35.精霊シンシア
「先王――つまりわたしの父親は、頭のがちがちに凝り固まった古い体質の男だった。……君の父親と似た人間だった、と表現すればわかりやすいかね?」
国王陛下が肩をすくめ、私に問いかける。
それは……かなり想像しやすい、かも。父との確執を国王陛下に知られていると思うと、なんとなくバツの悪い感じもするが。
無言で頷いて同意する私を見つめ、陛下はほろ苦く笑う。
「この国を統べる王族に、神聖職たる精霊術師がいないのは恥と思い込んでいた。まして王族に精霊術師が皆無なのに、他の貴族に精霊術師が生まれでもしたら目も当てられない。王家の名折れとまで吐き捨てていたよ」
塔の最上階には椅子がない。
国王陛下は窓辺の壁に寄りかかり、訥々と語り続ける。私はテーブルの前につつましく立って、彼の話に耳を傾けた。
「そういった思想を持っていたのは何も父だけじゃない。王家で代々培われてきた、今では古臭く黴の生えてしまったくだらん意地だ。だが少なくとも父は、そうは思っていなかった。守るべき矜持だと胸を張っていて――……実際それを可能にしてしまったのが、王家に伝わる【止まり木】だった」
陛下の視線がテーブル上に投げかけられる。
私は驚き、美しい黄金の砂時計に目をやった。目顔で確かめれば、陛下ははっきりと頷いた。
「本来ならばこれは王城の宝物庫にあるべきものだ。この【止まり木】には、『シンシア』という名の精霊が宿っている」
(シンシア――……)
綺麗な名だ。
おそらくは女性名で、私はまじまじと砂時計を覗き込んだ。『シンシア』の姿はどこにも見えない。眠っているのだろうか。
「シンシアというのは、三代目国王の愛したひとの名だ。王妃となるはずだったが果たされず、病で早逝したらしい。彼はひどく悲しんで、彼女の墓参りをした際に出会った精霊にその名を授けた」
三代目国王は王家としては初めての精霊術師だった。
精霊『シンシア』を生涯にわたって深く愛し、シンシアも決して彼から離れることなく、彼の死後も砂時計の【止まり木】に宿り続けたのだという。
「三代目国王は、死の間際に一番幼い孫娘を指名して【止まり木】を託した。その子に精霊を見る力はなかったが、彼はありったけの魔力を込めて精霊術を発動させたのさ。どうかこの子に精霊を『見る』眼を与えたまえ、とね」
「……っ」
「孫娘は代償と引き換えに力を得た。そして彼女もまたシンシアを生涯愛し抜いた。それからは同じ事の繰り返しだ。晩年になると、王族の中からなるべく幼い子を選んで『力』を与える。そうしてその子もまた――……。いつしか当初の動機は失われ、王族のくだらん見栄を守るための悪しき因習と成り果てた」
(『シンシア』は……)
私はぼんやりと砂時計を眺める。
シンシアは、本当にそんなことを望んでいるのだろうか。
払った代償が何かなど、確かめるまでもなくわかりきっている。世界の色と引き換えに、精霊を見ることに何の意義があるというのか。
国王陛下もきっと同じように考えている。
きつくこぶしを握り、強面の顔をますます怖くした。
「代替わりで王位に就いたわたしは、即座に父に宣言したんだ。わたしの大切な子どもたちは、誰一人として生贄に差し出すつもりはないと。こんな馬鹿げた因習はわたしの代で終わらせる、と」
当然先王は激怒し、二人の口論は絶えなかったという。
先王は時に罵倒し、時に泣き落としで国王陛下を懐柔しようとした。それでも陛下は決して頷かず、いつまで経っても二人の意見は平行線のままだった。
「父の狙いはローレンツだった。ローレンツはまだ幼く、上の二人の王子とは年が離れていたからな。精霊術師は生まれつきの素質なのに、育ち上がってから精霊が見えるようになっては不自然だろう? それに実は、ローレンツには……」
国王陛下が初めて言いよどむ。
虚空を睨み、重いため息をついた。
「――ローレンツには、精霊術師たる素質があった。ほんの幼いころから精霊の気配を感じ取り、精霊に触れることができた。あの子に足りなかったのは、ただ『見る』力だけだ」
(そんな……)
私は絶句し、胸に抱き締めていたコケケダマを見下ろす。
コケケダマは不思議そうに体を傾けた。たとえ見えずとも、精霊術を使うことはできるのだろうか。
恐る恐る尋ねると、陛下は小さく首を横に振る。
「少なくとも、幼いころのローレンツには不可能だった。精霊と人間は言葉を交わせない。触れるだけでは心を通わせることは難しく、ましてあの子はやんちゃ盛りの年頃で……。見えもしない精霊をつかんだり投げたり粗雑に扱って、精霊から完全に嫌われていたらしい。父が忌々しそうに教えてくれた」
陛下は情けなそうに打ち明けるが、私は笑いそうになってしまった。
幼いローレンツには、そんな一面もあったのだ。きっとすごく可愛かったのだろうな、なんて想像して、そんな想像をしてしまう自分に赤面する。
「ローレンツが決して父と二人きりにならぬよう、わたしは心を砕いた。四六時中護衛を張りつかせ、ローレンツが病床の妻を見舞うときは部屋の外で見張らせた。わたし自身は日に何度も宝物庫に入り、砂時計がそこにあるのを確認した。だがわたしの心配をよそに、父はなかなか動こうとしなかった……」
それはきっと、シンシアの【止まり木】がこんな砂時計だったせいもあるかもしれない。
木枠もなくガラスだけで出来た砂時計は、ちょっとした衝撃で壊れてしまいそうなほどに華奢だった。先王は砂時計を動かすのではなく、ローレンツ自身を砂時計のところまで連れていく必要があったのだろう。
そう伝えれば、国王陛下は苦い顔で頷いた。
「それが正解だろうな。それに加え、わたしを油断させる意図もあったのだろう。父はあきらめた振りをして虎視眈々と、チャンスを待っていたのだ――」
ローレンツと国王陛下にとって不幸なことに、それは最悪の形で訪れた。
――ずっと病と闘っていた、ローレンツの母親が亡くなったのである。




