祈と織部
ごくごく平凡な家族。
そう表現しても罰は当たらない家庭に俺は産まれた。
黒い天然パーマで、お腹が少し出ている以外は特に目立った特徴もない。ごくごく平凡な人間が俺だ。
祈と名付けられた俺は、次男ではあるが姉と兄がいるので三番目の子供であり末っ子。
俺が小学校に上がる頃に、気づけば父親は家からいなくなっており、母子家庭になっていた。
『三人目だからお前の時はもう育児も慣れたものだった』
母親と車で出掛けた日には、よくそう言われていた。
母親の苦労は絶えなかったが、いつも楽しそうに過ごしていた母親は今でも誇りである。
そんな母親と精神科的な病院に初めて行ったのは中学の真ん中くらいの頃だ。
最初は何の説明もなく、病院に行くとだけ言われて学校を休んで連れていかれた。
特に体調は悪くないんだけどな…まあ学校休めるしいっか。なんてお気楽に考えて着いた病院。
清潔な待ち合い室で数分待った後、名前を呼ばれて一人奥の部屋へ向かうと、メガネをかけた女性が座っていた。
その時の会話内容はハッキリとは覚えていないが、他愛のない話をしたと記憶している。
確か、1時間くらい話したら、もう戻って大丈夫だよと言われた記憶。
なんだったんだ?と首を傾げながらもまた部屋を出て待ち合い室のソファに座ると、次は母親が呼ばれた。
持ってきていた小説を読んでいたので時間は気にならなかったが、そこそこの時間を費やした気がする。
母親も戻ってきて、支払いを済ませて隣の薬局で薬を受け取り、車に戻った。
『ラーメン食べに行く?』
笑顔でそう聞いてきた母親は、なんだかやつれていた。
外食を済ませて家に帰ると、母親に椅子に座るよう促された。
『祈はね、頭に軽度の発達障がいがあるの』
そう、母親から簡単に説明を受けた。
先生の話によると、日常的に生活をする分には問題なく。興味があることと無いことへの熱意の落差の激しさや、のめり込み具合。
言うなれば好きな事と嫌いな事への集中力の差が激しい。好きな事への興味に突発性が強く、その事に対しての感情のコントロールが難しい或いはできない心の病気。
だそうな。
それを聞かされて、正直ふ~んって感じだった。
言われてみれば算数と国語だと、テストの点数が天と地の差があったし、国語のテストでも読み仮名を書くのと文章問題だけはめっちゃ楽しくやってたな。
家の用事があっても、友達に放課後サッカーに誘われたら用事を忘れて一緒に遊んだこともあったっけ。
思い返してみれば、思い当たる出来事ばかりで寧ろ俺は納得した。
今思い返してみれば、あの病院を行った日を境に、よほどの事がなければ母は俺を叱らなくなってたし、俺と話す時も『祈はそういう頭の病気だから~』とか『発達障がいの人は集中力が凄いから好きなことを~』とかそんな感じの、庇うような発言が増えていた気がする。
そして、母親が鬱を患っていると、その時、一緒に告げられた。
なんだかんだと姉弟仲良く二人で母親を支えてきた俺は、高校生になり運命の分岐人と出会う。
鼻歌交じりに初めてのクラスに向かい、俺はご機嫌に扉を開けた。
進学時特有の『前の学校が一緒だったヤツとは話してるけど、それ以外の奴とは話さない』って雰囲気のクラスメイト達の賑やかな話し声が充満している。
残念な事に、顔馴染みがいない教室からは俺を歓迎してくれる声はなかった。
騒がしい声に溶け込み自分の席を探していると、ふと、つまらなさそうに頬杖をついて校庭の方を眺めるイケメンがいることに気づいた。
俺は自分の席に着いて、後ろからそのイケメンな横顔を見る。
糸みたいに細い目は見えているのか怪しいくらいで、綺麗な黒い髪から覗く耳には小さいほくろがあって、整った鼻や顎のラインは俳優のようだ。
(これで関西弁なら完璧だぞ)
俺はアニメに出てくる『頼りになるけど後で裏切るタイプのキャラクター』を思い浮かべながら、そいつに話しかけた。
