32.夜のデートへ
「ピリピリしてますねぇ」
「そりゃあ、そうよ。冬季休暇明けの最後の試験で、進級できるかどうかが決まるんだから」
険しい表情で教科書やノートを覗き込む生徒たちを眺め、ヒルダが肩をすくめた。
昼休みの学生食堂は、驚くほどに静まり返っていた。
みんなまるで一分一秒でも惜しいというように、食事をかき込みながら勉強している。食べ終えた生徒は即座に席を立ち、重そうな書物を抱えそそくさと食堂を出ていった。
「可哀想よねぇ、もうじき楽しい休暇だってのに勉強一色で。そんでせっかく試験が終わったって、結果が出るまでは安心できないしさ。あたしの授業でも、この時期はみんな目の色を変えてるわよ」
「私の授業はいつも通りですね。精霊術の試験は進級には関係ないので、生徒たちには気楽に受けてほしいです」
精霊術の試験勉強が後回しにされるのは目に見えているから、ローレンツと話し合って試験問題は基本的なものだけを出すことにした。普段の授業を真面目に受けていれば、解くのに苦労はしないはずだ。
「いいと思うよー。そもそも精霊術に親しんでもらうのが目的だしね」
ヒルダが伸びをして気楽に笑う。
ちなみに、ここまでの会話は全て小声だ。一生懸命な生徒たちの邪魔はしたくない。
「あたしの研究室に移動しよっか。にしても珍しいよね、殿下が休みだなんてさ」
「王城で新年の儀の打ち合わせだそうです。ああ行きたくない、俺の家は寮なのに、と文句たらたらでしたけど」
今朝のローレンツを思い出してくすりと笑う。
新年の儀、というのはその名の通り、年越しの真夜中に行われる伝統の祭事である。
これから一年間の国の幸福を願い、現国王――つまりはローレンツの父親が国廟で祈りを捧げる。国廟には代々の王家の祖霊が祀られているのだ。
「ローレンツ殿下も当日は大忙しですね。王族の一員として、そして精霊術師としてお役目を全うしなければなりませんから」
「ぶっちゃけ王都民が楽しみにしてるのは、見えない場所での王様のお祈りじゃなくて殿下の余興よね。去年は大雨の中をなが〜い稲光が走って、その前は鳥みたいな形をした大きな炎が王都中を飛び回ってたっけ。今年は何をするのかなぁ」
「余興と言うと語弊が……。精霊術で新年を寿いでいるのですよ」
私は困り顔でヒルダをたしなめた。
この国の伝統なのである。
新年を迎える瞬間には、ここ王都だけでなく全国に点在する精霊術師が、空に向かって思い思いの形で精霊術を放つ。国民たちが真っ暗な中でも見えるようにと、炎や雷を使ったものが多い。
「ね、ね、殿下の余興はもしかしたらあれかもよ?『ティア ケッコン シテクレ』とか空に炎で文字を書いて、公開プロポーズしちゃったり! って想像するだけでむちゃくちゃ寒ッ」
「……やらせませんよ? 余興、ではなく寿ぎは私もお手伝いする予定ですから」
私は冷たくヒルダを睨みつけた。
まさかローレンツもそこまではしないと思うけど。……多分、しない、はずだ……?
