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第1章・4: 愛の代償

風が――


静けさと不穏さを併せ持つように、ゆっくりと流れた。




戦士たちの視線が、交差する。




冷静でありながら、


わずかな恐怖を宿した瞳。




傲慢と、


復讐への渇望に満ちた瞳。




そして――


その正面に立つのは。




圧倒的な静を湛えながらも、


この世界をまだ理解できずにいる少年を案じる、眼差し。




ゲンは、


敵を見据えたまま、静かに口を開いた。




「……機会をやろう」




その言葉に、


空気が張り詰める。




「今すぐここから立ち去るなら――」


「命だけは、助けてやる」




その宣告に、


エデンは目を見開いた。




困惑と怒りを隠せず、


叫ぶ。




「な、何言ってるんだよ、じいちゃん!」


「こいつらが何をしたか、見えてないのか!?」




「……だからだ」




ゲンは、


視線を逸らさずに答える。




「だからこそ、機会を与える」




「復讐だけが、答えじゃない」


「その先にあるものが、必ず存在する」




「ふざけるな!」




エデンの声は、


怒りに震えていた。




「こいつらは……怪物だ!」


「情けなんて、必要ない!」




その時。




紫の瞳の男――


カイが、会話を断ち切るように口を挟む。




「悪いが……」


「俺たちは、どこにも行かない」




「……そうか」




ゲンの声に、


わずかな落胆が滲む。




「もう少し、賢いと思っていたが」




「戦士であるなら、分かるはずだ」


「自分の命よりも、重いものがあるということを」




「使命だ」




「神ですら、


知り得ぬ領域に及ぶ――利害がある」




ゲンは、


重く息を吐いた。




「……そこまでの目的か」




言葉には、


苛立ちと無力感が混じっていた。




「数百万の命すら、


秤にかけるほどに……」




沈黙。




やがて、


ゲンは覚悟を決めたように呟く。




「……分かった」




「ならば――」


「他に選択肢はない」




……




その瞬間。




その場の空気が、


惑星一つ分の重さを持ったかのように、沈み込んだ。




カイとリュウは、


抗う間もなく膝をつく。




立ち上がることすら、許されない。




――そして。




彼らを見下ろす存在。




そこに立っていたのは、


あの老人だった。




その瞳は、


獅子のように鋭く。




口には牙が生え、


髪は、燃えるような橙色へと変わる。




――年齢という概念が、


最初から存在しなかったかのように。




そのオーラは、


あまりにも恐ろしく。




カイとリュウは、


ただ唾を飲み込むことしかできなかった。




――炎の獅子。




裁きを下すために、


彼らの前に立つ存在。




そして地面では――


意識を保ちながらも、力尽きかけたエデンが、


未知の世界が顕現する瞬間を見つめていた。




「……誰からにする?」




炎を纏った剣を抜き放ち、


ゲンは静かに問う。




―――




獅子の王を前に、


よろめく敵を見下ろしながら、


ゲンは言い放つ。




「……今、分かったか」




「最初から――」


「お前たちに、勝ち目などなかった」




――その時。




乾いた、


皮肉な笑い声が響いた。




「……はは……ははは……」




ゲンの眉が、わずかに動く。




「……何がおかしい?」




「世界って、本当に面白い」




笑いながら、


カイは呟く。




「多種多様な人間がいて……」


「見ていて、飽きない」




「強い者、弱い者」


「高い者、低い者……」




「……どうした?」


「恐怖で、正気を失ったか?」




嘲るように問う。




「いいや」




カイの声は、


異様なほど澄んでいた。




「……取り戻しただけだ」




「……何?」




「なあ、ゲン」


「祖父にとって、一番大切なものは何だ?」




「……何を言っている?」




……




カツン。




乾いた音と共に、


カイの顔を覆っていた仮面が外れ、地面に落ちる。




