なんでもない日常の一つ
朝一番で掃除をした床に、俯せで寝転がりヘッドホンでラジオを聴く。
今は女性のパーソナリティーさんが、お便りを読み上げている所だ。
『コルク抜き要らないさんからのお便りです。勇さん、ニーサさんこんにちは。こんにちは~』
『こんにちは~』
『そろそろ五月に差し掛かろうと言う時季なのに、暑くてたまりません!もう夏が来てしまうのでしょうか?』
『あ~、確かに最近暑いですよね』
『そうですね~。私も夜にはクーラーをつけようかな?って悩んじゃいます』
男女の落ち着いたやりとり、それを聴いていると、こちらもゆったりとした気分になってくる。
全開にした掃き出し窓から、暖かな風が吹いてくる。
綺麗に掃除をした床から、清潔感のある空気が鼻を通る。
このまま夕方まで寝てしまいそうな心地よさだが、それを妨げるようにスマホがアラームを鳴らす。
スマホを手に取り、画面を見る。
『ミネさんとデート』
「あ~……もう行かなきゃか…」
顔を上げて、ゆっくりと手を伸ばしてCDラジオの電源を切り、ヘッドホンを外して立ち上がる。
背伸びをして、脱力する。
「行くかぁ…」
ショルダーバッグを背負い、靴を履いて部屋を出る。
皆さん初めまして、俺は祈と申します。
祈と書いてそのままイノリと読みます。
現在、オリベマートというスーパーマーケットのような名前のアパートの203号室に住んでいて、28歳にして終活中です。
鼻唄を歌いながら廊下を進み、コンコンコンと階段を下りて、一階の一番奥の部屋を目指す。
目的の部屋である103号室の前までは来ると、ノックをする。
「ミ~ネさん。起きてますか」
俺が声をかけると、小さく「は~い」と返事があった。
起きていることを確認し、少し扉の前で待っていたが、一向に扉が開く気配はない。
もう一度「ミネさ~ん?」と声をかけると、また小さく「は~い」と聞こえた。
それから少し待っていると「あ、どうぞ中へぇ」と呼ばれる。
遠慮せずにドアノブを回して扉を開く。
中へ入ると、ミネさんは俯せになっていて、顔だけこちらに向ける。
俺の顔を見ると、へにゃりと微笑んで、左手で床をペチペチと叩く。
「横においでなぁ」
「では、お言葉に甘えて」
扉を閉めて靴を脱ぎバッグを床に置き、言われた通りにミネさんの隣まで行き、同じ体勢で寝て向き合う。
「風が気持ちいいですねぇ」
「そうですね」
だらけた表情を向けてくるこの人は、俺の彼女、ミネさんだ。
ふわっとした白い髪、可愛いよりも美人寄りの顔立ち、スタイルも良い。
そんな誰からも好かれそうなミネさんだが、過去に色々と問題があり、俺と同じようにこのアパートで暮らすことになった。
「今日はどこ行きますぅ?」
「ん~……キャンパーにしましょう」
「そうしますかぁ」
予定が決まり、俺は立ち上がる。
すると、ミネさんはゴロンと寝返りをして仰向けになる。
そして、まっすぐ手を伸ばしてくる。
「起き上がらせてくださいぃ」
「はいはい」
少しため息を吐き、甘えてくるミネさんの手を取ろうとしたら、腕を掴まれて引き寄せられる。
体勢を崩して、ミネさんに向かって倒れてしまう。
「えへへぇ、捕まえましたぁ」
俺を受け止めるように、ミネさんは抱きついてきた。
「も~ミネさん。こんな事されたら今日一日外出できなくなりますよ?」
俺が注意すると、ミネさんは不満を露にする。
「ぶぅ。仕方ないですねぇ」
俺を離し、また俯せになったミネさんは、腕立て伏せをする勢いで床を押し、よいしょと立ち上がる。
「では、行きますか」
「はぁい、続きは夜の楽しみにしておきますねぇ」
微笑みながら、二人で手を繋いで部屋を出る。
雲一つない晴天に見守られ、アパートの敷地から出る。
すると丁度、帰宅してきた小さな女性、リコさんとばったり出会った。
「あ、ど、ども、おはようございます」
ぎこちなく挨拶をしてくるリコさん。
「夜勤終わりですか」
「ふ、ふひ、そうだ。明日まで、休みだから、ちょっと寝たら、シンさんと話をする、予定」
「そうですかぁ、いいですねぇ」
少し根暗な印象のリコさん。
いつも一言一言丁寧に話してくれるのは好印象だ。
そんな彼女は、こちらの手元を見て満面の笑みをする。
「ふ、ぶふ、きひ、二人は、今から、デ、デート、ぐふ、ですか?」
笑いを漏らしながら、首を傾げてくるリコさん。
「そうですよぉ?」
ミネさんが答えると、リコさんは肩を震わせながら笑う。