私はちょっとだけ赤くなり、こほんと空咳する。
「もう大体の案は固まっていますから、ヒルダ先生も楽しみにしていてくださいね? くれぐれも飲み過ぎて早寝だけはしないように」
「もちろんもちろん! ウチの一家総出で空を見張っとくわ!」
ヒルダが力強く請け負ってくれた。
午後の授業もつつがなく終わり、夕闇が濃くなる中を教師寮へと急ぐ。
日が暮れるにつれて気温もどんどん下がり、ガチガチと歯が鳴りそうなほどに寒かった。距離が近いとはいえ、マフラーも巻いてくるべきだったと後悔する。
ローレンツはもう帰っているだろうか。
そんなことを考えながら玄関をくぐったら、当のローレンツが満面の笑みで出迎えてくれた。
「ティア! お帰り、あなたと会えない一日は拷問のように長く辛くこの身を切り裂くように狂おしく」
「はい。ありがとうございます」
「……で、医者経由で義弟からの手紙を預かってきたわけだが」
「本当ですか!? まあ、ありがとうございます殿下!」
満面の笑みで手紙を受け取れば、ローレンツがわかりやすくむくれた。
こんなやり取りも、いつしか私たちの日常になってしまっている。実はちょっぴり楽しんでいるだなんて、口が裂けても言えないけれど。
「さっそく読んでみますね。……えぇと、あら。この寒さで体調を崩してしまったそうです。明日の面会は、残念ですけれどお休みですね……」
せっかくの週末だったが、仕方ない。
そうと決まればセオドアにお見舞いの手紙を書かなくては。
ため息をつく私を、ローレンツは「待て」を命じられた犬のように黙って眺めている。はっと気がつき、私は慌てて手紙を封筒に戻した。
「ごめんなさい。先に夕食ですよね?」
「ああ。食べたら少し散歩に出ないか? 明日は休みだし、面会もなくなったなら多少夜更かししても構わないだろう」
「え? 夜にお散歩、ですか?」
目を丸くする私に、ローレンツはいたずらっぽく笑う。
「今夜は月が明るい。気温も下がっていておあつらえ向きだ。しっかり厚着して、暖かくして行こう」
「? わかりました」
何がなんだかわからないが、首をひねりつつも了承した。
今ではもう私はローレンツを心から信頼していて、彼が何を企んでいるにせよ、私を喜ばせるためだと知っている。むしろ今度は何を見せてくれるのだろう、とわくわくする気持ちもあった。
気もそぞろに夕食を終え、まだもりもりと食べているヒルダに少し出てくると伝える。隣のローレンツをちらっと見て、ヒルダは「デート?」と私にささやきかけた。
「デッ……! 違います、お散歩ですっ」
「この寒いのにぃ? 言っときますけど殿下、独りよがりな男はモテないわよぉ」
「構わない。俺はこの世界でティアにだけモテればそれでいい。ティアならきっと楽しんでくれる」
澄まして答え、赤面する私をうながし食堂を出ていく。
いったん別れて互いの部屋に戻り、大急ぎで厚手のマントを着込んだ。両手にはミトン、ふわふわの耳当ても付けて、これで夜のデー……ではなく散歩の準備は万端だ。
「お待たせしました」
「さ、行こう。目的地はすぐそこだ」
ローレンツも手袋をしていて、ごく自然に私の手を取った。
手袋越しではローレンツの体温が感じられないが、その分緊張を感じなくて済む。ゆるみそうになる顔を引き締めて、私は素直に彼に手を引かれた。
(……ん? この方角って、もしかして)
毎日通り慣れた道を進み、小さな森を抜けていく。
やがて私の予想通り、月明かりに照らされた精霊の泉に到着した。コケケダマと精霊たちが、大喜びで【止まり木】から飛び出してくる。
「こら、俺の精霊は止まれ。遊ぶのは仕事を終えてからにするんだ」
ローレンツが自身の【止まり木】を広げながら叱りつけた。
虹のハンカチから抜け出そうとしたローレンツの精霊たちが、慌てたみたいに急停止する。なになに?と見上げる彼らに、ローレンツはふっと微笑んだ。
「――我が精霊たちよ。凍てつく吐息を、泉にありったけ吹きかけよ」
刹那、泉が青く輝き出す。
中心からみるみる凍っていき、いくらもかからずに泉全体が凍りついてしまった。私は白い息を吐きながら見守るばかりで、あっけに取られて立ち尽くす。
「ええっ?」
「……うん、問題ないな。完全に凍っている」
氷上に立ったローレンツが、慎重に氷の厚さを確かめる。納得したように頷くと、笑顔で私に手を差し伸べた。
「さあ、ティア。氷すべりをして遊ぼう」




