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19.心弾むひととき

 昼休み、私は小走りで精霊の森へと急ぐ。

 ローレンツはもう先に向かっているはずだ。私は一度ヒルダの研究室に寄って、今日はローレンツと昼食を取ると打ち明けた。


『えっ大丈夫? 人目のあるところの方がいいんじゃない?』


『でも、食堂だと目立ちすぎますから。それにその、二人きりだからといって無体を働くようなかたじゃありませんし……』


 心配するヒルダに、私はちょっと赤くなりながら弁解した。

 ローレンツは確かに積極的だが、私の嫌がることはしないはずだ。思いやりのある紳士的なひとだから。


(あ、いた……!)


 森の中にある、小さな精霊の泉である。


 ローレンツは大きな木の根元に寄りかかっていて、私に気づくとぱっと顔を輝かせた。


「どうぞ。姫君……ではなくティア」


 木陰にいそいそとハンカチを敷いてくれる。ただし、もちろんこれはローレンツの【止まり木】とは別のものだ。


「ありがとうございます。お邪魔します」


 座りながら、物欲しげにローレンツのカバンを見てしまう。

 ローレンツは苦笑すると、「まずは食事にしよう」とバスケットからパンやチーズ、瓶詰めのサーディンに果物を取り出した。


「用意していただいてすみません」


「構わない。何せ俺は学院掃除夫にして、雑用係にして教師補佐にして教師寮管理人代行だからな」


「大忙しですね」


 我慢できずに少し笑ってしまう。


 そんなわけで、まずは食事を取ることに専念した。

 ローレンツは昨夜と同じくさっさと完食し、私が食べ終わるのを待ってくれている。温かな眼差しで見守られ、なんだか気持ちが落ち着かない。


「殿下は先にデザートのオレンジを召し上がっていていいですよ? 綺麗に色づいていて美味しそう」


「……ああ。そうだな」


 ローレンツは瞬きすると、小さなナイフで器用にオレンジの皮を剥き始めた。

 やがて私も食べ終わり、ローレンツの切ってくれたオレンジに手を伸ばす。


 コケケダマと精霊たちは【止まり木】から飛び出して泉で遊んでいた。

 ほわりほわりと跳ねる彼らを眺めているだけで、心が温かく満たされていく。


「……幸せだ。いつまでだってあなたとこうしていたい」


 独り言のようにつぶやくローレンツに、どきりと心臓が跳ねる。

 頬が一気に熱くなり、私は聞こえない振りをして立ち上がった。泉で少しだけコケケダマたちと戯れてから、木陰のローレンツの元へと戻る。


「どうぞ。授業計画書だ」


 ローレンツから手渡されたそれを、はやる気持ちを抑えて覗き込んだ。まずは熟読せず、さらさらとページをめくっていく。


「……余裕のある進め方ですね。教科書を全ては解説しない感じですか?」


「そう。授業では要所要所に絞って深掘りする方がいい。それ以外は個人で教科書を読めば済む話だからな。何せ魔術学院の生徒たちは優秀だ」


 なるほど。


 私は計画書にじっくりと目を通し、深く頷いた。

 これならば駆け足で説明せずに済むし、授業終わりには毎回質疑応答の時間も取れそうだ。今までの自分の授業を振り返り、あまりの余裕のなさに赤面する思いだった。


「ありがとうございます、とても参考になりそうです。……その、よろしければこちらの計画書を」


「無論、あなたに差し上げよう。ちなみに今、授業はどこまで進んでいる? 俺も手伝うから、これから毎回計画書を微調整していかなくてはな」


 ローレンツの申し出を、私はありがたく受けることにする。

 二人で喧々諤々と議論しながら、ノートの計画に細かく付け足していく。打てば響くようなローレンツに、私はいつしか頼もしさを感じ始めていた。


 じっとローレンツを見つめてしまい、気づいたローレンツがふわりと微笑んだ。私はまた赤くなり、大急ぎでノートに目を落とす。


「……あなたは、生涯独身を貫くと言っていたな」


 ローレンツの言葉に、ぎくりと肩が跳ねた。

 恐る恐る彼を窺えば、茶化しているふうでもなく真剣な眼差しをしていた。下手にごまかすのは失礼な気がして、私は小さくため息をつく。


「そうとでも言っておかねば、縁談が次々に舞い込んでくるのです。祖母が生きている間はまだよかったのですが、亡くなった途端に叔父が私を心配して、縁談を整えようと躍起(やっき)になって……」


 私は母方の祖母の家、南方のサザランド領地で育った。

 現領主は母の弟で、姪であり精霊術師でもある私のことを大切に可愛がってくれた。が、叔父は女の幸せは結婚にあると信じて疑わず、私の父と違って純粋な好意から私に結婚を急かした。


「それでまあ、常に気を張って、可愛気のない女であろうとし続けたわけです。といっても全くの嘘ではありませんよ? 私にとって大切なのは精霊で、彼らと共にあるのが一番の幸せなんです。世間体だとか女だからとか、そんな一般常識なんて私には関係なかった……」


 コケケダマがすり、と身を寄せてくる。

 これが実体を持つ動物であれば、ふわふわな毛並みと温かみを感じられたことだろう。

 あるかなきかの感触は、私に彼らとの存在の遠さを思い知らさせる。それでも確かに私たちは触れ合っていて、よりいっそう愛しさも増していくのだ。


「――あなたと俺は似ているな」


 やがて、ローレンツがぽつりとこぼした。

 目を細めた彼は、私ではなくどこか遠くを見つめている。


「精霊を愛し、精霊を心の支えとする。己の世界に精霊がいるならば、他には何もいらないとすら思える――」


 だが、とローレンツが不意に私の手を握る。

 ローレンツの視線がしっかりと私をとらえた。藍の瞳が熱を帯びていく。


「精霊と【止まり木】しかなかった俺の世界に、あなたは鮮やかに現れた。俺も、あなたにとってそうありたい。俺と同じ熱量でなくとも構わないんだ。あなたの世界のほんの片隅に、どうか俺も置いてほしい」


「ローレンツ殿下……」


 繋いだ手がひどく熱い。


 ローレンツは精霊じゃない。

 確かに触れ合って、互いに温もりを分け合える存在なのだ。


(どうして、こんな当たり前のこと……)


 今ごろになってやっと、気づいてしまったんだろう――……

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