19 皇帝
皇帝・シア王。この世界の魔術の基礎をつくりだした始祖といわれる存在。四大精霊魔術、呪術、闇魔術、神聖魔術などなど、様々な魔術を構成している精霊の元素とも云われているが、本当のところはまだ研究の途中であり、謎多き存在だ。
教会の教えにある、空に浮かぶ神・ラナ王とは対になっており、その存在は星の生死すら握ると伝わっている。存在が大きすぎてややおとぎ話のように伝わっているが、魔術が存在していることから現実的な話として彼は世界中に認識されていた。
(その頭部墓所に学園の生徒が入れるのか……知らなかった)
皇帝の身体は世界各地に埋められており、カドレニア王国のある場所にはその頭部が埋まっている。場所は一般的には知られていないが、本当に存在しているのはグレンも知っている。カドレニア王国の人間が他国に比べて魔力が高いのは、皇帝の頭部が埋まっているからだというのは有名な話だ。
また魔機と呼ばれる魔術を使った物質が世界的に広まったのも、二十年前に皇帝の頭部墓所にあった物質を魔術技術省の研究員が一部解明したからであった。
皇帝の墓に隠された物質をすべて解明できれば、世界は根本から覆される――とさえ云われていて、世界各地にあるそれぞれの墓は各国の専門家によって日夜研究が続けられていた。二十年前にカドレニア王国が、頭部墓標の物質から魔機を発明してことによって一気に国が潤ったこともあり、昨今はより研究に熱を入れている国は多い。
「墓所に行けることは、皇帝に近づくこと。僕らの社会ではそれはとても名誉なことだからね。あと“皇帝に近づけば恩恵を得られる”っていう噂もあるし。だからみんな行きたいんだと思う」
「恩恵ね。それはオレも聞いたことがある」
グレンも皇帝の噂は知っていた。「金持ちになれる」「不治の病が治る」「死人が蘇る」「願いが叶う」いろいろな噂があるが、大抵は実現不可能な願いが叶うという荒唐無稽な話だ。
「でも、その噂は嘘だと思うぞ。それが本当だったら、魔術技術省の調査隊はみんな億万長者だろうよ」
「ははは、だろうね」
レナードもそんな噂話を本気にしているわけではないと言う。
「でも皇帝の存在は何か惹きつけるものがあるんだと思う。魅せられてるっていうのかな、だからみんな行きたがるんだよ、あそこに」
「魅せられてるね……そうかもな」
皇帝の墓標の解明が世界を根本から覆すほどの力を持っているという理由だけではない。何かがきっとあるのだろう。
(まあ、親父もそうだしな……)
グレンの父親も長年魅せられている一人であるため、レナードの話はとても納得できた。
「というわけで、皆が君に声をかけようとしてくる意味は分かった?」
「ああ、分かったよ。つまり頭部墓所に行きたいから、大会で優勝するため強いメンバーを集めたくて、オレを勧誘してるってことなんだな」
「そういうことだね。もちろん大会で使用可能なのは魔術だけじゃないんだけど、魔術が得意なことはアドバンテージが高い。二年生だとまだ魔術の扱いがまともに出来る人が少ないから、余計にね」
「その話だと、お前も声かけられまくってそうだけどな」
「もちろん、一年の時に散々」
「なるほど」
レナードは一年時から気の早い生徒たちに声をかけられているという。しかしその時から彼は「二年の大会が近くなったら自分で決める」と伝えているため、今更何度も声をかけてはこないのだろう。
「……その大会って参加を辞退出来ないのか?」
「全員参加は絶対だよ。そもそもミルゼ先生が許すと思う?」
「無理だな」
「それに、グレンは行ってみたいと思わないの皇帝墓所?」
「全然」
グレンはレナードの話を聞いても、大会で優勝したいとは思わなかった。むしろいろいろ絡んでいて面倒くさそうだなと今からうんざりしている。
あからさまに表情に出せば、レナードは苦笑いを浮かべた。
「君は本当に変わっているね。皆わりと必死なのに」
「オレはあんまり惹かれないんだよな……」
グレンの願いは家族が安定して暮らしていける程度の金が欲しい――その一つに限る。そして、そんなものがあそこに行ったところで叶うと思ってはいない。
またある理由から皇帝墓所にもあまり良いイメージを持っていない。結果大会に興味が持てない。
(そもそもオレは依頼のためにここに来たんだし……大会まででてられないっての)
できることならその大会が終わる前に依頼を終えて学園を去りたいとすら思っている。ここでの食生活をこのまま続けていたら、舌が肥えて実家に戻ったときに苦労しそうで心配だった。
「あ、もしかしてレナードは行きたいのか? 叶えたい願いがあるとか? 噂だとしても」
「……え」
グレンの返しに、レナードは一瞬動きを止める。その時彼の瞳が暗くゆがんだ気がした。
(あれ?)
