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07 編入生はコミュニケーションが取れない

 転入生のラーシャを残して応接室から出た三人は、渋い顔を突き合わせて小さい声で話しだした。


「いや、当初聞いてた話では世界公用語を問題なく使用できるってことだったんだ……ところが来てみたら」

「ほとんど話せないと?」

「一応、聞き取りに関してはすこーしは分かるらしいが、話す方は本当に苦手だということだ。先ほどまで言語学の教師に付き添ってもらっていたので、学園生活で最低限必要なことはイティア語で教えたが……」

「こちらに学びに来たのですよね? 会話でコミュニケーションが取れないというのはかなり問題じゃないですか?」

「そうだよ、授業聞いても分からないじゃん」

「…………私に言うな。一番そう思ってるんだ」


 ミルゼは苦虫を嚙み潰したような顔をした。同時に「戦闘魔術の授業の注意事項どうすんだ……」と頭を抱えている。

 そして何かに気づいたようにレナードを見つめた。


「そういえば、ソーンダイクは語学も得意だったな。イティア連邦国の母国語、イティア語は全く理解できないか?」

「え………………あ、ええ、ほんの、少しだけですが」

「ええ!? 分かるのか? お前凄いな」

「ほんの少しだけだよ。簡単な単語程度で、会話とかはほとんどできない。イティア語は文脈を繋ぎ合わせるのが難しいんだ」


 本当に万全ではないらしい、いつも穏やかな笑みを浮かべているレナードも、さすがに不安そうな表情を浮かばせていた。


「単語だけでも十分だ。先ほどラーシャが何を言ったか分かるか?」

「……たぶん自己紹介だと思います。ユリウスが彼のファーストネームだと」

「おお、聞き取れてるな! さすがだソーンダイク!」


 ミルゼは書類を片手に表情を明るくした。ラーシャのファーストネームはユリウスで間違いないらしい。安堵して「これなら安心だな」と一人笑いながら部屋に戻ってしまう。


「……まあ、来てしまったのならやるしかねえか。追い返すわけにはいかないだろうし。頑張ろうぜレナード」

「ああ、うん。そうだね」


 レナードは仕方なさそうに笑っていた。普段ならいつもの苦笑いだと流してしまうところだが、あることに気づく。


(あれ? 黒モフがレナードに近づいて来ようとしている?)


 遠巻きに見ていた黒モフが、まるで逆らえない磁力に惹きつけられるかのように、ゆっくりとだが確実にグレンたち――レナードに近づいているのが分かった。しかしグレンに近づくと祓われてしまうのを分かっているためか、近づくのを抵抗していた。だが――。


(え、紐?)


 やがてレナード自身から、半透明の黒い紐のような物が伸びて、黒モフたちに向かっていった。当然レナードには見えていないようだ。黒い紐は逃げ出す黒モフを捉えようと伸び続ける。黒モフたちが『ミミミー!』と悲鳴を上げていた。


(あ、まさか!)


 しばらく呆然としてその様子を横目で見ていたグレンだったが、ようやく今目の前で起きていることの理由に気づいた。

 レナードの肩を少し強めに叩く。


「レナード、ちょっと話せるからってあんまり気負うなよ。オレも頑張ってあいつとコミュニケーション取るからさ。二人とも分からなかったら分からないでそれでいいと思うんだよな。幸いこの学園には言語学教師がいるし、どうしょうも無かったらそっち頼ればいいしよ」


 グレンが手で触れたためか、それとも言葉が届いたのか、レナードから伸びていた黒い紐はプッツリと切れて、空気に消えていた。黒モフたちの動きも元に戻り、ただ遠巻きに見ているだけになる。それをみてグレンは小さくため息をつく。


(こいつは自ら連れてきてしまう体質だったんだな……そういう奴もいるのか)


 グレンは初めて見た現象に驚きを隠せなかった。あんな風に自ら引っ張ろうとする体質の人間は初めてだった。

 まだまだ黒モフに関しては分からないことが多なと改めて思う。そもそも同じように見える人間がいないので、話し合って研究することもままならない。黒モフという一見可愛らしい名も、勝手にグレンが付けているだけで、その性質を考えると人によってはもっと怖い名をつけてもおかしくはない生物?ではある。


「そうか……そうだね」


 やっとレナードはいつも通り穏やかに微笑んだ。その顔がどこかほっとしたようにも見える。


(これは本人苦労しているんだな……強そうに見えてわりとメンタルが弱いのかもな)


 本人は否定するだろうがその可能性は高い。それに見えはしないが黒モフの影響はでているのだから、引き寄せ体質であることは不幸でしかないだろう。


(………………困ったな)


 グレンの経験上、黒モフと特殊な反応を起こすタイプは放置が一番だ。理由が分からないことが多い上に、ともかく面倒ごとになることが多い。だからレナードにも深入りしない方が賢明だと分かっている。


