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23.ヒルダと休日を

 五階建ての巨大な建物は、下から見上げると圧倒されるほどに高かった。

 私は田舎者よろしく目を丸くして見入るばかりで、隣に立つヒルダがくすりと笑いをこぼす。


「ティア先生ってば、まさか初めてだなんてねぇ。あたしが言うのも何だけど、王都観光といえばまずここじゃない?」


「……だって、田舎者には敷居が高くって。これまで一度だって入ったことはなかったんです」


 お洒落で洗練された建物から目を逸らすことなく、私は夢見心地で答えた。


 王都の中心部に位置する百貨店である。

 食料品に雑貨、服飾品にそして家具まで、ここに来れば揃わぬものはないと言われている。


 王都には何度も来たことはあるし、百貨店の存在だってちゃんと知っていた。

 けれど店員どころか出入りする客まで全員があか抜けていて、とてもじゃないが私一人で入る勇気はなかったのだ。どんな格好をしていけばいいかすらわからない。


 小声でそう白状すれば、ヒルダが楽しそうに声を上げて笑い出す。


「やだなぁ、ドレスコードなんてないってば。もっと気楽に遊びに来てよ、お客さんっ」


 さあさあ、と私の手を引いてくれた。


「無理に買わなくたっていいのよ。商品を眺めて手に取って、楽しんでくれるだけでも充分なの。どこでも案内するよ、まずは何が見たい?」


「あ、ではお菓子が見たいです。ヒルダ先生のご家族にお渡しする、手土産が欲しいので」


「真面目か! んもう、手ぶらでいいんだってば」


 ヒルダに叱られつつ、大きな入り口をくぐって中に入る。

 天井が高くて照明も贅沢に使ってある。開放感にあふれていて、気持ちがうきうきと弾んでくる。


「すごいです。ヒルダ先生のご実家が商店を経営されているとは伺っていましたが、まさかこの王都百貨店だったなんて。本当に素敵です」


「娘のあたしは、魔術師なんて全然畑違いの職に就いちゃったけどね。まあ平気よ、兄もいるし後継には困らないわ」


 朗らかに言って、「こっちよ」と元気いっぱいに先導してくれた。そこかしこから「お嬢様」「いらっしゃいませ」と嬉しげな声が聞こえてくる。


 私は感嘆のため息をついた。


「お菓子だけで、こんなにたくさんの種類があるなんて……! 目移りしてしまいますね」


「見た目も()ってるものが多いでしょ? 何せこの百貨店は王都の流行の最先端だからね」


 芸術品のようなケーキに、表面がつやつやと輝くチョコレート。

 熱心に一つずつ見比べる私を、ヒルダは微笑ましそうに見守ってくれていた。「そうだ」と思いついたように手を叩く。


「日持ちのするお菓子もあるのよ。弟さんにも買ってあげたら、むぐっ」


 私は慌ててヒルダの口をふさいだ。

 庭師に(ふん)したセオドアと会ったヒルダは、彼が私の血縁だとすぐさま看破してしまったのだ。もちろん、重々口止めはしておいたのだが。


「……ヒルダ先生。ざっくりとだけお伝えしたように、弟と私の関係性は複雑なのです。対外的には不仲ということになっていますので、どうぞよろしくお願いします」


「お、おう。そうでした」


 店の片隅に引っ張って、小声ですごめばヒルダは目を白黒させて頷いた。申し訳ないが私も必死なのである。


 お菓子売り場に戻り、改めて手土産の選定に取り掛かった。

 今日はこれから、ヒルダの実家に泊まりで遊びに行くのだ。ご迷惑でしょうと散々遠慮したものの、最後にはいつもの泣き落とし作戦に負けてしまった。


「ヒルダ先生のご家族は、どんなお菓子がお好きなのですか?」


「何でもみんな馬のように食べるよ。大食いの家系なんだわ」


「……なるほど。では量が必要ですね」


 普段のヒルダの食べっぷりを思い出し、私は深く納得する。

 結局、甘いものから塩気のあるものまで数種類選んで包んでもらった。百貨店の刻印が入った紙袋は洒落ていて、私はなんだか感動してしまう。


