30.夜の色
セオドアと会えると知って、私は朝から張り切って準備をした。
真っ白な砂糖のかかったドーナツに、出始めのリンゴを使った甘酸っぱいタルト。甘みに飽きたときのためのケーク・サレ。
紅茶は大瓶にたっぷり用意してきて、空のカップも抜かりなく持ってきた。
「さ、茶会の席を作らねばな」
入ってすぐの塔の最下層には、木箱がいくつも重ねて置かれていた。
ローレンツは軽々とそれらを運び、即席の椅子とテーブルを作ってくれる。木箱を二つくっつけて、赤チェックのテーブルクロスを掛ければ場が一気に華やいだ。
私は目を丸くする。
「その、テーブルクロス……」
「これも【止まり木】だな。ほら、精霊が寛いでいるだろう」
テーブルの上をころころ転がる精霊を、ローレンツが気軽につまみ上げる。精霊がもふっと毛をふくらませ、私は思わず噴き出してしまう。
「可愛い。この塔には、随分とたくさんの精霊が棲んでいるのですね」
紅茶をカップに注ぎ、コケケダマに『お願い』をして温め直した。湯気の立つカップをまずローレンツに、それからセオドアの前に置く。
「ああ。とはいっても、ここにいるのはほぼ学院の森出身の精霊だ。切ないと思わないか? せっかく俺の【止まり木】に止まってくれたのに、ここに来たらすぐ離れていってしまう」
「まあ」
どうやらローレンツも私と同じ目に合ったらしい。
これだけ多種多様な【止まり木】であふれていたら、それも仕方ないのかもしれないけれど。精霊術師だった祖母の、故郷にあった秘密部屋を思い出す。
「姉さん。ここはそんなに精霊だらけなの?」
セオドアが興味を惹かれたように尋ねた。
セオドアの目に精霊の姿は映らないが、幼いころから私が何度も話して聞かせていた。だからセオドアも精霊が大好きなのだ。
「そうよ。ああ、そこにカップを置いては駄目。殿下の手から逃げた子が、また楽しそうに転がって遊んでいるわ」
「ふぅん。コケケダマは? いるの?」
目を輝かせて私の薄紅色の髪を見る。
コケケダマが「呼んだ?」と言いたげに、にょっきり顔を覗かせた。
「おいで、コケケ。セオドアが挨拶したいって」
手のひらに載ってもらい、セオドアの目の前に差し出す。
コケケダマは小さな目をいっぱいに開いて、カチカチと愛想良くくちばしを鳴らした。
「こんにちは、コケケダマ。久しぶりだね? 姉さんと変わらず仲良くしてくれてるみたいで、ありがとう」
セオドアは目を凝らすように、手のひらの上の宙を見つめる。コケケダマがぴょんと跳ねた。
「……コケケダマは、本当に特別な精霊だな」
黙ってその光景を眺めていたローレンツが、不意にうなるように言う。
「あなたから一度も離れないのもそうだが、あなたの感情すらも完璧に共有している。普通の精霊ならば、精霊術師でない『見えない』人間相手に、そんなふうに友好的に振る舞うことはあり得ない。あなたが義弟を愛しているからこそ、コケケダマもまた同じ感情を義弟に抱いているのだろう」
「義弟じゃないんですけど」
「実に興味深い。術師にそうまでひたむきな愛情を捧げる精霊は、全くいないわけではないがかなり珍しい」
「聞けよ」
「セオドア、喧嘩を売らないの」
半眼でローレンツを睨む弟をたしなめて、私はまじまじとコケケダマを見る。
コケケダマが特別。そう言われると、我が事のように嬉しくなる。
「褒められちゃったね。コケケ」
深緑色の毛並みにそっと口づけを落とした。
「……羨ましい。俺は今、心の底からコケケダマになりたい」
大真面目に馬鹿なことを言うローレンツに、私は赤面してしまう。
すかさずセオドアが氷のような眼差しをローレンツに向けた。
「よろしいのではないですか? 殿下が精霊になれば僕には見えなくなりますので、万々歳です」
「やはり駄目だな。精霊ではティアと結婚できない」
「人間のままでもできません」
「愛をささやくこともできなくなる」
「ささやいてないですよね、叫んでますよね。姉の迷惑も顧みず、やかましいほどに」
「もう、セオドア。喧嘩してないでお菓子でも食べなさい」
ドーナツを無理やり弟の口に突っ込んで黙らせる。
