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10.言葉にできない思い

「な……っ!?」

「ロ、ローレンツ殿下!?」


 面白がって事の成り行きを見物していた野次馬たちが、ざわざわと騒ぎ始める。


 父は口をぽかんと開いて、今まで見たこともないぐらい間抜けな顔をして突っ立っていた。ヘルゲ侯爵は真っ青になって、ローレンツから逃げるように後ずさる。


「あ、あの。ローレンツ、殿下?」


「何でしょう。美しいひと」


 そっと彼の後ろ姿に手を伸ばせば、ローレンツは甘くとろけるような笑みを浮かべて振り返った。またも周囲が激しくどよめく。


 ――()()ローレンツ殿下が、優しく微笑んでいらっしゃるわ!

 ――短い単語ではなく、あれだけ長くしゃべっておられるぞ!


「…………」


 あんまりな言われように、私はがっくりと肩を落とす。このかたの人物評は、一体全体どうなってるの。


「ロ、ローレンツ殿下。失礼ながら、我が娘――ティアに、婚姻を申し込まれたのですか?」


 ようやく立ち直ったらしい父が、早口にローレンツに確かめる。その目が爛々と輝いているのに気がついて、私ははっと気を引き締めた。


「お父様。わたくしは」


「申し込んだのは事実だが、残念ながら即座に断られた。が、俺はあきらめていない。たとえどれだけ時間が掛かろうとも、彼女が頷いてくれるまで求婚し続ける所存だ」


 素っ気なく告げ、ローレンツは「出よう」と私の肩を押す。

 つられて歩き出した私を、父が慌てたように追ってくる。


「待たんか、ティアッ! 王子殿下の求婚をお断りするとは何たる不敬な、お前は一体何様のつもりなのだっ。この愚か者めが!」


「黙れ。彼女を侮辱するな」


 ローレンツのまとう空気が、すうっと急激に温度を下げる。


 父がつんのめるようにして足を止めた。

 ローレンツの殺気を宿した鋭い視線に絡め取られ、蒼白になって震え出す。


 言葉を失って棒立ちになる父を、ローレンツは目を細めて見据えた。


「彼女は自立した一人の人間で、俺の求婚を受けるも受けぬも彼女自身が決めるべきこと。親という立場を大義名分にして、彼女の意思をねじ曲げるような真似をするな」


「は……っ、お、お言葉ですが、わたしはこの子の父として」


「黙れと言っている。これは俺と彼女二人だけの問題で、貴様の差し出口など必要ない」


 きっぱりと告げ、ローレンツは今度こそ父に背を向けた。

 そのまま私の手を引いて、出口に向かって堂々と歩き出す。


(ローレンツ……殿下)


 胸の中に、言葉ではうまく表現できない思いがどっとあふれてきた。

 感謝なのかもしれないし、喜びなのかもしれない。ともすれば泣き出してしまいそうなほど、激しく感情が揺さぶられる。



 ――親という立場を大義名分にして、彼女の意思をねじ曲げるような真似をするな



(私がずっと、言いたかったことだ……)


 私には私の意思があって、父の所有物のように扱われるいわれはない。

 父に、私が父とは完全に別個の人間なのだと認識してほしかった。尊重するに値しない、取るに足らない相手だと見下されるのが嫌だった。


 私は私なのだと、父に胸を張って伝えられない自分が何よりも嫌だった……。


 唇を噛み、激情をこらえる。

 繋いだ手は大きく、温かかった。ほんの少しだけ握り返せば、ローレンツが弾かれたように振り向いた。


 熱を込めた目で私を見つめ、いつかのようにあどけない笑みを浮かべる。

 胸がどくんと高鳴った。


「ローレン――」


「ぐぁ……ッ」


 不意に、低くうめくような声が響く。

 どさりという重い音に続き、「セオドア!?」という母のひび割れた叫び声も。


 はっとしてローレンツの手を放した。足が勝手に弟の元へと走り出す。


「――セオドア! しっかりして、大丈夫!?」


 床にうずくまり、まるで血を吐くように激しく咳をするセオドアの背中を撫でる。

 母はおろおろとセオドアにすがりつき、助けを求めるように父を見上げた。父は城の使用人を呼び寄せ、早口に命じる。


「大至急部屋を用意してくれ、息子を休ませたい。――ティア、お前も付き添うのだ。お前の精霊術でセオドアを癒せ!」


「必要、ありません。誰が、こんな奴の、助けなど……くぅっ」


「セオドア、動いては駄目!」


 無理に起き上がろうとしたセオドアが、体を折って苦しみ始める。私は必死で彼を支えた。とにかく早く、落ち着ける場所へ移動させなければ。


「客室に案内しよう。俺が運ぶ」


「! ローレンツ殿下」


 すっと腰をかがめたローレンツが、楽々とセオドアを担ぎ上げる。父がぎょっとして目を剥いた。


「で、殿下ッ! 何も御自ら、そのようなことを――」


「貴様は来なくていい。……さ、行こう」


 父に向けるのとは全く違う、やわらかな眼差しで私をうながす。

 私ははっと我に返り、大急ぎで頷いた。


 ここは彼に甘えよう。

 私のちっぽけなプライドなんかより、今はセオドアの体が大事だ――


「ここだ。ベッドに横にならせるか?」


 広い客室は大広間から遠く、扉を閉めた途端に先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返る。

 私はざっと室内を確認し、大きなソファにローレンツをいざなった。やわらかなクッションを端に置いて整え、「ここに」とローレンツに指示を出す。


「ありがとうございます。今から精霊術を掛けますので、弟と二人だけにしていただけますか?」


 きちんと礼を取ってお願いすれば、ローレンツがかすかに眉根を寄せた。


「だが……あなたの弟は、あなたに心無い振る舞いを」


「たった一人の弟なのです。どうぞお聞き届けくださいませ」


「…………」


 ややあって、ローレンツは不承不承といった様子で首肯する。

 青白い顔で呼吸するセオドアを冷たく見下ろし、足音ひとつ立てずにそっと出ていった。


 扉が完全に閉まるのを確認してから、私はセオドアに向かってひざまずく。【止まり木】を揺らし、コケケダマと精霊たちに『お願い』をした。


 ぽう、と温かな光がセオドアの全身を包み込んでいく。


「……セオドア、もう大丈夫よ。すぐに楽になるからね?」


「姉さ……っ」


 耳元にささやきかければ、セオドアが大きくあえいだ。

 私と同じ薄紅色の瞳が潤み、今にも決壊しそうなほど大粒の涙が目尻にたまる。


 震えながら伸ばされた弟の手を、私はしっかりと握り返した。


「姉さん、会いたかっ――……」



 バーンッ!!



「やはりそんな男と二人きりにするのは心配だ、薄紅色の姫君よ。俺のことは置物とでも思ってもらって構わないから、部屋の片隅にでもいさせてくれないか」


『…………』


 私とセオドアは手を取り合ったまま凍りついた。

 ノックもなしに扉を開け放ったローレンツを、二人して茫然と見返す。


 我に返るのは、私よりもセオドアの方が少しばかり早かった。


「――馴れ馴れしく僕に触れるなっ、お前ごときを姉と思ったことなど一度もないッ!!」



 スパァァァンッ!!



 さっきのローレンツに負けないぐらい派手な音を立て、セオドアが私の手を床に叩き落とした。

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