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第8話「家族会議で『ミリィ防衛作戦』が発動されました」

領地見学から一夜明けた朝。工房にはいつものように穏やかな香草の香りが漂い、窓から差し込む柔らかな陽光が色とりどりの精油瓶をキラキラと照らしている。私は昨日の余韻に浸りながら、新しい調香の準備をしていた。


ルージュ・ミスティカの花びらを丁寧に分離し、蒸留器にセットする。昨日、領地に訪れてくれたみんなは「この薔薇の香りは格別ですね」と感嘆してくれたことを思い出すと、自然と頬が緩んでしまう。


「ミリィ」


突然、工房の扉がノックもなしに開かれた。振り返ると、父様とシエル兄様が立っていた。しかし、いつものような穏やかな表情ではない。父様の栗色の髭は普段よりもぴんと張り詰めているし、兄様の灰青色の瞳には、まるで領地の重要な問題でも発生したかのような深刻さが宿っている。


「父様?兄様?どうなさったのですか?」


「緊急家族会議だ」


父様が重々しく宣言した。その口調は、まるで隣国との外交問題でも勃発したかのようだった。


「え?家族会議?何か問題でもあったのですか?」


「ああ。大問題が発生した。すぐに屋敷に戻ってくれ。エリサも呼んである」


兄様の表情も、普段の穏やかな兄らしさは鳴りを潜め、緊張感に満ちている。


一体どんな大問題が起こったのか。私は不安を胸に蒸留を中断し、手早く片付けると工房を後にした。


---


リュクスティリア家の居間には、既にエリサ姉様が到着していた。クラシカルなローズブロンドの髪を上品にまとめ、侯爵夫人らしい豪奢なドレス姿の姉様だが、その深いローズピンクの瞳には普段の優しさとは違う、どこか戦闘的な光が宿っていた。


「ミリィ、お疲れさま」


姉様が微笑みかけてくれたが、その笑顔の奥に何かただならぬものを感じ取った私は、不安になって家族三人の顔を見回した。


父様は恰幅の良い体格を椅子に沈め、まるで領主として重大な決断を下さねばならない時のような威厳を漂わせている。兄様は普段の爽やかさを封印し、執務に取り組む時の真剣な表情で私を見つめていた。


「あの……一体何があったの?」


「ミリィ」


父様が咳払いをして、重々しく口を開いた。


「昨日のクラヴィス殿下のご訪問について、話し合わねばならない」


ん?昨日の?殿下の?…え?大問題が起こったんじゃなかったの???


「昨日は皆さんにもお喜びいただけたようですし、特に問題はなかったと思うのですが……」


「問題大ありだ」


兄様がきっぱりと断言した。その表情は、まるで領地に大きな脅威が迫っているのを発見した時のようだった。


「え?」


「ミリィ、お前は気づいていないかもしれないが」


父様が身を乗り出してきた。


「昨日のお前の様子は、明らかに以前と違っていた」


「私の様子が?」


何のことやら分からずきょとんとしている私を見て、三人は顔を見合わせた。まるで「やはり本人は自覚していない」とでも言いたげな、深刻な表情だった。


「シエル、お前から説明してくれ」


父様に促されて、兄様が咳払いをした。アッシュブラウンの髪をきちんと整えた兄様が、まるで重要な報告書を読み上げるかのような調子で話し始める。


「昨日、私はホストとして殿下一行をお迎えした際、ミリィの様子を注意深く観察していた」


観察って……。


「まず、馬車から降りた殿下にミリィが挨拶をした時。以前なら、どこか身構えたような、警戒するような表情を見せていたはずだ。しかし昨日は違った」


兄様の灰青色の瞳が、まるで重要な証拠を提示するかのようにキラリと光った。


「自然な、それこそ友人を迎えるような温かい笑顔だった。それに、殿下と会話をしている最中も、以前のような緊張感が全く見られなかった」


「そ、そうでしょうか……?」


「ああ。それに、工房で殿下が『ミリィ嬢は僕の恩人です』と言った時、お前は明らかに嬉しそうな表情をしていた」


え?そんな表情をしていたの?