「よお、オレ祈。祈るって書いて祈ね」
不意に声をかけられたイケメンは、小さく「え?」と言って数秒こちらを見つめて「あぁ」と自分が自己紹介されたのだと気づくと返してきた。
「…ウチはカヤぇ……いや、織部っていうんや、布を織るの織に部室の部な」
「うわ、関西弁じゃん。完璧だな」
「は?」
それが、俺と織部の出会いだった。
毎日話していて、だいぶ仲が良くなった日のこと。
長袖から半袖にフォルムチェンジした俺は、暑さに負けない元気で駅前にて織部を待っていた。
朝の8時に集合って言ってたくせに、もう半時間は過ぎている。
まだ着かないのかと連絡をするべきか迷っていると、目の前に車が停まった。
「いやぁすまんすまん、遅れたわ」
なにやら高級そうな車から、全身真っ白な巫女さんが着るような服装で織部が降りてきた。
「大丈夫ぅ、今着たとこぉ、はーと」
「なんやそれ」
「え?待ち合わせで待った時の決まり文句だろ?」
「いや、待ってたんかい!」
冗談を言い合って、気が済むと織部に車に乗るように言われた。
クーラーが涼しい車は、広々としていて実に快適であった。
「なあ祈。お前なんで制服なん?」
右手に持った扇子を揺らしながら俺を差してくる。
「ん?友達ん家とか初めてでどんな格好していいかわからんから、制服なら問題ないかなって」
「休日やで?」
「我々は学生なので、キリッ」
「なにがキリッや、あほらし」
車に揺られること何十分か、山道を進む車の先に大きな門が見えてきた。
木製の門の正面まで来ると、運転手さんがスマホで誰かに連絡を入れる。
興味津々に外を観察する。
鉛色の瓦が付いた屋根に白い壁、森まで続いくその壁は昔ながらのお金持ちが住んでいるお屋敷って印象を与えてくる。
物珍しく壁を視ていたら江戸時代を彷彿させる木製の門が開く。
車で中まで入ると、右に曲がってコンクリートの駐車場に運転手さんは車を停めた。
お礼を言って外へ出る。
「めっちゃ日本家屋って感じなのに駐車場はコンクリなのな」
「そりゃそうやろ。いくらなんでも車を砂利や土の上に粗末に停めるわけにはいかんて」
「それもそっか」
バカみたいな話をしながら織部についていく。
石造りの道を進んで玄関前まで来た織部は、扉に手を掛けるとこちらを見てきた。
「なあ祈。帰るんなら今やで?」
「は?お前が見せてくれるって言ったんじゃんか『妖怪』」
「そうやけど……まあ、せやな」
諦めた風に笑って織部は扉をスライドさせた。
「ただいま~」
「若!お帰りなすってぇ!」
玄関にてついにお目見え、妖怪である。
正座をして頭を下げていたソレは、顔をあげる。
「イチ!そういう話し方やめてくれ言っとるやろ!」
「へぇ、しかしこれがあっしの染み付いた言語でして…おや?」
イチと呼ばれた妖怪は大きな一つ目でこちらを覗いてくる。
頭のてっぺんに小さなドリルみたいな角があって、真っ赤な顔の中心には大目玉がギョロりとあり、大きな口からは牙が鋭く剥き出しになっている。
顔の半分サイズの身体には、浅い青色の和服を着ている。
「若…そちらのお方は…」
「…言ったやろ?祈や」
「どうも」
俺に挨拶されたイチさんは、じ~とこちらを凝視して、両手を後ろに上げ片足も上げながら大袈裟に驚いた。
「あれまぁ!そちらの方が!若が今日連れてくると言っておられたご親友!」
「ご親友です!」
「変なノリに乗るな!」
「それはそれは!どうぞどうぞ!奥へお進みください!」
玄関の端に寄ったイチさんは、その大きな頭を傾けながら奥へ行くように手で廊下を差した。
「はぁ…おつかれさん」
「へえ、勿体ないお言葉で!」
労われたイチさんは嬉しそうに笑って頭を下げた。
「行くで、祈」
「へぇ、勿体ないお言葉で!」
「使い方違うやろ!」
盛大にツッコミながら織部はずかずかと先に行ってしまった。
織部の部屋に着くまで長い廊下を歩いていた。
