表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/44

16.虹の【止まり木】

 気づけば夜になっていて、今日はこれでお開きということになった。

 不満顔のヒルダにお休みなさいの挨拶をして、ローレンツと共に教師寮を出る。ちなみに管理人さんの姿は一度も見かけなかった。


「防犯面もとても心配だ。だが安心してほしい、俺が必ずやあなたを守り抜こう」


「ご心配なく。魔術学院の教師寮ですよ? 魔術の達人が勢揃いしている場所に、わざわざ泥棒が来るわけないでしょう」


「油断大敵というからな」


 どうやらローレンツは本気で入寮するつもりらしい。

 私は説得をあきらめ、明日の学院長に全てを丸投げすることにした。学院長の胃の健康を願うばかりだ。


「夕食を取って帰ろう。ご馳走させてくれ」


「嫌です」


 反射的に断ってしまい、ローレンツがあからさまにしょんぼりした。捨てられた子犬のような目でじっと見つめられ、私は思わずたじたじになってしまう。


「違っ……! 嫌というのはご馳走されるのが、という意味であって、その、自分の分は自分で出します、という意味であって」


「ならば了承してくれるのだな」


 ローレンツは一転して上機嫌になり、潤んでいた目もあっという間に乾いてしまう。……もしや今のは演技だった?


 疑わしくローレンツを見れば、ローレンツはちょっとだけバツが悪そうに目を逸らした。「さあ行こう」とエプロンを外して歩き出す。


「……ローレンツ殿下?」


「あ、いやその。これまであなたを見てきた中で、あなたはひどくお人好しだと思う場面が幾度もあったんだ。ならば泣き落としは有効かもしれん、と試してみた次第で」


「帰ります」


 くるりと回れ右すれば、「待ってくれ!」とローレンツが慌てふためいた。

 焦ったように私の手をつかみ、ぎゅっと自身に引き寄せる。


「あなたと食べれば、味気ない食事もきっと美味しくなると思うんだ。奢るのはあきらめるから、どうか今宵の食事を俺と共に」


 私は少しだけ迷い、ローレンツにつかまれた手に視線を落とした。ローレンツがすぐに察して放してくれる。 


 仕方ないな、と私はため息をついた。


「私の知っている食堂でもよろしいですか?」


「え?」


 驚くローレンツに、私は淡々と続ける。


「宿の近くに家庭料理を出してくれるお店があって、宿の食事に飽きた時に通っているのです。落ち着いた雰囲気の店ですから、殿下も気に入られるのではないかと思います」


「行く!」


 食い気味に返事をすると、ローレンツはいかにも幸せそうに頬をゆるめた。

 職員室に寄って荷物を取ってくる私を忠犬のように待ち、迎えの馬車までうやうやしくエスコートしてくれる。ちらっと見れば、「目が合った」と大げさに喜んだ。


(……なんだか、ぶんぶん振ってるしっぽの幻まで見えてきそう)


 さっきは子犬に例えてしまったが、ローレンツはかなりの長身だ。

 だんだんと大型犬に懐かれた心持ちになってきて、うっかりすれば和んでしまいそうになる。これはいけない、と気を引き締めた。


「どうぞ。ここです」


 馬車から降り立ち、明るくランプの灯された店を指し示す。

 もうすっかり顔なじみになっていて、店員は心得た様子でいつもと同じ奥まった席に案内してくれた。特にローレンツをいぶかしむ様子もない。


「よかった。どうやら殿下とは気づかれなかったようです」


「俺はそれほど顔が知られていないからな。生活圏が王城と学院しかないお陰だ」


「…………」


 胸を張って引きこもり宣言されましても。


 反応に困った私はメニューを引き寄せる。

 何が食べたいかローレンツに尋ねるが、ローレンツは困ったように肩をすくめるだけだった。どうやら食に興味がないらしい。


「あなたと同じものにしてもらって構わないだろうか?」


「私と?……ええ、はい。殿下がよろしいのでしたら」


 少しだけ迷いながらも了承した。

 今日食べたいものはすでに決まっていたが、どう考えてもローレンツには似合わない気がする。たとえどれだけ変人だとしても、相手は一国の王子なのだ。


(……ま、いっか)


 しかし私はすぐに気を取り直す。

 なにせローレンツには出会ってから振り回されっぱなしだし、本人がいいと言っているのだから問題ないだろう。


 店員を呼び寄せて小声で注文し、ひとまずお茶だけ先に持ってきてもらった。


「お茶でよろしかったですか? 私はお酒を飲んだことがなくて」


「構わない。俺も酒はたしなまないから」


 食にもお酒にも興味がないとは、なかなか珍しい気がする。

 ならば甘いものが好きなのかと尋ねてみれば、それも特にないと言われた。


(そういえば――)


 好きなものもなく、漫然と生きてきたと言っていたっけ。


 きっと何か事情があるのだろうが、これ以上はどう考えても踏み込みすぎだろう。私自身、これからローレンツと関係を深めていいものか迷っているというのに。


 手持ち無沙汰に髪を触れば、コケケダマがくちばしでツンとつつき返して反応してきた。

 私は少し笑ってしまって、そうしてはたと思いつく。


「そうだ。差し支えなければ、ローレンツ殿下の【止まり木】を見せていただけませんか?」


「俺の? もちろんだ。喜んで」


 ローレンツはぱっと嬉しげに顔を輝かせる。

 精霊術師のローブの懐から大判のハンカチを取り出して、私に手渡してくれた。


「俺の【止まり木】は、あいにくこれ一つしかないんだ」


 【止まり木】はたとえ他の精霊術師のものであっても、敬意を持って扱うべきものだ。

 うやうやしく受け取って、私は丁寧にハンカチを開いた。

 私の薄紅色の髪からコケケダマと精霊たちも飛び出してきて、興味しんしんで一緒になってローレンツの【止まり木】を覗き込む。


(わあ……、すてき)


 白のハンカチには、美しい七色の虹が刺繍されていた。

 といっても明らかに職人ではなく、素人の手によるものだった。縫い目は不揃いで布もよれている。

 けれども大胆に縫い込まれた虹は生き生きと輝いているようで、私は思わず見とれてしまった。


「下手くそだろう? 子供のころ病床の母を見舞うたび、母に習いながら一緒に作ったものなんだ」


(あ……)


 照れくさそうに笑うローレンツを見て、私の胸がかすかに痛んだ。


 ローレンツの母親――この国の王妃様は、もう十年以上前に亡くなっている。

 つらいことを言わせてしまったと顔を曇らせる私に、ローレンツは優しい眼差しを向けた。


「母が逝ったのは十二年前、俺が七つの時の話だ。母は美しく、そして温かなひとだった。遺してくれたこの【止まり木】は、今日までずっと俺の生きる支えであり続けた」


「殿下……」


 私はうつむき、もう一度虹のハンカチに目を落とす。

 小さなローレンツが、ベッドの王妃様に見守られつつ、たどたどしく針を使う。そんな優しい光景が目に浮かんで、この【止まり木】をとても愛おしく感じた。


(……ん?)


 ふと()()()()に気がついて、顔を上げる。


 じっとローレンツを見つめれば、ローレンツも瞬きして私を見返した。


「……ローレンツ殿下」


 ――十二年前に七歳、ということは。


「今さらですが、ローレンツ殿下のご年齢は」


「俺か? なぜか老けて見られることが多いが、十九歳だ。あなたの二つ年下だな」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