今度は父様が口を開いた。


「それから、香草畑での説明中だ。殿下がセレーナ嬢に香りを楽しんでもらっている様子を見て、ミリィは満足そうに微笑んでいた。まるで、殿下の成長を誇らしく思っているような表情でな」


「とうさま……そんなに詳しく見ていらしたのですか?」


「当然だ。可愛い娘の身に何が起こっているか、父として把握せねばならん」


父様のダークブラウンの瞳が、ギラッとした光を放った。


そして、とどめとばかりに姉様が口を開く。


「それにね、ミリィ。メイドたちから聞いたのだけれど、馬車をお見送りする際…」


姉様の優しげな微笑みの奥に、どこか探るような光が宿っている。


「とても名残惜しそうで、少し寂しげだったと聞いたわ。まるで、大切な人を見送るような……」


「そ、そんなことは……」


慌てて否定しようとしたが、言葉に詰まってしまった。確かに昨日の夜、工房で一人になった時、なんだか胸の奥が少し重たい気がしていた。でも、それは……。


「まあまあ、ミリィ」


姉様が立ち上がって、私の隣に座った。侯爵夫人らしい上品な香水の香りに包まれながら、私の手を優しく取る。


「お姉様はね、恋をした女の子の表情がどんなものか、よく知っているのよ」


「こ、恋って……」


「否定しても無駄よ。昨日のあなたの表情は、明らかに殿下を『特別な人』として見ているものだったもの」


姉様の深いローズピンクの瞳が、まるで全てを見透かしているかのように温かく私を見つめている。


「それに」


兄様が腕組みをして、重々しく付け加えた。


「最近のミリィは、殿下のお話をする時の表情が以前と違う。『殿下が変わった』『成長された』と話す時、まるで教え子の成長を喜ぶ師匠のような、いや、それ以上に誇らしげな表情をしている」


「ご、誤解です!それは、調香師として人のお役に立てたからで……」


「本当にそれだけかな?」


父様が深刻な表情で首を振った。


「ミリィ、お前は自分では気づいていないかもしれないが、最近の殿下に対する話し方、表情、すべてが以前とは違っている。まるで……」


父様が一度言葉を切って、深いため息をついた。


「まるで、殿下のことを大切に思っているような……」


三人の視線が私に集中した。父様の心配そうな表情、兄様の複雑な表情、そして姉様の理解のある微笑み。


私は混乱していた。確かに、最近の殿下への印象は変わっていた。最初のあの濃すぎる恋愛妄想に辟易していた頃とは違い、真摯に悩みを打ち明けてくれる殿下を見て、だんだんと親近感を覚えるようになっていた。


でも、それは友情であって、恋愛感情なんかでは……。


「と、友達になったんです!だから、友達として、殿下の成長が嬉しくて、だから、私…」


私は必死になって反論した。

けれど、そんな私を見つめた後、姉様は父様と兄様を見回して、小さくため息をついた。


「自分でも気づいていないのね」


「これは思っていた以上に深刻な状況かもしれないな」


「ああ」


父様が重々しく頷いた。


「このままでは、本当にミリィが殿下の元へ嫁いでしまうかもしれん」


「それは阻止せねばならない」


兄様がきっぱりと宣言した。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


私は慌てて立ち上がった。


「さっきも言ったけど、私と殿下は友人関係で、恋愛感情なんて……」


「ミリィ」


父様が悲しそうな表情で私を見つめた。


「父さんは、お前が幸せになることを何より願っている。だが、王族との結婚がお前の幸せに繋がるかどうかは別問題だ」


「そうよ、ミリィ」


姉様も心配そうに続けた。


「王族との結婚は、想像以上に制約が多いの。自由に調香師としての活動を続けられるかどうかも分からないし……」


「それに」


兄様が腕組みをしたまま、真剣な表情で言った。


「殿下の恋愛遍歴を考えると、本当にミリィだけを愛し続けてくれるかどうか……」


「兄様!」


「事実だろう。殿下が今まで何人の女性に想いを寄せ、香水を贈ってきたか。ミリィだって知っているはずだ」


確かに、殿下の過去の恋愛記憶は濃厚で大量だった。でも、セレーナ嬢への想いは今までとは違って真摯なもので……。


あれ?


なぜ私は、殿下がセレーナ嬢を想っていることを忘れかけていたのだろう?


「いずれにせよ」


父様が立ち上がって、威厳のある声で宣言した。


「『ミリィを嫁にやらない連盟』緊急作戦会議を開催する」


「賛成だ」


兄様が即座に同調した。


「私も協力するわ」


姉様も微笑みながら頷いた。


「ちょっと待ってください!私の意見は聞かないのですか?!」


「もちろん聞くとも」


父様が優しく微笑んだ。


「だが、恋をしている女の子の意見など、参考程度にしかならん」


「恋なんてしていません!」


「ほら、否定が激しい。これは確実に恋してるわね」


姉様がくすくすと笑った。


私はもう何も言えなくなって、椅子にドサッと座り込んだ。工房から持参してきたミントの香りが服についていたが、この状況ではとても心を落ち着かせる効果を発揮してくれそうにない。


「では、作戦会議を始めよう」


父様が本格的に議長モードに入った。


「まず、現在の脅威レベルを査定する。シエル、報告を」


「はい」


兄様が立ち上がって、まるで軍事報告でもするかのような姿勢を取った。


「クラヴィス殿下の我が領地への訪問回数、夏の初回訪問から現在まで計5回」


え?そんなに来てたの?