そこに現れたのは――




かつて整っていた面影を失った、


痛みで刻まれた顔。




無数の傷。


縫合跡。


火傷。




原形を留めた皮膚の方が、


少ないほどだった。




その冷え切った表情の奥で――


歪んだ笑みが浮かぶ。




その笑みは、


ゲンの血を一瞬で凍らせた。




本能的に、


ゲンはエデンの前へと立つ。




――まるで、


子を守る母獣のように。




「……貴様……」




ゆっくりと、


カイが立ち上がる。




背後から、


灰と紫が混じるオーラが立ち昇る。




身体が、


左右に揺れる。




髪が、


激しく舞い上がる。




かつて紫だった瞳は――


月光を映す、深紅へと変わっていた。




そして。




魂を引き裂くような咆哮。




「――――ッ!!」




紅蓮の雷が、


空を裂いて奔る。




……




「……なあ、ゲン」




カイは、


獰猛な眼差しで問いかける。




「俺たちの違いが、分かるか?」




そして――


吐き捨てるように、言い切った。




「お前と違って――」


「俺には、失うものが何もない」




―――




攻撃は、


一切の猶予もなく始まった。




カイが、


凄まじい速度で獲物へと躍り出る。




深紅の鞭が、


音の壁を引き裂きながら唸りを上げ、


エデンを狙って放たれた。




――だが。




ゲンは、


一歩も引かない。




放たれるすべての一撃に、


正確無比な反応で応じる。




衝突。


反撃。


再び、衝突。




地面を容易く砕くほどの鞭打が、


何度も叩きつけられる。




カイの攻撃は――


狂気の舞踏。




型も、


律動も、


存在しない。




ただ――


破壊するためだけの動き。




――ドンッ!


――ドンッ!


――ドンッ!




止まることを知らない、


獰猛な狼の猛攻。




……




(……厄介な奴だ)




ゲンは、


心の中で舌打ちする。




(この男……本当にしつこい)


(それに――)




視線の端に、


まだ膝をついたままのリュウが映る。




(……あいつも、まだ動ける)




「――よそ見をするな!」




その瞬間。




一瞬の隙。




カイの鞭が、


ゲンの顔をかすめた。




――ジュッ。




皮膚が焼け、


深い火傷が刻まれる。




「じいちゃん!!」




ゲンは、


距離を取らざるを得なかった。




頬を伝う血を見て、


低く呟く。




「……チッ」


「派手な傷が残りそうだな」




その様子を見て、


カイが怪訝そうに問う。




「……恐怖で、正気を失ったか?」




その言葉に。




ゲンは、


笑った。




「……ああ」


「どうやら、そうらしい」




その笑みを見た瞬間、


カイの眉がわずかに動く。




――本能が、


危険を告げていた。




「……エデン」




突然、


ゲンは孫に声をかける。




「今日は……」


「いい天気だな」




「……え?」


「何言ってるの、じいちゃん……?」




ゲンは空を見上げ、


穏やかな笑みを浮かべる。




「……今日はな」




「死ぬには、いい日だ」




――次の瞬間。




ブチィッ!!




凄まじい力で、


ゲンの腕が引き千切られた。




背後から――


リュウの攻撃。




「これで貸しは返したぜ……」


「クソジジイ」




「――じいちゃぁぁぁん!!」




だが。




ゲンは、


一切の悲鳴を上げなかった。




冷たい眼差しで、


リュウを見下ろす。




――その直後。




リュウは、


理解できない光景を目にする。




――血の雨。




だが、


それはゲンの血ではない。




――自分の血だった。




気づいた時には、


腹部が貫かれていた。




一瞬。




本当に、


一瞬の出来事。




「……が……ぁ……!!」




リュウは絶叫し、


王の足元へと崩れ落ちる。




その光景を前に、


カイは凍りついた。




(……狂ってる)




(この老人……)


(腕を犠牲にして、リュウを殺しに行った)