この時なぜか辺りで遊ぶ黒モフたちが、ブルブルと騒めくのを肌で感じ取た。横目でチラリと伺えば、遊んでいた奴らも動きを止めていた。
(なに、が……?)
――しかしそれも一瞬のことだった。
黒モフたちは次の瞬間には元通り遠くで遊び始めた。いつもどおり呑気に楽しそうな雰囲気で漂っている。
「そうだね。良く考えたら僕もないかも……でもしいて言うなら僕は次男で家を継げないから就職先かな?」
気がつけばレナードもいつもの笑顔に戻っていた。
「魔術技術省とか魔術部隊に入りたいのか?」
「その辺りはいいかな。大変そうだし」
出来れば世界中を周れるような仕事が良いな、とレナードは笑いながら言う。
(……今の黒モフの動き、何だったんだ?)
まるでレナードの妙な様子に、黒モフたちが同調したように見えた。そんなこと普通はあり得ないはずだ。
(そういえば、こいつ黒い紐も伸ばすんだよな……)
レナードはよっぽど特殊な体質なのかもしれない。
「――なあ、レナード、お前さ」
『黒い綿ってみたことあるか』――そんな質問をしようと思った時だった。
「――◇××△■」
「うお!」
「ユリウス?」
さきほどまで一人で周辺をウロウロしていたユリウスが、突然目の前に顔を出してきた。いきなりどうしたと、グレンが視線を向けると、ユリウスの後ろに妙な物があるのを発見する。
「……ユリウス。お前、そのドアどこから持ってきた?」
ユリウスの後ろには何故か木製のドアがあった。年季の入ったドアだけを、ユリウスが取っ手の部分を掴んで持っている状態だ。何が起きているのか理解ができない。
「もしかして、どこかのドアを壊してしまったのかい?」
レナードがドアに指を向けて問いかけると、ユリウスは視線を泳がせる。咎められているのを分かっているのだろう。
ユリウスはドアを持ちながら後ろを振り返ると、奥にある物置小屋へ向かって歩き出してしまう。『ついてこい』という意思を感じて、グレンたちは後を追った。
「ここのドアを壊してしまったんだね……」
「やっちまったな、お前」
「……」
ユリウスが案内した物置小屋の裏側にはドア一枚分の穴が開いていた。どう考えてもユリウスが扉を壊して穴を開けてしまったに違いない。
「どうしようか?」
「どうするって……とりあえず適当に元に戻しておくしかないだろ。ユリウス、そのドア貸せよ」
「……」
グレンが手を出せば、ユリウスはドアを持った手を差し出した――しかし、いつまで経ってもドアのノブから手を離さない。
「おい、ドアから手を離せよ。戻せないだろ?」
「△■××……」
「どうしたの? こっちに寄こしてよ、ユリウス? それとも自分で戻す?」
「△■××」
今までになく気まずそうな顔をしながら、ユリウスは頑なにドアノブから手を離さない。不審に思ったグレンが手元を見ると、彼はドアノブを握っていないのに気付いた。 それなのにドアは手から離れない。
「これ、手にくっ付いてる?」
「みたいだな」
「△■××」
ユリウスが頑なにドアから手を離さなかったのは、ドアが離れなかったかららしい。ドアを壊してグレンたちの元へ来たのも、手が取れずに動かそうとして暴れて、思わず壊してしまった可能性もある。
(こいつ馬鹿力だからな……)
よくみればドアの蝶番が劣化していた。ユリウスの朝食での出来事を思い出すと、あの力を使って木枠ごと破壊してしまってもおかしくはない。グレンはドアも改めて観察する。
「え、どういうこと? イタズラされてたドアを掴んでしまったってこと?」
「いや、イタズラじゃなさそうだ。魔術をかけてあったんじゃないかな、これ見ろよ」
グレンがドアの表側を指差すと、レナードは顔を青くした。
「『開閉禁止 誰もこのドアに触れないように』――って警告文が書いてあるじゃないか」
「触っちゃいけないものをユリウスは触ったみたいだな。まあ字が読めなかったんだろうけど」