(……コイツ、年下なんだよな)


 グレンは年齢を偽っているので、レナードが年下なことは明白だ。そして弟妹が多いグレンは、自分より若い相手を放置するというのが苦手だ。お節介を焼きたくなってしまう性分だったりする。それは黒モフが見えていることも原因だ。


(せめて学園にいる間は)


 もう少しレナードと黒モフの関係性について気に掛けようとグレンは密かに思った。


「よし、じゃあ頼んだぞ、ソーンダイク、カースティン。予鈴が鳴る前に戻ってきてくれ」


 任務は終わったとスッキリした表情を浮かべるミルゼに追い出されて、グレンたちはラーシャと共に部屋から追い出された。遅刻した関係もあって本日から教室で授業を受けさせるのは止めたらしい。グレンたちの校舎案内が終わったら、寮に戻して部屋の片づけをさせて、翌朝改めてクラスで自己紹介するとのことだ。


(まあ確かにこんなのが紹介もなしにクラスにいたら落ち着かないだろうしな……特に女子生徒が)


 レナードを挟んで反対側にいるラーシャを見上げながらグレンは思った。

 作り物に見えたという点からでも、顔が整っているのは言うまでもない。そのうえ身長もレナードと同じくらいに高く、細身に見えるが手足も長くて筋肉もそれなりに付いているのもうかがえる。おまけにイティア連邦国の大商人の息子となれば将来性も高いだろう。多少会話が難しくても、声をかける女子生徒――否、商売の観点から野心のある男子生徒が擦り寄ってくる可能性も高い。


(ミルゼ先生もその辺分かってオレたちを選んでるんだろうな)


 レナードがそういう野心を持っていないのは、この間聞いた話で十分に分かっていた。グレンも実家が商売とは無縁の立場の人間ばかりなので、あまり興味が湧かない。そもそも偽名なので学園から去ったら顔を合わせることもない。ミルゼはそんな二人の内心を見抜いていたに違いない。


(どうなるかなぁ明日から……)


 グレンは軽く目を閉じて、明日から起こるであろう面倒くさい問題に一人ため息をついた。

 しかし――しばらく歩いたところで、隣に気配がないことに気づく。


「ん、どうしたんだ? 二人とも?」


 振り返るとレナードとラーシャがかなり後ろで立ち止まっていた。よく見ると足を止めていたのはラーシャらしく、レナードはどうかしたのか尋ねていた。


「突然ラーシャが脚を止めてしまって……ラーシャ? どうした? 痛い?」


 レナードが伺うようにして尋ねているが、ラーシャは正面――廊下の先を青い顔をして見つめるだけで反応はしなかった。

 グレンは彼が何を見ているのか気になって振り向いた。


(――別に何もないよな?)


 ラーシャの視線の先にはただ廊下が続いているだけだ。専門教室が入っている棟なので、昼休みということもあり人通りの少ない場所だ。強いて言うなら黒モフが廊下の隅に集まっているのが視界に入るが、それはグレンが視線をむけると鳴きながら小さな足を動かしてそそくさと逃げていく。いつもと変わらない光景だ。


「え、あれ? 大丈夫?」


 レナードの焦った声が聞こえて再び振り返ると、ラーシャが再び歩き始めていた。顔色は元に戻っている。

 けれどグレンの側に来た途端、ジロリと睨み降ろしてきた。


「ん?」

「……▽〇××△」

「え、何? ごめん聞き取れない、分からない」

「……」


 イティア語が理解できずグレンが首をかしげると、ラーシャは軽く鼻を鳴らして先に歩き始めた。そこへようやくレナードが追い付いてくる。


「何か言ってた?」

「わかんね……なんか睨まれた」

「え? ……そういえば初めて会ったときもグレンを見てたよね」

「ああ。オレなんかしたか? 覚えがないんだけど」

「うーん、特にはしてないと思うけど。僕もわからないな」

「××〇△!」


 レナードと話していると、前を勝手に歩いていたラーシャが振り返って声をかけてきた。


「あいつ、何言ったか分かったか?」

「『早くして』って感じに先を促しているんだと思う、たぶん」

「早くって……お前が脚を止めたんだろ」


 イラっとしてしまったが、再びラーシャが声をかけてきたので、仕方なく急いで側に駆け寄った。

 その後は時々ラーシャが脚を止めることはあったものの、予定通り専門教室の案内は終えた。これなら明日の昼休みの案内で主要な部分はほぼ網羅できる。あとはパンフレット片手に自分で散策するしかない。なにせこの学園は広すぎるので、全部案内しようと思ったら丸一日かけても終わらない。


「おう、ありがとうな。じゃ午後の授業頑張れよ!」


 応接室にラーシャを届けると、ミルゼにそう背中を押された。

 午後の授業はつつがなく終了し、帰り支度をしていると、レナードが寄ってきた。


「夕食に連れていけ?」

「うん、食事の場所は口頭で教えたけど、ミルゼ先生は心配しているみたいで、僕らに一緒に行って欲しいらしい。というよりラーシャ君に「二人が迎えに行く」って約束してしまったそうだよ」