左側にはガラスがあって、その向こうには庭が見える。小さな池や松の木?なんかが生えてて本当に俺が想像する『お金持ちの和風なお屋敷』って感じだった。
右手側には延々と襖が並んでいて、襖が開きっぱなしの部屋があったから中を覗くと正座をした紺色の和服をきた首の長ぁい女の人と、人間の大人くらい背がある茶色い毛の猫が胡座をかいて将棋をさしていた。
俺が覗いてたのに気づくいた猫が、将棋盤からこちらに顔を向けて手招きをする。
「坊主。将棋わかるか?ちょっとこっちゃこい」
「失礼しま~す」
猫に招かれては行かない訳にはいくまいて、俺は一礼して中へ入った。
招かれて猫の隣に座る。
「この盤面なんだがな」
猫が指?手のひら?を差しながらそう口を開くと、前に座る女の人の目がキッとつり上がった。
「アリスケ!」
「な、なんじゃあ。劣勢なんじゃから助言くらい良いじゃろうて」
「アホ!そんな事やないわ!お客人を呼ぶなら座布団くらい持ってこい!」
「お…おお!そうじゃ!すまんの坊主」
へへ、と悪びれるように笑ってアリスケさんは立ち上がり、部屋の角に積まれてある座布団を一つ取って俺の前に置いてくれた。
「ほら坊主。座れ」
「お か け く だ さ い !」
「お、おかけくださいませ…」
二人のやり取りを笑いながら座布団に正座する。
「お邪魔します」
俺が頭を下げると女の人は横にずれて座布団から降り、正座したまま頭を下げてきた。
「わっちはカンナと申します。どうぞよろしゅう」
「あ、どうもカンナさん。俺は祈って言います。はい」
「さ、挨拶も済んだし、はじめたはじめた!」
アリスケさんがそう急かすと「ほんまこん人は…」と文句を言いたそうにしてカンナさんは座布団に座り直して盤上へ顔を向き戻した。
静かに流れる時間。俺とアリスケさんがたまに話し合い、次の手をさす。
パチ…パチ…と駒をさす音が、黙っているカンナさんの言葉に感じる。
「ふむ……………参りました」
両手を膝の前に添えて、カンナさんが投了した。
「ありがとうございました」
「へへん!俺の勝ちやな!」
「な~に言うてるんや。祈さんがおらんかったら負けてたくせに」
「う、うるさい!勝ちは勝ちや!」
「はいはい」
「やりましたね。アリスケさん」
俺が喜んでいると、後ろから声をかけられた。
「良かったなぁ祈」
「あ、織部」
「あ、織部。やないわ!なに友達ほっぽりだして将棋してるねん!」
「いやぁ、猫に招かれまして」
「いやぁ、招いちまいまして」
左手で頭をさすりながら、俺とアリスケさんは同じポーズでてへっと舌を出して言う。
「はぁ…まあええわ。はよ行くぞ」
「はーい。それでは失礼します」
「また来いよ」
「今度はサシでうとうな、祈さん」
二人に別れを告げて俺は織部の後を追った。
織部の部屋に着くと、俺は真っ先にソファに座った。
ガラス製の正方形のローテーブルに向き合わせて東と西に配置されたクリーム色のソファ。
何かの験を担いでいるのか、北側の角には手に持てるサイズの『四神のやつ入れる』の銅像が置いてあって、襖と天井の間に神棚みたいなのもある。
「いやぁやっと着いた」
「お前が寄り道したんやろが!」
「こめんごめん。猫に招かれまして」
「さっき聞いた」
ため息をしながらも俺の向かいに座った。
「そんで、何の話だっけか?」
俺が話題を振ると織部は疲れた様子で話し始める。
「ウチが入学式初日にクラスで一人だった理由。言うたやろ」
細い目がこちらに向く。
「さっきの人らみたいな妖怪に囲まれてウチは生きてきた。毎日親にも妖術を教えられる日々で録な娯楽も知らん。今まで他人と馴染めず友達もおらん。せやからウチは初日にクラスで一人で居たんや。同じ中学校のやつがおったにも関わらずな」
「ああそうそう、なんでお前が一人だったのかって話だったな」
そう、俺は金曜の帰りに織部に聞いた。
なんでお前かつてのクラスメイトがいたのに一人だったんだ?って
