9.パーティでの対決
新緑の宴は正午きっかりに始まった。
パーティにしては珍しい時間に開催されるのは、今日の目的が新緑を楽しみ、季節の恵みに感謝を捧げることにあるからだ。
王城の庭園には色とりどりの花が咲き誇り、青々とした木々が優しく風に揺れる。白亜の噴水は陽光を弾いて輝いていた。
招待客は王城の大広間で立食形式の食事を楽しむもよし、優雅な音楽に合わせてダンスをするもよし、招待客同士で歓談して人脈を広げるもよし。
それぞれが思い思いの時間を過ごしているのを確認してから、私はそっと大広間から抜け出した。今は広大な庭園に移動し、散策する招待客から隠れるようにして過ごしている。
(これだけ人が多ければ、父たちに会わずに済むかもしれないわ)
私はほっと胸を撫で下ろし、周囲に注意しながら移動を続ける。同じ場所にいたら父に見つかってしまうかもしれないし、ついでにローレンツも探さなくてはならない。
計算し尽くされ、完璧に手入れされた庭園はため息をつくほどに素晴らしかった。
けれど、私にとってはあの小さな精霊の森のほうがずっと安らげる。コケケダマや【止まり木】の精霊たちも同じのようで、特にはしゃぐ様子もなく私の髪の中に隠れていた。
(ごめんね。なるべく早く帰るからね)
あまり早々に退散してしまっては失礼に当たるから、夜会に切り替わるタイミングで帰るつもりだった。
少しだけ髪を払って【止まり木】を覗いてみれば、コケケダマがぷくーっとふくれた。飽きたーっと文句を言われているようで、私は噴き出さないようこらえるのに必死だ。
(だ、だからごめんってば……っ)
「――ティア! こんなところにいたのか!」
ぎくりと体がこわばる。
胸が急激に冷えてきて、私はきつく手を握り締めた。小さく息を吸い、顔から表情を消していく。数秒数え、あえてゆっくりと振り向いた。
以前よりも老けた父が、せかせかとこちらに向かって歩いてくる。
「親に挨拶にも来ないとは相変わらず礼儀知らずだな。しかも何だその格好はっ。贈ってやったドレスはどうした!?」
相変わらず、はこちらの台詞だ。
最後に会ったのは祖母の葬儀の時だった。数年ぶりに会う父は、最後に別れた時と少しも変わっていない。
己の『こう在るべき』という信条や常識だけを正義として、私のことなど全く見ていない。ただ己の枠に当てはめようとするだけだ。
私は父を冷たく見据え、ローブの裾をつまんで礼を取る。
「ご存知の通り、こちらは精霊術師の礼服でございます。わたくしは精霊術の特別講師として今回招かれましたので、精霊術師の正装で参るのが筋と判断いたしました」
精霊術師は神聖職であり、国から特別なローブが与えられる。
私が今着ているのは足首まで隠れるほど長い純白のローブで、レースなどの装飾は控えめだが、手の込んだ刺繍がびっしりと施された高価なものだ。
王侯貴族の集うこのパーティでも、決して見劣りするものではない。
「何を、生意気な……っ」
まさか口答えされるとは思わなかったのだろう、父の顔がますます赤くなる。
来い、と乱暴に私の腕をつかんだ。
「お前に紹介せねばならぬお方がいらっしゃる。随分お待たせしてしまったから、しっかりとお詫びするように」
「…………」
そういうことか。
父が私に新品のドレスを贈るだなんておかしいと思っていた。単に伯爵家の体面を重んじるだけならば、姉のお下がりで充分だったのに。
大広間に私を引き連れて戻った父は、一目散に進んでいく。
歓談中の紳士のところに「お待たせいたしました」と愛想よく声を掛ける。
「いや、申し訳ありませんでしたな。王城の庭園のあまりの素晴らしさに、時を忘れておったそうで」
白髪交じりの初老の男は、柔和に目を細めて私を見た。歓談中の相手に断り、こちらへと歩み寄ってくる。
「構いませんとも。想像以上に美しい御息女で驚きました。お近づきになれて光栄です。よろしければ一曲踊っていただけますかな?」
「ティア、こちらはヘルゲ侯爵様だ。昨年奥方様を亡くされたばかりで、大層気落ちしていらっしゃる。お慰めして差し上げなさい」
父がせかせかと告げ、侯爵はさらに笑みを深くした。気落ちしているようには到底思えない。
うやうやしく差し伸べられた手を、私は凍りついたように見下ろす。
……どうしよう。どうしたらいい?
今この場だけ取り繕うべきか、それとも――……
「おやめください、父上。ヘルゲ侯爵様に失礼ですよ」
突然、低く落ち着いた声が割って入った。
はっと呪縛が解かれる。
弾かれたように振り向けば、憎悪に瞳を燃え立たせた青年がこちらを睨み据えていた。
私と同じ、薄紅色の髪と瞳。
「セ――……」
「この場に相応しき装いすらできない人間など、我がイーリック伯爵家の恥となるだけです。侯爵様にご迷惑をおかけする前に、早々に帰らせたほうがよろしいかと思いますが」
名を呼ぼうとした私をさえぎるように、彼は冷ややかに言い放つ。つかつかとこちらに歩み寄り、私の腕を痛いほどきつくつかんだ。
「ま、まあセオドア。一体何を言い出すの」
(お母、様……)
小走りにセオドアを追いかけてきた母が、おろおろとセオドアと父を見比べる。母はひたすら二人の顔色を窺うばかりで、私のことなど見ようとしない。
母と会うのも同じく祖母の葬儀以来だが、双子の弟――セオドアと会うのはいつ振りだろう。
体の弱い彼に長距離の移動は難しく、伯爵家の領地ではなく王都で暮らしていると聞いていた。
(体調は、大丈夫なのかしら……)
ぼんやり考えていたら、セオドアが不快げに眉をひそめた。
「……お前。ドレスではなく、わざわざそんな格好をしてきたのは何のためだ? 父上への当てつけか、それとも己が精霊術師であることを誇示したかったのか。見苦しい奴め」
怒りに声を震わせる彼に、周囲が好奇の視線を向けてくる。
いつの間にやら、近くにいた全員がこちらを注視していた。ひそひそと言葉を交わし、意味ありげに眉を上げて笑い合う。
父の顔色が変わり、セオドアに厳しい目を向けた。
「セオドア、余計な口は挟むな! ヘルゲ侯爵様はな、もったいなくもティアを後妻にと望んでくださっているのだぞ。むろん、わたしはありがたくお受けした」
「なん……っ」
愕然として私は立ち尽くす。
そういう魂胆だろうと思ってはいた。
思ってはいたが、まるで周りに聞かせるような父の大声に目の前が真っ暗になる。
(落ち着け……! 動揺したら父の思う壺よ)
唇を噛み、体の震えを必死で押さえる。
セオドアの手を振り払い、私はまっすぐに父と向かい合った。
「お父様。わたくしは――……っ」
「――駄目だ。彼女は絶対に渡さない」
ふわ、と温かな手が肩に置かれ、私は驚いて息を呑む。
力強い大きな手に、こわばっていた体から我知らず力が抜けていく。恐る恐る振り仰げば、いつかと同じ、強い熱をはらんだ瞳がそこにあった。
(……あ……)
「あいにくと彼女には俺が今求婚中なんだ。横入りしてくるつもりならば、相手が誰であろうと全力で受けて立つ。――どうだ、ヘルゲ侯爵とやら。彼女の愛を得るために、俺と戦う覚悟が貴殿にあるか?」
第三王子ローレンツが、不敵に口の端を上げて微笑んだ。




