02 友人は黒モフに好かれているみたいです
貴族や大商人といった、特にお金持ちの子どもが通うガルディウス魔術学園は、将来性のある子どもたちに高等教育と魔術教育を行う場所だ。そこに、とある事情を抱えて貧乏貴族のグレンという少年が、身分や年齢を偽り入学していた。
彼は他人が見ることのできない、『黒モフ』と呼んでいる黒い綿のような存在を視認することができた。その黒モフはグレンにとっては可愛らしく小動物のようにみえるのだけれど――人にとりつく。するととりつかれた人は精神を病む――というのが経験上分かっていることだ。そして彼はその黒モフを祓うことが可能だった。
グレンはその特殊な能力を知る人物から依頼を受けて、ある人物の黒モフを祓うために学園にやってきたのだった。
そんな事情から入学して五日目。
(今日もめいいっぱいつけてるな……)
教室の入り口に立ってグレンは小さくため息をついた。お金にはならないけど「世話になっているから仕方ない」と、そのまま目的の人物の後ろに立ち首元めがけて少し強めに叩いた。
「よう、おはよう。レナード」
目的の人物――友人のレナードにびっしりついて『ミーミー』と鳴いていた黒モフが、ぼふっと音が立ちそうな勢いで舞い上がり、消えていった。
「ああ、グレン。おはよう」
赤茶の髪に黒縁眼鏡をかけた整った顔立ちのレナードは、あれだけ黒モフをたっぷりつけていたのに、表情はわりと明るい。普通なら顔色が悪かったりするのだが、少し眠そうな以外は大きな変化がない。
(前もあれだけ付けてて「ちょっと胃が痛い」って言っていただけだし、こりゃ体質だな完全に)
黒モフは精神的に弱っている、もしくは何か悪い事を考えている人間に取り付くのが通常だ。人の黒く染まる心に集まってくるのだろうと――グレンは勝手に思っている。勝手に思っている、というのは黒モフを他に視認できる人物に出会ったことがなく、グレンの経験からして語ることしかできないからだ。
しかし、稀に本人には問題がないのに、やたら黒モフに取り付かれやすいタイプがいる。レナードがまさにその体質である可能性は高い。こういったタイプはある意味“慣れてしまっている”ため耐性がある。
(この五日間、毎日のように朝から付けているからな……)
グレンは、他の生徒に話しかけられているレナードを横目に見ながら、一番後ろにある自分の席に着いた。
クラスにいる他の生徒も黒モフが多少身体のどこかに付いているが、朝のレナードのように顔中たっぷり付けている人間はそういない。
それに普通はグレンに一度黒モフを祓われると、そう簡単には黒モフはくっ付かなくなる。個人差はあるものの、普通の人間なら七日間ほどは綺麗な状態のままだ。悪だくみを考えている人間でも二三日はもつ。
ところがレナードは初日の校舎案内から毎日のように顔に纏わりつかせている。最初のうちはかなりまずいほど悩みがあるのかと思ったのだが、この四日間親しく話をするようになって、そんな心を蝕んでいたりやましいことを考えているタイプとはグレンには思えなかった。
(まあ、もちろんアイツの全部を知っているわけじゃないけどな。本当は凄い悩みをかかえているかもしれないし)
だがどちらにせよ黒モフがあれだけ集まっているのは良くない状態だ。心を病んだことで黒モフが集まり、黒モフが集まったことで余計に心を病む――そうやって連鎖的にどんどん悪い方向へ進んでしまう。学園に来る前はそういう人を何人もグレンは“診た”。
(……レナードは、いい奴なんだよななぁ)
学級委員長という立場云々だけではなく、レナードがとても面倒見のいい少年だというのを、グレンはこの五日でよくわかってきていた。だからこそ商売事情を忘れて祓っている。
「グレン」
「ン?」
一時間目の授業の教科書を取り出そうとしていると、レナードが声をかけてきて、持っていたノートをグレンの机の上に置いた。
「……このノート」
「去年使っていた僕のノートだよ。良かったら使って」
「いいのか?」
「魔法生物の授業が難しいって言ってたよね? 二年からの入学じゃ、難しいのは当然だろうなって。だから一年生の授業が分かるように、ね」
「……ありがとうな」
レナードは「他にも分からない科目があったら教えて」と言いながら爽やかに去っていく。
グレンは貸してもらった綺麗なノートを開いた。そこには綺麗な字で分かりやすく授業の内容が書かれていた。しかも魔法付箋(高額文房具)でグレン宛らしい注意書きがいくつも付いている。
(あいつマジでいい奴だよな……)
グレンは席に戻って次の授業の準備を始めるレナードの背中を見て、小さくため息をついた。
レナードは確かに入学二日目で「ノートを貸そうか?」と言ってはいたが、グレンは正直な話単なる学級委員長アピール的なものだと思っていた。本当にノートを貸す気などないと思っていたのだ。
