物語と現実と
読んでいただき、ありがとうございます。
今話からイーサンが事件を起こしたその後になります。
よろしくお願い致します。
イーサンがレオンハルトを陥れようと起こした事件は、顛末も含めてあっという間に広まった。
王立学園の中で従者が王太子を狙ったのだ。
結果は未遂だったとはいえ、これ程衝撃的な事件はなかなかないだろう。
そしてルカが指示した通り、イーサンは首謀者の名を吐かされ、ルカが集めていた証拠の数々により、ルカの母である側妃は貴族牢へと移送されて処罰を待つ身となった。
側妃に加担していた貴族達の立場は一気に悪くなり、今はそれぞれが自己保身に走っている。
しかし、これを機に戦争推進派の貴族達を一掃しようと、王家は追及の手を緩めるつもりはないようだ。
そして事件の発覚と同時に、テオドールとわたくしの婚約も知られることとなった。
テオドールが婚約者を身を挺して守ったとか、その場で愛の誓いを立てたとか、若干尾ひれのついた噂が出回っていて恥ずかしい思いをすることになったが……。
そして事件から2週間が経ち、わたくしは今王城に居る。
王家の後継者に関わる事件に巻き込まれた、被害者であるわたくしに公式な謝罪の場が設けられたのだ。
本来ならば、一介の男爵令嬢であるわたくしにそのような配慮はなされなかっただろう。
しかし、わたくしがテオドールの婚約者となると話は別である。
謁見の間にて、国王陛下から直々に謝罪の言葉を告げられ、わたくしも粛々とそれを受け入れた。
続けて陛下は仰った。
「アリア・ローレン男爵令嬢。君とテオドール・グルエフ辺境伯子息との婚約の件は聞いている。グルエフ辺境伯家はこの国にとっても王家にとっても、なくてはならない存在だ。次代を担う君達にも期待している」
陛下は威厳ある佇まいのまま、口元に優しげな笑みを浮かべ、口調を和らげる。
「ローレン嬢には迷惑をかけた。婚約に関して困ったことがあればいつでも力になろう。遠慮なく頼りなさい」
どうやらルカが言っていた『報酬』は、王家から迷惑料の名目でわたくしに支払われるらしい。
(まだ最後の役目が残っておりますのに、よろしいのかしら?)
そうは思いながらも、しっかりと報酬は受け取らせていただくことにする。
「陛下の格別のご配慮、恐縮至極に存じます」
わたくしの返事に満足気に頷いた陛下は、記録を取っていた書記官に片手で合図を送り、その手を止めさせた。
どうやら記録に残る公式の場はここまでらしい。
「本来ならば当事者であるレオンハルトも同席させるべきなのだが、あれ以来塞ぎ込んでおってな。部屋から出て来んのだ」
陛下は眉を下げ、困ったような顔をする。
その精悍な顔立ちは、レオンハルトによく似ていた。
「信頼していた者に裏切られたんですもの……。仕方のないことです」
「そうだな……。良ければついでにあいつの顔を見てから帰ってくれないか?きっと喜ぶ」
そう言って陛下は意味ありげにわたくしに視線をよこす。
「かしこまりました」
「ルカ、ローレン嬢を案内してやってくれ」
陛下に呼ばれてルカがわたくしの元へと歩み出る。
そしてわたくしは陛下へと挨拶をし、ルカと共に謁見の間を退出した。
わたくしはルカに案内され、派手な装飾はないが重厚な扉の前に立つ。
扉の側に立っている近衛兵にルカが声をかけると、彼等はすぐにその場を離れて行く。
「僕はここで待ってるから。兄上のことよろしくね」
「はい」
わたくしの最後の役目だ。
◇◇◇◇◇◇
レオンハルトの私室は内装はシンプルだが、見るからに高級だとわかる家具が揃えられていた。
しかしそれよりも、いくつもの大きな本棚に目を奪われてしまう。
どうやら読書が好きだという話は伊達ではないようだ。
ついついどんな本があるのか、背表紙を目で追ってしまいそうになるのを我慢して歩みを進める。
そして、ベッドに横たわり背を起こしたレオンハルトと対面した。
その顔は学園で会った時よりも痩せこけ、眠れていないのだろうか、眼の下のくまも酷い。
「アリアっ!来てくれたのか」
わたくしのことを名前で呼んだことに内心驚く。
「殿下、お久し振りです」
「殿下なんて言わずに、以前のようにまたレオと呼んでほしい」
彼の空色の瞳はやはり昏く虚ろなままだ。
まだ、彼は本の物語の中に居るのだろうか?