「これを持って歩くだけで、私も都会人になれたような気がします……!」


「あはは、大げさ〜。でもそれを聞いたらうちの親も喜ぶよ」


 それから上階に移動して、おしゃべりしながら服や小物を眺める。小ぶりの花瓶が気に入った私は自分用に購入した。花を飾れば教師寮の自室がさらに明るくなるはずだ。


「――さてと。買い物も済んだみたいだし、そろそろうちに行こっか?」


「ええ。……あ。もう一度、一階のお菓子売り場に寄ってもいいですか?」


 ふと思いつき、私はヒルダを連れて最初の店へと戻る。ヒルダは「買い忘れ?」と不思議そうな顔をした。


「ローレンツ殿下に、何かお礼をしなくてはとずっと考えていたんです。何度も助けていただいたし、教師補佐としてこれからもお世話になりますし」


 それに何より、セオドアのことだ。

 王都だとやはり人目が気になるので、面会には王城の客室を提供してもらえることになった。そこまで甘えていいものかと悩んだが、背に腹は代えられない。


「ふぅん。でもあの王子、お菓子に興味ないんじゃない? この間のアイスにだって見向きもしなかったじゃない」


「食の全般に興味がないようなんですが、まあ気持ちですから」


 曖昧に言葉を濁し、色鮮やかでいかにも美味しそうなお菓子の前を素通りする。

 端のほうに置いてあるビスケットの前で足を止め、じっと見つめて考え込んだ。


「それ? 子ども用だよ?」


 一緒になって覗き込むヒルダに、私は小さく首を横に振る。


「でも、形がいろいろあって可愛いです。動物モチーフなんですね」


 犬や猫、鳥や豚といった身近な動物に加え、図鑑でしか見たことのない象やライオンまでいる。

 形以外は本当に素朴な、ありふれたビスケット。すぐに心が決まった。


「これをお願いします」


 ありがとうございました、という華やかな声に見送られ百貨店を出る。

 名残惜しく振り返り、いつかセオドアとも来てみたい、と強くそう思った。きっと、そんな未来は訪れないだろうけど。


 辻馬車を拾ってヒルダの実家に向かい、私はご家族から大歓迎を受けた。

 手土産のお菓子を見て「うちの商品だ!」と喜び、「まいどあり!」とお礼を言われ、「うちの百貨店はどうだった!?」と感想を求められ。渡したお菓子はあっという間に完食してしまうし、夕食は豪華だし量もとんでもないし、ヒルダ一家は食べながらも全員がにぎやかにしゃべり続けるし。


 私は笑いっぱなしで、初めて同僚の家を訪ねる緊張する場面のはずなのに、とても自然体で過ごすことができた。

 入浴も済ませて後は寝るだけとなり、私とヒルダは部屋へ移動する。


「客室じゃなくてごめんねぇ。せっかくのお泊まり会だし、別々じゃ寂しいかなって思ってさ。あたしの部屋に簡易ベッドを運んでもらったの」


「全然。むしろ嬉しいです」


 ベッドに腰掛け、私はほうっとため息をついた。

 今日は本当に掛け値なく楽しい一日で、子どもみたいにはしゃぎっぱなしだった。――それこそ、一人で教師寮に残るローレンツに申し訳なくなるぐらい。


 枕を抱き締めたヒルダが顔をしかめる。


「ほんっと、こんな時ぐらい王城に帰ればいいのにね。帰らないのか聞いたら、『なぜ?』って心底不思議そうに聞き返されたわ。どうせすぐ教師寮に戻るのだから無意味だろう、ですって」


 あ〜あ、本当に無気力人間なんだから。


 あきれたように告げ、枕を投げ捨てて横になった。

 もう寝る体勢なのかもしれないが、私は黙って立ち上がる。ヒルダの側に歩み寄り、「お願いがあります」と深く頭を下げた。


「――ヒルダ先生がかつて目撃した、ローレンツ殿下の過去を、もう一度詳しく教えていただきたいんです」


 ヒルダが目を丸くして起き上がる。

 絶句する彼女に、私は懸命に言葉を絞り出した。


「お願いします。きっと私にとって、必要なことだから。私はローレンツ殿下を、あのかたのことを、もっとちゃんと知りたいんです――」

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