血に濡れたゲンが、


静かに微笑む。




「……これで」




「邪魔者は、いなくなったな」




その笑みは、


愛と狂気が混ざり合ったものだった。




「――クソッ!!」




カイが叫ぶと同時に、


全ての力を解き放った。




衝撃波が、


周囲のあらゆるものを吹き飛ばす。




その瞳には、


もはや人間性の欠片すら存在しなかった。




――正気は、完全に失われていた。




ゲンは、その隙を逃さない。




突き。


横薙ぎ。


縦斬り。




無限とも思える攻撃を叩き込む。




だが――


獣は、倒れない。




ゲンの渾身の一撃が、


大地を真っ二つに裂いた。




それでも、


カイは微動だにしなかった。




ゲンは、


再び剣に炎を纏わせる。




そして――


静かに、だが確かな覚悟をもって告げる。




「――太陽のソーラーフレア




回避する間もなく、


灼熱の炎がカイを包み込んだ。




炎は、


進路にあるすべてを焼き尽くす。




鉄。


肉。


骨。




何一つ、残さない。




すべてが、


跡形もなく消し飛んだ。




「……言ったはずだ」




拳を強く握り締め、


ゲンは呟く。




「今すぐ去れば、命は助けると……」




そこに残ったのは、


愛という名の熱に焼き尽くされた、荒野だけ。




それは――


孫を守るために振るわれた、


祖父の無慈悲な慈愛だった。




……




ゲンは振り返り、


涙に濡れながらも微笑む孫を見る。




「……じいちゃん……」




「どうだ?」


「お前のじいちゃんは、強いだろ?」




満面の笑み。




エデンは、


涙を流しながら、必死に笑った。




ゲンは膝をつき、


孫に手を差し伸べる。




「帰ろう、エデン」




「……うん!」




……




――だが。




瞬き一つ。




大量の血が、


エデンの顔を染めた。




目の前で――


冷酷な手が、


ゲンの胸を貫いていた。




「……クソ……」




血を吐きながら、


ゲンは呟く。




「……やっぱり……」


「……お前だったんだな……」




「――じいちゃああああん!!」




ゲンの身体が崩れ落ちる。




その瞬間、


エデンは必死に抱き留めた。




「じいちゃん!」


「じいちゃん!!」


「じいちゃん!!!」




「……うるさいな、エデン」




掠れた笑い。




「……お前は、本当に騒がしい」




「喋らないで!」


「血が……止まらない……!」




「なあ、エデン……」




震える声で、


ゲンは問いかける。




「ワシは……」


「いい祖父だったか……?」




「……最高だよ……」




涙に嗚咽しながら、


エデンは答える。




「世界一……最高のじいちゃんだ……」




「……それなら……」




ゲンは、


安堵したように微笑んだ。




「……よかった……」




――その瞬間。




エデンの中で、


何かが壊れた。




抑えきれない怒りが、


全身を駆け巡る。




虚ろな瞳で立つカイと、


腕を伝う祖父の血。




「――この野郎……!!」




憎悪を込めて、


エデンは叫ぶ。




「殺す……!」


「絶対に……殺してやる!!」




カイは、


何も答えない。




ただ、


空っぽの目で、


エデンを見つめている。




「殺す……!」


「殺す……!!」




エデンの視界が、


歪み始めた。




断線する感覚。


砕ける映像。


歪曲する現実。




目の前にいるのは――


祖父を奪った、その男。




空間が、


エネルギーの奔流に引き裂かれる。




その混沌の中で――


歪んだ声が、確かに囁いた。




――「殺せ」――




次の瞬間。




雷鳴のような咆哮。




エデンの瞳から、


すべての光が消えた。




――残ったのは、


純粋な闇。




……




「……エ……エデン……?」




ゲンの目が、


大きく見開かれる。




引き裂かれる叫び。


逆再生のような声。


裂けていく皮膚。




――新たな世界が、


生まれようとしていた。




世界を――


完全に覆し尽くすもの。




「……皆、死ぬ……」




だが。




ゲンが、


何かをするよりも先に――




世界は、


沈黙に包まれた。




――そして。




瞬き一つ。




すべてが、


闇に沈んだ。




―――


BOOM!!


―――




かつて“命”と呼ばれていたものは、


無限の闇に呑み込まれた。

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