第六話
その夜。僕と初美は色んな話をした。
映画のこと、大学のこと、僕がこれまでどんな人生を歩んできたかということ。
でもそれらは全部、『僕』に関わっていることばかりだ。初美は自分自身の話をしてはくれない。それでも僕は、どうしても初美に確かめておきたいことがあった。
「初美は、地縛霊だったよな?」
「なーにお、今更。そうです、あたしは怖い怖い地縛霊。窓に映った幽霊さん」
「でもさ……」
僕は今日拾った女性月刊誌の表紙を、初美の眼前に当てた。
「『死んだ』んじゃないよな。これから、『死ぬ』んだろ?」
「はて」
初美の目が横へと流れるのを、見逃さない。
「初美は未来を知ってるんだろ?」
「いや、偶然よ。あたし、昔から勘が鋭いの」
「僕は初美のことが好きって言ったぞ。本当のことを言ったんだぞ。なのに隠しごとするなんて、フェアじゃないだろ」
強く言うと、初美は下唇を内側にもにゅと巻いた。
「……うん」
「初美はなんで地縛霊になったんだ? で、どうして過去の世界に来たんだよ」
「あたしね、事故で死んだのよ」
「うん」
「ひどいのよ。右折信号がついてるのにさ、対向車線からトラックが直進してきたんだよ。一瞬だったね。魂……ってやつが抜け出したんだろうけど、あたしはあたしの身体を『外側』から見たの」
窓の外、雨がしとしとと降る。
窓に雫が垂れる様はまるで、初美が涙を流しているようにも見えた。
「あたしの首から下は全部、潰れてたわ。でも、顔だけはきれいなままだった。私は空に吸いこまれていった。光があったの。その光の中からあたしを憐れむ声がして、一つだけ願いを叶えてくれるって、そう言ったの」
「一つだけ? だったら、生き返らせてもらうのがよかったんじゃない」
「それがだめなんだって。さすがに命そのものは戻せないって言われたの。だからあたしはもうしばらくの間、この世にいたいってお願いしたわけ」
それでも初美の願いはよっぽどのことがないと叶えられないケースらしく、『過去の平行世界であれば、現生に影響を与えないためできなくはない』という結末に至ったという。
初美は過去の平行世界――すなわち、今僕が生きる世界への転送を望んだ。平行世界といっても似ている部分は多い。だから初美はあれほどに未来の出来事を言い当てることができたのだ。……もちろん、外すこともあったわけだけど。
ただ、初美はこの『世界』になんの目的もなく居座ろうとしたわけじゃないだろう。
この部屋のこの窓に転生したのには、必ずなにかの理由があったはずだ。
僕がそれを目で問うと、初美は「ま、そういうことよ」と照れくさそうに言った。
「あたしの、愛しい人のそばにいられるようにって、お願いしたのよ」
「もしかして僕と初美は、未来で……」
「そこから先は、推測にしといた方がいいわ。さぁて、辛気臭い話はこれまでにして、続き続き! たしか達也が高校で陸上部に入ったとこまで話してたはずよね」
僕は心を惑わせながらも、軽くうなずいた。
陸上部でメディカルボールを投げていたことや、高二の春の記録会で自己ベストを更新したことなどを話す。女子マネージャーとよくダベっていたというくだりでは「こいつぅ」と茶化されたが、彼女とはまったくなにもない清廉潔白な関係だったことを熱弁した。
雨はいつしかやんでいたようだ。時計の針の音が耳に届く。不意に意識が遠くなった。今日は色々あり過ぎてずっと気を張っていたからだ。大きなあくびを一つした。
「眠たい?」
「うん……ちょっと」
「じゃあ、寝よう」
「そうしよっか。続きはまた明日、話すよ」
僕が立ち上がり、ベッドに向かって歩こうとしたら、背中に初美の声が届いた。
「ね、ベッドから布団だけもってきて、ここで寝ない?」と。
「ここって……初美の前で?」
「うん。一緒に寝るんだよ。わー、卑猥な響きぃ」
仕方ないなあ。
僕は布団をベッドからひっぺがし、それを初美の前に敷いた。
「おやすみ」
微睡の中で、初美の優しい声を聞いた。
「おやす、み」
まだ残っている意識を駆使して、なんとか返事をした。
「おやすみ、達也」
薄目を開ける。星が見えた気がした。あれは割れた雨雲の向こうの煌めきだったのか。あるいは初美の瞳だったのかは今になっても判別がつかない。蒼く、白かった。夏の色だった。雨の気配はどこにも感じられなかった。マクラは少し冷たい。だけどそのひやっこさが、僕の火照った頭にはちょうどよかったんだ。
朝、目覚めると。
窓に、初美の顔はなかった。