まあ、そんな質問したから織部は(こいつ……!遠回しに友達がおらん寂しいやつって言ってきたんか?)てな感じに思ったのか、頬を痙攣させながら苦笑いしていた。
内心怒りながらも織部は、
「お前が妖怪見ても驚かんのやったら理由を教えたるわ!」って笑い飛ばした。
「妖怪!?見たい見たい!マジでいんの!?」俺は即答した。
そして、見聞きしたことを言いふらさない事を条件に、土曜日に織部の家へ招待してくれることになった。
ローテーブルには、底が深い直径30センチの木製の円形トレーがあって、煎餅やらチョコレートやらが並べられていた。
俺はサラダ煎餅を一つ取って、紙の包装を破き噛みつく。
煎餅は小気味の良い音を鳴らして、粉をテーブルに散らしていく。
程よい固さで歯ごたえがあり、口に染み込む塩っけがこれまた絶妙。
「うま!良いところのやつなんじゃないのこへ?」
質問しながら、また一口。
「ウチの親は色んな事を手掛けてるみたいでな?金持ちな上に色んな会社を持っとるから、多少クオリティの高いおやつもこんな風にタダで手に入れれるんや」
「へー」
「興味なさそうやな」
「え?そうでもないけど…てかさ、親が社長なら資金運営してるのも親なんだし、タダって言うより先払いに近いんじゃない?」
「はは、確かにな」
織部は一口サイズのチョコレートを手に取り、ビニールの包装をくるくると回して開き、口に放った。
まるで、さっき会った妖怪などいなかった風に、あんまり中身の無い馬鹿みたいな会話を続けていた。
雑談をしていて、ふと気づく。
織部は録な娯楽も知らん。って言ってたとおりテレビやゲームは見当たらないが、本棚が織部の方の壁にあった。
「なあ、本棚あるけど漫画とかは読んだことあんの?」
「いやいや、さっき言うたやろ。録な娯楽も知らんって、あそこにあるんは妖術の扱い方とか効果とかが書かれた文献……まあ、言うたら妖術の教科書やな」
「へぇー、そういえば妖術とか身につけて何すんの?」
「さっきの人らみたいな妖怪をな、人間の見た目に変えて社会生活出来るようにするんや」
「ふーん。………ん?てことは俺がそこら辺ブラブラ歩いてる時とかも妖怪とすれ違ったりしてるわけ?」
「そういうこっちゃな。妖術の使い道はそれだけじゃないんやけど、要するにウチが親から引き継がされた仕事は、妖術を使って妖怪を人間に化けさせて仕事に行かせてあげることや」
「なんでそんなことしてんの?」
「妖怪が生きていく為や。携帯やらスマホが爆発的に人気になって、道歩く殆どの人間が小型カメラを持ち歩いてるような今の時代。そうそう悪さや狩りはできん。あっさり情報は出回り、それとわかる人間には妖怪や!って正体がバレて倒される対象になる。そんで肉やら魚やらを糧にしてる奴らは狩りができやくなって、お金で買わなあかんようになった」
「それでお前の出番?」
「せや、正確にはウチの家系の出番や。元々人間の見た目を変化させる事に特化してたウチの家系は、妖怪や人間のお偉いさんに頼まれた。『妖怪を人間に化けさせてくれ』ってな」
「なんで人間も頼んできたわけ?」
「偉い人の半分くらいは妖怪の存在を知ってるジジババなんや。そういう人らは妖怪を討伐するのはええけど、隠蔽やらカバーストーリーやらが面倒になったんやって、せやから人間に化けさせて人間として働かせた方がお互いの為になったんや」
アホらしいわと言いながら、織部はため息をついた。
話終えた織部は俺を見つめてきた。
「てか、こんな話しといてなんやけど、お前はウチの話を信じとるんか?」
「ん?本当の事なんだろ?」
「そうやけど………妖怪やで?」
苦笑いを浮かべる織部。
「あ~…でも見ちゃったしなぁ。実際居るのこの目で見たなら疑いようもないし、織部が嘘をつく理由もないだろ?」
明確に俺の意思を伝える。
織部は、信じられないモノが目の前にいるという風に口を開いて呆然としている。
