14 ユリウスは猫かぶりができない
ユリウスが担任のミルゼに紹介されてから、教室でざわめきが治まらない。皆が皆一様にユリウスに注目したままだ。
浮かれた教室の雰囲気に、ミルゼは持っていた書類を軽く教卓へ叩きつけた。
「編入生に浮かれるのもいいが、ほどほどにしておけよ。あと、今日の戦闘魔術の授業は座学ではなく、第二校庭で行う。着替えて集まるのを忘れるな」
ミルゼの言葉に浮かれつつも生徒たちは返事をする。それを聞くとミルゼは他の教室へ向かうため出ていった。
ミルゼが出ていくのを見守ったクラスメイト達は、一斉にユリウスの元へ駆け寄る。
ユリウスは共通語が苦手だということもあり、質問しやすいよう教卓に近い席にしてもらっていた。グレンから見ると丁度斜め右四つ前の席である。
「イティア連邦国から来たんだってな、あっちってどんな感じなんだ?」
「ラーシャ家の息子か、すげえな。商売のこととかもう携わっていたりするのか?」
「髪の色綺麗だね。向こうの人たちってみんなそんな感じなの? それともあなただけなのかしら?」
「彼女っているの?」
クラスメイトの大半がユリウスの元へ駆け寄り、好奇心旺盛に話しかけている。近寄らないメンバーも遠巻きながらユリウスに注目していた。
(まあ、予想通りだけどさ)
ミルゼから「共通語での会話が苦手だ」と聞かされているはずなのに、クラスメイトの勢いは止まることなく、矢継にユリウスへ質問を投げかけまくっていた。反応の薄いユリウスからアクションを貰おうと必死だ。
「大人しくしてるね。ユリウス」
「あ? ああ」
苦笑いしながら近寄ってきたレナードに相槌を打つ。
グレンたちは教室に来る前に、食堂の時のような真似はするなよ、とジェスチャーを交えてユリウスには伝えている。そのおかげなのか、もともと教室では大人しくしているつもりなのか、分からないが、ユリウスはあれだけ周囲に集まられても普通の反応を示していた。無視するわけでもなく、かといって過剰に反応するわけでもなく、淡々と返事をしている。――もちろん、彼が理解できる範囲でしか返事しないし、返事はイティア語なので、周囲との会話はほとんど成り立っていないに等しいが。
「にしても、オレの時と全然違うな……やっぱり顔か? 金か?」
注目されたいわけではないが、それにしても差がひどすぎて、思わず口から愚痴がこぼれてしまう。
グレンが転校してきたときは、皆は遠巻きに見るだけで、積極的に話しかけてきたのはレナードぐらいだった。もちろんそれも学級委員長という立場があったからだとは分かっている。つまりレナードを抜きにすると実質ゼロだということだ。
編入生になったのは初めてだったので、こんなものかなと思っていたのだが、目の前のユリウスを見ると、自分がいかに注目されていなかったかが分かってしまう。
「あー……そのグレンの時は、カースティン家の子だって分かってたから」
「え?」
「その、皆なんて声かけていいか分からなかったんだと思うよ。……そのカースティン家だから、変にお家のこととか、生い立ちとか詳しく聞くと地雷かもしれないし」
「あー」
正妻に妾に愛人がいると知られているので、カースティンの名を持つ子供はやたら多いのは社交界でも常識になっている。そのため子供たちは複雑な家庭環境を勝手に想像されて、距離を取られがちだということだ。一年前までいた別のカースティン家の子供も、そんな感じだったらしい。
「だから、グレンがどうこうって事じゃないと思うよ。君がとてもいい人だというのは、話してみればすぐにわかることだし!」
「ありがとよ……」
レナードに焦ったようにフォローされてしまい、より虚しい気持ちになってしまう。そしてあくまで家に問題があったことと、人格を褒められただけで、容姿に関してのフォローはなかった。自分が童顔で、同年代の女子に魅力が薄いことは分かってはいるものの、複雑な心境には違いなかった。
クラス中が浮ついた状態のまま授業が始まった。
教師もユリウスに関しての伝達が行われているのか、普段よりもゆっくりと進行していた。とはいえ、ユリウスがちゃんと理解できているのかは不明だが。
「グレン? ちょっといいかな」
「んー?」
最初の授業が終わって次の授業の準備をしようとしていると、レナードに声をかけられた。
「実はさ、次の授業の先生から、教材持ってくるのを手伝うように言われて」
「分かった。行くよ」
相変わらず頼まれごとをされやすいレナードだが、グレンを頼るようになったのは良いことだな、と思いつつ席を立つ。
(ユリウスは……平気だよな)
教室から出る時振り返ると、相変わらずユリウスの周りには人だかりができていた。本人も無表情のままだが、普通に対応しているようだ。自分たちがいなくても問題ないだろう。