それに確かに授業が難しいと愚痴をこぼしたが「ノートを貸してくれ」と言った覚えはない。レナードが自主的に持ってきてくれたのだ。ちなみにこれで二教科目である。
それ以外にも、以前「お菓子を持ってないか」聞いたことが原因で、レナードにとってグレンは空腹キャラになってしまったらしく、昼食近くになると「お菓子あるけど食べる?」などと聞いてくれるようになってしまった。
(……こうやっていろいろと世話になっているし。せめて、オレが学園にいる間は黒モフを祓ってやるか)
グレンは黒モフを付けている人間をみつけたとしても、だれかれ構わず祓っているわけじゃない。
普段はよほどまずい状態でないと、知人でなければ放っておく。冷たいようだが、見知らぬ人までいちいち小さな黒モフを祓い続けていたらきりがないし、それで商売でやっているのもあるからだ。能力の安売りはしたくない。それに相手が悪だくみをしているヤバい奴で、関わるとまずことになる場合もある。黒モフがついていることで“ヤバい”ことは分かっても、その人物が善人か悪人かは判断できないからだ。
理由はそれだけではない。祓うためには相手に触れる必要があるのも理由の一つだ。
男相手ならともかく、女となると下手に触れば騒ぎになりかねない。この国の貴族社会では不敬罪で処刑になる可能性だってあるからだ。
ノートを見ていると丁度教師が入ってきた。魔法生物の教師は、今日も肩に変な鳥を乗せている。その魔法生物は黒モフが見えているのか、ときどき数匹固まっている方へ羽を広げて威嚇している。
(ノートまで借りたし、真面目に勉強をしてみるか)
この学園に来たのはとある人物の依頼を受けたためだ。いつまでいるかもわからないので、正直授業はどうでもいいと思っていた。けれどレナードにノートを借りてしまった以上、それなりにやらないと申し訳ない気分にもなる。
(ま、タダだし)
依頼のためとはいえ、恐ろしく高い入学金も授業料も支払わずに教えを受けられるのなら、やっといて損はない。むしろやらないともったいないと思えた。
理解が追い付かないけれど真面目に授業をいくつか受けて、いつの間にか昼休みになった。クラスの生徒たちが少しずつ教室から去っていく。
グレンも昼食を食べるために移動しようと立ち上がると、出入り口で大量の荷物を抱えたレナードがいた。先ほどの授業で教師が使った教材の入った箱だ。その正面には別の生徒が苦笑いして両手で「ごめん」のジェスチャーを取っている。
「悪いな、ソーンダイク!」
「いいよ。気にしないで」
「助かったよ。じゃ、よろしく」
そう言って男子生徒は廊下を走り去っていった。レナードは荷物を抱えたまま、反対へ進んでいく。
(……あいつ)
グレンは小さくため息をつくと、レナードの後を追った。
「おい、レナード。なんだよその荷物」
グレンがレナードの背中に声をかけながら近寄ると、彼は小さく振り向いた。
「これ? さっきの薬草学の授業で使ったサンプルだよ。準備室に戻さないと」
「……その役目、お前が教師に告げられたわけじゃないだろ? さっき走っていたアイツが言われたんだろ?」
「ああ……なんか。限定のティラミスが食べたいから、急いで食堂へ行きたいんだってさ」
「ティラミスって……」
グレンは「そんなの絶対に嘘だろ」と心の中でツッコんだ。面倒くさくてレナードに押し付けたに違いない。
そう言いたいグレンを理解したのか、レナードは苦笑いを浮かべた。
「僕は急いで食事したいわけじゃないから、別にいいんだよ」
そう言ってそのまま歩き続ける。
(…………お人好しというか、寛大というか……なんというか……)
レナードは納得しているらしいが、グレンはイライラして仕方なかった。いい奴がいいように利用されているのを見るのは腹が立った。持ち物を奪って、押し付けた奴に「お前がやれ」といって返したい気分だが――大きく深呼吸をして、平静を取りもどす。
レナードが脇に抱えている紙の束を取り上げた。
「グレン?」
「準備室だろ? 行くぞ」
「……ありがとう」
植物が生えて魔境のような準備室につくと、担当教師が迎えてくれた。もじゃもじゃの長い髪に鼻の曲がった教師は「またソーンダイクか」と面白くなさそうに呟くと、手元のノートに何かを記入した。しかし、レナードの横にグレンがいるのを発見すると、曲がった鼻をつまんでグリグリと摩る。
「……手伝いがいるとはな、えーと」
「先日入学した、グレン・カースティンくんです。僕を見て手伝ってくれたんです」
「あー、カースティン伯爵家のコネで二年次から入ってきたやつか。……お前、薬草学は好きか?」
「え、いや、別に」
