそう言った。自分なのに自分じゃない。圧のようなものを放つ『私』は、手のひらから紫色の光を放った。光を浴びた、蠢く太長いものがどんどん剥がれ落ちていく。剥がれ落ちたその一つ一つは昔の戦う者たちの姿に変わっていく。どの時代の人たちなのかは分からない。勉強しておけばよかった。
「ヒメサマ、オニゲクダサイ!」
戦う者たちが『私』を庇うように立ち、口々に言う。覆っていたものが剥がれ落ちて晒された黒い塊は、『人』に見えた。顔が溶け、目だけがギラリと動く。周囲の者を威嚇する様に睨みつけた後、『私』を見据えた。
「オマエハワタシノモノダ」
その塊が『私』への執着を漲らせ、もっと『私』に近づこうと動き出した。戦う者たちが防ごうと切り掛かる。黒い塊は少しだけ怯んだようだが、腕のようなものを伸ばして戦う者たちを薙ぎ払った。
「源三郎、太刀を持て」
『私』が静かに祖父に告げた。
「はっ」
正座をしていた祖父が傍に置いていた日本刀の一本を『私』に差し出した。『私』はその日本刀の柄を握ると一気に引き抜き、黒い塊に切り掛かった。黒い塊は一度は切り裂かれたものの、あっという間に修復して元通りになった。
祖父は空になったその鞘を床に置くと、自分ももう一本の日本刀を抜いた。日本刀は冴え冴えとして、その存在感がその場の雰囲気を硬質なものに変えた。
鏡を挟んで祖父の反対側に座していた父も、同じように日本刀を抜いていた。三本の日本刀が怪しく輝き始めた。刀身を包むように揺らめく光を見た黒い塊は動きを止めた。
「ヤ、メ、ロ」
黒い塊が声を絞り出した。薙ぎ払われた戦う者たちは黒い塊の背後に回った。全員がその黒い塊を取り囲むように立つと、全員の刀身を怪しい光が包み込んでいく。
「今じゃ!」
『私』が叫んだ。それを合図に一斉に切り掛かる。
「ギャァァァァァァァ!!」
全ての切先が体に吸い込まれた黒い塊は散り散りになって霧散した。
「ヒメサマ、ゴブジデナニヨリデス」
戦う者たちは私に礼を執ると、一人、また一人とたくさんの小さな金色の光になって消えていった。
全ての戦う者たちを見送った『私』が祖父を見た。
「源三郎、大義であった。褒めて遣わす」
「ありがたき幸せ。彼の者どもも宿願が果たせ、やっと解放されることでしょう」
「そうじゃな。長かった」
「姫様、お疲れ様でございました」
『私』は頷いた。微笑んでいるように見えた。
私はその場に崩れ落ちると気を失ってしまった。
目が覚めると、祖父の家の私の部屋の天井が見えた。いつものように布団から起きあがろうとしたけど、体が重くて動けない。味わったことのない気怠さに負けてゴロゴロしていると部屋の襖が開いた。
「あら、起きてたの? まだ動けないんじゃない?」
母だ。
「めっちゃ体が重い」
「でしょうね」
「お腹空いた」
「お粥持って来たわよ。昨日の朝から何も食べてないから」
「そうだった」
「ほら、体起こしてあげるから食べなさい」
「はーい」
母によると、祖父も父も同じような状態だと言う。詳しいことはまだ何も聞いていないらしい。私が起き上がれるようになったのは三日後のことだった。
祖父と父の方が回復が早かったようで、すでに普通の食事に戻り、酒も飲める程だとか。久しぶりの食卓で家族四人揃っての食事の後、祖父は話し始めた。
この家の先祖はかなり昔からこの辺りを治めていた一族で、どの時代なのかは分からないが、この家の姫様に横恋慕した男がいたそうだ。その男の盲執は姫様の輿入れ行列を襲った。私が聞いた鈴の音は輿入れ行列で鳴らすものなんだそうだ。
男は破落戸を連れて、ちょうど崖沿いの細い道を進んでいた行列を襲った。前後から挟み撃ちにし、お供を崖下に落とした後、自分の屋敷へ花嫁行列を向かわせようと企てた。しかし揉み合ううちに大きくその崖が崩れ落ち、巻き込まれて全員が助からなかった。
死して尚、男の執念は燃え尽きることなく姫様を求めたが、姫様を守ろうとする家臣の忠心もまた燃え尽きることはなかった。しかし忠心だけでは抑え切ることができず、百年ごとに祖父の家を異形のものが襲ってくるという怪異が繰り返されていたそうだ。
驚いたことに、その度に生け贄を捧げて凌いでいたんだそうだ。ただ、私にも母にも兄弟姉妹がおらず、そろそろ百年目の年。血を継ぐ者がいなくなってしまうと焦った祖父は何かの伝手で霊能力者の樒先生を頼った。
その樒先生の指示で鏡や日本刀を用意し、伝えるべき言葉も教えてもらった。着物を着る前に私が浴びたあの水は『清水』だそうで、何処ぞの神社で祈祷された特別な水なんだそうだ。
全てを伝えて怖がらせたら来てくれないのではと不安が高まり、説明できないまま怖い思いをさせてすまなかったと謝られた。知っていたら確かに逃げていたとは思う。ちなみに母は十六歳になれば大丈夫だと思い込んでいたらしい。
祖父は新たに塚を建てて、忠義を貫いた彼らと、一族を存続させる為に犠牲になった御先祖様を祀った。その塚の横に石碑を建て、あの盲執に囚われた男のことも書き記した。名前のない記述でその男の魂を縛る? らしい。詳しくは分からない。
後日お世話になった霊能者の樒先生にお礼に行った。
「いやー、そっくりだねぇ」
私を見るなり樒先生は嬉しそうに言った。
樒先生によると、崖から落ちて亡くなった姫様はただ一人あの世へ辿り着き、しばらくしてからお供の家臣が現世に残っているのを知ったのだそう。その時にはどうしてやることもできず、何かできないかと調べ回り、どにかできる力を得ようとただひたすらに修行を続けた。
姫様の格のような何かが上がったとかで、これで対峙できると思ったものの顕現の手立てがない。ヤキモキしていたところ、自分にそっくりな容姿を持つ私が生まれ、なんとかしたいと強く願う子孫の存在を知った姫様は、行動を起こした。
姫様とコンタクトが取ることができて、力も知識もある樒先生を探し出し、祖父へ繋がるようにと自分の事情を話して頼み込んだ。樒先生は快く姫様の頼みを聞いてくれ、無事に今日という日に辿り着いたのだということだった。自分が動くわけにもいかずもどかしかったが貴重な体験をさせてくれてありがとう、と言っていたので一応メリットはあったのだろう。
こうして、私の恐ろしくも稀有な体験は無事にその幕を下ろしたのだった。
完