「お前ある意味アホやろ」
「む、失礼な。物理的根拠に基づいた論理的かつ科学的事実を述べたまでだよ」
「ふ…あっはっはっはっはっはっ!やっぱりアホやろ!なんやそれ!」
織部は大笑いして扇子で太ももを叩いている。
(なかなか真剣に答えたのだが…言葉とは、げに難しかね)
何処の方言ともわからぬ言葉を心の中で使い、笑い屈む織部に俺は不服の念を抱き飛ばした。
それから俺は、週末はよく織部の家に遊びに行くようになり、手始めの娯楽として小説を持っていくことにした。
文献だかなんだか知らないが、昔から文字を読むことに抵抗が無いなら一番入りやすい娯楽だと思ったからだ。
俺の予想は当たっていたようで、織部は推理小説にドハマリ。織部が本を読み終えると二人で伏線の巧妙さとか、文字しかない小説ならではの叙述トリックとか、互いの感想をぶつけあった。
そんな日々が過ぎていき、夏休みが始まったばかりの頃まで話は進む。
織部の家にいつものように泊まりに来た俺は、アリスケさんと将棋をさしていた。
「王手…」
「…………詰みかいな!負けや負け!」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました。いやぁ、祈の坊主は強いな」
「そんなことないですよ、アリスケさんには二回も負けてますし」
「かぁ!新手の嫌みか!2勝7敗でこっちはボコボコにやられとるってのに!これでもカンナと五分五分には打てるんやがなぁ…」
スーと襖が開き、カンナさんが入ってきた。
「二千八百五十二勝、千二百十六敗。どこが五分ですか?」
「こ、細かい女やなぁ…千回超えたらもう五分や」
「はいはいそうですか。そういう事にしときます」
俺が座布団から離れると、そこへカンナさんが正座する。
「よっしゃやるか!」
「よろしくおねがいします」
二人の対局が始まったので、俺はいつも通り織部の部屋に向かった。
長い廊下、小説を入れたバッグを片手に中庭の景色を楽しみながら歩いていると、前の方が慌ただしくなる。
妖怪が忙しなく右往左往している。
「どうしたんですか?」
イチさんがいたので呼び止めてみると、「祈さま!ちょいと…いやもう大パニックでして!若が!若が倒れまして!」
イチさんと一緒に廊下を走る。
息を切らしながら襖を開けると、畳が敷き詰められた広い和室であった。
妖怪達が心配そうな視線を向ける先に、真っ白なベッドがあり、そこに織部が眠っていた。
「織部!」
叫びに反応して色々な妖怪がこっちを向いたが、気にもせず織部の元へ駆け出す。
肌は青白く、唇も真っ青。
血の気のない織部を見ていると、いつもの白い和服が死装束を連想させる。
呼吸はしているが、俺の呼び掛けに反応はない。
イチさんから話は聞いた。織部が予兆もなく膝から倒れ、胸を押さえて苦しそうにしたかと思えば、みるみるうちに血の気が引いていったらしい。
「祈くん…だね」
スーツを着た大柄の男性が話しかけてきた。
「織部の父です」
「あ、あの!織部はどうなってるんですか!?その、し、し、」
俺が言葉を発する前に、織部のお父さんは俺の肩を掴み、首を横に振った。
「私達の家系はね。たまに短命な子が産まれるんだ。産まれた時にはわからないが、ある日突然寿命を迎えたように、逝ってしまうんだ…私の兄も、そうだった……祈くん。息子と仲良くしてくれてありがとう」
親父さんの言葉で、俺は全てを察した。
朝、元気に迎えに来てくれた友人が死の淵にいる。
その現実を受け入れられず、訳が分からないまま俺は邪魔になるだろうと部屋を出た。
織部が死ぬ。
言葉にすればハッキリと分かるが、理解できなかった。
ただ呆然と廊下を歩く。
気づけば、織部の部屋の前にいた。
ソファに座り、小説をテーブルに置く。
「俺、どうしたらいいんだろ………」
突然のことで頭が回らない。
近くにいてやるべきなのかな?
