第二話
初美は自分自身の過去のことをほとんど語らない。そもそも彼女自身が地縛霊なのだから、聞いてはいけないことも多いのだろう。だから僕は、初美が話したいタイミングで話してくれればよいと思って無理には訊かない。
わかっていることは、『初美』という名前と。
あと、おそらくは僕よりも年上のおねーさんなのだということ。
初美は食事をしない。息もしない。
だけど睡眠だけはきっちりとっている。
僕が「おやすみ」と挨拶をすると、「また明日ね」と答えてくれる。
そしてなにより、妙に勘が鋭い。
去年の十二月に、有馬記念という競馬の大きなレースがあった。僕は予想番組を見ながらうんうん頭をひねっていたんだけど、初美が急に新聞を見せてくれとせがんできたのだ。
「なに、初美は競馬も知ってんの?」
「いーやー、ほとんど知らないんだけどさ。どんな名前の馬が出てんのかなーと思って」
「名前で選ぶのかよ。血統とか、適正距離とか、色々見るとこあるんだぞ」
「ふーん……あ、このジャンヌダークっていう馬、有馬記念に出るの初めて?」
「ん? ああ、そうだな。初めてだけど、この馬がどうかした?」
「あたしなら、ジャンヌダークに賭けちゃうかな」
それはない、と僕は首を振った。ジャンヌダークは前のレースで惨敗しているし、短距離の血統だ。有馬記念はそこそこ長い距離を走るレースなのだから、買う要素はない。僕は二番人気の馬と六番人気の馬を軸にして、他にも数頭選んで賭けてみた。
結果。
まさかのジャンヌダーク優勝だった。逃げ戦法がドンピシャはまり、ジャンヌダークは二着馬に影も踏ませず見事一着をもぎとったのである。僕が選んだ二頭は二着と三着だった。つまり、初美の言うことを素直に聞いていれば、勝っていた。
『三連単 242万6920円』
なんと、100円でも買っておけば250万円近い金を手にできていた。僕は生まれて初めて泡を吹いた。卒倒間近。初美はしたり顔で「ほーらほーら、ぷっぷくぷー」と言った。
それから、競馬のレースがあるごとに僕は初美大明神に予想をお願いしたのだけど、初美が予想してくれることは二度となかった。
「お金はコツコツ貯めないといけないのよ」
初美は砕けているようで、たまにまっとうなことも言う。反論ができない。
だけど嘘か本当かよくわからない発言も多いわけで。
「近々、ビーハイブプリーツスカートが流行るわよ」
「吉野家とコカコーラがコラボするかも」
「宇宙人が地球にやって来る気配がぷんぷんするなあ」
こういうの全部含めて、初美は僕を楽しませようとしているみたいだった。僕はアルバイト先のコンビニの店長に「シフト増やさない? 中川くんよく頑張ってるし」と言ってもらったけど、初美と話す時間が少なくなっても面白くないと思い、現状維持を決めこんだ。
やがて二年生に上がって、学部のコース分けが始まった。食堂に一緒に行く友達も増えた。大学受験、頑張ってよかったとようやく実感することができた。
だけどある日を境にして、初美と絡む機会は激減する。
そのターニングポイントは、『マクロ経済学』の第十一回目の講義が終わって講義棟を出てすぐ、後ろから名前を呼ばれたことだった。
五月晴れが梢を抜けて、僕の腕にまだらの模様をつくる。幅の広い白い階段に、短い影が一つあった。




