2巻発売記念SS イザベラの願い
本日、『断罪された悪役令嬢の次の人生はヒロインのようですが?』2巻(エンジェライト文庫)が各電子書籍サイト様で配信開始となりました。
それを記念してのSSです。
※時系列:こちらは本編終了後、そして『番外編 兄』へと繋がるお話になっております。
※アリア視点となります。
よろしくお願いいたします。
「お父様、おかえりなさぁい!」
幼い少女の声がグルエフ辺境伯邸のエントランスホールに響き渡る。
「ただいまルーナ!」
テオドールはそう返事をして、我が子の身体をひょいっと抱き上げた。
ルーナは父親譲りの黒髪を二つに結い、翠の瞳をキラキラさせながら嬉しそうにテオドールの首に抱き着く。
「いい子にしてた?」
「もちろんよ!」
「お父様に会えなくて寂しかった?」
「まあね!」
テオドールの問いに、ルーナははきはきとした口調で答える。
「おかえりなさいませ」
「ただいまアリア!」
わたくしもテオドールに声をかけると、彼はルーナを抱き上げたまま明るい声でこちらに笑顔を向けた。
しかし、その顔には疲れが滲んでいる。
グルエフ辺境伯家の当主となったテオドールは、一週間かけての領地視察からようやく帰って来たところだった。
「そうだ。ルーナにお土産があるんだよ」
テオドールの声を合図に、いくつものラッピングされた箱が使用人たちによってエントランスホールへと運び込まれる。
「うわあ……! お父様ありがとう! 開けてもいい?」
「もちろん。じゃあ、今からルーナの部屋へ運ぼう」
そして、ルーナの部屋で開封された数々のお土産を見て、わたくしは内心ため息を吐く。
「これ、かっこいい〜!」
「ほら、こっちは発売されたばかりの人形だよ」
「すっごく強そう!」
興奮しているルーナの足元には、空の箱やラッピングに使われた包装紙とリボンが散乱している。
そんなことはお構いなしに、ルーナはお土産の人形たちに夢中だった。
この人形は『アルミナの騎士』という冒険物語をモチーフにしたもの。
きっかけは半年前のルーナの四歳の誕生日……。
「子供たちの間で流行ってるらしいぞ」
そう言って、オリバーからプレゼントされたのはアルミナの騎士の主人公アーサーの人形だった。
それ以来、ルーナはすっかりアルミナの騎士に夢中になり、今では人形たちを抱えて毎日のように戦いごっこに明け暮れている。
「ゴブリンをやっつけろ〜!」
ルーナがアーサーの人形を右手に持ち、砦に配置したゴブリン人形に攻撃を仕掛ける。
人形を配置することのできる砦はテオドールが買ってきたお土産の一つだった。
ルーナが喜ぶからと、テオドールは視察のたびにお土産と称したおもちゃを大量に買ってくるようになってしまったのだ。
はしゃぐルーナを満足気に見つめるテオドールに、わたくしはそっと声をかける。
「テオ。お土産は嬉しいのだけれど……さすがに買い過ぎですわ」
思ったよりも低い声が出てしまった。
「あ……そ、そうだったね……」
前回の視察の後にも同じ言葉を伝えたのだが……。
どうやらすっかり忘れていたらしく、テオドールはものすごく目を泳がせている。
「誕生日プレゼントならともかく、視察のたびにたくさんのおもちゃを買い与えることには反対です」
前世の……イザベラであった頃のわたくしだったなら、このような発言をすることはなかっただろう。
しかし、今世のわたくしはお金の価値をローレン家で学び、毎月のお小遣いをやり繰りする生活をしてきた。
おかげで価値観は変化し、過ぎた贅沢を子供の頃から与え続けることに疑問を持つようになる。
ちなみに、テオドールが贅沢や散財を良しとする性格なわけではない。
そのあたりはテオドールの母がしっかりと教育をしていたようだ。
ただ、ルーナのことになると、テオドールの財布の紐は緩むどころかほぼ無いに等しくなってしまうだけのこと……。
「次からは気をつけるよ」
「前回もそのようにおっしゃっていましたわよ?」
「ええっと……今度こそ! 今度こそ気をつけるから!」
眉を下げながら、テオドールは必死に言葉を重ねている。
そんなわたくしたちの会話にルーナが口を挟んだ。
「お母様ったら、どうしてそんなに怒ってばかりなの?」
「え……?」
「今日だってお父様が帰って来てすぐに怒ってる!」
ルーナが不機嫌そうな表情でわたくしを睨む。
「それは……。お父様が約束を破るから……」
