番外編 兄(sideセオドア)
読んでいただき、ありがとうございます。
番外編の最終話になります。
※今話はセオドア視点になります。
よろしくお願い致します。
慌てた様子の女性が、ルーナと呼ばれる子供を追いかけて来た。
この子の母親だろうか?
薄桃色の髪に翠の大きな瞳、ヒールのある靴を履いていても小柄な女性だった。
「ルーナ!もうっ、勝手に行ってはいけないと、あれほど……」
──目が合った。
その瞬間、彼女の言葉が止まる。
そしてその大きな瞳をさらに見開き、唇を戦慄かせた。
「お、お兄様っ……どうして……」
その震えた小さな呟きは、なぜか私の耳にやけにしっかりと届く。
しかし私は彼女に見覚えはなく、記憶を探ってみてもやはり心当たりはなかった。
「どこかでお会いしたことが……?」
私の言葉に彼女はハッとした表情を浮かべた後、軽く目を閉じ、そして浅く息を吐いた。
そんな彼女の仕草に既視感を覚える。
「申し訳ございません。娘を探しておりまして、取り乱してしまいました」
そう言って、先程のことなどまるで無かったかのように、見事な淑女の仮面を被った彼女が私を見つめる。
「…………」
何故だろう?
全く似ても似つかない姿だ。
あの子はもっと背が高く、髪も瞳の色も、顔の造形だってまるで違う。
それなのに、私は記憶の中のあの子の仕草を思い起こしてしまった。
そして私も彼女を見つめ返す。
完璧な淑女の仮面を被った彼女の眼差しは、まるで何かを必死に堪えているようだった。
「お母様?」
ルーナの声に、彼女はそちらを向いてしまう。
「ルーナ。勝手に走って行ってはいけませんよ」
「だってオリバーがいたんだもん」
「オリバーではなく、オリバーおじ様とお呼びなさい」
「なんで?お父様はオリバーって呼んでるじゃない」
ルーナは堂々とした調子で言い返している。
「まあまあ、いいじゃねぇか。俺の名前に間違いないんだし」
「もう!お兄様もテオも、そうやってすぐにルーナを甘やかすのですから」
オリバーと彼女が並ぶ。
同じ髪と瞳の色。男女の違いの差はあれどその姿はそっくりで、一目で兄妹だとわかる。
「ローレン君、彼女が君の妹さんかな?」
「はい。妹のアリアと姪のルーナです」
そう言いながら、どこか嬉しそうな笑みを浮かべるオリバーを見ると、途端に胸の奥がツキリと痛んだ。
(まだまだ不甲斐ないな……)
この歳になってもなお、羨ましいなどという感情を持つとは……。
「アリア、こちらは俺が護衛を任されているモンフォール王国の元宰相閣下だ」
オリバーからそう紹介を受けると、彼女はルーナを自分の元へと引き寄せる。
「お初にお目にかかります。アリア・グルエフと申します」
そう言ってアリアは、とても美しい完璧なカーテシーを披露する。
なるほど。先程の対応といい、その姿はたしかに元男爵令嬢とは思えないほどに洗練され気品に溢れている。
「お初にお目にかかります!ルーナ・グルエフと申します!」
いささか元気過ぎる挨拶をしながら、ルーナもなんとかカーテシーらしき動きをした。
「セオドア・トゥールーズだ。ルカ殿下から本日のパーティに招待された。昨日から君の兄君には世話になっている。よろしく頼む」
そう挨拶を返すと、彼女と再び目が合った。
「そういえば、閣下はルカ殿下とご友人なんですか?」
オリバーの問いかけに、今度は私が彼女から目を離す。
「そうだな。友人と呼ぶにはいささか歳が離れ過ぎているかもしれないが……以前、我が国の夜会でお会いして、意気投合した仲でね」
「そうだったんですね。実はアリアもルカ殿下とは友人なんですよ。なっ?」