「ったく、勝手だな~」


 ミルゼはレナードが一部でもイティア語を理解していることに希望を見出しているらしく、全力で頼ってくるつもりのようだ。こういう事態を考えると、レナードが不安を覚えても当然だろう。


「あ、忙しかったらグレンは別に」

「忙しくなんてないよ。飯に連れていくだけだろ。一緒に行くよ」

「助かるよ」


 学園では授業が終わった後はクラブ活動をする生徒もいるが、グレンはもちろんだがやレナードもクラブには所属していないので帰るだけだった。クラスメイトがそれぞれの場所に向かっている中、二人は寮に向かって一緒に歩き出す。


「あいつ何考えてるか分からねえからな、案内中もずっと黙ってたし」

「う、うん……」


 普段人の悪口など言わなそうなレナードだが、さすがにラーシャの様子には辟易していたのか、苦笑いで肯定した。

 ラーシャの案内はスムーズに進んだものの、会話は全く弾まなかった。もちろん会話できないのだから仕方ないのだが、こちらが説明してもほぼ無反応にジッと教室の様子を伺うだけで、頷くか首を振るくらいしか意思表示をしてこなかったのだ。


(折角もう少し楽しませようとしたのに、オレの方は睨むだけだしよ……)


 率先して校内案内をするレナードに対し、グレンはなるべくラーシャに話しかけるようにした。話しているうちに、少しは言葉を覚えてくれるかもしれないという期待を込めての行動だ。

 しかしラーシャは、レナードの説明には素直に頷いたりするのに、グレンが声をかけるとあからさまに眉を潜めた。当然反応は返さない。言葉が分からないなら分からないでアクションをしてくれればいいのに、スルーなのだ。それどころか少し距離を取ろうとするし、必ず間にレナードを挟んで歩こうとした。だがグレンは負けじと話し続けた。結局最後まで無視されたが。


「僕は君に対する態度が気になった。君に非はないと思うのに、ああいうのはちょっと」

「そうなんだよな、初対面だし恨み買った覚えはないんだけどな~」


 あそこまで睨まれる覚えはないのだが、一体何が原因なのか分からなくて困る。


「やはり、夕食は僕一人で迎えに行こうか?」

「いいや一緒に行く」


 ラーシャは黒モフを全く寄せ付けない体質ということで、グレンからしたら大いに興味があった。ここで距離を取るのはもったいない。


(あいつが黒モフを寄せ付けない理由が分かれば、オレの知識も広がるし……レナードの付きやすい体質もどうにかなるかもしれないし)


 今後の仕事の役にも立ちそうだ。是非とも彼とは仲良くなり、その辺りの秘訣を探り当てたい。


「そうだ。なあイティア語の教科書とかレナードは持ってるのか?」

「イティア語の教科書?」

「アイツの国の言葉を少し覚えようかと思ってさ。母国語で話しかけられたら、驚いてさすがに反応返すだろう?」


 グレンと共通語で話す気がないなら、母国語を使って話す気にさせてやれ作戦だ。


「それ、いい考えだね!」


 困り顔をしていたレナードの表情がパッと明るくなった。

 しかし、レナードは昔親の知り合いにイティア人がいたらしく、その関係で単語を少しだけ覚えただけなので、さすがに教科書は持っていないという。


「でも、ここの図書館なら教科書もあるんじゃないかな。学園の図書館はかなり大きいし。帰りに行ってみようよ」

「図書館……確かにでかいのが通学路にあったな。そこならありそうだ。でもその前に教員室寄っていいか?」

「教員室?」

「イティア語を話せる言語学の教師がいるってミルゼ先生は言っていたよな。その先生にどの本読めば覚えやすいか聞いてみた方がいいかと。もしかしたらいい本を貸してくれるかもしれないし」

「あ、そうか、先生に尋ねればいいのか」

「そうそう、教師は使わないとな」


 二人はそのまま教員室に向かった。言語学の教師も数人いるのでミルゼにどの教師か尋ねると、彼女は「お前たち本当にいい奴だな。友人のために言葉を覚えようなんて!」と大げさに感動していた。叩かれた肩が痛い。

 紹介してもらった教師もさすがに教科書は持っていないらしく(そもそもイティア語は学園の学習範囲じゃない)、図書館にありそうな本でお勧めを教えてもらった。ミルゼに美談として語られた二人の行動に言語学の教師も感動してくれて、一般生徒では入れない特別室の鍵も渡してくれるよう司書宛の手紙も書いてもらった。

 ここまでくるとイティア語を学ぶ理由が「腹が立ったから」とはいえず、黙って美談のままにしておいた。

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