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11.弟の真実

「貴様っ、彼女に何をする!?」


「おやめください、殿下!」


 憤然としてセオドアにつかみかかったローレンツを、私は慌てて押しとどめる。

 セオドアは苦しげに肩で息をしていた。そこにいて、と目顔で合図して、私は扉の方を振り返る。


「殿下。わたくしなら大丈夫ですから、どうぞ出ていてくださいませ」


「だが……いや、仕方ないな。何かあればすぐに呼んでくれ」


 憮然としながらも、ローレンツは私の頼みを聞き入れてくれた。

 閉まった扉に耳を当て、静かなのを確認してから大急ぎで弟の元へと戻る。


「セオドア、まだ立っては駄目よ。精霊術を続けるから横になって?」


「ごめん、姉さん……! 今ものすごい音がしたけど、痛くなかっ」



 バーンッ!!



「――などと言うとでも思ったかこの愚か者めッ! 僕に触れようとした当然の報いだ馬鹿者めッ!」


「……ローレンツ殿下。ご退出をお願いいたします」


 扉で仁王立ちするローレンツを、私はそっと押し戻して扉を閉めた。この客室、どうして鍵がついていないの。


 途方に暮れる私に、セオドアがよろめきながら歩み寄ってきた。


「姉さん、手が赤くなってるよ。僕ならもう落ち着いたから、先に姉さんの手を冷やし」



 カチャ。



「――いいから早く僕を癒せ、こののろまめッ! 精霊術しか取り柄のない役立たずの分際でぇげほげほッぅおげぼッ!!」


「……ローレンツ殿下。もう構わないので入ってきてください」


 そろそろセオドアは叫ぶのも限界らしい。

 あまりに可哀想になってきて、私は全てをあきらめた。


 細く扉を開けて覗き見するローレンツを部屋の中へと招き入れる。

 セオドアは苦しげにあえいでいて、私は彼の手を引いてソファに座らせた。よしよしと肩を撫でれば、ようやく咳が落ち着いてくる。


 ローレンツは黙念と立ち尽くしていたが、ややあって気まずげに私を見た。


「……その、大層言いづらいのだが」


「はい」


 私は覚悟してローレンツの言葉の続きを待った。

 セオドアもハンカチで口元を押さえ、ふてくされたみたいにして床を睨んでいる。


「あなたの弟は常軌を逸して情緒不安定だ。よければいい医師を紹介するが」


「…………」


 大真面目に告げられて、私は呆気に取られてしまう。セオドアは無言でソファに倒れ込んだ。

 セオドアの背中が屈辱と怒りに震えているのを見て、私は弟の名誉を守るためそっと挙手をする。


「あの、違うんですローレンツ殿下。セオドアは、実は――」


「いくらなんでもここまで一貫性の無いコロコロ主張の変わる阿呆がこの世にいるわけないだろうっ馬鹿か貴様は!? 演技だって気づけよ見る目がないにも程がっ、あっいや姉さんに求婚するとは女性を見る目だけはあるわけだが僕は断じて結婚など認めなっ」


