12.一歩近づき、また離れ
宿まで送っていこう、というローレンツの申し出を、私は迷いながらも受け入れた。
万が一にも父と遭遇したら面倒だし、それに――……
「ローレンツ殿下。わたくしは生涯独身を貫くつもりだと、あなた様に再三申し上げたはずですが?」
「あなたの気持ちはとうにわかっている。が、まずは友人としてで構わないから、どうかあなたの側にいさせてほしい」
「はあ……、仕方ありませんね」
私はせいぜい嫌そうにため息をつく。
ローレンツが嬉しげに微笑み、馬車の方へと私をエスコートした。
これから夜会が始まるとあって、王城のホールは正装をした紳士淑女であふれかえっていた。全員の視線が私たちに集中する。
私はツンと取り澄ました態度を貫き、熱心に話しかけてくるローレンツを冷たくあしらった。それでもローレンツはめげることなく、甘い台詞を私にささやき続ける。
周囲に十二分に見せつけてから、私とローレンツは二人して豪奢な馬車へと乗り込んだ。
「……すみません。なんだか私、周りの男性に演技ばかりさせている気がします」
突き刺さる好奇の目からようやく逃れ、私は詰めていた息を吐く。
ローレンツの顔がふっとゆるんだ。
「構わない。俺にとっても得しか無いのだから。こんなやり取りを見てしまっては、あなたに求婚してくる男など二度と現れやしないだろう?」
(それは、確かにそう)
わざわざ自国の王子を敵に回したがる人間などいるはずがない。これだけ大っぴらな求婚に横入りしては、ローレンツに宣戦布告するに等しくなってしまう。
表情に乏しいながらも、ローレンツの声音はうきうきと弾んでいた。つられて私も肩から力が抜けていく。
「……もう、お会いすることはないかと思ってました」
純白のローブを握り締め、私は彼から気まずく目を逸らす。
「私が、あなたにひどい態度を取ってしまったから。だから殿下は、あれから一度も学院にお見えにならなかったのでしょう?」
一息に言い切って、私はそっとローレンツの顔色を窺った。
ローレンツは不思議そうに目をしばたたかせ、ややあってふるふると首を横に振った。
「違う。そうじゃない」
あっさり否定して、ローレンツは肩をすくめてみせる。
「しばらく学院を訪ねられなかったのは、単にあなたの身辺調査等で忙しかったからだ」
「…………」
なんて?
固まる私に、ローレンツはにこりと邪気のない笑みを浮かべた。
「氏名、年齢、家族構成に生い立ち等々、すっかり調べ尽くせたと思う。まあ、あなたの弟に関しては調査不足だったことを認めるが……。だがヘルゲ侯爵との縁談については把握していたから、最初から今日のパーティで完膚なきまでに叩き潰す予定だった」
「…………」
「ああそれから、今のあなたの望みだってもちろん知っている。宿を出て教師寮で暮らしたいのだろう? 学院長に命じていつでも入れるよう手配しておいたから、引っ越しの際には俺も手伝おう」
私はまじまじとローレンツを見返した。
発言内容はとんでもないのに、ローレンツ本人にはびっくりするぐらい悪気がない。
頭痛と胃痛と目眩でくらくらしてきた。
ヒルダはローレンツを「ストーカー王子」と評していたが、彼女の推測はどうやら正しかったらしい。
気が遠くなって黙り込む私に、はしゃぐローレンツは全く気づかない。
「そうだ、こんなのはどうだろう? 義弟の体調が許すようなら、あなたの実家から俺の名を使って彼を誘い出すんだ。王城でも学院でも、秘密の守れる面会先を俺が責任持って手配しよう」
「それは……、正直ありがたい、ですけど」
魅力的な申し出に、私はついつい食いついてしまう。
祖母がまだ生きていたころから、弟に会える機会などめったになかった。
基本的には祖母を介した手紙のやり取りだけで、それも年に数回あればいい方だった。祖母が王都に行く際に、孫であるセオドアを見舞うという名目でイーリック伯爵家を訪ねてくれたのだ。
「たまに、父たちが領地に帰っている時期を狙って直接会えることもあったんです。祖母が弟を外に連れ出して、こっそり私と王都のカフェで落ち合ったりして」
「まるで恋人同士の逢瀬だな。少し妬ける」
拗ねたように告げられて、私は不覚にも苦笑してしまう。
そう言われてみると、近いものもあるのかもしれない。私もセオドアも互いに会いたくて、でも会えなくて。いつだってもどかしい思いを抱えていた。
「だからこそ、会えた時にはすごく幸せな気持ちになるんです。今日は両親も一緒のパーティだから、話すのはあきらめていたんですけど。せめて一目だけでも、って思っていたら、まさかあんなに一緒に過ごせるだなんて。……本当に、嬉しかった」
「あなたが喜んでくれるなら、俺も嬉しい。今後も俺が二人の会合に協力するから、いくらでも頼ってほしい」
熱を込めた瞳で見つめられ、私は束の間言葉を失ってしまう。
私にとっては願ってもない申し出だが、ローレンツに借りを作ることになりはしないだろうか。
(もしかしたらローレンツ殿下も、そのつもりなのかもしれない)
疑わしくローレンツを見るが、ローレンツは言葉通り嬉しげに微笑んでいるだけだった。
私に貸しを作ろうとか、私と親しくなるためにセオドアを利用してやろうとか、そんな下心なんて微塵も感じられない。
「……どうしてです?」
気づけば、私の口から勝手に疑問があふれ出していた。
「どうして殿下は、それほどまで私に優しくして下さるのですか。私たち、出会ってまだほんの少ししか経っていないのに。一体私の何がそんなにお気に召したのです?」
ローレンツが口元から笑みを消す。
固唾を呑んで答えを待つ私を、真摯な眼差しで見つめた。ややあって、壊れ物を扱うようにそっと私の手をすくい上げる。
包みこまれた手からローレンツの温もりが伝わって、つられたみたいにして私の顔も熱くなる。
「ローレン――」
「あなたの美しさだ。他の何物にも比べられない、あなたはこの世界で一番美しい。ずっとあなただけを見つめて生きていきたい。俺はもう、完璧にあなたの虜となってしまった」
「…………」
馬車がゆっくりと減速し、停止する。
外を見ればもう宿の前に到着していて、私はローレンツの手を雑に払い除けた。
「――そうですか。よく、わかりました」
我ながらぞっとするほど冷たい声が出る。
ローレンツの顔を見もせず、馬車の扉を開けて地面に降り立った。私の感情に反応し、コケケダマが【止まり木】から顔を覗かせる。
「送っていただきありがとうございました。それではごきげんよう。さようなら」
「待ってくれ。どうか次の約束を」
能天気なことを言うローレンツを、私は怒りのまま勢いよく振り返った。
「いいえ! もう二度と会いません! さようならっ!!」
「ぉブッッッ!?」
いつかと同じように、コケケダマがびゅんと風を切って男の顔面に体当たりする。
「あがががが」
他の四匹の精霊たちも面白がったのか、仰向けに倒れた男の口元を狙い、ぽんぽんぽんぽん順番に落ちていく。
「さっ、帰りましょう。みんな」
これ見よがしに薄紅色の髪を払えば、わーいわーいと飛び跳ねながらコケケダマと精霊たちが【止まり木】に戻ってきた。
そのまま振り返ることなく、私はしゃんと背筋を伸ばして宿の玄関をくぐった。