33.ずっとこうしていたい
「わっわっ、怖いです……っ」
「ほら、手を繋ごう。最初はゆっくりで構わないから」
向かい合う形でローレンツが私の両手を取り、後ろ向きにすべり出す。
私は彼に付いていくのに精いっぱいで、ひたすら自分の足元ばかりを見ていた。下手くそな私を笑うように、コケケダマたち精霊がすーっと優雅に氷上をすべって追い越していく。
「うん、その調子だ。背筋をまっすぐ伸ばして。大丈夫だ、俺が支えている」
「こ、こう、ですか?」
おっかなびっくりな私に、ローレンツは辛抱強く教えてくれる。
少しずつ余裕が生まれてきて、片手だけ放してもらい、やがて完全に手放しでも進めるようになった。
慣れてくると夢中になって、一歩一歩を大胆に踏み込んでみる。勢いをつけた分だけ、長くすべっていられるのに気がついた。
「わあ、楽しいです……!」
「よかった。あなたはほぼ南方育ちだと言っていたから、珍しがってくれるかと思ったんだ」
ローレンツが心から嬉しそうに笑う。
私も息を弾ませながらローレンツに微笑み返した。不思議と心が通い合っていく気がする。
満月が昼間のように明るく泉を照らし出していて、まるで夢の中にいるみたいに美しかった。冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。
「見てください、我ながら短時間でずいぶん上達したと思いませんか?」
得意気にくるっと一回転すれば、バランスを崩して体が傾く。
あっと思ったときにはもう、ローレンツの腕の中にいた。
「……っ」
「慣れてきたときが一番危ない。……が、俺には役得だ。どんどん調子に乗ってくれ」
「もう、ふざけてばっかり」
照れ隠しにローレンツの胸を叩き、あかんべえして追い抜いていく。ローレンツが笑って私を追った。
楽しかった。
月明かりの下、終わりのない鬼ごっこで子どもみたいに遊び続ける。時間を忘れ、体がすっかり温まった。
はしゃぎすぎて笑いすぎて、私とローレンツはもう息も絶え絶えだ。
「ああ、もうマントなんかいりません!」
「体が温まっているうちに帰ろうか。汗が冷えたら風邪を引いてしまう」
「……そう、ですね」
名残惜しく頷く私に、ローレンツは優しい眼差しを向ける。
木の根元に脱ぎ捨てていたミトンと耳当てを拾い上げ、「冬はまだ続くさ」と穏やかに告げた。
「それに、来年も再来年も、冬は何度だって巡ってくるからな」
「…………」
(来年……)
一年後の私たちは、またこんなふうに共に時を過ごせるのだろうか。
ローレンツの隣に、まだ私はいるのだろうか。
(……なんて)
いられるわけがないのに。
私は南方のサザランド領地に戻り、ローレンツは王都に残る。それは変わることのない決定事項なのに。
先ほどまでの楽しい気持ちが嘘のようにしぼんで、深い焦燥と悲しみで満ちていく。
ローレンツは帰り道も無言で私の手を取った。私の手もローレンツの手も、どちらも同じぐらい熱かった。
「……今年ももうじき、終わってしまうのですね」
別段答えを求めていたわけじゃない。
独り言のようにぽつりとつぶやけば、ローレンツが頷く気配がした。
「新年の儀の準備も佳境だな。今年はあなたが手伝ってくれるから心強い」
「ふふ、ヒルダ先生も楽しみにしていましたよ。殿下の案、とても素敵だと思います」
前を歩いていたローレンツはかすかに振り返ると、目元をなごませた。
歩調をゆるめて私の隣に並び、「本当は」と内緒話みたいにささやきかける。
「空に架かる大きな虹を出したいと、毎年のように考えているんだ。だが、どう考えたって無理だろう? 新年の儀は必ず真夜中に執り行なわれるのだから」
私は瞬きしてローレンツを見返した。
虹――そういえばローレンツの【止まり木】のモチーフもそれだった。亡くなった王妃様に習いながら、ローレンツが自身で刺繍したのだと話していたっけ。
「虹がお好きなのですか?」
「……どうかな。実は俺自身は見たことがないんだ。半端に途切れた短い虹なら、まだ色のわかっていた子ども時代に見た覚えはあるのだが」
ローレンツが寂しそうな笑みを浮かべた。
ぼんやりと遠くを眺め、言葉を選ぶようにゆっくり打ち明ける。
「病床の母が言っていたんだ。自分はもうじき虹の橋を渡って、この大空へと旅立つのだと。誰もが通る道だから決して悲しむ必要はない、どうか笑って見送ってくれたら嬉しい、と」
「…………」
「ならば、俺が母のために最高の橋を架けようと思った。だが精霊術師でもない俺に、そんな奇跡が起こせるはずもない。べそをかいていたら、真っ白なハンカチを母が俺にくれたのさ。ここにあなたのとびっきりの虹を描きなさい、と言ってくれた」
(精霊術師じゃない……?)
違和感を覚える私に、ローレンツは気づかない。
優しい微笑みは、きっとここではない遥か遠くに向けられている。その横顔に胸を衝かれた。
「虹の刺繍は、母が逝く直前に完成した。これでもう安心だと、なんて立派な橋なんだと、母は大仰なほど喜んでくれた。俺は、心から誇らしかった」
「……お母様は、嬉しかったのですよ。恐怖も寂しさも悲しみも、殿下の美しい虹が癒やしてくれたのだと思います」
幼い息子を残して逝く無念は、いかばかりだったろう。
唇を噛み締める私を、ローレンツはじっと見つめる。頼りなく瞳が揺れ、まるですがるように繋いだ手に力を込めた。
「俺が精霊術師の力を得たのは、母が逝った後の話だ。もう間に合わないと知ってはいても、俺はある晴れた日の朝に精霊術で雨を降らせた。半円を描く見事な虹が空に架かり、王城の使用人たちが歓声を上げた」
けれど、と平坦な声を絞り出す。
「俺には、何の感慨も沸き起こらなかった。その時にはもう、俺の世界からは色が失われていたからだ――」