ドアの表側には張り紙が張られていた。ただ年季が入っているし、あまり警告文とは分かりにくい書き方をしていた。文字の読めないユリウスが、好奇心でドアノブを掴んでしまっても仕方がないのかもしれない。
「しかもこれ……学園長のサインが入ってるよ」
「え?」
レナードの指さすところには掠れた名前“ガ…ディウス・ア……より”という文字が書かれていた。学園側から、というよりは、ガルディウス学園長個人からの警告文に見える。
「まずいよ。学園長ってかなり厳しい人みたいで、前に同じような警告のある物を壊した生徒を、魔術で痛めつけたあげく停学にしたとか……」
「はあ? 嘘だろ?」
「僕も見たわけじゃないんだけど、その人物が数ヶ月学校に来なかったのは確かなんだ。結局復学せずにそのまま退学しちゃったみたいし……」
グレンは「どんな学園長だよ」とツッコミを入れたい気分だったが、レナードの顔色が本気だったので、とりあえず黙った。ただの噂とかではないらしい。
(確かにこの取っ手、かなり特殊な魔術が掛ってるな……)
ユリウスの手元をよく見れば、ただのイタズラではないことは分かった。生徒どころか、戦闘魔術の担任であるミルゼも、専門が違っているので取ることはできないかもしれない特殊な術だ。それだけ本気だということだろう。
「……が、学園長に正直に謝った方がいいのかな?」
「それだと間違いなくユリウスは停学だろうけどな、「触れるな」って書いてあるのに、触れるどころか壊したからな」
「そ、それは……」
「ま、ここは黙って扉を戻して逃走して、何か聞かれてもしらばっくれた方がいいだろうな」
「で、でも……」
「編入したばかりで停学問題って、国家間の歪になるかもしれないしなぁ」
「う……」
真面目なレナードは報告すべきだろうか悩んでいたが、さすがに国家間の問題に発展するかもと匂わすと黙ってしまった。そこまで大ごとになるのは流石に気が咎めるのだろう。グレンはもちろん最初からなかったことにして逃亡することしか頭にない。
(にしても、まったくユリウスは面倒ごとを起こしてくれるな……)
文句を言いたいところだが、言ったところで大して通じないのは分かっているので、ため息をつくのにとどめておく。ちなみに本人はドアから離れない手をなんとかしようと一応もがいている。
「とりあえず、僕は知っている魔術をいろいろかけてみる」
「オレはちょっと中を見てみるよ」
「え? 大丈夫?」
「それが取れるような物があるかもしれないからな、一応」
グレンはレナードに一度任せて、小屋の中に入っていった。
(カビ臭い……ずっと使ってなかったんだな)
小屋の中は独特のニオイが充満していたが、部屋の内部そのものはテーブルや椅子が並んでいて、特に変わった物があるようには見えなかった。昔は庭師の休憩小屋か何かに使われていたのかもしれない。縦に長くなっており、奥の方にはロッカーなども並んでいた。ただコップや作業着が妙に散乱しているのが気になった。慌てて出ていってた様子が残っていたからだ。
(なんだこんなところにもう一枚扉……ん?)
部屋の奥にはもう一枚に扉があった。そしてその隙間から黒い綿の端っこが漏れ出しているのが見える。
(黒モフ……)
グレンは誘われるようにして、その扉を開いた。
『ミ、ミー!』
「うわっ」
途端に中から黒モフが一気に溢れてくる。まるで大量に水が入っていた袋に、穴を開けたみたいだった。グレンの側を通って出口に向かおうとした黒モフは瞬時に消えていったが、触れる前に気づいた黒モフたちは壁に貼りつく形で距離を取ろうとした。
「どうかしたのかい、グレン!?」
「あーいや、埃がすごくてな。大丈夫だ」
レナードの声に返事をしながら、部屋の中を見渡す。
(なんだこれ、やたら黒モフが多いぞ。どうなってるんだ?)