でも…怖い…怖いな……
正解がわかんない……
顔を上げると、本棚が目に入ってきた。
あいつ……本を読むのが好きだったよな…短い付き合いだけと……楽しかったな…
ぐしゃぐしゃの思考。
それが、本棚にある一つの背表紙が目に止まり、集結する。
身体は跳ね起き、止まることなくその本を掴んだ。
真っ白なベッドの上、そこで織部は目を覚ました。
澄んだ畳の匂い。天井の色。顔を横に向けると木彫りの仏像がある。間違いない。死者を祀る部屋だ。
「……………ウチ…生きてる?」
祈が将棋をしている間にお菓子を用意してやろうと、たまたま帰ってきていた親父に挨拶がてら、お菓子をせびりにいく途中の廊下で意識が遠のき全身に力が入らず、胸が苦しくなった所までは覚えている。
「……勘違いやったか?」
父親から聞いたことのある、父親のお兄さんみたいに発作的に自分も死ぬのか、と諦めていた織部。
「勘違いなんかじゃない、織部」
不思議に考えていると突然声がして、そちらへ顔を向けると、親父がいた。
「親父!」
「お前はな、本当に死ぬ所だったんだ。それを祈くんが救ってくれた」
「祈が…救った?」
親父は頷き、何があったか話してくれた。
廊下を早足で進む。
中庭が見える所までは差し掛かり、目的の人物を見つけて、自分も庭へ出る。
ぼけ~と池を眺めていた祈は、俺に気づいて何気なく手を挙げた。
「お、起きたか。よかったよかった」
足に感じる石の痛みも気にせぬまま、俺は近づき、拳で顔面を殴ってやった。
「ぶべ!」
大きな音と水しぶきを上げて、祈は池に落ちた。
尻餅をついた体勢で、顔を振り水を飛ばす祈。
「何すんだよ。あ~あ、着替え持ってきてないのにさ」
「チャラチャラすんな!お前!お前なぁ!」
首を傾げる祈。
その顔を見ると、俺は、涙が止まらずその場に蹲ってしまう。
「お前、おまえほんまアホや………」
「怒ったり泣いたり、忙しいなぁ」
水から上がってくる音がする。
そして、背後から声も聞こえてきた。
「ほれみなはれ、わっちの言うたとおり織部さんは怒ったやろ」
キセルを吹かしながら、カンナは続ける。
「魂の共有者は、おいそれと使うもんやないって」
俺は本を持ち、大急ぎでさっきの部屋に行った。
襖を勢いよく開けると、全員の視線がこっちに向いた。
「これ!これ使ったら織部救えませんか!」
織部の親父さんに本を見せる。
俺の勢いに面食らった親父さんは、本のタイトルを見てぎょっとした。
「た、魂の共有者!この本!織部の部屋から持ってきたのかい!」
「なんか、ざっとしか読んでないけど、同い年で身長も体重もほぼ一緒だし、同じ性別だし、条件は合ってますよね!」
沈んだ空気が打ち破られる。
ガヤガヤとざわつく妖怪達。
「確かに…あれなら救える!」
「織部が生き返る!」
「救えるやん!」
イチさんは慌ててこちらに駆け寄り、俺の手を掴んだ。
「本気で、本気でおっしゃっているんですか祈さん!」
「ええ、俺は本気で」
「おまち!」
鋭い声が響き渡った。
声を上げたのはカンナさんだ。
「祈さんや…それがどういったものか知って話してるかい?」
「え……えっと…命を共有…する術って書いてました」
「そうさ命の共有だ、文字通りね。ほぼ死人の織部さんとその術で契約を結べば、祈さんの寿命は半分になり、どっちかが事故や病気で亡くなろうもんなら道ずれにする。悪魔みたいな術さね。なんの相談もなく自分の友人がそんな契約を自分と交わしたなんて知ったら、織部さんはさぞお怒りになるだろうて」
カンナさんの言葉に頷きながら、アリスケさんが出てきた。
「こっちもカンナと同意見だ。お前の気持ちは美しいがな、今しようとしてる事は言うなれば命の押しつけだ。お前は友人に他人の人生半分背負って生きろって、重しを無理やり乗せるような事をしようとしているんだ。わかるか?」
「………………なるほど」
「それでもお前はその術を使うって言うのか?」
「うん。死ぬより良いでしょ」
俺が答えると、アリスケさんは真剣な表情からおおらかに笑った。
