目覚め1
(結局は末の王弟殿下が新たな王太子になられたのね……)
新聞の記事によると、3年前に前王太子のブラッド・モンフォール殿下が病により蟄居し、王太子の称号と王位継承権を放棄。
その後は第二王子殿下と末の王弟殿下による王位継承争いが激化した。
そして最近になってようやく決着がついたそうだ。
(病ねぇ……、毒でも盛られたのかしら)
イザベラがこの世を去った後、やはり内乱が起きてしまったようだ。
(それにしても、かなり長引きましたわね)
トゥールーズ公爵家がブラッドの不支持を表明したのは間違いない。
しかし、その後は……。
(どちらの勢力を支持したのかしら?それとも、こんなに長引いたのは、どちらにも与せずに中立の立場を貫いたから……?)
「アリアはこんな難しい記事がもう読めるのかい?」
記事を読み、思考に耽っていたアリアは父の声に我に返る。
「さすがアリアだ!アリアはかわいいだけじゃなく、こんなにも賢いんだなぁ」
そう言って父は嬉しそうに目尻を下げて、アリアの頭を優しく撫でる。
ふと、イザベラの父と兄の顔が頭に浮かんだ。
(いくら考えたところで、わたくしはもう、違う国でアリアとしての人生を歩み出している。今更、答えを知る術などないのだわ)
わたくしは過去への想いを振り切るように、今世の父に笑顔を返した。
◇◇◇◇◇◇
「まあ!アリアちゃん!すっかり大きくなったわね。本当にかわいいわ〜」
豊かな金髪に青い瞳の美しい女性が感激したように話しながらアリアを見つめている。
彼女はグルエフ辺境伯夫人。
ローレン男爵領とグルエフ辺境伯領は隣り合っており、父とグルエフ辺境伯は幼馴染で、今でも家族ぐるみの付き合いをしている。
今日はアリアの5歳の誕生日を祝う為に、夫人と息子がローレン男爵領までやって来てくれた。
「うちの息子を紹介するわ。アリアちゃんは初めてよね?この子はテオドールよ。ほら、挨拶して」
夫人の横に立つのは、5歳のアリアよりも少し年上であろう黒髪に灰色の瞳をした少年だ。
「テオドール・グルエフです。……よろしく」
どうやら彼は少し緊張しているようだ。
「おはつにおめにかかります。アリア・ローレンともうします。ほんじつはわたくしのために、わがやしきまであしをはこんでいただきありがとうございます」
「……」
やってしまった。
完璧なカーテシーをしながら、初対面の挨拶が口からすらすらと出てきてしまった。
「あら!本当に噂通りね」
「そうでしょう?これでまだ5歳なのよ」
「これなら高貴な方の生まれ変わりなんて話も、あながち嘘じゃないわね!」
どうやら母からすでにわたくしの話を聞いていたらしく、グルエフ夫人は母と盛り上がっている。
(良かった……)
心の中でひと息ついていると、視線を感じた。
「本物のお嬢様みたいだ……」
テオドールがこちらを見ながら、呟いている。
その時、
「テオ!」
そう言って、わたくしの兄オリバーがテオドールに走り寄る。
「パーティの後さ、外に出て遊ぼうぜ」
「うん」
オリバーとテオドールは年齢も近く、幼い頃から何度も会って遊んでおり、とても仲が良いらしい。
ちなみに、オリバーのほうがテオドールの1歳上だ。
「アリアも一緒に遊ぶか?」
オリバーがわたくしにも笑顔で声をかける。
「いえ、わたくしはそとであそぶのは……」
正直なところ、外で何をして遊べばいいのかがわからない。
イザベラだった頃は、外に出て日に焼けてしまうのは良くないと言われ、あまり外に出て遊んだ記憶がない。
出たとしても、散歩に出るくらいで、それにも侍女が付き添い日傘を差してくれていた。
そして、兄とは7歳も年が離れていたので、一緒に外遊びをする機会もなかった。
オリバーの年の頃にはもう王太子妃教育が始まっており、ブラッドと遊ぶ事もあったが、それは王城で護衛に見守られながら。
しかし、オリバーは天気が良い日はいつも1人外に出て遊んでいる。
そして泥だらけで帰って来るのだ。
(何をどうしたらあんなに泥だらけになるのかしら?)