「そのうち、ミリィとの面談時間は累計約12時間。明らかに異常な接触頻度です」


「うむ」


父様が深刻に頷いた。


「エリサ、王都の情報は?」


「はい」


姉様が優雅に立ち上がった。


「王都の社交界では、既に『第三王子がリュクスティリア家の次女に心を寄せている』という噂が定着しています。特に昨日の領地見学については、『殿下が婚約前の正式な実家訪問をした』と解釈されている向きもあります」


「何ですって?!」


私は椅子から飛び上がった。


「婚約前の実家訪問って、そんな大げさな……」


「ミリィ、世間はそう見るのよ」


姉様が苦笑いを浮かべた。


「王族の男性が、貴族の令嬢の実家を何度も訪問し、家族ぐるみで交流するなんて、普通は婚約が前提の行動だもの」


そんな……私たちはただ友人として……。


「つまり」


父様が重々しく結論づけた。


「我々の認識以上に、事態は深刻だということだ」


「では、対策を検討しよう」


兄様が手を挙げた。


「まず第一案。ミリィの婚約者候補を緊急に探し、殿下よりも先に婚約を成立させる」


「却下」


私が即座に反対した。


「なぜ私が知らない人と婚約しなければならないのですか」


「第二案」


父様が提案した。


「王宮に手紙を送り、殿下を遠方への外交使節として派遣してもらう」


「それは殿下に失礼です!」


なぜ私が殿下を庇うような事態になっているのか。


「第三案」


姉様が優雅に微笑んだ。


「夫に相談して、殿下に他の素敵な令嬢をご紹介する」


「それは……」


私の胸に、なんだか嫌な感じがもやもやと湧き上がってきた。殿下が他の女性と親しくなるのを想像すると、どうしてこんなに居心地が悪いのだろう?


「どの案も反対するということは」


父様が深いため息をついた。


「やはりミリィは殿下に特別な感情を抱いているということだな」


「そんなことは……」


「では、最終案だ」


父様が立ち上がって、威厳たっぷりに宣言した。


「ミリィには当分の間、殿下との接触を禁止する」


「ええっ?!」


「賛成だ」


兄様が即座に同調した。


「しばらく距離を置いて、冷静になる時間を作ろう」


「私も賛成」


姉様も頷いた。


「恋は盲目って言うでしょう?少し離れてみれば、自分の気持ちも整理できるはず」


「でも、もし殿下がいらしたら……」


「大丈夫」


父様が胸を張った。


「殿下がいらしても『ミリィは体調不良で面会できません』と申し上げる」


「私も協力する」


兄様が決意に満ちた表情で頷いた。


「殿下が来られても、適当な理由をつけてお引き取り願う」


なんだか、私の意志とは関係なく話が進んでいる……。


「あの……」


「決定だ」


父様が議長として最終宣言をした。


「『ミリィを嫁にやらない連盟』緊急作戦、『殿下接触禁止令』を発令する」


「賛成!」


兄様と姉様が声を揃えた。


私一人だけが取り残されて、呆然と家族三人を見つめていた。


こうして、私の知らないうちに『ミリィ防衛作戦』が本格始動してしまったのだった。


---


夕方、一人で工房に戻った私は、ルージュ・ミスティカの甘い香りに包まれながら、今日の出来事を振り返っていた。


家族の過保護ぶりには呆れたが、一方で彼らの愛情の深さも感じられた。特に父様の「お前の幸せを何より願っている」という言葉は、心に深く響いていた。


でも、本当に私は殿下に恋愛感情を抱いているのだろうか?


確かに最近、殿下への印象は変わっていた。最初の頃の「濃すぎる恋愛妄想に辟易する相手」から、「真摯に努力する人」へ。そして今では、「大切な友人」のような存在になっていた。


昨日の領地見学でも、殿下とセレーナ嬢が自然に会話している様子を見て、嬉しく思っていた。殿下の成長を誇らしく感じていたのも事実だった。


でも、それが恋愛感情かどうかは……。

それに、殿下はセリーナ嬢に想いを寄せてるわけだし……。


窓から見える香草畑に、夕陽が美しい光を投げかけている。昨日、四人でここを歩いた時の楽しい記憶が蘇ってきた。


もしかしたら、しばらく殿下と距離を置くのも悪くないかもしれない。自分の気持ちを整理する時間が必要なのかもしれない。


そう思いながら、私は夕陽に染まる香草畑をじっと見つめていた。


「でも、学園でばったり会ってしまったらどうしたらいいのかしら?」


そう思いながら、私は夕陽に染まる香草畑をじっと見つめていた。

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