入学と再会4
「あの、兄のことをご存知なのですか?」
「いや、ご存知も何も…………」
(何なんでしょう?)
フィンは言葉を途中で止めたまま、今度はテオドールに
話しかける。
「なあ、この子もこんなにかわいいのに、やっぱりローレン先輩みたいに……」
「いや、アリアは違うよ」
「でもさ、ローレン先輩も見た目あんなに人畜無害そうなのに、実際はえげつなかったじゃねーか!」
フィンは興奮してさらに声が大きくなっている。
(人畜無害……まあ、そう見えなくもないですわね)
オリバーも母譲りの薄桃色の髪にぱっちりとした翠の瞳をしており、体格も男性にしては小柄であまり強そうには見えないのだ。
「いや、あれはオリバーだけだから。本当に大丈夫だから」
テオドールが懸命にフォローしてくれていて、なんだか居た堪れない気持ちになる。
(お兄様ったら、そんなに暴れていたのかしら?)
「あの、イリック先輩。兄がご迷惑をかけたみたいで、すみません」
わたくしは申し訳なさそうな表情と声を作り、オリバーとは違って常識人であることをアピールする。
「あっ!いや、その、俺が直接何かされたわけじゃなくって……こちらこそ初対面なのにごめん」
フィンはわたくしの態度に我に返ったようで、慌てて謝罪をしてくれた。
「あの、兄は一体何を……?」
「いやぁ、なんていうか……あんなに人が吹っ飛ぶのを初めて見ちゃったから……」
「………」
「でもアリア、たまたま僕もフィンと一緒に見てたんだけど、ちゃんとオリバーは植え込みに飛ばしていたから。たいした怪我はさせてないよ」
「………」
フォローが全くフォローになっていない。
わたくしはその場で頭を抱えたくなってしまった。
「おーい!そろそろ行くぞ!」
他の騎士科の生徒からこちらへ声がかかる。
「あっ、テオドールそろそろ行こう」
「ああ」
「テオまたね」
するとテオドールが少しだけ寂しそうな表情をする。
「今は同じ学園に居るんだから、またすぐに会えるわ」
「……うん。じゃあ、アリアまたね」
名残惜しそうなテオドールを、なんだかかわいいと思ってしまう。
(これじゃあどちらが年上かわかりませんわね)
まあ、前世を合わせるとわたくしのほうが精神年齢はかなり高くなってしまうのだけれど。
そしてテオドール達と別れたわたくしは、テオドールのファンの女子生徒達に何かを言われる前にと、急いでグラウンドから離れた。
◇◇◇◇◇◇
次はオリバーが所属していた経営学科の校舎へと向かうつもりだったが、先程の件で気が変わる。
またオリバーの妹だと知られてしまう可能性があるからだ。
わたくしはなるべく平穏な学園生活を送りたい。
代わりに部活動や研究会の部室が集まる棟へと向かうことにした。
わたくしは周りをキョロキョロと見渡し、頭の中に案内図を思い出しながら広い中庭を進む。
「ミャオミャオ」
(ん?)
「ミャオー」
(猫?)
わたくしは頭上から聞こえてきた鳴き声に足を止める。
(どこから?)
鳴き声が聞こえてきた辺りに視線を向けると、近くにあった木の上の枝にしがみつく白い仔猫を見つけた。
「ミャオミャオ」
必死に鳴いている。どうやら木の上から降りられなくなってしまったようだ。
わたくしは仔猫の状況を観察する。
仔猫の居る枝の高さは校舎の2階ぐらい。
木の幹や枝は太く、低い位置からも太い枝が伸びている。そして仔猫がしがみついている枝も太く、人が跨っても折れたりはしないだろう。
(…………………無理ね)
熟考した結果そう判断する。
登りやすそうな木ではあるが、わたくしは木登りの経験もなく、仔猫を助け出せるような魔法も持ち合わせていない。
申し訳ないけれど、仔猫には自力で降りてきてもらうしかない。
(頑張ってくださいませ)
心の中から仔猫にエールを送り、わたくしは木に背を向ける。
「ミャオッ!ミャーッ!」
わたくしが立ち去る気配を察知したのか、仔猫が激しく鳴き声をあげだした。
しかし、激しく鳴かれたところで無理なものは無理なのである。
再び仔猫を観察する。
よく見ると仔猫の瞳はオッドアイだった。
今度はこちらを見つめ、儚げに「ミャア」と鳴いた。
(……かわいいですわね)
流石にこのまま放置するのは可哀想な気がしてくる。
わたくしはかわいいものには弱いのだ。
(人を呼んで参りましょう)
そう方針転換した。
「人を呼んで来るから少し待っててね!」
人の言葉がわかるはずもないのだが、木の下から思わずそう仔猫に声を掛け、わたくしはまた木に背を向ける。