「そうなのかい?」
「はい。わたくしも友人と名乗って良いものか迷いますが、ルカ殿下とは王立学園で学部とクラスをご一緒いたしました」
「それは………ん?」
話を続けようとしたところ、足元で服を引っ張られる感覚がした。
視線を下げてみると、ルーナが首が痛くなりそうなくらいに顔を持ち上げて私を見上げている。
「おや?ルーナ嬢、どうかしたかな?」
そう声を掛けると、途端にルーナがモジモジとしだす。
私はその場に片膝を突き、ルーナと目線を合わせるようにする。
「どうしたんだい?」
「あ、あのね、その髪とっても綺麗だなって」
「ああ、これかい?」
私は自身の束ねた髪を左肩に流す。
「うん。……ねぇ、触っちゃ駄目?」
「ルーナ!閣下に失礼でしょう」
「いや、構わないよ」
私はアリアにそう告げて、片膝を突いたままルーナに向けて頭を少し屈める。
「さあ、どうぞ」
「ありがとう!」
ルーナは嬉しそうに笑いながら、私の肩から流れる髪をそっと撫でる。
「キラキラしてていいなぁ。ルーナもこんな髪が良かったぁ」
「ルーナ嬢の黒髪もとても素敵だよ」
「そうかなぁ?あのね、ルーナの髪はお父様とお揃いなのよ」
そう言ってルーナは少し恥ずかしそうに笑う。
『あのね、イザベラの髪も瞳もお兄様とお揃いなのよ』
そう言って嬉しそうに笑うあの子を思い出す。
(ああそうだ、あの子もこのくらいの頃は自分のことを名前で呼んでいた……)
私は懐かしさに思わず目を細め、ルーナの頭を優しく撫でる。
「そう。とても似合っているよ」
ルーナもあの子のように嬉しそうに笑った。
◇◇◇◇◇◇
この国の王太子の息子である、アーロ王子殿下の3歳の誕生日パーティが盛大に行われた。
金の髪に空色の瞳をしたアーロは、幼いながらも父であるレオンハルトと瓜二つだった。
しかし、大勢の人に見られていることに緊張しているのか、終始母であるローズの側を離れようとはしなかった。
そのうち、眠くなり少し愚図り始めた様子のアーロを連れてローズが退場し、それを合図に休憩時間となる。
私はこの国の貴族とは特に縁も無く、また今から縁を結ぼうとも思わず、誰かに声を掛けられる前にと、そのままホールの外へと繋がる出口へと足早に向かった。
王城の庭園は見事に花が咲き誇り、どの花も美しく見えるよう整えられていた。
花と緑で作られたアーチをいくつかくぐり、歩いた先にあるガゼボで休息を取る。
「ふぅ……」
船での長旅に、慣れぬ他国の王城……。
知らず知らずのうちに、少し疲れていたのかもしれない。
そのまま外の空気を吸いながら、花を眺めぼんやりと時間を潰す。
しばらくすると、誰かが近付いて来る気配がした。
「ああ、こんなところにいらっしゃったのですね」
そう声を掛けてきたのは、私をこの国に招いた張本人のルカ殿下だった。
数年振りに会う彼は変わらず、いや、以前よりも大人の色香を纏った美青年へと成長を遂げていた。
「ルカ殿下、お久しぶりです。しばらくお会いしないうちにずいぶんと大人になられていて、驚きました」
「閣下こそ、お元気そうで良かった。遠路はるばる我が国まで足を運んでいただき光栄です」
「今までなかなか招待をお受けすることが出来ず、申し訳ありません」
「いえ、国が安定するまでに時間を要することはわかっていましたから。宰相職を辞されたと聞いて、今ならばと思ったのです」
「殿下には全てお見通しでしたね」
そう答えると、ルカ殿下は口元に笑み浮かべた。
「今後はどうされるのですか?」
