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第6話「学園で再会した王子が、少しだけ変わっていました」

夏休みが終わり、王立アカデミアの新学期が始まった。


 石造りの荘厳な校舎に響く鐘の音を聞きながら、久しぶりに学園の寮に戻ってきた私は、窓から見える中庭の風景に秋の訪れを感じていた。噴水を囲む花壇では、夏の花から秋の花へと植え替えが行われ、金木犀の甘い香りが風に乗って漂ってくる。


 寮の部屋で荷物を整理していると、廊下から聞き慣れた声が聞こえてきた。


「ミリィ! お帰りなさい!」


 振り返ると、ミントグリーンがかった黒髪をボブカットにした親友のルネが、薬草の香りを漂わせながら飛び込んできた。


「ルネ! 久しぶり!夏休みはどうだった?」


「もう、それどころじゃないのよ! ミリィの噂で持ちきりだったんだから」


「え? 私の噂?」


 ルネが琥珀色の瞳をきらりと光らせて、興味深そうに近づいてくる。


「クラヴィス殿下が度々リュクスティリア領に頻繁に足を運んでいるって話よ。王都の社交界でも話題になってるんですって」


 私は慌てて周りを見回した。幸い、他に誰もいないようだ。


「それは……その……」


「まあまあ、詳しい話は後で聞かせてもらうとして」


 ルネが薬草の入った小袋を取り出しながら続けた。


「それより、私の夏休みの研究成果を見て頂戴。新しい鎮静効果のある香草のブレンドができたのよ。ミリィの調香技術と組み合わせたら、きっと素晴らしい香療薬ができると思うの」


 私たちが香草の話で盛り上がっていると、寮の中庭から爽やかな笑い声が聞こえてきた。窓から覗いてみると——。


「あ」


 そこには、クラヴィス殿下の姿があった。しかし、いつものような一人で佇む姿ではなく、何人かのクラスメイトと共に談笑している。その中に、美しい金髪の女性の姿も見える。


 セレーナ嬢だ。


「ミリィ、どうしたの?」


 ルネが私の肩越しに窓の外を見て、小さく息を呑んだ。


「あら、殿下がセレーナ嬢と……普通に会話してる」


「普通に?」


「だって、今までの殿下って、女性と話すときはいつもあの……何と言うか、キラキラしすぎてるというか。でも今は随分自然な感じね」


 確かに、ルネの言う通りだった。殿下の周りに例の花びらは舞っていないし、過度に情熱的な様子も見られない。セレーナ嬢も、以前のように困惑した表情ではなく、普通の会話を楽しんでいるようだった。


「ミリィとの交流を通して何かいい影響でもあったのかしら」


 ルネが感心したように呟く。


「いい影響って……ちょっとお話を聞いて、少しだけ助言させていただいただけよ」


「ふーん、そうなんだ。それにしても、通い詰めてたくらいなんだから、きっと殿下にとって有意義な助言だったのね」


 私はどう答えていいか迷い、曖昧に笑うことしかできなかった。王子の悩みについて、親友とはいえ、不用意に人に話すことではない気がするし…。


 その時、中庭から私たちを見上げる視線を感じた。顔を上げると、殿下と目が合ってしまった。


 殿下は私に気づくと、にっこりと手を振った。いつものような大げさな仕草ではなく、自然で温かな笑顔だった。


「ミリィ嬢!」


 殿下が中庭から声をかけてくる。


「ご無沙汰しております、殿下。新学期はいかがですか?」


「おかげさまで順調だよ。君はもう寮に戻ったのかい?」


「はい、今朝到着いたしました」


 私たちのやり取りを見て、セレーナ嬢が少し驚いたような表情を見せた。周りの学生たちもざわめいている。王子が女性と自然に会話しているのも珍しいが、相手が『香りの楽園』のミリィ・リュクスティリアだというのも話題になるだろう。


「そうそう、ミリィ嬢。今度時間があるときに、また工房を見学させてもらえないだろうか。セレーナ嬢が香草について興味を持っていて、ぜひ専門家の話を聞きたいとちょうど今話していたんだ」


 え? セレーナ嬢が香草に興味を?


