動き出す者5
人気のない、夕暮れの校舎の廊下。
レオンハルトがこちらにゆっくりと歩み寄る。
「最近見かけなかったから、君がどうしているのかが気になってな」
「お気遣いありがとうございます。校舎が別だとなかなかお会いしませんね」
とりあえず、当たり障りのない会話でやり過ごす。
「もしや、私のせいで君に迷惑を掛けてしまったのではと……それも気になっていた」
「いえ、そんな……」
内心はその通りだと思っているが、口に出す訳にはいかない。
「ローズが、君に何かしたんじゃないか?」
「ローズ様が、ですか?」
嫉妬で焦ったローズがわたくしに危害を加えようとしたことは事実だが、そもそもあれはわたくしが煽ったことも原因だ。そして未遂に終わり、今では協力者でもあるローズのことを告げるつもりはない。
「ローズ様には仲良くしていただいてますよ」
わたくしは笑顔で答える。
「本当はいじめられているんじゃないか?それを隠す為に、脅されて無理矢理そう言わされているんじゃないのか?」
(は?一体何を言っているのかしら?)
あまりにも斜め上なレオンハルトの解釈に、笑顔が引き攣りそうになる。
むしろローズに仲良しの振りを頼んだのは、わたくしのほうであるのに。
「あの、本当に大丈夫ですよ。ローズ様には良くしていただいてます」
それでもまだ、疑わし気な目でこちらを見てくる。
「それに、殿下のほうがローズ様の性格をよくわかってらっしゃるんじゃないですか?あの方は陰湿なことをするタイプではありません」
そう。ローズ自身が直接わたくしと対峙した事をみても、正々堂々と真っ向勝負を好むタイプだ。
そんなことぐらい、長らく婚約関係を結んでいるのならわかりそうなものなのに……。
「それは、そうなのだが……」
何故か、レオンハルトは苦々しく呟く。
その姿は、ローズがいじめていなかったことを残念がっているようにも見えた。
──まるで、わたくしがいじめられているほうが都合が良いような……。
わたくしはじっとレオンハルトの表情を読む。
最初は、新入生であるわたくしに親切に道案内をしてくれただけだと思っていた。
でも、それ以降の彼の行動はどうもおかしい。
「あの、以前から気になっていたのですが、殿下はどうしてこんなにも私のことを気に掛けて下さるのですか?」
わたくしは思い切って、疑問をぶつけてみる。
原因を取り除かないことには、いつまで経っても問題は解決しそうにない。
わたくしは平穏な学園生活を送りたいのだ。
「その、それは……実は君とは以前にも会ったことがあるんだ。3年程前に王都で」
「え?」
「覚えてないだろうか?髪と瞳の色を茶色に変えていたのだが」
(あっ!)
3年前に王都で出会った高位貴族らしい少年が思い浮かんだ。
「もしや、レオ様ですか?」
「ああ!そうだ!やはり覚えていてくれたんだな」
レオンハルトは花が綻ぶように嬉しそうに笑った。
対してわたくしの内心は冷や汗が止まらない。
(危なかったですわ!)
高位貴族の子息だろうとは思ったが、まさか王太子があんなところで1人ふらふらしてるとは思わなかった。
もしもあのまま護衛から引き離し続けて、レオンハルトの身に何かあれば、物理的に首が飛んでもおかしくなかった。
すぐトラブルに首を突っ込むオリバーと、自身の立場を省みない行動を取ったレオンハルトに殺意すら芽生える。
そして高位貴族の子息だろうと判断し、なるべく失礼にならないよう振る舞った当時のわたくしを褒め称えたい。
「知らなかったとはいえ、あの日は大変なご無礼を……」
「違う!そうじゃないんだ。私はあの日の出来事を大切に思っている」
そう言うと、レオンハルトはうっとりとした表情で語り始める。
「気分が悪くなった私の背中をさすって、足の傷も癒やしてくれた君の優しさも、私の服や口の周りを拭ってくれた世話焼きなところも、露店のリボンですら遠慮する控えめな姿も……今でもありありと思い出せる」
「………」
(どうやら殿下の中ではかなり美化されてしまっているようですわね……)
気分が悪くなったレオンハルトの背中をさすったのは、たしか彼に「背中をさすってくれ」と頼まれたからだ。
それに、高位貴族の子息かもしれない彼が痛いと訴えたから傷も治した。
タレを拭ったのは、高級な白いシャツにシミを作りたくなかったからで、口周りはそのシミを取るついでだった。
露店のリボンは、そもそもレオンハルトが金貨しか持っていなかったのに「私が何か買ってやろう」と言い出したのが原因だったはずだ。
「あの時のリボンはまだ持っているのか?」
「え?……ええ、大切に保管してあります」
捨てた記憶はないので、どこかにしまってあるはずだ……たぶん。
「あれは思わず私の色を選んでしまったのだ」
レオンハルトは少し頬を染めながら告げる。
「……空色に金の刺繍のリボンでしたね?」
「ああ!本当はあのリボンを着けた君を見たかったんだが……」
これは、本格的にあのリボンを探し出さなければならない。
「あの後も、王都で君の姿を探した。でも結局見つけられなかった」
「あの時は兄をこの学園に送るために王都に来ていたので、すぐに領地に帰ったんです」
「そうだったんだな。だからこの学園でオリバーを見かけた時には驚いたぞ。その時に初めて君たち兄妹が貴族だと知ったんだ」
「そうでしたか」
やっと謎が解けた。
どうやらレオンハルトは、あの王都での出来事をとても大切に思ってくれているらしい。
たしかに、王太子である彼にとっては新鮮で刺激的な時間だったのだろう。
だから、わたくしと再会して親近感から声を掛けたのかもしれない。
そうわたくしが納得しかけた時、レオンハルトが再び口を開いた。
「君と学園で再会した時に感じたんだ。やはりこれは運命なんだと」
なぜだろう……そう言って微笑むレオンハルトの表情がひどく歪に見える。
わたくしは無意識に後退っていた。
「運命、ですか?」
「ああ、私と君との出会いは運命なんだよ」
レオンハルトは大きく数歩前に出ると、右手でわたくしの左手首を掴んだ。
その大きな掌と手首を掴む力強さに、わたくしはビクリと身体を揺らす。
しかし、レオンハルトはそんなことには構わずに、距離を詰めてくる。
「君が私の傷を光魔法で癒やしてくれた姿は、あの物語そのままでとても美しかった……。あれからずっと君を忘れられなかったんだ」
わたくしを見るレオンハルトの表情は恍惚としている。
それなのに、なぜか美しいはずの空色のその瞳は仄暗くひどく虚ろで……。
「君だって私を忘れていなかった。安心したよ。これでやっと君との関係を進められる」
運命?物語??レオンハルトが何を言っているのか、さっぱりわからない。
ただ、背中を得体のしれない感覚が這い回り、頭の中で警鐘を鳴らす。
「あ…、の……」
──手を振り払わなければ、この場から逃げなければ
それなのに、身がすくんでしまっている。
思わず目を逸らし俯向けば、顎を掴まれ無理矢理上を向かされた。背の高い彼の顔がわたくしに影を作り、虚ろな空色がどんどんと近付いて来る。
「兄上、こんな所で何をしていらっしゃるのですか?」
その時、場に不釣り合いな明るい声が響いた。
読んでいただき、ありがとうございます。
この勢いのまま、きりの良い所まで書いてしまいたいので、明日から時間は不定期になりますが、なるべく毎日投稿出来ればと思っております。
よろしくお願い致します。