「宰相職の引継ぎも無事に終わりましたので、今後は領地でゆっくりと過ごそうかと思っております」
そのまま互いの近況を報告し合う。
そして話題は今日のパーティの主役へと移る。
「本当は閣下にアーロを直接紹介したかったのですが、散々愚図った後に先程眠ってしまいまして……」
「まだ3歳ですからね。今日はとても緊張して疲れたのでしょう。そのまま休ませてあげて下さい」
3歳で泣かずにあの大舞台を乗り越えただけでも十分だろう。
「それにしても、アーロ殿下は父君であるレオンハルト王太子殿下によく似ていらっしゃる」
私がそう言うと、ルカ殿下はその美しい顔を輝かせた。
「そうでしょう?アーロは本当に兄上そっくりなのです。外見だけではなく本が好きなところまでも一緒で、いつも絵本を読んで欲しいと僕に強請ってきます」
甥であるアーロが余程かわいいのだろう。
ルカ殿下は顔を破顔させ、嬉しそうに語りだす。
「この間も、氷で星型を作って見せたらとても喜んで……。実はアーロの為に僕も氷のクマとウサギを作れるようになりました」
「それは素晴らしい」
「まだ、閣下のように動かすことは出来ませんが」
「いえ、殿下の膨大な魔力量で、そこまで細やかな魔力操作はなかなか出来ることではありませんよ」
「ただ、僕が氷のクマとウサギを作り出すと、なぜかアーロが怖がって泣いてしまいまして」
先程とは一転して、ルカが切なげな顔をする。
「そこで閣下にお願いがあるのですが、王城に滞在している間に、アーロに動く氷のクマとウサギを見せてやってはくれませんか?」
「ああ、そんなことでしたら、いつでも構いませんよ」
「ありがとうございます。可愛らしく動けばアーロもきっと怖がることはないと思うんです」
ルカ殿下は以前会った時よりも、ずいぶんと穏やかになった気がする。
もしかしたら、甥であるアーロが彼にいい影響を与えているのかもしれない。
「殿下はその為に私を呼んだのですね?」
「ははっ、バレてしまいましたね」
私の冗談めかした言葉に、ルカ殿下も笑って答える。
「実はそれだけではなく、閣下に紹介したい人が居てお呼びしたんですよ」
◇◇◇◇◇◇
夜会が始まる。
私は目当ての人物に会う為に、数多あるバルコニーのうちの一つに向かう。
「こんばんは。いい夜ですね」
「こんばんは閣下。本当に、いい夜ですわ」
昼間のパーティの後、ルカ殿下が紹介したいと言っていた人物が目の前に居る彼女、アリア・グルエフだった。
夜会で彼女と二人きりで話せるように、ルカ殿下には人払いを頼んであった。
「あなたにお聞きしたいことがあります」
「まあ、なんでしょう?」
アリアはやはり淑女の仮面を外すことはなく、堂々とした佇まいのままだ。
しかし、その瞳が不安気に揺れているように見えた。
私はルカ殿下との会話を思い起こす。
『学生の頃、彼女に星型の氷の作り方を教わったんですよ。クマやウサギも』
『彼女は光魔法の使い手では?』
『ええ、そうです。幼い頃に誰かに見せてもらったと言っていて、僕はそれが閣下だと思ってしまいました』
『私は彼女に披露した記憶はありませんが……』
『そうですよね。彼女もこの国から出たことはないんですよ。一体誰に見せてもらったのか聞いてみても誤魔化されてしまいました』
「あなたは一体どこの誰に星型の氷を作ってもらったんですか?」
私と同じような魔力量を持つ氷魔法の使い手は、この国にも居るだろう。
しかし、氷魔法を使って星型の氷やクマやウサギを作るような、幼い妹を喜ばせるために何年も努力するような酔狂な人物が、果たしてどれくらい居るのだろう?