「お父様はルーナのために買ってきてくれたんだから、お母様には関係ないでしょ!」
わたくしの言葉を遮って、ルーナがきつい口調で言い返す。
「イジワルばっかり言わないで!」
「イジワルだなんて……」
「お母様は魔女のジネットみたいよ! そんなにイジワルばっかりしてたら、アーサーにやっつけられちゃうんだからね!」
「………っ!」
ルーナにそう言われた瞬間、頭に血が上るのが自分でもわかった。
ジネットとはアルミナの騎士に出てくる魔女で、主人公アーサーの敵……つまりは悪役だ。
「ルーナ! 言い過ぎだよ」
すると、テオドールがわたくしとルーナの間に割って入る。
「だって、お母様がっ!」
「今回のことは約束を破ったお父様が悪いんだから。お母様は悪くないんだよ」
「でもっ!」
「それに、ジネットみたいだなんて……そんな言葉をお母様に使うのはよくない」
「でもっ! でもっ!」
そのままルーナは黙り込み、テオドールによく似た切れ長の瞳からみるみるうちに涙が溢れた。
「ふっ……ふっ……ううっ……うわぁぁぁぁ!」
そして大声で泣き出してしまう。
ルーナにしてみれば、庇ったはずのテオドールから叱られたことが納得できないのだろう。
そんなルーナをテオドールは優しく抱きしめる。
「今回のことはルーナもお母様も何も悪くないからね。全部お父様が悪いんだ」
そう言いながら、ルーナの頭をそっと撫でる。
わたくしはなんとも言えない気持ちで、そんな二人を黙ったまま見つめていた。
◇◇◇◇◇◇
その日の夜、寝室のベッドの端に腰掛けながら、ぼんやりと今日の出来事を思い返す。
あのあと、泣き止んで落ち着いたルーナと話をして、無事に仲直りをすることができた。
そして、よくよくルーナの話を聞いてみると、わたくしとテオドールの会話を聞いて、『もうおもちゃを買ってもらえなくなる』と思い、焦って口を挟んでしまったそうだ。
しかし、ルーナがわたくしに向けた言葉の中には、あの子の本音が混じっているようにも思えた。
(わたくし……そんなにいつも怒っていたかしら?)
ここ最近の出来事を思い返してみると、たしかに思い当たる節がある。
レオンハルト王太子の息子であるアーロ王子が、来月の末に三歳の誕生日を迎える。
その祝いのパーティーに招待されたことを理由に、ルーナの礼儀作法に関して口煩く指摘することがあった。
それを意地悪だとルーナが感じていたのだとしたら……。
「はぁ……」
ルーナが王城で恥をかかないようにと思ってのことだったが、幼いルーナを苦しめてしまった罪悪感に思わず溜息がもれる。
(だから、「魔女のジネットみたい」だなんて言われてしまったのかしらね……)
きっと、深く考えずに放った言葉なのだろう。
だけど、ルーナに悪役みたいだと言われたことが思った以上に堪えていた。
『悪役令嬢?』
『この物語に出てくるイザベルのことを指す、民が考えた造語のようだよ』
ふと、学園時代のルカとの会話が脳裏に甦る。
「ふぅ……」
軽く目を閉じ、浅く息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
もう、終わったことだと割り切っていたはずなのに、どうにも胸の奥がざわついてしまう。
時折、前世の欠片がわたくしの心に突き刺さり、その傷口からじわじわと不安が滲み出すのだ。
その時、コンコンコンッという軽いノックの音がした。
わたくしが返事をすると、寝衣に着替えたテオドールが部屋に入って来る。
「アリア、今日はほんとにごめんね」
しゅんとした様子のテオドール。
やはり、その顔には疲れが滲んでいる。
「わたくしこそ……帰って来たばかりなのに怒ってしまってごめんなさい」
ルーナの言う通り、まずはテオドールを労るべきだったのに……。
「アリアは悪くないよ。次からはお土産は減らすし、あまり大きなものは控えるから……あっ!」
そう言ったあと、テオドールは少し困ったような表情でソワソワし始める。
「あの、あまり大きなものは控えるって言ったばかりなんだけどさ……」
「………?」
テオドールは「ちょっと待ってて」と告げると、寝室と私室とを繋ぐもう一つの扉の奥へと消えて行く。
そして、ラッピングされた大きな袋を抱えて戻ってきた。
「はい」
そう一言だけ口にして、テオドールはその大きな袋をわたくしに手渡す。
これは、ルーナへのお土産をまだ隠していたということだろうか?
