受難の日々2
それは昼休みの出来事だった。
最近のわたくしはレオンハルトとの遭遇を避けるため、食堂やカフェでは食事を取らずに、朝のうちに寮の食堂でパンなどを買い、自分の教室で食べるようにしていた。
しかし、今日は同じ寮のエミリーが朝食の時間になっても食堂に現れず、心配で部屋を訪ねると熱でぐったりとしていたのだ。
慌てたわたくしは看病に必要なものを食堂に頼み、寮の管理人に連絡をしたりとバタバタとしていて、昼食を買うことをすっかり忘れてしまっていた。
仕方なく、昼休みが始まるとカフェでサンドイッチを買い、レオンハルトに見つかる前にと急いで魔術師科の教室へと向かっていたのだが……。
同じ魔術師科の制服を着た、女子生徒3人に声をかけられた。どうやら3年生のようだ。
わたくしの名前を確認され、それに答えると、話があると中庭へと連れ出されてしまった。
今日は天気が良いので多くの生徒が中庭のベンチで昼食をとっている。
そんな生徒達の前を通り、中庭からは死角になるであろう場所で3人は立ち止まる。
「ここでいいわ」
そう言うと、女子生徒の1人がくるりとわたくしの方へと向き直る。
彼女の少し赤みがかった、長い金髪がふわりと舞った。
そして、わたくしを見つめるツリ目気味の鳶色の瞳が怒りを顕にしている。
「改めて。はじめましてアリア・ローレンさん。わたくしはローズ・クレメント」
(クレメント……と、いうことは、やはりこの方がレオンハルト殿下の婚約者ね)
この国の王太子であるレオンハルトには幼い頃より婚約者が居る。
それがクレメント候爵家の令嬢であることをアリアは知っていた。
そしてレオンハルトとの噂が婚約者の耳に入ることを危惧していたのだが……。
「はじめまして。アリア・ローレンと申します」
わたくしは挨拶をし、そのままローズの次の言葉を待つ。
「ローレンさん、顔をあげてちょうだい。あなたにお聞きしたいことがあってお呼びしたのよ?」
「はい。なんでしょうか?」
「わたくしがレオンハルト殿下の婚約者ということは知ってらっしゃる?」
「はい。存じております」
「じゃあ何を聞きたいのか、もうわかってらっしゃるわよね?」
ローズは優雅に微笑んでいるが、その笑顔からは怒りが滲み出ており、全く感情を隠せていない。
そしてローズの側に居る2人の令嬢も、怒りに満ちた顔でわたくしを睨みつけている。
「いえ、私にはよくわからないのですが……」
「まあっ!」
わたくしのとぼけた様子にローズの怒りと声の大きさがさらに跳ね上がった。
「あなたとレオンハルト殿下との噂のことよ!」
「噂、ですか?どんな噂でしょう?」
わたくしは彼女達の怒りを受け流したまま、とぼけ続ける。
「あなたとレオンハルト殿下が、恋仲だという噂です」
「そんな噂が流れているのですか?」
「ええ、そうです。それについてお聞きしたいの」
「私とレオンハルト殿下は恋仲ではありません」
そこは大事なことなのでハッキリと答えた。
しかし、ローズはそれだけでは納得出来ないらしい。
「ではなぜこんな噂が流れたのかしら?」
「さあ?私にはわかりかねます」
「あなた!ふざけているの?あなたがレオンハルト殿下に言い寄ったからでしょう!」
思った以上にローズは堪え性が無いようだ。
「いいえ。学園で道に迷ったところを親切にしていただいただけです」
「そんなはずがないわ!あの方はわたくしの婚約者よ?それに手を出そうだなんて!」
「出していません」
しかし、ローズの怒りは止まらない。
「男爵家のくせに、生意気なのよ!わたくしに逆らったらどうなるのか、わかっているの?」
「どうなるのですか?」
わたくしの態度についにローズは怒りが頂点に達したようだ。
ぶるぶると震えると、右手を高く掲げた。
そこに魔力を集中させると、彼女の右手に燃えさかる炎が現れる。
その様子に、ローズの側に居た2人の女子生徒は慌てたように口々に叫ぶ。
「ローズ様、いけません!」
「落ち着いて下さい!」
しかしローズの耳に彼女達の声は届かない。
わたくしは炎を出現させた彼女を驚いた表情で見つめる。
そんなわたくしを見て、ローズは満足気な笑みを浮かべた。
「今すぐ謝罪して、レオンハルト殿下の前から消えなさい!さもないと」
「はぁ……」
わたくしはローズの言葉を遮るように盛大に溜息をつく。
「な、なに溜息なんかついて」
「ぬるいですわねぇ」
そう言ってわたくしは、ローズを一瞥する。
そんなわたくしの視線を受けたローズは動きを止めた。
「まずはその物騒な炎を消していただけるかしら?」
「なっ?」
「聞こえなかったの?……消しなさい」
「………っ!」
ローズはわたくしの言葉にびくっと体を震わせた後、少し迷ったように視線を泳がせていたが、結局はわたくしの言葉に従って右手から炎が消える。
そして戸惑った表情でわたくしを見つめる。
先程、ローズの炎を見て驚いたのは事実だ。