「きひひ、良いですね、デート。イノミネ、ふふふ、じゃ、じゃあ、楽しんで、来て、ください、ぬひ」
とても嬉しそうに笑いながら、リコさんはアパートへ帰っていった。
「いつも元気そうですよね、リコさん」
「そうですねぇ、いつも楽しそうに笑ってますよねぇ」
「リコさんがお休みなら、夜はバーベキューにしましょうか」
「良いですねぇ、そうしましょう」
他愛のない会話をしながら、歩き始める。
オリベマート、名前の由来は色々とあるが、俺の友人である織部が、ほぼ俺の為に建ててくれたアパートだ。
部屋の数は6部屋。
家賃は応相談。
市内に建てられているが、市内の一画に開発失敗に終わり放置された土地があり、織部がその土地一帯を買い取り、アパートの住人が静かに暮らせるようにと、奥まった場所にアパートを建てた。
閑静を通り越し、ゴーストタウンと言える土地のお陰で、車通りはおろか騒音問題も起こらず、良い余生を過ごさせてもらっている。
車一台半ほどの幅しかない道を抜けると、わんさかと人で溢れかえる大通りに出てくる。
ガソリンを噴かして走る車。
スマホから音楽を鳴らして、忙しなく行き交う人々。
人の多さに酔いそうになる。
「皆さん、大急ぎですね」
ミネさんがポツリとそう呟く。
「ええ、数年前まで僕らもあの行き交う人々の一員だったんですよね……僕なんか置いて、ミネさんは普通に仕事をして良いんですよ?」
俺の言葉を聞き、ミネさんが俺の唇に人差し指を立ててきた。
「それは、言わない約束です」
「ふふ、そうでしたね。出過ぎた口を挟みました」
「いいえ。でも、約束を破った罰は受けてもらいます」
そう言って、俺の右腕に抱きついてきた。
「今日のデートは、ずっとこうして歩かせてもらいますね」
きゅっと腕を抱きながら、ミネさんは小悪魔のような笑顔を見せる。
「はい。しっかり罰は受けます」
「それでは、キャンパーへ向かいましょう」
歩幅を合わせて、俺らは歩き始める。
「それでですねぇ、恭さんは「これを一発当てて、タマさんに告白するんだ!」って息巻いてたんですよぉ」
「そんな事があったんですね」
「当たると良いですね」
昨日あった出来事を話し合っていると、とても良い匂いが漂ってくる。
「ふんふん、ふんふん」
ミネさんもその匂いに気づいたようで、鼻で嗅いでいる。
そして、俺の腕を自身の胸にぎゅっと抱き寄せたかと思うと、甘えた声で、
「祈さぁん、ラーメン、食べましょ?」
と隣の店を見ながら言ってくる。
あまりの可愛さにどうにかなりそうだった。
スマホで時間を確認して、丁度開店したところだとわかり、頷く。
「入りましょうか」
「やった」
ガラガラと扉を開けると、店長さんがこちらを向く。
「らっしゃいませ。何名さまで?」
「二人っきりです」
「へへ、相変わらず幸せなこって、どうぞお好きな席へ、二名様入りまーす!」
店長が厨房に声を飛ばすと、山びこのように「いらっしゃいませ~」と女性の声が返ってくる。
店内はカウンター席が8席、窓際に4人テーブルが1組と、4人座れる座席が2組というけして広くはない内装。
俺らは窓際のテーブルに向かい合って座る。
そこへ、水が入ったコップが置かれた。
「いつもので?」
恰幅のいい男性店長がそう聞いてくる。
「はい」
「お願いしますぅ」
「あいよ。一番テーブル、ラーメン大盛ネギ抜き、肉卵入り大にご飯大小一つ!」
店長が厨房に声をかけながら、戻っていく。
水を一飲みして、息をつく。
「ここ、いいお店ですよね」
藪から棒にミネさんは言う。
「ええ、狭めの店内に天井の角にはテレビが一台、ラーメン各種とご飯だけと言うラインナップ。とても良い雰囲気です」
また昨日あった出来事を話し合っていると、ラーメンが届いた。
「はい、旦那さんがネギ抜き大とご飯小で、奥さんが肉卵大とご飯大ね」
店長がラーメンを置き「ごゆっくり」と言って戻っていく。
割り箸を二つ取り、ミネさんに一つ渡して手を合わせる。
「いただきます」
「はい、いただきます」
パキッとお箸を割り、ラーメンを啜る。
茶色い豚骨醤油ベースのスープに、自家製麺がよく絡み、味覚嗅覚共に幸せにしてくれる。
お肉は豚肉のスライスを甘辛く味付けした、これまた茶色いチャーシュー。
このチャーシューとご飯だけで一品になる旨さだ。
お互いに言葉は少なく、黙々と目の前のラーメンを楽しむ。
さっとラーメンとご飯を平らげて、スープだけ残すと店長に手を上げる。
「替え玉ください」
