26.和解
「――ティア先生ぇ、無事っ!? あたしやっぱり心配でたまらなくなって、我慢できずに帰ってきちゃって……って何それ?」
「あら、ヒルダ先生。ご実家に泊まるのはやめられたのですか?」
にぎやかに食堂に入ってきたヒルダを、私は目を丸くして振り返る。そろそろ日が暮れ始めたところで、大きな窓からは西日がさんさんと差し込んでいた。
「いやだってさあ、夜に二人きりだなんてどう考えても危険でしょ? 居ても立ってもいられなくなって、気づいたら飛び出すみたいにして帰ってきちゃったの。……で、それ何やってんの?」
ヒルダは椅子を引くと、私の隣にどっかりと座り込んだ。ちなみに向かいの席にはローレンツが、忍耐の表情で唇を引き結んでいる。
ローレンツの視線は、テーブルの真上で舞う小型の竜巻に釘付けだ。竜巻はキュルキュルと音を立て、目まぐるしく回転を続けている。
「何それ? 何それ? 中で何かめっちゃいっぱい回ってるけど。薄茶色の……これはビスケット?」
「はい、正解です」
私は澄まして肯定して、竜巻の回転速度をさらに上げていく。ああっ、とローレンツが悲痛な叫び声を上げた。
「ティア、頼むからもうその辺で。充分汚れは取れたと思うっ」
「まだです。一度地面に落としてしまったんですもの、本来なら処分しなくてはならないんですよ? それを殿下が、絶対に食べると言ってきかないから」
「当然だ! あなたからの初めてのプレゼントなのに!」
「ならばせめて汚れは取らないと」
「ああっだが、だが……! 猫の耳が取れ、ああひよこのくちばしまで!」
「もはや単なるビスケットになってない?」
ヒルダが控えめに突っ込んだ。
確かにこれ以上やると粉々になってしまいそうだ。
そろそろ勘弁してあげることにして、私は竜巻の下に大きな白い皿を用意する。風の精霊術の発動を止めれば、無残に砕けた動物ビスケットがばらばらと皿の上に着地した。
「ああ……なんという変わり果てた姿に……!」
目を潤ませるローレンツを横目に台所に立ち、鼻歌交じりでお茶を淹れる。
ヒルダの分も用意して、お茶請けが落としたビスケットではあんまりだから、買い置きのクッキーも添えておく。ヒルダがわぁいと喜んだ。
「ちょうど小腹がすいてて、夕飯までもたないと思ってたのよね〜。……ねえ、その砕けたビスケットもちょっとだけ味見させなさいよ」
沈痛な面持ちでビスケットを悼んでいたローレンツが、ギッとヒルダを睨みつける。
「駄目だ! これは全て俺のものだ!」
「そうですよ、ヒルダ先生。お腹でも壊したらどうするのです」
物欲しそうな彼女をたしなめてから、「殿下もですよ」と厳しく付け足した。
大急ぎでビスケットを口に詰め込みながら、ローレンツが首をひねる。何が?と問うているようで、私は聞こえよがしにため息をついた。
「寝込むことになったとしても、私は絶対に看病なんかしませんからね?」
「……嘘だ。優しいあなたなら、苦しむ俺を放っておけるはずがない」
ビスケットを飲み下し、ローレンツが自信たっぷりに胸を張った。私はむっと目を吊り上げる。
「しません!」
「いいや、してくれる」
「しないって言ってるじゃないですかっ」
「ねえねえ!? なんか二人、一気に親密度が増してない!? あたしがいない間に何があったワケ!?」
ヒルダが大声を上げて割り込んだ。
私は息を呑み、動揺して真っ赤になった。ローレンツはふふんと鼻で笑って、残りのビスケットを全て口に入れてしまう。
ほっぺたを膨らませてハムスターのように咀嚼する彼に、当然答えることなどできるはずもなく。
ヒルダの視線が私に移り、私はしどろもどろになってしまう。
「し、親密というか。こ、これはつまり……俗に言う、あれです」
「どれよ」
「……腹を割って話した、というやつです」
疑わしげなヒルダから大急ぎで目を逸らし、空になった大皿を回収する。
台所に逃げて、すっかり熱くなった頬をぱたぱたと手であおいで冷ました。コケケダマが「出番かな?」とでも言うように私の頭の上で跳ねる。
「あ、ありがとう。でも、さっきの竜巻だけで充分よコケケ」
はあっとため息をつき、食堂へと戻った。仲の悪い二人だけを、あまり長時間残しておくのはよろしくない。
(……ん?)
