04 学食の謎ブーム
「――はぁあ……」
にぎわう学食の席でグレンは、テーブルの向こう側で転がる黒モフに視線を向けながらも、思わず深いため息をついた。
始めてきた学食は比較的黒モフは少ないなとグレンは思った。きっと食事で多少なりとも気持ちが明るくなる人が多いので、寄ってきにくいに違いない。
(くそ、ミルゼ先生に助けられた)
ミルゼが突然提示した食券の話は、断ったことに後悔はしているが引っ込みがつかなくなったグレンに対する助け舟であるのは明白だった。彼女の思惑通り、あれだけ拒否したもののグレンは「食券があるならやるか」の態で結局レナードと共に編入生の世話をすることになった。
レナードもグレンが空腹キャラだと思っているので、態度をコロっと変えても普通に納得していた。おかげで気まずくなった(とグレンが勝手に思っている)レナードとの空気も元に戻った。正直ほっとしている。
(だけど……結局ミルゼ先生の思い通りになってしまった)
食券を貰えたことも、レナードとの空気が元に戻ったこともありがたかったが、結局転入生の世話をすることになりなんだか納得がいかなかった。
「そういえば、グレンと昼食をとるのははじめてだね、いつも何処かへ行ってしまうから」
そう言いながらトイレから戻ってきたレナードはグレンの目の前の席に着いた。
「そうかもな」
「普段はどこで食べているんだい?」
「え? あー天気がいいし、外で?」
「売店利用ってこと?」
「まあそんな感じ」
――大嘘である。
何故なら相変わらず昼食問題は残っている。バイトもできないこの全寮制の学園では、昼食をとるためのお金を得ることができない。
ただ、グレンもただ腹を空かせているだけじゃない。ちょっと姑息な手段――朝食のパンをたくさんもらって、昼食用にこっそり袋に詰めている――をとっているおかげで空腹ではない。けれどそんな食事を他人の目があるところで取るわけにいかないので、人目につかない外でこっそり食べているのだ。
「そうなんだ、僕も今度そうしようかな」
「え? ああでも、ベンチとか意外と埋まってて、いつもゆっくりできないからお勧めはしない。オレもやめようかと思ってたところだし」
「ああ、そうか。皆同じ考えなんだ」
そんなことを話していると、テーブルにウエイターがやってきて、食事を次々と並べていった。
(学園の学食ね……)
学園の“学食”と言うから街の食堂系を想像していたが、そこは流石に金持ち学園でどちらかといえば高級レストラン形式だった。受付があり、そこで食券を渡し、ウエイターがテーブルに案内してくれるという丁寧っぷりだ。もちろん配膳や片付けもウエイターが行うので、生徒がやることと言えば、外で食券を買って受付に渡す程度である。
(これで庶民の考え方を~なんて思ってるから金持ちなんだよな)
レストラン形式の店(それも高級ではなく庶民ファミリー向け)なんて、年に一度程度しか行けないグレンにとっては、庶民がいうところの”学食”の認識を全く理解していないと、思わざるを得ない。
「確かにちょっと普通とは違うね、教師用のって。素朴な感じ」
「……いや、すごい豪華だろ」
メインの肉料理のほかに、サラダにスープ、副菜とデザートまでついて七品ある。一度に来たので、広めのテーブルの上がぎっしりだ。グレンが聞いた噂によると高級レストランでは一品ずつ配膳されるというので、その辺は学園という場所に合わせていのかもしれないが、教師用でこれだというのだから生徒(学園のお客様)用はどうなっているか疑問である。
「え、けど品数少ないし、メニューもそもそもメインも選べないって言うし、料理の内容もなんというか栄養価重視というか……地味だよね? 特別と言えば特別だけど……?」
「あ? え!? あ、ああそうだ、な……」
まさか学食利用が初めてだとはいえず、グレンは笑顔のレナードに話を合わせた。ますます生徒用のメニューが気になるところではある。
「とりあえず食べようぜ、腹減ったし」
「そうだね」
話を誤魔化すため、そそくさと食事を促した。手を合わせて挨拶すると、さっそくサラダに手を着ける。
(う、美味い! やっぱり滅茶苦茶美味い!)