まさかここまで短絡的だとは思わず、呆れるを通り越して驚いてしまった。
「ねぇ?先程の炎でわたくしが火傷や怪我を負ったらどうするつもりだったの?」
「そ、それは……」
ローズは動揺して瞳の奥がぐらぐらと揺れている。
「そう!あなたは光魔法の使い手なのでしょう?それなら自分で治療すればいいじゃない」
ローズは名案を思いついたとでもいうように、自信有りげに答える。
「治療?なぜ、わざわざあなたに怪我を負わされた証拠を、自分で消さなければならないの?」
「え?証拠?」
「ええ、魔法での攻撃による怪我なら、どの魔法で攻撃されたのかわかりやすいでしょう?」
「………」
火魔法なんて特にわかりやすい。
「そ、それだけなら、わたくしが攻撃しただなんてわかるはずがないわ。だって目撃者が居ないんですもの。この場所は中庭から死角になっていて、見えないのよ」
たしかにこの場所は中庭からは死角になっている。
「でも、あちらからはよく見えると思うのだけれど」
わたくしはそう言って、ローズの左斜め後ろを指差す。
そこには部室棟があり、それは4階建てなので上の階の窓からこちらを見下ろせば、恐らくこの場所は見えるだろう。
「それに、この場所に来るまでに、あなた方に連れ出されるわたくしの姿は中庭に居た大勢の生徒達に見られていますわ」
「それは……」
「レオンハルト殿下と恋仲だと噂されているわたくしが、殿下の婚約者であるあなたに連れ出され、火魔法による怪我を負った……。周りはどう判断するかしら?」
ローズは青い顔をして黙ってしまった。
レオンハルト殿下との噂が流れていると知った時に、わたくしは殿下の婚約者がどんな動きをするのかを警戒していた。
しばらく様子を見るのか、それとも警告という名の嫌がらせをしてくるのか……。
まさか、婚約者本人が周りの目も気にせずに、堂々とわたくしに直接警告をしに来るとは思いもしなかった。
(いえ、一応周りの目は気にしていたようですけれども……)
それでも、この場所でこれは無い。
いくら中庭から死角といえど、外では騒ぐ声が誰かの耳に届くかもしれない。
そして先程指摘したように、建物の窓から見られてしまうような場所だ。
そんなところで怒りに任せて婚約者本人が噂の相手を魔法で攻撃するなど、どれだけ稚拙な計画なのか。
(この様子だと、わたくしのこともたいして調べずに噂だけを耳にしてやって来た可能性が高いですわね)
「はぁ……」
わたくしはもう1度溜息をつく。ローズはそれにビクリと反応していたけれど、これは自分を落ち着かせるためのものだ。
思考も、口調も落ち着きを取り戻す。
「先程も言いましたが、私はレオンハルト殿下と恋仲ではございません。こちらから言い寄ったりもしておりません。そして、殿下と恋仲になりたいとも思っておりません」
「………」
ローズは先程の勢いはなく、大人しくチラチラとわたくしの顔を見ている。
「ですので、クレメント様がわざわざ警告に来る必要はないのです」
「だって、レオンハルト殿下はわたくしの婚約者ですもの。そんな婚約者を奪いに来る者には、わたくしが直接話をつけるべきだと思いましたの……」
「それがそもそもの間違いです。クレメント様自ら動いてはなりません」
「そうなの?」
「ええ。特に今回のように誰かを貶める際には、なるべく証拠を残さぬよう、信頼できる他の者に頼むべきです」
「……なんだか卑怯なやり方だわ」
ローズが両眉を下げている。
3対1で呼び出しておいて何を言うのかとは思ったが、口には出さずに別の方法も伝える。
「でしたら、逆にクレメント様の器の大きさを見せつけるように動くのはいかがですか?殿下と恋仲だと噂されている私と仲睦まじくしている姿を周りに見せれば、クレメント様の評判が下がることはございませんし、嘘の噂も消えていくでしょう」
わたくしは『嘘の噂』という部分を強調して伝える。
短絡的で稚拙でも、彼女は候爵令嬢で王太子の婚約者だ。敵に回せばこちらの身分ではひとたまりもない。
それならば味方にしてしまうほうが安全だ。
ローズは何やら考え込んでいる。
(それに、殿下も自分の婚約者と仲の良い女性に言い寄るなんてことはしにくいでしょうし)
レオンハルト対策にもなるはずだ。
「あなたはこういったことに詳しいのね?」
「………」
わたくしは無言でにっこりと微笑んだ。
「ねぇ、本当にレオンハルト殿下とは……」
「誓って恋仲ではございません。今後そのようなつもりもございません」
「でも……」
まだ迷っているようだ。最初の勢いはどこへやら、意外と慎重な性格なのだろうか?
「不安でしたら、それこそ私と共に過ごして、私を見張られてはいかがですか?」
わたくしのその言葉に、ローズはやっと納得したようだった。
「わたくしのことはローズと呼んで」
「はい。ありがとうございますローズ様。私のこともアリアと呼んで下さい」