さっきまでとは逆に、今度は血の気が引いていく。
椅子から立ち上がったローレンツとヒルダが、無言で睨み合っていたのだ。
「ど、どうし……っ」
慌てて二人の間に割り込もうとしたら、ローレンツが先に動いた。
長身をすっと折り、ヒルダに向かって深々と頭を下げる。
「ティアから話は全て聞いた。――申し訳ない。心から謝罪する」
「……何のつもり?」
腕組みをしたヒルダが、冷たくローレンツに問い返した。ローレンツはきちんと顔を上げると、「学院で火魔術が暴走した折の話だ」と淡々と付け足す。
「俺が駆けつけて火を消した後――周りの生徒の騒ぐ声であらかたの事情は知れた。どうやら喧嘩が原因らしいが、泣いている生徒が一人いるだけで怪我も大したことはなさそうだ。……そう判断して、俺はあの場を立ち去った」
「はああ? 何よそれ、アンタ目でも悪いわけ? あの子の手、あんなに真っ赤になってたのに!」
「ヒルダ先生っ!」
私は弾かれたようにヒルダに駆け寄った。
彼女の腕を取り、おろおろと首を横に振る。ヒルダが怪訝そうに眉をひそめた。
「なに……?」
「――その通りだ。俺は目が悪い」
ヒルダの目を見て、ローレンツがきっぱりと言い切った。ヒルダは虚を突かれたように立ち尽くす。
「俺には、色がわからない。ある時期を境に急にそうなった。ほんの一部を除いた全てから、色が喪われてしまったんだ。……それ以来俺は、黒白に支配された世界の中で生きている」
ヒルダが助けを求めるように私を振り仰ぐ。
私は無言で彼女に頷きかけた。ローレンツに目顔で許可を求めてから、ぽつぽつと小さな声で説明する。
「……殿下にとって色づいて見えるのは、精霊と【止まり木】だけなのだそうです。だから殿下には、私の髪の色がわかっても、やけどの赤はわからなかった。火がちゃんと消えたのかも、何もわからなかったのです……」
「そんな……っ」
大きな目を、信じられない、と言わんばかりにヒルダが見開いた。
ローレンツは硬い表情でヒルダを見つめている。ヒルダは混乱した様子で、ぐしゃぐしゃと己の頭を掻きむしった。
ややあって、得心したように長く重苦しい息をつく。
「……なるほどねぇ。だから最初っから、ティア先生にご執心だったわけか」
どきっと心臓が跳ねる。
即座にローレンツが、不快げに眉を跳ね上げた。
「勘違いしないでくれ。きっかけがそれだというだけで、俺は心から彼女を」
「ああ、いーですいーです。だって、それを証明しなきゃいけない相手はあたしじゃないでしょ?」
あっさりとさえぎって、ヒルダは力なく手を振る。
そっかぁ、と噛み締めるようにつぶやき、情けなそうに苦笑する。
「ごめんなさいっ!」
突然勢いよく頭を下げて、今度はヒルダがローレンツに謝罪した。
「……?」
「あたし、殿下はなんてひどい人間なんだろうって軽蔑してました。だけど、誤解だったのね。事情は人それぞれなのに、理由を聞こうともしないで、あたしずっと決めつけてた。教師失格です」
悔いるように唇を噛むヒルダに、ローレンツが驚いた様子で目をみはる。
「いや……、俺は」
「ええ、まあ話せないですよね。話してもらったところで、当時のあたしが信じたかって聞かれたら自信ないし。……てなわけで、お互い非を認めて謝ったことですし。これで手打ちにしませんか?」
いたずらっぽく告げて、ヒルダがローレンツに手を差し伸べた。
ローレンツは無言でヒルダの手を見つめ、迷子の子どものような不安げな顔で私を見る。私は苦笑し、ローレンツをうながした。
「仲直り、してください」
「……承知した」
こくりと頷き、素直にヒルダの手を取る。
二人はしっかりと握手を交わし、ヒルダは晴れ晴れとした表情でローレンツの手を放り投げた。
「ああスッキリした!……ってことで言っときますけど、あたしはやっぱり二人が付き合うのは反対ですからねっ。同じ職場に就職したり同居しようと乗り込んできたり、ぐいぐい来すぎて正直引くわ。ストーカーは犯罪なのよ、ちゃんとわかってるよねティア先生!?」
「は、はいっ」
「いい返事。じゃあ外に夕飯食べに行こっか! あ、ちなみにおジャマ殿下はお留守番で」
「なぜだ! 邪魔なのは断じて俺ではない!」
「あたしでもないわよ!」
二人は目を吊り上げ、わあわあ罵り合う。
どうやら仲良くなるにはもう少し時間がかかりそうである。とほほと肩を落とす私であった。