「開けてみて」
テオドールに促されるままラッピングを解くと、中から大きなクマのぬいぐるみが現れた。
それは全身が明るいブラウンで、目と鼻は黒、首にはチョコレート色のリボンが巻かれている。
取り出して抱き上げてみると、大きさはルーナの背丈くらいもあった。
「これは……?」
わたくしは巨大なクマのぬいぐるみを抱き、困惑したままテオドールへ視線を向ける。
「これはアリアへのお土産なんだ」
「わたくしに?」
「うん。もう覚えていないかもしれないけど……。昔、僕が君にプレゼントしたぬいぐるみにそっくりでさ。あの時のアリアは嬉しそうにずっとぬいぐるみを抱きしめてて……」
少し照れた表情でテオドールは続ける。
「僕はアリアが喜んでくれたのが嬉しくて、どんなものを贈れば君は喜んでくれるのかなって……そればかり考えるようになったんだよ」
その瞬間、幼き日の思い出が甦る。
いつものようにローレン家へ遊びにやって来たテオドール。そして、お土産だと言って手渡された小さなクマのぬいぐるみ。
そのふわふわの手触りと愛らしい顔立ちをひと目で気に入ったことも。
「今でも、その頃の気持ちと変わらないから」
そう言ったテオドールの瞳は、あの頃と変わらず優しげにわたくしを見つめる。
「テオ……ありがとう」
わたくしはクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
「ふふっ、懐かしい……本当にそっくりね。今夜はこのまま抱きしめて眠ろうかしら」
すると、テオドールが近づき、そっとクマのぬいぐるみを取り上げられてしまった。
「テオ?」
「その……抱きしめるなら、ぬいぐるみじゃなくて僕にしてよ」
拗ねた表情を見せるテオドール。
「一週間も離れていたんだし……」
その甘えるような声に、わたくしの頬は熱を帯びていく。
「わたくしも……テオに会えなくて寂しかった」
「アリアっ!」
切羽詰まるような声で名前を呼び、テオドールはわたくしを引き寄せ、ぎゅっと強く抱きしめる。
そして、薄桃色の髪を優しく撫でていた手が頬に触れると、わたくしは大きな掌に自らの頬をすり寄せた。
(きっと、甘やかされているのはわたくしのほうね……)
彼が先に甘えてくれるからこそ、わたくしは素直な気持ちを口にし、そのままテオドールに全てを委ねることができるのだ。
そんなことを思いながら、わたくしも彼の腰にそっと手を回した。
愛されているのだと実感できる彼の腕の中で、胸に巣食っていた不安が溶け出していく。
そして、そのまま甘く蕩けるような二人だけの時間を過ごしたのだった。
◇
「お父様! 早く早く!」
柔らかな日差しを浴びながら、手足を懸命に動かして駆けていくルーナ。
「ルーナはずいぶん走るのが速くなったね」
笑いながら追いかけるテオドール。
久しぶりに家族が揃ったのだからと、近くの湖のほとりへピクニックにやって来たのだ。
ここ最近、毎日のように礼儀作法の指導を受けていたルーナは、溜まった鬱憤を晴らすかのようにはしゃいでいる。
前世のわたくしも、ルーナと同じように幼い頃から礼儀作法を学び、貴族令嬢としての務めだと、全てを完璧にこなしていった。
その努力が辺境伯夫人となった今の自分に役立っているのも確かで、ルーナに必要な学びであることに間違いはない。
だけど、アリアとして生まれ変わり、テオドールやオリバーと野を駆け回った時の解放感と高揚感を今でも覚えている。
きっと、今のルーナに必要なのは後者なのだろう。
その時、ルーナの明るい笑い声が辺りに響く。
(やっぱりルーナには笑顔が一番ね)
つられるように、わたくしの表情もほころんでいく。
これからも、ルーナに対して厳しい態度を貫く場面があるだろう。
それでも、あの子の笑顔を守ってあげられたら……。
その時、ふと前世の兄を思い出した。
王子妃教育が辛いと口に出せず、ひたすら耐え続けるわたくしを励まし、心を尽くしてくれた優しい兄。
(今なら、お兄様の気持ちが少しだけわかるわね……)
わたくしと揃いの銀の髪に、柔らかく細められた紫の瞳が脳裏に浮かぶ。
(きっと、もう会うことはできないだろうけど)
万が一にも会えたとして、今のわたくしの姿でイザベラと名乗ることも、それを信じてもらうことも難しいだろうことはわかっている。
(それでも、もし、会えたのなら……)
わたくしを愛し続けてくれたことへの感謝の気持ちを。
そして、新たな人生も愛する家族に囲まれ幸せだと……そう、伝えたい。
そんな叶いもしないだろう願いを胸に抱きながら、揃いの黒髪を揺らす二人の姿を眺め続けるのだった。