しかし、もう彼の望むシナリオは破綻してしまっている。
そのことに気付いているからこそ、こんなに憔悴しきっているのではないだろうか。
少しでも現実に目を向け始めた彼を、完全にこちら側へ引き摺り出さなければ。
「申し訳ございません。私は殿下をそのように呼ぶことは出来ません」
「アリア、身分なんて気にしなくていいんだ。君は私の運命の人なのだから」
「運命、ですか?」
「ああ!そうだ。光の粒を纏った君の姿が今でも目に焼き付いているんだ。本当にあの挿し絵の姿そのものだった」
その言葉がわたくしの逆鱗に触れる。
レオンハルトがわたくし自身に好意を示してくれたならば、ここまでの怒りを感じなかっただろう。
しかし彼は、よりにもよってわたくしの最も忌み嫌う女に似ているからと、わたくしに好意を寄せた。
それがどうしても許せなかった。
レオンハルトの境遇には同情する。
物語の中に逃げ込んでしまったのも、彼が自分の心を守る為の自己防衛であるとしたら、それは仕方のないことなのかもしれない。
しかし、あの女に似ているからという理由で、わたくしを自身の進退に巻き込んだことは、看過できない。
今世でも王族に人生を無茶苦茶にされるだなんて、わたくしはやはり許せないのだ。
「殿下、それは運命などではございませんわ」
「アリア、何を言ってるんだ?私達はあの時に運命の出会いをしたから、学園で再会できたんだ」
わたくしは激昂しないよう平静を保つために、顔に薄く笑みを浮かべた淑女の仮面を貼り付ける。
「なら、先に再会したオリバーが運命の相手ではございませんの?」
「なっ、なにを!」
「あら?殿下が仰っていたじゃありませんか、学園でオリバーを見かけたと。それでわたくし達兄妹が貴族だと知ったと」
「オリバーは男だぞ!」
「この国では同性婚も認められておりますわ」
レオンハルトが目を見開く。
「違う!違う!違うっ!そうじゃないっ!君は、君は私の初恋なんだ。君に再会して、運命の相手だと思ったんだ」
「あらまあ、『運命の相手』だの『真実の愛』だの、王族の方々は聞こえの良い言葉がお好きなのですわねぇ」
わたくしはころころと笑う。
「わたくし達が再会したのは、運命ではなくただの『偶然』ですわ」
レオンハルトの顔が、今にも泣き出しそうな幼い子供のようになる。
「そんな……どうしてそんなことをアリアが言うんだ」
しかし、ここで同情して優しさを見せるわけにはいかない。
「それが事実だからですよ。わたくし達の関係はただ偶然再会した。それだけです」
「そんなはずはないんだ。だって、あんなにも同じで……」
「どこが同じでしたか?全く違いますよ?ローズ様はわたくしを虐めたりはしませんでしたし、わたくしと殿下が学園で逢瀬を重ねることもなかった」
「それは、これから、」
「なにより、わたくしは殿下と出会って恋に落ちませんでしたもの」
「………っ!」
レオンハルトの顔がみるみる絶望に呑み込まれていく。
「ですので、ご自身の問題にわたくしを巻き込まないで下さいませ」
わたくしの言葉に、レオンハルトは俯きうなだれてしまう。
そして、小さな声で呟くように話し始める。
「君にはわからない。私は王太子としてなど産まれてきたくはなかった。私よりルカの方が王に向いているのに……」
それが彼の本音であり、問題の根幹なのだろう。
「殿下もぬるいですわね」
「………」
「誰しもが自分の産まれながらの立場など選べませんわ。それがどんなに望まぬことでも歯を食いしばり生きていかねばならないのです」
「………」
「逃げられないのなら受け入れるしかない。そして足掻き続けるんです」
「………足掻いてどうなる?」
「どうにもなりませんわ。本の中の物語のように必ずしも努力が報われるわけでもなく、必ずしも幸せになれるわけでもない。それでも、ただ、足掻き続けるしかないんですよわたくし達は」
前世で足掻いて足掻いて、足掻き続けて、呆気なく殺されたわたくしが言うのだから間違いはない。
わたくしの長年の努力も想いも何ひとつ報われない人生だった。
そして今世でもわたくしは結局足掻いている。
「……虚しいな」
そう。虚しいものなのだ。
「わかってはいたんだ。ただ、自分の覚悟も決まらぬうちにどんどんと王位が近付いてきて怖くなった」
「ええ」
「出来ないとも、自信が無いとも言えなかった」
「ええ」
わたくしはレオンハルトの言葉を、否定も肯定もせずにただ聞き続けた。
「ルカが羨ましかったし、それ以上に惨めだった。ルカに格好悪い自分を見られるのも嫌だった」
「そうですか」
「結局、上手く逃げ切れずにこのざまだ……不甲斐ないな」
「そうですね。仕方ありませんわ」
「ははっ、そうか仕方ないか……」
「ええ」
レオンハルトはじっとわたくしを見つめる。
「本当だな。こうやって君と話してみると、あの物語の少女とあまり似ていない」
それはそうだろう。話し方や仕草全てがイザベラの頃のわたくしが前面に出てしまっている。
皆が忌み嫌う、物語の悪役令嬢であるイザベラだ。
「わかっていただけてなによりですわ」
わたくしは安堵の笑みを浮かべた。
「君を巻き込んでしまってすまなかった」
「もう陛下から謝罪をいただいておりますので、充分ですわ」
「いや、私の弱さが招いた結果だ……」
また自分をうじうじと責め始めたレオンハルトの言葉を遮る。
「ご自身の出来不出来だけを見るのではなく、もう少し周りを見るようになさいませ。ルカ様も殿下を支えたいと仰ってましたよ」
「ルカが……?」
「ええ。ルカ様と一度話し合うことをお勧め致しますわ」
そう言ってわたくしは扉の方をちらりと見る。
そろそろわたくしの役目は終わりだろう。
アイザックによると、傷付き弱っている男性はその時に優しく寄り添ってくれた女性に絆されやすいという。
これからはローズの出番だ。
レオンハルトが弱さを吐き出せる存在になれるよう、アイザックの恋愛アドバイスを存分に発揮してもらおう。
「では、殿下、そろそろ失礼致します」
「ああ。ローレン嬢、また学園で」
「はい」
わたくしはレオンハルトに背を向け、立ち去ろうとし、ふと思い出したことを振り返り伝える。
「殿下、機会があればルカ様に絵を描くように言ってみて下さい」
「絵を?」
「はい。クマやウサギなどその場で描ける簡単なものを」
「……?」
「そうすれば、完璧な人間なんて居ないことがよくわかるはずですよ」
キョトンとした顔のレオンハルトを残し、わたくしは部屋から立ち去った。
連休中はなかなか書く時間が取れず、次話は明後日投稿予定です。すみません。
ルカsideの話を書こうと思っております。
完結まであと少し……よろしくお願い致します。