「あいよ」
「ありがとうございましたー!」
お会計を済ませて、外へ出る。
満腹になったお腹をさすり、感想を洩らす。
「美味しかったぁ」
「やっぱりここが最高ですね」
満足していると、徐々に車が駐車場に入ってくる。
「ここにいたら邪魔ですね」
「行きましょう」
俺はミネさんに腕を抱かれながら、歩み始めた。
ラーメン屋を出て半時間、今日の目的地であるキャンパーに到着する。
キャンパーは、キャンピング用品をメインとして販売しているのだが、精肉や青果も取り扱っていて、その中でも精肉が飛び抜けて安いのだ。
店内に入り、買い物かごを持って真っ直ぐ精肉コーナーへ向かう。
そして、本日のタイムセールコーナーを覗く。
「おお、国産ステーキ用牛肉が百グラム98円ですよ」
「ベストタイミングですねぇ、シンさんや恭さんも夜に帰ってくると言ってましたから、六枚買いますか」
「そうしますか、あとは…お、鳥モモが58円ですね」
「買い出し大変ですし、ファミリーパックを八つくらい買っておきますか」
「そうですね」
二人で話し合いながら食材を決めて、その後野菜コーナーでキャベツと玉ねぎを買い、レジへ向かった。
平日のお昼頃ということもあり、レジは直ぐに順番が回ってきた。
「いらっしゃいませ!あ」
営業スマイル満点の女性店員さんが、こちらに気づくとスンと真顔になった。
「こんにちは、タマさん」
「ども」
メガネをかけた低血圧な対応をするこの子はタマさん。俺らと同じくオリベマートの住人の一人である。
「うわ、てかどんだけ買ってるんですか」
ガサッと音を立てて置かれた買い物かごを見て、タマさんは聞いてくる。
「もしかして全員集合ですか?」
「はいぃ、なので夜はバーベキューですよ」
「そうですか、こっちは17時上がりなので」
「待ってますねぇ」
「わかりました。一番レジへどうぞ」
隣の支払い機に商品を入れたかごを置くと、タマさんはコロッと笑顔に変わり、
「お待たせしました~!レジ袋はご利用でしょうか?」
と接客モードに戻った。
俺らは会計を済ませて、こっそり入れてくれていた買い物袋に買ったものを詰め込んで、帰り道につく。
「タマさん。切り替えの達人ですね」
「もうプロですねぇ」
娘の成長を見守る親のような感想を述べながら、二人で一つ買い物袋を持って、手を繋いでアパートに帰る。
アパートに着くと、庭の方から話し声が聞こえてきた。
ひょっこりと顔を覗かせてみると、出掛ける時に会ったリコさんと、長い金髪の女性がせっせとバーベキューの準備をしていた。
金髪の女性は、リコさんの方へ向かうと足元にある段ボールを屈んで覗く。
「おいリコ、炭って残ってたっけ?」
「ん?まだあるぞ?」
「はあ!?こんだけじゃたんねぇよ!」
「そうなのか、シンさん、どうする?」
「しょうがねぇなぁ、アタシがちょっくらバイクで買ってくるわ」
立ち上がり振り向き、そこで金髪の女性はこちらに気づく。
「お!祈さんとミネさんじゃん!お疲れさん」
「シンさんこそ、お仕事お疲れ様です」
目の前にいる金髪のヤンキー風の女性はシンさん。
心と書いてシンと読むのだが、ココロさんやココロちゃんと呼ぶと、怒らないが睨んでくる。
「炭が無いみたいだから、アタシひとっ走りして買ってくるよ」
そう言うと、部屋に戻っていった。
「ミネさん、バーベキューするって誰かに話しました?」
「いえ、多分タマさんが皆さんにメッセージを飛ばしたのではないかと」
「なるほど」
ほとんど完成しているバーベキュー会場を見つめ、こちらに満面の笑みを送ってくれるリコさんにお辞儀をして、俺らはミネさんの部屋に向かう。
買い物してきた物を片付けて、壁に寄りかかりながら座る。
「久しぶりに買い込みましたねぇ」
「そうですね~、遠出する手段がお互いにないですもんね~」
肩を寄せあい、ただ静かに座る。
「………私、ここに来て良かったって思います」
「…僕もです」
言葉もなく、目を閉じ、ただ座っている。
それがなんとも言えない幸せだった。
その静寂を破るように、扉がノックされる。
「お二人さーん!そろぼっちタマさんも帰ってくるっすから、本格的に準備をしましょうぜよ~」
「恭さんですね」
「そうですねぇ、はーい、今行きます」
ミネさんは立ち上がり、お尻をパンパンと払うと、こちらに手を伸ばしてきた。
「行きましょう、祈さん」
微笑むその手を取り、立ち上がる。
「はい、行きましょうとも」




