39.今年の締めくくり
空は雲ひとつなく、美しく晴れ渡っていた。
まさに一年の最後の日を飾るに相応しい。
「おっはよ、ティア先生っ。早起きだねぇ」
食堂のデッキで空を眺めていたら、ヒルダからぽんと肩を叩かれた。私は笑顔で振り返る。
「そういうヒルダ先生こそ、早いですね? 冬季休暇が始まってからは、毎日昼まで寝ていたじゃありませんか」
「へへ。まあ今年最後の日ぐらいはね」
照れくさそうに笑って、朝食を取るために二人連れ立って食堂へと戻る。
今は寮母さんも休暇中だから、自分たちで食事の用意をせねばならない。手早く卵とソーセージを焼いている間に、ヒルダがパンを切っておいてくれた。昨日のスープの残りも温め直して、テーブルへと運んでいく。
「ティア先生は、何時ごろ王城に向かうの?」
「私はそう急がないんですよ。ローレンツ殿下は、昨日から王城に泊まり込みで大忙しみたいですけど」
「了解〜。じゃあティア先生も一緒にうちに来る?」
パンを飲み込んで、ヒルダが目を輝かせる。
私は少し考え、頷いた。
「……そうですね。もう準備は万端のはずですが、最後の打ち合わせもしたいですし」
「だよねだよね。あ~楽しみっ! 今夜は眠れない夜になりそうっ」
夏季休暇の時と同じく、ヒルダは里帰りせず私と一緒に教師寮に残ってくれていた。
今日は久しぶりに実家に泊まれる上、深夜には年越しの余興、ではなく寿ぎもある。ヒルダは目に見えてうきうきしていた。
朝食の後片付けを終えた私たちは、家中の戸締まりをしっかり確認してから寮を出る。
王都百貨店に向かってヒルダの両親に挨拶をして、今夜の最終確認を行った。彼らもヒルダと同じく頬を上気させて興奮していた。
「いやあ、本当に名誉なことだ! ティアちゃん、オレたちに頼んでくれてありがとうなぁ!」
「ティアちゃ……? あ、いえこちらこそ。お引き受けいただいて助かりました。国王陛下もとてもお喜びでしたよ」
ぺこりと頭を下げて、ヒルダ一家に別れを告げる。次は王城に向かわなくては。
王城に到着した私は、ローレンツに見つからないよう注意してこそこそと裏手へと回る。
職人さんたちと合流し、改めて今夜の流れを確認した。こちらもみんな大張り切りで、親方さんが豪快に笑う。
「派手にぶち上げますからね、盛り上がること間違いなしですよ!」
「ふふ。国王陛下にもそうお伝えしておきますね」
手を振り合って別れて、今度は王城の中へ。想像していたよりもずっと忙しい。
国王陛下との面会を願い出て、執務室で細々した報告を済ませた。陛下は真剣な面持ちで私の話に耳を傾ける。
「ティア、君には本当に世話になったな。礼を言わせてくれ」
「とんでもないです。むしろ、わたくしの願いを聞き届けてくださってありがとうございました。……ところで失礼ですが、ローレンツ殿下には……?」
上目遣いで尋ねれば、陛下はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「ああ、問題ないとも。奴にはどんどん用を申しつけて忙しくさせているからな。何も気づいてはいないはずだ」
「……よかった」
胸を撫で下ろす私を、陛下は鋭く見つめる。私はきょとんとして彼を見返した。
「陛下?」
「ローレンツは――君のお陰で変わったらしい」
慈愛のこもった口調だった。
温かな眼差しを私に向け、頬をゆるめる。
「こんなにも精力的に動くローレンツを見るのは初めてだ。新年の寿ぎは精霊術師の務めだが、いつもは淡々と義務をこなしているだけだったのに。今年は君を喜ばせたいと、国民たちにも楽しんでほしいと、心から願っているのが伝わってくる」
「……教師寮の先生がたや、寮母さんと管理人さんも見ていてくださいますから。楽しみにしているよ、と声を掛けられて、殿下もとても嬉しそうでした」
傍目にはいつもと同じ無表情でも、私にはわかる。
ローレンツの世界は確かに広がり始めているのだ。
(……大丈夫)
性懲りもなくちくりと痛んだ胸を押さえ、私は深呼吸をする。
寂しいとか悲しいとか、今は考えている場合じゃない。自分に言い聞かせて顔を上げ、陛下に暇乞いをした。
「それでは、わたくしはこれで。ローレンツ殿下ともそろそろ合流せねばなりませんので」
「……ああ。頼んだぞ、ティア」
差し出された手を、私はしっかりと握り返した。
国王の執務室を辞して、ローレンツの私室へと向かう。
ローレンツが戻っているかはわからないが、自由に部屋を使って構わないと許可を得ていた。今夜は長丁場になるし、少しでも体を休められたらありがたい。
「――ローレンツ殿下?」
コンコン、と扉をノックする。
返答はなく、私はそっと扉を開いた。中は無人で、私は息をついて大きなソファに腰を下ろす。
(……ん?)
