18.改めての自己紹介
結論から言うと、今回もまた負けてしまった。
早朝、教師寮に到着した私は絶句した。
キラキラとさわやかに微笑むローレンツから、当然のように出迎えられたのだ。
ローレンツは馬車の中から私の荷物を軽々と運び出すと、茫然とする私を置いて寮の中に入ってしまった。私も慌てて手ぶらで彼を追いかける。
「――って、なんですかこれっ!?」
部屋の中は盛大に様変わりしていた。
年季の入った机や本棚などの家具はすべて白木の真新しいものに、そしてカーテンも品のいい白色のものに新調されていた。ベッドの寝具は見るからに寝心地が良さそうで、今朝までいた高級宿にも引けを取らない。
「老朽化に伴う家具の総入れ替えだ。あなたと俺の部屋だけでは顰蹙を買う恐れがあるから、全部屋に同程度のものを入れさせた。寮の外壁と庭木に関しては追々な」
「…………」
よかった。
私の部屋だけじゃなくて本当によかった。新人の分際で何様だと思われるところだった……。
ローレンツにしては珍しく気が利いている。
安堵する私を、ローレンツは嬉しげに振り返った。
「どうだろう? これで居心地良く住めそうだろうか?」
(う……っ)
すごいでしょ、褒めて褒めて。とその目が言っている。
またも、ぶんぶん振るしっぽの幻まで見えてきた。
ローレンツの頭を撫でようと無意識に手が伸びかけて、私ははっと我に返る。
いけない、私はローレンツと適切な距離を守らねばならないのだ。これは大型犬でも弟でもなく、れっきとした成人男子なのだから。
「……ええ、まあ。他の皆様と同じ待遇ということでしたら、わたくしとしても特に否やはございません」
「よかった!」
素っ気なく答えるのに、ローレンツは大喜びだった。
私はため息をついて【止まり木】を揺らし、コケケダマと精霊たちに呼びかける。
「みんな、新しい滞在先よ。今日からここが私たちのおうちだからね?」
コケケダマたちはくちばしだけを出して周囲を確認し、すぐに【止まり木】の中に戻ってしまった。やはり精霊たちにとってはどうでもいいことらしい。
ローレンツがくくっと笑う。
「【止まり木】以外の人造物には興味を抱かないのが精霊だからな」
「そうですね。ですがまあ、一応紹介だけ」
ひとまず大荷物は部屋の隅に寄せておき、学院に出勤することにした。片付けは夜まで持ち越しだ。
「ちなみに俺の部屋はこの真上だ。ちょうど部屋が余っていたらしく、学院長は俺が住むことを快諾してくれた」
「嘘つけっ。設備の一新を条件にちらつかせて、無理やりねじ込んだって聞いてるわよ!」
「あ、おはようございますヒルダ先生」
今日も元気に寝癖を跳ねさせたヒルダが、右隣の部屋から出てきてローレンツを睨みつける。
それから私へと視線を移し、「おはよお!」と一転して朗らかに声を上げた。
「ねえ見た、ねえ見た!? 部屋めちゃくちゃ素敵よね、昨日帰ったらこうなってたの! ベッドのあまりの寝心地の良さに、今朝は思いっきり寝坊しちゃったわよっ」
大はしゃぎして腕に抱き着いてくる。
「出資元には腹立つけどさぁ、部屋に罪はないからね! 長かったわ……! 教師寮のみんなでずっとず〜っと要望出してたのに、予算が予算がって後回しにされてたんだから」
「そ、それは何よりです」
「ティア先生のお陰だよ! 今夜はみんなで歓迎会だからねっ」
「料理の手配はこの管理人代行に任せてくれ」
「また役職が増えてません?」
にぎやかに騒ぎつつ階下に降りる。
ヒルダは朝食がまだらしく、私とローレンツだけ先に出勤することになった。
途中で他の部屋からも先生方が飛び出してきて、慌ただしく挨拶しながら食堂に駆け込んでいく。どうやら今朝はお寝坊さんが続出らしい。
外に出て学院の校舎が見えてきたところで、不意にローレンツが足を止めた。
「今日の昼食を一緒にどうだろうか、薄紅色の姫君よ」
「えっと……」
返答に詰まる私を、ローレンツは根気強く待ち続ける。
ややあって、手にしていたカバンから無言でノートを取り出した。これ見よがしにひらひらと振ってみせる。
「授業計画書だ」
「ご一緒させていただきます」
まんまと釣られてしまった。
ローレンツが以前話していた、精霊術の授業計画書である。ぜひ見せてもらって、今後の仕事の参考にしたい……。
己の欲に勝てなかった私は、内心で悔しがりつつも若干あきらめ始めてもいた。悔しいがそろそろ認めよう。ローレンツの方が、今のところ私よりも一枚上手なのだ。
(でも、今後は絶対に負けない)
決意も新たにローレンツを見上げれば、ローレンツが頬を染めた。姫君は今日も美しい、だなんて歯の浮くような台詞を並べ立てる。
「……あの。そろそろそれ、やめません?」
私はきゅっと彼を睨みつけた。
「それ?」
「薄紅色の姫君……とかいう大げさな呼び名、です。私の名など、もうとっくの昔にご存じではありませんか。私の身辺調査をしたとパーティの帰りにおっしゃっていたし、ヒルダ先生だって普通に私の名を呼んでいるし」
薄紅色の姫君、だなんて改めて自分で言葉にしてみると、相当に恥ずかしくて早口になってしまった。
ふてくされる私に、ローレンツは目をしばたたかせる。
じっと私を見つめ、困ったみたいに微笑んだ。
「知ってはいたが、俺は未だあなたから一度も名乗ってもらってはいない。……だから勝手に呼ぶのはマナー違反かと思い、これまで自重していた」
(あ……っ)
そういえば、そうだったかもしれない。
あなたなんかに名乗る名はない、とか啖呵を切った気もする。
さすがにバツが悪くなって、頬がますます熱くなる。
「そ、れは……悪かったと思っています、けど」
「謝らないでくれ。俺が性急すぎたんだ」
くすりと笑うと、ローレンツはきちんと居住まいを正した。
私に向かってひざまずき、流れるように手を差し伸べる。
「俺の名はローレンツ・エステリア。どうかあなたの名をお教え願えないだろうか?」
真摯でまっすぐな言葉に、私はためらいながらもローレンツの手を取った。
軽く引いてみれば、ローレンツはすぐに察して立ち上がってくれる。
潤んだ瞳を向ける彼から、私は気恥ずかしく目を逸らした。
「……ティア・イーリックと申します。どうぞティア、とお呼びください」
「ティア――」
まるで花が咲くように、ローレンツの顔がほころんだ。
繋いだ手に力を込めて、ローレンツが噛み締めるようにして私の名を呼ぶ。
「ティア」
「……はい」
「俺と結婚してくれ」
「えっ嫌ですけど」
またも反射的に振ってしまった。
……というか、ついさっき「性急すぎた」と反省したばかりでしょうに。
全く懲りないローレンツにあきれる私であった。