(なぜ、虫がポケットからたくさん出てくるの?)
(わたくしへのお土産という、この歪な形の石はどうしたらいいの?)
オリバーの行動はどれも今まで経験をしたことがなく、
兄と一緒に外遊びに行くことへのハードルを上げていく。
「せっかくテオが来てくれてんだからさ、アリアも一緒に遊ぼう!」
たしかに、わたくしの誕生日を祝うために来てくれているのに、失礼なことはできない。
「……わかりました」
「よし、じゃあ決まりな!」
◇◇◇◇◇◇
━━走る、走る、走る。
ただひたすらに、かけっこや鬼ごっこという遊びで走りまくる。
ゼェゼェと息を切らし、笑い合う。
こんな経験は初めてだった。
「今度は木登りで競争な!」
オリバーがそう言うと、こちらの返事を待たずに近くの木に走り寄り、さっそく登り始めた。
「おにいさま!あぶないですわ!」
「大丈夫!いつも登ってるから」
オリバーは器用にするすると登っていく。
「ほら早く!お前らも登って来いよ!」
そう言われても、木登りなどしたことがない。
テオドールは登ろうかどうしようか迷っている様子だったが、意を決して登り始めた。
「テオドールさまもあぶないですわ!」
しかし、テオドールは必死でオリバーの後を追うように、ゆっくりと登って行く。
あっという間にオリバーはかなり高い位置まで登り、太い木の枝に跨り、登って来るテオドールを待っていた。
「おい!俺もうこんなところまで来たぞ!テオも早く来いよ!」
「うん。もうすぐ行くから、あっ」
━━危ない!
そう思ったのは一瞬で、懸命に登っていたテオドールが足を滑らせて木から落ちてくる様子がやけにゆっくりと目に映る。
ドサッ。
「うっ……」
鈍い音と共に、テオドールのうめき声が聞こえた。
わたくしは慌ててテオドールに駆け寄る。
「テオドールさま!」
テオドールが仰向けで、苦悶の表情を浮かべ、木の根元に倒れている。
オリバーは登った時よりもさらに早いスピードでするすると降りて来ると、テオドールの側にしゃがみ込む。
「血が……」
落ちた時に頭を打ったのか、テオドールの後頭部からは血が滲み出ている。
「テオ!おい!聞こえるか?」
「ううっ……」
なんとか意識はあるようで、オリバーの呼びかけに、テオドールは薄目を開ける。
「父さん達を呼んでくる!アリアはここに居ろ!」
「わたくしが」
「俺の方が早い!いいか、テオの側に居るんだぞ!」
そう言うやいなや、オリバーは駆け出した。
テオドールと共にその場に残されたわたくしは、テオドールの側にしゃがみ込み、その手を握る。
「テオドールさま!」
しかし、テオドールは薄目を開けてはいるものの、顔色は悪くぼんやりとした瞳のまま、返事はない。
「テオドールさま!しっかりなさって!」
何か他にできることは……。
ポケットからハンカチを取り出し、後頭部の傷口にそっとあてる。
白いハンカチがみるみる赤く染まっていく。
ドクドクと心臓が嫌な音を立てる。
━━耳元で馬の嘶きが聞こえた気がした。
違う。
あの時とは違う。
そんなはずはない。
こんな簡単に命を落とすはずなんてない。
テオドール様は木から落ちただけ。
違う。違うの。
あの時の、死の恐怖が再び身体に纏わり付く。
嫌。嫌よ。
━━お願い死なないで。
それは、テオドールへの想いだったのか、過去の死の瞬間を思い出してしまったからなのか……。
その時、自分の身体の内側から何かが溢れ出した。
それはイザベラだった頃に当たり前に感じていた力。
(これは……)
戸惑いながらも、魔力を掌に流し纏わせるイメージを思い出す。
すると、両手が淡い光に包まれる。
その光の意味をすぐに理解したわたくしは、そのままテオドールの傷口に手をかざし、ゆっくりと魔力を流し込んだ。
すると、テオドールの傷口はみるみる塞がっていく。
そして、蒼白だった顔色に朱が戻る。
「アリア……?」
瞳に光が戻り、意識を取り戻したテオドールを見て、わたくしはほっと息を吐いた。
わたくしはこの時に癒やしの力を持つ、光魔法に目覚めてしまった。