29.忘れられた塔
「一体どちらに向かわれているのです?」
「あなたたち姉弟にとって、どこよりも安全なところへ。誰からも忘れ去られた場所だから、わざわざ人払いをする必要も無い」
秘密めかして微笑むと、ローレンツは王城の裏手を迷いのない足取りで進んでいく。
私はただ彼の背中に付いていく。木々がうっそうと繁った小道を抜けて、突然視界がぱっと開けた。
私は茫然として立ち尽くす。
「塔……?」
まるで棒を一本立てただけのような、レンガ造りの素朴な建物だった。陰鬱な灰色で、てっぺんに窓がある以外は飾り気なんて少しもない。
微妙な顔をする私を見て、ローレンツがおかしそうに頬をゆるめる。
「ああ見えて、最上階の景色はなかなかのものだ。王城を背後からじっくり眺められるぞ」
「……それはとっても気になりますけど、でも。あんな高い塔、セオドアは絶対に登れませんよ?」
見上げていると首が痛くなるほどに、高い。
どうしたものかと迷っていると、ローレンツが「百聞は一見に如かずだ」と私に手を差し出した。その手の中には、古びた鍵が握られている。
「中に入って、好きに見物しているといい。時を忘れるほどに面白いものがたくさんある。その間に俺は義弟を連れてこよう」
セオドアは王城の客室で待たせているそうで、ローレンツは今度はセオドアを迎えに行ってくれるらしい。
面白いもの、という言葉につい心惹かれてしまう。ローレンツはイタズラをたくらむ子どものように目を輝かせていて、私もつられて笑ってしまった。
「わかりました。よろしくお願いいたします」
「任された。鍵はそれ一つしかないから、あなたは中から鍵を閉めておいてくれ。俺と義弟が到着したら、合図に五回扉をノックしよう」
手を振り合っていったん別れ、私は小走りに塔へと駆けていく。
どきどきしながら鍵を差し込み、飴色になった木の扉を押した。一見重そうに見えたのに、驚くほどすんなり開く。
「わ……!」
夢見心地で足を踏み入れる。
塔の中はぐるりと螺旋の階段が巡っていて、壁にはレンガで作られた突起が不規則に並び、突起の上には様々なものが置かれていた。難解そうな分厚い書物に、赤ちゃん用の音の鳴るおもちゃ。縁の欠けた陶器のカップに、塗りの剥げた宝石箱。
(これ、もしかして全部……?)
一段一段踏みしめるようにして、慎重に階段を登っていく。
そっと手を伸ばし、レンガの突起に置いてある宝石箱を取り上げた。音を立てないよう優しく開けば、中には深緑色の精霊がみっしりと詰まっていた。
「…………」
私は無言で蓋を閉じる。
もう一度開けてみる。
『〜? 〜?』
なぁに?
何かご用かな?
まるでそう言っているように、宝石箱の精霊がぴょんと飛び出してくる。私の【止まり木】、薄紅色の髪を駆け上がり、くちばしを突っ込んでじゃれついてきた。
私は笑いをこらえてその子を見守る。
やがて気に入ってくれたのか、【止まり木】に溶け込んで眠ってしまった。私は嬉しくなってしまう。
「ありがとう。お引越ししてくれたのね」
『〜! 〜!』
「え? なあに、コケケ?」
気づけばコケケダマがつんつんと私の頬をつついていた。怪訝に思ってコケケダマを見れば、コケケダマが意味ありげに下を見る。
「…………」
宝石箱の中には、容量を無視して二匹の精霊がみっちみちに詰まっていた。今しがたまで私の【止まり木】にいた二匹である。
「……負けたわ」
どうやら彼らにとって、宝石箱の方が魅力的に映ったらしい。
けどまあ、これも仕方がない。
精霊とは自由奔放で、気まぐれに移動していくもの。飽きたら元の住処に戻るだけ、そしてまた気が向いたら遊びに来てくれる。
そんなつれないところもまた、精霊の魅力なのだ。
私はうきうきと階段を登っていく。
色あせた押し花の栞に、どんぐりの笠の部分。つるつるした手触りのいい石に、色紙で作られた指人形。
精霊が宿っているものもあれば、そうでないものもあった。
学院の森から連れてきた精霊たちは、塔の【止まり木】を気に入って出て行ってしまったり、逆に塔の精霊たちが私の【止まり木】に居着いてくれたり。目まぐるしく入れ替わっていく。
『〜! 〜〜!』
コケケダマはご機嫌だ。
去っていく精霊たちを元気に跳ねて見送って、新しく加わった精霊たちには、くちばしで毛づくろいして歓迎してあげる。
コケケダマだけは私から離れたことは一度もない。
誰よりも近しい、私の一番大切なお友達。
「……大好きよ、コケケ」
そっとささやけば、コケケダマが嬉しげに身を震わせた。
――コン コン コン コン コン
(あ……っ)
いけない。
ローレンツとセオドアが到着したのだ。
私は大急ぎで階段を下っていく。気づけば随分高いところまで登っていた。
それでもノックの音は塔を低く反響して、ちゃんと気づくことができてよかった。
「ごめんなさいっ。お待たせしました」
息を弾ませて扉を開けば、久しぶりに会うセオドアの姿がそこにあった。
セオドアは頬を上気させて微笑むと、飛び込むように塔の中に入ってきた。
「姉さん! 久しぶり!」
「セオドア……! 本当に痩せてしまったのね。大丈夫? 夏バテはすっかり良くなったの? どこか苦しいところはない?」
矢継ぎ早に尋ねる私に、セオドアは「大丈夫だってば」とくすぐったそうに笑う。
「ようやく秋らしくなって、食欲も戻ってきたところだからさ。王城のお医者様も、もう問題ないだろうって太鼓判を押してくださったよ。……その節は、本当にありがとうございました。ローレンツ殿下」
ローレンツは閉めた扉に寄りかかって私たちを見守ってくれていた。
セオドアが慇懃に礼を取ると、無表情に肩をすくめる。
「医者のことなら、礼はいらない。義弟を気に掛けるのは兄として当然の務めだからな」
「お医者様だけでなく、今日のこともです。何の関係もない、赤の他人の僕たち姉弟にここまで良くしてくださるなんて。お陰でこうして姉と会えました」
「愛する人の喜ぶ顔が見たい一心だ」
「素晴らしいお心映えです。見返りは一切求めないという意味ですね」
「あわよくば恩を売ってデートしたいと思っている」
「やはりそれが本音かこの野郎」
「……セオドア。言葉遣いが乱れているわ」
どうやらこの二人の仲は相変わらずらしい。
頭痛をこらえ、私は力なく突っ込んだ。