「は、ははははははは!そりゃそうだわな!カンナ!こりゃあ駄目だわ!考え方がシンプル過ぎて一切迷いがないわ!あっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」
豪快に笑うアリスケを横目に、カンナさんはため息をついた。
「もうちょっと悩むかと思ったけどね、そんなに迷いが無いならもう何も言いません。ただ、織部さんは怒るで?」
「構いません」
「ふふ、さよか。ほなわっちらは将棋に戻るかえ」
「そうだな。織部の坊主も助かりそうだし、ここにいても仕方あらへん。おう祈!用事終わったら相手しに来いよ!」
「はい!また勝たせてもらいます!」
「言うとけ!」
カンナさんとアリスケさんが部屋を出ていくと、他の妖怪達も顔を合わせ、まばらまばらと出ていった。
「よし!親父さん!おねがいします!」
「本当に、良いんだね?」
「もちろんすよ!」
俺が笑顔で答えると、親父さんは涙を流して感謝し、イチさんは俺に深々と頭を下げていた。
織部は拳を地面に当て、謝るような体勢でずっと泣いている。
「俺の…俺の為に……後何年かもわからん寿命を半分にするなんて…」
「あ!そうじゃん!後何年かわかんないからお互いいつ死ぬはわかんないじゃん!早く死んだらごめんな?」
手を合わせて謝ると、怒られた。
「そんなふざけた事を言っとる場合かボケが!」
「大真面目なんだけどなぁ」
「なんでこんな契約結んだんや…会ってちょっとの他人やろ、俺なんか……」
「ええ…ショックだなぁ…いやぁ…悲しいなぁ。俺は織部と友達のつもりだったんだけと。他人かぁ」
「他人やろ!友達言うてもほんの数ヶ月やん!そんな相手の為に…」
「え?そう?短い付き合いでも、死にかけの友達が目の前にいて、助ける手段あるなら普通助けね?」
「お…お前……」
二人の間にカンナが入ってきた。
「はいはい。もう口喧嘩はおよし、どんだけ怒っても契約は契約。一度結んだんやから元には戻せん」
「カンナさん……」
「織部さん、よく言うやろ。馬鹿につける薬はないって、どんだけ言うてもある意味芯の通った相手には何も響かん。申し訳なく思うなら、その命尽きるまで精一杯生きればええわ。織部さんなら繋がった寿命の残りくらいはわかるでっしゃろ?」
「はい…」
「ほな、わっちは長考してる馬鹿の相手してくるさかい、こっちの馬鹿はおまかせしますわ」
カンナさんは嬉しそうに笑い、足を払って中へ戻っていった。
「なあ織部、今って俺馬鹿にされた?」
目を拭いながら、織部は立った。
「今さら気づいたか。それに気づかんとは、お前はどうしようもなく馬鹿な友達やな」
「失礼な。シンプルで単純で明快な思考と言ってもらいたい」
「はいはい。ウチのお友達は賢くて助かります」
「あ!やっぱり!」
「な、なんや急に叫んで」
「織部って一人称ウチだったよな?さっきは俺俺言ってたから変だなぁって思ってたんだよ」
「……そんな事気にしてたんか?」
「気になるだろ。違和感凄かったぜ?」
「…はは……やっぱりお前、アホやわ」
呆れたように笑い、織部は背を向けて歩きだした。
「なんだよ、賢いって言ったりアホって言ったり」
「ほら、馬鹿と天才は紙一重言うやろ?それや」
「なるほど、納得」
「……やっぱりアホや」
足を払い、中に戻りながら織部は何か呟いた。
これが、俺と織部の関係だ。
それから、俺らはよく一緒に居るようになり、学校では『ホモカップルだ』なんて笑われるくらいには仲良くなった。
高校を卒業して、お互い別々の大学に行って、俺は就職した後、荒れに荒れた生活をして、心まで荒む前に織部が会社から俺を連れ出し、織部が密かに建てていたアパート オリベマートで養われる事になるのだが、それはまた別のお話。
余談だが、魂の共有者の契約を結んだあの日、織部に確認したのだが、俺と織部の寿命は51歳らしい。
思ったより長生きだ!と、最初聞いたときは自分の長寿具合に驚いたことを鮮明に覚えている。