ソファにはやわらかなクッションと毛布が用意されていた。畳まれた毛布の上に、メッセージカードが一枚。
『――薄紅色の姫君へ。鍵を閉め、ゆっくり仮眠を取るといい』
流麗な文字をじっくり眺め、私は苦笑する。
薄紅色の姫君、だなんて久しぶりに聞いた。ローレンツと出会ってまだ一年も経っていないのに、こう呼ばれていたのがもう随分と昔に感じる。
素直に甘えることにして、毛布を広げて横になった。
毛布は体がすっぽりおさまるくらい大きくて、心地よさにあくびが漏れる。今日は早起きしたし、昨夜は期待と緊張でほとんど眠れなかったのだ――……
…………
…………
…………
「…………ア。ティア」
「――っ!?」
はっと目を開ければ、ローレンツの端正な顔が目の前にあった。ローレンツは笑いをこらえて私を見下ろしている。
急激に覚醒して、私はもがくように体を起こした。
「あ……っ、い、今何時で……っ」
「父上はとっくに儀式に入っている。日付けが変わるまで、あと二時間ばかりだな」
ローレンツが手を貸してくれる。
あんまりな失態に恥じ入る私を、ローレンツは嬉しそうに眺めている。
「顔色が良くなっている。心配していたんだ。ここ最近、あなたが何か思いつめている気がして」
優しく私の頭を撫でて、愛おしげに抱き寄せる。
私はうっかり身をゆだねかけ、自然と閉じかけていた目をカッと見開いた。いけないいけない。ローレンツをぞんざいに押しのける。
「もう、こんなことをしている場合ではないでしょう!……いえ、あの、寝坊した私の台詞ではありませんけども」
「寝坊はしていないさ。身支度をする時間なら充分にある。ほら、俺は出ているからあなたも着替えるといい」
渡されたのは、まっさらな精霊術師のローブ。
今日のために国王陛下があつらえてくれたものだ。金の縁取りに花文様の刺繍が美しく、寒さ対策のためかしっかりと厚手の作り。
「見た目より大分暖かい。この上にマントを羽織れば完璧だ」
「毛織りのマント……。ふふ、完全に実用性重視ですね」
くすくす笑って受け取った。
ローレンツもとっくに着替えていて、同じく白地に金の縁取りのローブが眩しかった。直視できないままローレンツは部屋を出てしまい、私は大急ぎで自分のローブに袖を通す。
薄紅色の髪に香油を塗り込んで、コケケダマたちの力を借りて温めた。髪が艶めき、ふわりと良い香りが鼻腔をくすぐる。
「ティア? 入っても構わないか?」
「! はい、どうぞ」
迎え入れたローレンツは、盆を捧げ持っていた。美味しそうなシチューとパン、湯気を立てるお茶が載っていて、「先に腹ごしらえをしよう」といたずらっぽく笑う。
「本番まであと少し。何か腹に入れれば気持ちも落ち着く」
そういえば朝食べたきり、何も口にしていなかった。
急激にお腹がすいてきて、私はいそいそとテーブルの上を片づける。ちらりと柱時計に目をやって、逸る気持ちを押さえた。
もうじき、新しい年が始まる――