「セオドア、また咳が出てしまうから。お願いだから息継ぎをして」


 あと、相手は仮にも一国の王子だから。


 学業優秀で賢い自慢の弟が、完全に我を忘れてしまっている。

 とにかく早く癒さねばと、私は再び【止まり木】をそっと揺らした。コケケダマと精霊たちが、一列に並んで空中を行進してくる。


「コケケ、みんな、どうか私の弟に力を分け与えて――」


 優しい光がセオドアを包み込む。

 みるみるセオドアの呼吸が落ち着き始め、青白かった頬に赤みが差してくる。つんと頬をつついて、私はにっこりと弟に笑いかけた。


「もう苦しくない?」


「うん。ありがとう、姉さん」


 セオドアが照れたみたいに目を伏せる。

 コケケダマも嬉しげにセオドアの頬をかじったが、むろんセオドアにはわからない。


 頬にコケケダマをぶら下げたまま、セオドアはキッと表情をきつくしてローレンツを睨んだ。


「今しがたの無礼をお詫びいたします、ローレンツ殿下」


「ああ」


 ローレンツはつまらなそうに肩をすくめた。

 その様子は特に怒っているふうでもなく、私はほっと胸を撫で下ろす。が、セオドアは小さな子どもみたいに唇をひん曲げた。


「それはそれとして、殿下と姉の結婚は断じて認められません。姉のことはきっぱりあきらめてください」


「嫌だ。お前に命令される筋合いはない」


 とりつく島もないローレンツに、セオドアの額にビキッと青筋が浮かぶ。

 不穏な気配を感じ取ったのか、コケケダマが慌てて【止まり木】に退避してきた。精霊たちと毛先に止まって揺れ、目をまんまるにしてセオドアとローレンツを見比べる。


「姉は迷惑してるんです。どんなに離れていたって双子なんだから、僕には姉の気持ちがわか、あ、イタタタタ」


 不意にセオドアがお腹に手を当ててうずくまった。今度は胃か。セオドアはストレスにも極度に弱いのだ。


「セオドア、お願いだから少し休んで。精霊術で一時的に活力を与えられはしても、決して病気が治るわけではないわ」


 背中を撫でる私に、「いいんだ」とセオドアは強く首を横に振る。


「この男、ではなく殿下にわかってもらう必要があるんだから。……よろしいですか、ローレンツ殿下。仮に、仮にですよ? あなたと姉が結婚したとして、もれなくこの情緒不安定で病弱で咳のやかましい僕が義弟として付いてくるわけです。お嫌ですよね? 冗談じゃないですよね?」


 勝ち誇ったように確かめるが、ローレンツはふんと鼻で笑った。


「見くびるな。俺の愛はそんな些事で揺らぎはしない」


「な……っ! 口だけならどうとでも、うッゲホッ!!」


「セオドア!? 血が出ているわ!」


 今度は吐血し始めた弟に、私は大慌てですがりつく。コケケダマと精霊たちを総動員し、精霊術を最大限に発動させた。


「……ごめん、姉さん。実はここ最近ずっと胃腸の調子が悪かったんだ。ヘルゲ侯爵との、あんな年の離れたジジイとの縁談が持ち上がってるって母上から聞いて……、僕もう気が気じゃなくって、ううっ」


「心配かけてごめんなさい。でもあなたがカードのメッセージで教えてくれたお陰で、ドレスを着るのは避けるべきだってわかったの。まさかあれが侯爵とのお見合い用だったなんてね」


 心から感謝を伝えれば、セオドアの苦しげだった表情がやわらいだ。

 丁寧に口元の血をぬぐってソファに休ませ、精霊術の光を増幅させる。やがてセオドアの呼吸はすっかり落ち着いた。


「……姉さん、僕はそろそろ戻るよ。体調を理由にして父上たちも連れ帰るから、姉さんは少し時間をずらして帰ってくれ」


 弟の心遣いは相変わらずだった。


 つきんと胸が痛み、たまらず私はセオドアの手を握る。


「本当にごめんなさい。私、あなたに憎まれ役ばかりさせている」


「そんなの、別にいいんだ」


 セオドアはしゃにむに首を横に振った。


「精霊術に治癒の力はない。どれだけ精霊術を掛けてもらったとしても、ほんの刹那の間だけ楽になるだけだ。それなのに父上たちは、無理にでも姉さんの人生を縛りつけようとするだろう。僕のためだけに生きろと強要するだろう」


「…………」


 そう。

 だからこそセオドアは、私が祖母に引き取られて以来ずっと、私を遠ざけるための演技を続けてくれている。

 真実を知るのは私とセオドア、そして亡くなった祖母とコケケダマぐらいのものだ。


 私はこの心優しい弟に、一体何を返してあげられるだろう――……


 にじみそうになる涙をこらえる私を、セオドアはそっと抱き寄せる。


「僕なら大丈夫だよ。病弱なら病弱なりの身体との付き合い方はあるし、もう慣れたものだから。それよりも、姉さんが王都に来てくれたのが嬉しいんだ。社交シーズンが終われば父上たちは領地に戻るから、いくらでも会えるチャンスはあるよね?」


「ええ、もちろんよ。あなたに会うためだけに、私はこの仕事を引き受けたのだから」


 セオドアの顔がぱっと輝いた。私たちは笑い合って額をくっつける。


 もう別れなければいけないなんて寂しい。

 名残惜しさにぐずぐずしていると、ローレンツがセオドアの肩をぽんと気安く叩いた。


「つまりは、お前のお陰で俺は彼女と運命の出会いを果たすことができたというわけだな? 礼を言わねばならない。心からありがとう、我が義弟(おとうと)よ」


「…………」


 誰が、貴様の義弟だぁぁぁっ!?


 セオドアの渾身の叫びは、再び激しい咳を呼び寄せてしまった。

 落ち着くまでさらに時間を要することになり、お陰で一緒にいられるのがもう少しだけ延びたのであった。

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