グレンは様子をみながら黒モフで真っ暗な部屋を進むが、部屋の中にいる量が多すぎて何があるか分からない。
(仕方ない祓うか)
グレンは大きく腕を振って、黒モフを意識的に祓う。やがて半分以上が消えると、ようやく部屋の全体像が見えた。
(ただの、小屋だな……ベッドがあるし、仮眠室みたいな? ……ん?)
これほどの黒モフが存在していた原因が分からず様子を伺っていたが、ふと足元を見ると奇妙な物を見つけた。
(黒い板? 湾曲してるな……?)
グレンが拾い上げたのは黒く楕円形のかたちをした、顔の大きさほどある薄い板だった。けれどそれは少し湾曲していて、下の方に大きめの三角形の穴が開いている。
(もしかしてこれ、仮面か?)
楕円状であることと板の反り具合と三角形の大きめの穴を見る限り、顔を隠すための仮面に見えた。三角形は口の部分だ。けれど普通なら空いているはずの目元の穴がない。
(んー何なんだこれ、魔術が掛ってるとかは……ないな。お、でもこっちから見ると透けてる?)
片方から見ると真っ暗な板だが、反対側から見ると向こう側が透けて見えた。本当に不思議な板だ。けれど嫌な感じはしない。魔術が掛っている様子もない。
(魔機ってことか? 魔法仮面なんて聞いたことないけど……ま、よくわからないけど、これでいいか)
グレンは小屋の奥からレナードたちのいる入口へ戻っていく。
「取れたか?」
「いや、全然取れないよ……」
「△■××……」
散々魔術を使ってみたのだろう、レナードもユリウスも少し疲れていた様子だった。
「オレは良いもの見つけたぞ、ほらコレ」
「それは何? 黒い……板? 何に使うんだい?」
「わからない。でも見てくれよ、これ一方からなら向こう側が透けて見えるんだ、ちょっと変わってるだろ?」
「あ、本当だ!」
「〇◇〇!」
グレンが地面に向けて仮面を裏表でみせると、内側から見た時に地面が透けて見えた。それを見てレナードたちは驚きの声を上げる。
「開閉禁止の扉の中にあったわけだし、もしかしたらそのドアが取れるアイテムじゃないかと思ってさ」
「そんなもので取れるかな……」
「まあともかくやってみようぜ」
グレンは仮面をユリウスの手元へ持って行った。隠すようにして手元に置く。
(今だ……)
二人に分からないようにして魔方陣を描く。描いたのはユリウスの手をドアに引っ付けている魔術を解除する魔術だ。
「あ」
グレンが魔方陣を完成させると、ユリウスの手からボスンと音を立ててドアが落ちた。そのままドアは地面に倒れていく。
「本当に取れた……! すごい!」
「△■○○!」
ドアから手が取れたことを確認したユリウスは、今までにない明るい顔をすると、グレンの両手を掴んでぶんぶんと振り回した。どうやら感謝しているらしい。
「おお、本当にうまくいった。これすごいな」
「本当に、それすごいね。なんなのだろう?」
「△△○?」
「さあな~」
グレンは二人に合わせて不思議そうに首を傾げた。
それとは反対に、内心はホッと安堵のため息をつく。
(上手く誤魔化せて良かった……)
実のところ、あの仮面はなんの力も持っていない単なる小道具で、ユリウスの手をドアから離したのはグレンの魔術だった。グレンはじっくり見た時から自分の知っている魔術でどうにかできるのはとっくに分かっていたのだ。
けれどその魔術は、一般的には普及していないもので、当然“学生の”グレンが扱えるような代物ではない。いくら学園に入ってくる前から魔術に関して教師がいたとはいえ、教えてもらうのには特殊過ぎる魔術だ。それなのに堂々と二人の前で披露するわけにはいかない。
そこで考えたのが、拾った小物を特殊な物っぽく見せる方法だ。小屋の中のちょっと変わった物で触れたら取れた――そう演技することで誰もグレンがやったとは気づかない。
ユリウスもドアが外れて、グレンも騒ぎにせずにすんで、どっちも助かるといった話しだ。
(このそれっぽい板があってよかった。無かったらコップとか使うことになるし、そうなると説得力が低いしな)
ともかく問題解決して胸をなでおろした。
「さ、教室に帰ろうぜ」
「そうだね。ユリウス『帰ろう』『授業』」
「○○■」
グレンたちはドアを元の位置に戻して倒れなくすると、さっさとその場を退散したのだった。