朝食と夕食は寮で提供されているため、この学園の料理のクオリティが高いのは知っていたが、昼食も間違いなく美味しかった。丁寧にかつ繊細に作られた食事は、素材の味を生かしつつしっかりと味付けされていた。普段のグレンが口にする食事とは、何十倍の差がある。といってもアレはアレで美味しいのだが。
(ここのところ昼食が固くなったパンだけだったから余計に……美味い! 美味いよ……)
こそこそと校舎の端で食べる(朝食からくすねた)パンだけの食事は寂しかった。この学園の寮で提供されるパンは美味しいが、調理から時間が経っているため固くなり、これといった味付けもないので、もそもそと水と共に流し込むことしかできない。空腹で唸る腹を満たすためでしかなかった。
あの惨めな光景を思い出すと、涙がこぼれそうである。
「……そんなに美味しい?」
「へ!?」
爽やかにレモンが香る水で喉を潤していると、正面にいたレナードからそんな声が聞こえた。
顔を見ると驚いている表情を浮かべていた。
(やべ、オレめちゃくちゃガッツいて食ってたかも)
学園と言うことで、そこまでマナーに煩くないとは分かっていても、汚らしい食べ方をしてしまうのはまずい。一応『カースティン』という苗字は借り物で、当然ながら実在する。依頼主が今回の件のためにグレンをカースティン家の子供という設定にしたとはいえ、伯爵家の品格を疑われるような真似をするのは流石にまずいと思った。
しかし、あわててテーブルの上を見たが零していることはなく、口の周りを触れてみても顔にソースが付いているということもなかった。
「ああ、違うよ。食べ方にどうこうではなく…………すごい笑顔で美味しそうに食べるから」
「そういう……いや、うん美味い、よな。すごく」
正直な感想である。
昼食に困っていたとはいえ、寮の食事もグレンが普段食べているものとはグレードが違い過ぎて、どれもこれも「やばいほど美味い」と常に思っていた。初日など美味しすぎて思わず「フフ」と鼻から笑い声が出てしまったほどである。普段の生活に戻った時を心配してしまう。
「……ふふ、そっか」
しかしグレンの正直な感想を聞いたレナードは突然小さく笑い始めた。
「なんだよ……馬鹿にしてるのか」
馬鹿にされたのかと思ってグレンが眉を顰めれば、レナードは慌てたように頭を振る。ポケットに手を伸ばすと、小さい紙をグレンへ差し出した。
「ごめん、違うんだ。馬鹿にしたわけじゃなくて……あまりにも幸せそうだからちょっと伝染して。……あのさ、良かったら、僕の残りはグレンが使ってくれないかな」
レナードが寄こしてきたのは、今日ミルゼに貰った食券の残りだった。最初に半分こしたので二枚分である。
「え!? お前の取り分だろ? もらえないよ」
「そう言わないで、もらってよ。教員食は一度食べたら好奇心は満たされたし、僕は特別食が食べたいんだ」
「特別食?」
「あれ、まだ食べたことない? すごいんだよ、特別食って」
いつも穏やかな様子とは違い、少し目を輝かせてレナードはその特別食について語り始めた。
なんでも学食では一番人気となっている食事らしく、しかも一種類ではなくともかく種類が豊富なんだという。
「最近は特別食の親子丼っていうのにハマっているんだ。こう、ちょっと味付けが濃いんだけど、そこが癖になる感じで……鶏肉と卵を合わせて親子と呼ぶなんて斬新だよね」
そのままレナードは過去に嵌ったという「天丼」「ナポリタン」「カレー」「ハンバーガー」などを語ってきた。最近は交易のおかげで他国の食文化が貴族や金持ちの間でも広がり、この学園の学食でブームが起きているという。
(……それっていわゆる普通の食事じゃ……)
グレンは言葉を飲み込んだ。
先ほどレナードが言っていた食事の名は、他国の食文化である。だが、それはとっくに庶民では広がっていて、すでに当たり前になりつつあった。正直「いまさら?」な感じである。
(でも確かに今頃ブームが来ているんだな……)
周囲を伺ってみると確かに他のテーブルは皆丼ものか一品料理系――教員食のようにいくつも数がある料理とは違う物がテーブルの上に並んでいることに気づいた。体格のいい男子生徒がいるテーブルには一人の前に丼ものの椀が二つ置かれている場合もある。
レナードの言うように生徒たちの間では特別食――グレンにとっては一般的な食事が、学食で流行っているのは間違いなかった。
(逆輸入?)
小さいときから高級料理を食べてきた彼らにとって、庶民が食べるような食事は逆に珍しく、若い彼らの好奇心と食欲を満たしてくれるのだろう。確かにグレンも、この教員食は少ないと思うし、かつ丼を食べた方が満足感は得られやすい。どんなに金持ちであろうと成長期は質より量である。
(かといってパンだけというのは論外だけど……)
しかし、特別食が普通の食事とはいえ、さすがは金持ちの学園、聞くところによると値段は通常の十倍はする。きっと素材からして違うのだろう。――ならグレンに迷う理由はない。
「――ありがとうレナード! なら、貰っとく!」
グレンは貰った二枚の食券を強く握りしめた。
(これであと四日間は昼食を確保できた!)
パンをもそもそ食べずに済むことが分かって、内心笑いが止まらない。
「そんなに喜んでもらえるなんて、よかったよ」
レナードも嬉しそうに笑っていた。なんていい奴なんだとあたらめて思った。