いきなりの核心を突くような質問にも、アリアは身じろぎもせず、ただそこに佇んでいる。
しかし、先程まで不安気に揺れていたその瞳を彼女は軽く閉じ、そして浅く息を吐いた。
「……わたくしが幼い頃に、ある人に星型の氷を作って見せてもらいました」
彼女は落ち着いた口調で、ぽつりぽつりと話し始める。
「その頃のわたくしはまだ魔力に目覚めておらず、大層喜んだそうです」
「………」
「そして今度はクマを作ってほしいと、わたくしはその人に強請りました」
私はびくりと身じろぎをする。
しかし彼女はそんな私に構いもせずに、そのまま話し続ける。
「そしてわたくしの10歳の誕生日パーティの後、夜の公爵邸の庭でその人がたくさんの星型の氷を空中に浮かべ、わたくしの周りに氷で作ったクマやウサギを踊らせてくれました」
「……どうして、それを?」
あまりの衝撃に息が詰まる。
自分の鼓動が、まるで耳元で聞こえているような気がした。
(どこでそんな情報を手に入れた?誰かに聞いたのか?
まさか、公爵家の人間と繋がりが?)
様々な可能性が瞬時に頭に浮かぶ。
しかし、そのどれもが違うことは自分自身が一番わかっている。
なぜなら、あの子の10歳の誕生日の夜、公爵邸の庭に居たのは私とあの子の二人だけだったからだ。
彼女は私の瞳をただじっと見つめる。
「そんな……まさか、そんなはずは……」
私はそう呟きながら、彼女の瞳を見つめ返す。
『光魔法に目覚めた時から嫌がってて、魔法を全然鍛えようとしなかったんです』
『礼儀作法の教師が驚いていたみたいだよー。受け持った時点で教えることがほとんどないくらい完璧だったってー』
『幼い頃からアリアはずっと、言葉遣いも含めて高位貴族みたいな振る舞いでしたね』
彼等の言葉が私の頭に浮かんでは消えていく。
そんなこと、あるはずがない。
こんな、私にとって都合の良い、夢のような出来事などあるはずがない。
頭ではわかっている。
けれども私の胸の奥から、決して叶うはずのない愚かな願いが、抑えきれない衝動となって湧き上がる。
例え夢だったとしても、それでも、それでも、私はあの子に……。
「イ、イザベラ……か?」
気付けば私は、あの子の名前を呼んでいた。
その途端、彼女の瞳に涙が溢れた。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
「なぜ……謝るんだ?」
「わたくしのせいで、あんな、あんな死に方をしてしまいました。家に迷惑を……かけてしまいました」
(ああ、そうだ。この子は……)
責任感が強く、自分の感情よりも周りを優先してしまう、そんな優しい子だった。
「謝るのは私のほうだ。お前を、たった一人で死なせてしまった……」
ブラッドとの不仲には気付いていた。
それなのに学園での様子を気にかけてやれず、一人で卒業パーティに参加させてしまった。
隣国などに行かず、私がエスコートをしていれば……。
何度も何度も何度も何度も、後悔した。気が狂いそうになるくらいに何度も……。
いっそのこと気が狂ってしまえれば良かった。
自らの後悔を振り払うがごとく、あの子を害した全ての者をこの手で消し去った。
それでもあの子は帰って来ない。失ったものは永遠に戻らない。
そう、思って生きてきたのに……。
「お兄様……」
彼女は涙に濡れた瞳で私を見つめ、そして私を呼んだ。
姿かたちは変わってしまった。私の知っているあの子とは似ても似つかない。
でも、ここに居る。
イザベラはここに居るんだ。
「イザベラ、会いたかった」
私はやっとその愚かな願いを口にする。
──ただ、お前にもう一度、会いたかったんだ。
読者の皆様のおかげで、信じられないくらい多くの方に読んでいただき、大変感謝しております。
他の登場人物との話も挟もうかと試行錯誤したのですが、私の文章力では話の軸がぶれてしまいまして……。
(テオドールは出番すらなかった。ごめん。)
兄と妹の話にさせていただきました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(そして、この作品の電子書籍化が決定致しました。本当にありがとうございます!)