正直に答えてしまってから、「ここは『好きです』というべきだったのでは?」気づいて口元を引き攣らせたが、教師は何とも思っていない顔で「だろうな」と頷いた。
「……ふーんなるほどな」
教師は鼻を何度も擦りながら何を考えているか分からない表情で一人頷くと、「カースティンはまる」ととブツブツ呟きながら再びノートに記入し、「ほら帰って良いぞ」と二人を準備室から追い出した。
「……いまの」
グレンが訝しげな表情でレナードを見上げると、彼は少し笑っていた。
「持ってくる生徒をちゃんとチェックしてるんだよ、だから本当は持って行った方がいいんだけどね」
教室へ向かって歩き出すレナードの後を追いかける。
「なるほど」
薬草学の教師がチェックしているのを知っていながら、特に相手には言わずにレナードはその役目を受け取っていたということだ。つまり、教師から彼の心証悪くなろうと知らぬ存ぜぬを貫いたということである。
「……お前も意外とやるな」
グレンは褒めたつもりだったが、レナードが意外そうな表情で首を傾げる。
「失望した?」
「失望? はぁ? なんでだよ。しないよ。というか、やらない奴が悪いに決まってるだろ。知ったことか。むしろいい気分だよ」
レナードがただのお人好しではないとわかってグレンはホッとしている。
そう言ってもレナードは驚いたように目を瞬かせる。
「君は変わってるね」
「お前に言われたくない」
少なくともグレンは、他人のために古いノートを整理して付箋まで貼ったりはしない。
そこまで考えてあることに気づいた。
「……もしかしてノートもそういう事情か?」
「あれは単純な善意だよ。……そこまで裏を勘ぐられると悲しいな」
「……あ、悪い。すまんかった」
いくら意外な一面を知ったからといって、行動すべてを疑うのはまずいだろう。グレンが反射的に謝罪すると、レナードは何故か笑った。
「なに笑ってるんだよ?」
「いや、この学校の生徒って……その貴族や大商人の息子……お金持ちが多いからだからさ、他人に謝ったり感謝したりって、そう簡単にしないんだよね。プライドが高いっていうか。それなのに君は何でもないように口に出すから」
「…………そ、うかなぁ」
グレンは言葉尻を濁しながら目をそらして遠くを見た。
親のおかげである程度の教育は受けていて、市民と同列であるとは言わないが、それでも貴族のプライドなんてないに等しい。そんなものでは腹は膨れないからだ。
「カースティン伯爵家って――」
「あー、レナード」
グレンが会話を変えようと声を上げた瞬間だった。
目の前の廊下を生徒たちが一斉に駆けだして、窓から外を見始めた。
「なんだ?」
「……星貴族様たちじゃないかな?」
「ほしきぞくさま?」
「知らないの? ……といっても学園だけの名前だから仕方ないか」
グレンが首をかしげていると、レナードが「一応この学園にいるなら知っておいたほうがいいよ」と手招きをする。
廊下は混雑してしまい、とても窓の外を見れそうにないため、レナードに連れられて屋上にあがると、そこでも生徒たちが片方の柵へより固まっていた。グレンたちは端の方から同じように見下ろす。
(うわっ……)
見下ろした先は中庭になっていた。お金持ちの学校らしく綺麗に剪定された花々が咲く中庭はかなり広く作られているが、ある場所を中心に少し距離をあけて沢山の生徒が周りに集まっているのが見えた。集まっている生徒はその星貴族を見に来ているのだ。しかしグレンが驚いたのはそこではない。
(……黒モフがやばい、なんだよあれ)
集まっている生徒たちにも少し多めに黒モフが取り付いているが、一番ひどいのは中庭の中心――例の星貴族が集まっているところだった。そこには大きな黒モフのドームが出来ていた。あまりにも黒モフ数が多すぎて、何がそこにあるのかグレンには認識できないほどだ。
(この学校にやたら黒モフが多いのはアレが原因か?)
そう考えてしまっても仕方ないだろう。それほど異様な状態だ。
「彼らが五人が“星貴族様”だよ」
「……あ、れが」
注目を集めやすい人物には黒モフは取り付きやすい。名家の跡取りとか、商家の長だとか、そういうタイプはどうしても周囲に人が多く、また悪意をもつ人間とも接触することが多いので、本人に問題なくとも自然と多くつかれてしまうのだ。
けれど目の前の黒モフの量はそのレベルではない。レナードの取り付かれとは比較できないほど多い。しかもたった五人だという。
グレンの背中に嫌な汗が流れる。
「うん。第二王子のアルベルト様を筆頭に、エリオット様、フレデリク様、ルミーヌ様、ナタリー様、みな名門家の出で、普通の生徒じゃ相手にもされないから」
レナードが丁寧に教えてくれるが、ますます嫌な感覚は強くなった。
(そこにいたのか……)
所在を探していた目的の人物の名を思わぬところで聞いてしまい、グレンは顔を顰めた。