セオドアは不満顔だったが、それでも素直にドーナツを咀嚼した。ローレンツは相変わらず菓子には一切の興味を示さず、頬杖をついて熱心に私だけを見つめている。
やがて、感極まったようにため息をついた。
「ティアは今日も綺麗だ」
「わかりきったことを言うな。姉さんは毎日毎分毎秒いつだって美しい」
「……二人とも、いい加減にしなさい」
一体これは何の拷問なのだ。
度の過ぎた賛辞に、両耳をふさいで必死に耐える私であった。
◇
セオドアには先に塔を出てもらい、私は時間差で帰ることにした。
ローレンツが馬車までセオドアを送ってくれるのを待つ間、私はもう一度塔を登ってみることにする。長い階段を今度は寄り道せずにひたすら登り、息を弾ませ最上階にたどり着く。
その途端、ぱあっと一気に視界が明るくなった。
大きな窓にはカーテンがなく、眩しい西陽が差し込んで、部屋の中はオレンジ色の輝きに満ちている。
様々な【止まり木】の飾られていた螺旋階段とは違い、がらんとした寂しい空間だった。中央には丸テーブルが一脚あるだけだ。
私は導かれるようにテーブルに歩み寄る。
(……きれい)
卓上には、黄金の砂が満ちた砂時計がぽつんと置かれていた。繊細な作りで、私は落とさないよう慎重に取り上げる。
ひっくり返してテーブルに戻せば、砂がきらきらと光を放ちながら落ちていく。私は言葉を失ってその光景に見惚れた。
(これも【止まり木】なのかしら……?)
薄紅色の髪を揺らして精霊たちの様子を窺うが、彼らは砂時計に全く興味を示さない。どうやらこの様子だと違うらしい。
砂時計の砂がすっかり落ちきるまで見届けて、私は窓辺に移動する。
繁った木々の後ろに威風堂々と建つ王城が見え、窓をいっぱいに開け放った。風が通り抜け、肌寒さを感じて体を抱き締める。――もうじき、冬が来るのだ。
(臨時講師の任も、もう折り返し地点を過ぎてしまった……)
胸がきゅうっと苦しくなって、私は途方に暮れてしまう。
セオドアとまた離れ離れになるのが悲しい。ヒルダやみんなとの、教師寮でのにぎやかな暮らしが終わってしまうのが寂しい。せっかく打ち解けてきた、学院の生徒たちともお別れしなければならない。
(それに――……)
「ティア。ここだったか」
穏やかな声音に、物思いから覚めて振り向いた。
ローレンツが優しく微笑んでいて、私はなぜか赤くなってしまう。
「良い眺めだろう?」
「……はい。時を忘れてしまいそうです」
隣に立ったローレンツが、「寒いな」と眉をひそめた。慌てて窓を閉めようとする私を押しとどめ、上着を脱いで私の肩に掛けてくれる。
「駄目ですよ。殿下だって寒いでしょう?」
「いいや全く。長い階段を駆け上って暑いくらいだ」
汗ひとつかいていない、涼しい顔で言い放つ。
私は思わず噴き出して、素直にローレンツの厚意に甘えることにした。上着の前をかきあわせ、茜色に染まる王城をぼんやり眺める。
「……義弟に」
しばらくして、ローレンツがぽつりとつぶやいた。
私は小さく首を傾げ、ローレンツの言葉の続きを待つ。ローレンツが微笑んだ。
「義弟に、手紙で俺の事情を話してくれたのだろう? 今日会った瞬間、『セオドア・イーリックです』とわざわざ名乗ってくれた。正直、ありがたかった」
嬉しそうに告げるローレンツに、私はぱちぱちと瞬きする。
「……いいえ、私は何も話していません。ですが、あの子は人の気持ちに聡いから。あの日――セオドアのことがわからなかった殿下に、何か察するところがあったのでしょうね」
セオドアは私にすら、あの日のことを問いただそうとしなかった。
セオドアにはちゃんとわかっているのだ。必要なら私が自ら話すはずで、話さないのならば言えない理由があるからだ、ということを。
「そうか……」
ローレンツが驚いたように目をみはり、やがてしみじみと頷いた。
「いい弟だ。あなたを深く信頼しているのだな」
「……はい。本当に、私には過ぎた弟です」
照れながらもきっぱりと言い切る。
ローレンツが優しく目を細め、王城へと視線を移す。どこか寂しそうな横顔に、また少し私の胸が騒いだ。
空には少しずつ夜の色が混じり始めている。
完全に暗くなったなら、私もローレンツと同じ景色が見られるのだろうか。