「ミャッ!ミャオ!!」
また仔猫が激しく鳴き声をあげたので、振り返ると……
「ミャーッ!!」
仔猫が木の枝から飛び降りた。
──わたくしに向かって。
「きゃああああっ!」
叫び声をあげながらも、条件反射で手を伸ばしていたわたくしは仔猫を上手く受け止める。
そして、そのまま尻餅をつき、地面に座り込んだ。
突然の出来事に心臓がバクバクと音を立てる。
(なっ……、なっ………)
「ミャオ」
鳴き声の主を見ると、澄ました顔でわたくしに抱かれている。
「元気そうで良かったですわ……はぁ」
わたくしは脱力してしまう。
「どうした?大丈夫か?」
すると、こちらを心配するような男性の声がした。
座り込んだまま振り返ると、1人の男子生徒が駆け寄って来る。
しかし、わたくしは仔猫キャッチの衝撃で、頭が上手く働かず返事ができなかった。
「ミャー」
代わりに仔猫が返事をしてくれた。
「君は……」
ぼんやりとした頭でその男子生徒の顔を見上げる。
彼は背が高く、金髪に美しい空色の瞳をし、派手ではないが整った顔立ちをしていた。
どうやら上級生のようだ。
彼は驚いた顔をしながらも、わたくしの顔をじっと見つめる。
わたくしもそのまま見つめ返す。
「あの……?」
「いや、悲鳴が聞こえてきたから、何かあったのかと思ってな」
「あ……それは私ですね。仔猫が急に飛び降りてきたもので、驚いてしまって」
話しながら徐々に頭が動きだす。
「飛び降りてきた?」
「木の上から降りられなくなっていたのです」
「それを君が助けたのか?」
「いえ……偶然上手く受け止めただけです」
元々助けるつもりではあったが、今の状況は偶然だった。
すると、仔猫がするりと腕の中を抜け出し、そのまま走り去ってしまった。
それを無言で見送る。
「もしかしたらラクトフォルス様のイタズラかもしれないな」
そう言いながら、彼はわたくしに手を差し出してくる。
「立てるか?」
「はい。ありがとうございます」
彼の手を掴んで立たせてもらう。
この国が信仰する唯一神ラクトフォルスは、人間界に降り立つ際は様々な動物に姿を変え、人々に気付かれないように気まぐれに人の運命に干渉するという言い伝えがあるのだ。
わたくしも幼い頃に、絵本でその話を読んだことがあった。
(そんなことを言うなんてロマンチストな方ね)
「君は新入生だな。名前は?」
「はい。アリア・ローレンと申します」
「そう……アリア……」
「は、はい」
自分の名前を小さく呟かれ、少し戸惑ってしまう。
「私はレオンハルト・ミズノワールだ。よろしく頼む」
そう言うと、レオンハルトはこちらに笑みを向けた。
わたくしは背中に嫌な汗をかく。
レオンハルト・ミズノワール
クラスメイトのルカの異母兄で、この国の第一王子で王太子の名前だった。
まさか今日1日でこの国の王族に2人も会ってしまうなんて……。
しかし、名前を聞いてしまった以上は無礼な真似はできない。
「殿下。知らなかったとはいえ、大変失礼致しました」
「いや、ここは学園で身分は問わない場だ。だからそんなに畏まらなくてもいい」
「……ありがとうございます」
(そんなわけにはいかないでしょう)
「ローレン嬢は魔術師科なんだな」
「はい」
この学園では所属している学科によって制服のデザインが違う。
レオンハルトは普通科の制服に身を包んでいた。
「こんなところで何をしていたんだ?」
「少し学園を散策しておりまして……」
「そうか……新入生ならばこの広い学園では迷ってしまうだろう。よし、私が案内してやろう」
「………」
(は?)
笑顔を顔に貼り付けてはいるものの、心の中は大荒れだった。
「いえ、殿下に案内していただくなんて、そんな畏れ多いです」
「遠慮はいらない。上級生としての当然の行いだ」
レオンハルトはなぜか機嫌良さげな、ニコニコと悪意の欠片もない顔をしてそう言う。
ただの田舎の男爵令嬢が王太子の親切を無下にするわけにもいかず、わたくしはこの状況をいかに早く終わらせるか頭をフル回転させながら、レオンハルトの提案を受け入れるしかなかった。
よくある、『ヒロインが木の上から降りられなくなった猫を木登りして助けてあげて、それが出会いになる話』を書いてみたい!と書き始めたのですが、イザベラって木登りしてまで猫を助けるタイプじゃ絶対ないな……。となり、こうなりました。
次回はレオンハルト視点の予定です。
よろしくお願い致します。