「それは……もちろん構いませんが」


「本当ですか?」


 セレーナ嬢が嬉しそうに声を上げた。


「初めまして。セレーナ・ヴァルディスと申します。実は私、最近薬草学の勉強を始めたのですが、やはり実際に栽培している現場を見てみたくて。リュクスティリア領の香草畑は有名ですし、ぜひお話を伺わせていただきたいと思っておりました」


「ご挨拶をありがとうございます。ミリィ・リュクスティリアです。どうぞ、ミリィとお呼びください」


 彼女の瞳に知的な輝きがあるのを見て、私は少し驚いた。王子の記憶で見た彼女は確かに美しく上品だったが、こんなに学問に対して熱心な一面があるとは知らなかった。


「それでしたら、ぜひ我が家へいらっしゃいませんか。私の親友のルネも薬草の研究をしておりますので、みなで一緒に工房や畑を見学するのも宜しいかと。きっと有意義なお話ができると思います」


「ルネ?」


 殿下が首を傾げた。


「あ、ご紹介いたします。こちらは私の親友で、将来宮廷薬剤師を目指しているルネ・マルティネです」


 ルネが窓から身を乗り出して、丁寧にお辞儀をした。


「お初にお目にかかります、殿下、セレーナ様。薬草について研究しておりますルネと申します」


「これは、宮廷薬剤師を目指していらっしゃるのですか。それは心強い」


 セレーナ嬢が目を輝かせた。


「ええ、香療と医術の融合について研究しております。ミリィとは互いに刺激し合える良い関係でして」


 殿下がセレーナ嬢と私たちのやり取りを見て、満足そうに微笑んでいる。以前なら自分が話題の中心でないと不機嫌になりそうなものだったが、今日の殿下はそれとは異なり、自然とみなが会話を楽しめるように気を配っているように見える。セレーナ嬢もそんな殿下との時間を楽しそうにしているのがわかり、私もホッと胸を撫で下ろした。


 殿下も、そんなセレーナ嬢を嬉しそうに見つめている。実にいい感じだ。


「それでは、今度の週末はいかがですか?私も、週末には領地に帰るようにしておりますので、ご一緒にいかがでしょう?領地までは馬車で二時間ほどですし」


「ぜひお願いします!」


 セレーナ嬢が嬉しそうに答える。


「僕も同行させてもらえるだろうか? 実は僕も香草について勉強してみたくて」


 殿下の言葉に、私は少し驚いた。以前の殿下なら「セレーナ嬢と二人きりの時間を作りたい」と考えていたはずだ。だが今は、彼女の興味に合わせて、自分も学ぼうとしている。


「もちろんです。皆様でいらしてください」


 約束を交わした後、私たちは寮の部屋に戻った。


「ミリィ、すごいじゃない」


 ルネが興奮した様子で言った。


「殿下はなんだか雰囲気が変わったわね。以前見かけた時は、一方的にセレーナ様に詩を詠んだり花束を贈ったりして、露骨に迷惑そうな顔をされていたのに…」


「そうね……」


 私は複雑な気持ちだった。殿下の変化は確かに素晴らしいことだし、セレーナ嬢との関係が良好になっているのも喜ばしい。でも、なぜかちょっとだけモヤモヤする。何でだろう?


「一体どんな助言をしたら、こうも劇的に変えられるの?」


 ルネが私の肩を軽く叩いた。


「あなたって、意外とカウンセラーとか向いているのかも」


「そんなことないわ。私はただ……」


 ただ、殿下が真面目に悩んでいたから、調香師として人の想いに寄り添っただけ。

私の拙い助言を真摯に受け止め、努力したのも結果を出したのも殿下ご自身だわ。


 窓の外では、殿下とセレーナ嬢がまだ楽しそうに話していた。二人の間には、以前のような緊張感や一方的な想いはなく、自然で温かな空気が流れている。


 この調子なら、殿下の想いが正しく伝わる日も近そうね。私の役目は、もう終わりに近づいているのかもしれない。


 そう思うと、なぜか胸が少し苦しくなった。


 夜になって、寮の自分の部屋で一人になると、私は窓辺に座って月を見上げた。秋の夜風が頬を撫でて、どこからか金木犀の香りが漂ってくる。甘くて柔らかい、どこか懐かしさを感じる独特の香りに、なんとなくノスタルジックな気分になってくる。


 母様だったら、この気持ちをなんと言うだろうか。


 『人の想いに寄り添うことは大切。でも、自分の気持ちも大切にしなさい』


 そんな母の声が、夜風に乗って聞こえてきたような気がした。


 でも、自分の気持ちって一体何だろう?


 私は小さくため息をついて、明日の授業の準備を始めた。新学期が始まったばかりだというのに、心の中は秋の夜のように少し寂しかった。

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