グレンはレナードと共に教師の手伝いをしに教室を出た。
――だが教材を持って教室へ戻ってくると。
「……何が起きたんだろう?」
「……空気悪っ」
出ていくときは本人が見えないほどユリウスの周囲に人が集まっていたのに、帰ってくると周囲には誰もいなくなっていた。チラチラと遠巻きにユリウスを伺っているものの、積極的に近寄ろうとはしていない。それどころか少し怯えのような視線を向けている生徒もいた。教室の空気もなんだか悪い。
グレンは入り口近くに立っていたクラスメイトに尋ねてみた。彼は確か最初からユリウスのことを遠巻きに見ていたひとりだ。詳しく知っている可能性が高い。
「ああ……その、な」
クラスメイトはグレンとレナードを外に出すと、言いにくそうに話しだした。
二人が教室を出るまでは朝と同じように反応していたユリウスだったが、次第に彼の反応が薄いことに周囲の生徒がヒートアップしてしまったという。会話が上手くできないことも相まって、彼の関心を引こうと女子生徒が中心的に直接触れたのが切っ掛けだということだ。
グレンはそれを聞いて今朝のことを思い出して顔を引き攣らせた。
「え……まさかそれで椅子を振り回したとか?」
「椅子? いやそんなことはしなかったよ」
女子生徒の接触は、肩に触れたりした程度の僅かなものだったのだが、ユリウスは嫌だったらしく、止めてくれとハッキリと示した。実際のところはイティア語をだったので言葉では誰も分からなかったが、態度でも嫌だとはっきりと分かるものだった。表情もかなり引き攣っていたという。
「だけど、男子連中がそれ見てなんか変に絡み始めちゃってさ……」
最初はユリウスにすり寄ろうとしていた男子生徒数名が「お高くとまってる」「イティア連邦の自分は偉いとか思ってるのか」「所詮金至上主義の商人の子供だろ」「女みたいな顔してよ」とヤジを飛ばし始めた。ユリウスがそれでも平然としていると(言葉が分からないので当然だが)、目の前の机を叩いたり、数人で取り囲んで威圧したり、ユリウスの持ち物を弄ろうとしはじめた。近寄っていた女子生徒が止めに入ったが、そのせいで余計に盛り上がり、一人の男子生徒がユリウスを後ろからどついた。
「――で、次の瞬間には、ラーシャがそいつの腕を机の上で捻り上げててさ」
「は? 捻り上げた? ユリウス――ラーシャがどつかれたんだろ?」
「うん、そう。俺もそこまでは確かに見たんだけど……まあ気づいたら逆転していたんだよ。捻られている本人すら最初何が起きているか、分からなかったみたいだし。ともかく目にもとまらぬ速さって感じだった」
腕を捻練り上げられた男子生徒は、軋む腕に痛みを感じてようやく悲鳴を上げた。その場の全員が状況を理解してどよめく教室内。仲間は文句を言おうとしたが、ユリウスの怒りの声と睨む視線に足を止めてしまったという。
「彼が何言ってるのか分からなかったけど、すごい怒ってるのはわかったよ。さっきまで大人しかったから余計に皆ビビってた」
ユリウスの迫力に負けて沈黙が流れる教室内で、腕を捻られている男子生徒の悲鳴だけが響いていたという。やがてその生徒が「ごめんなさい、ずびまぜんでじだ!」と泣いて謝ったところで、解放された。その後はユリウスは静かに席について、黙って教科書を広げているらしい。
「それでもう、だれも近づかないあの状態」
彼はユリウスを遠巻きに見ている教室の様子を指差す。
(め、目を離した隙に……何をやってるんだよユリウス……)
グレンは同じく苦笑いをしているレナードに視線を向けて肩を落とした。
クラスでは大人しくやっていけるのかなと思ったけれど、二時間目まで持たなかった。
「……僕らが彼を一人にしてしまったのが悪かったかもね」
「え?」
「だって、言葉が通じなくてトラブルになりやすいのは知っていたし、その……怒りっぽいのも」
「まあ、確かに」
今朝の様子を見ていれば、ユリウスの沸点が低いのは直ぐに分かることだ。それを知りつつ、あの状況下で放置したのもまずかったのかもしれない。
(とはいえ、もうちょっと上手くやれよ!)
なんで保護者の気分にならなきゃいけないんだ、とグレンは怒りにも似た呆れを感じた。
「でも、あいつちょっと面白い奴だな」
「え?」
「あんなことあったのに、堂々としているし、あいつらを迫力だけで負かしたし……見た目と違って精神図太い! ってな、実を言うとみててちょっと楽しかったし」
「なるほど」
周囲から完全に引かれてしまったかと思ったユリウスだったが、意外なことに彼は嫌いではないという。話を聞くと他のクラスメイトも何人かは、そう思っているんじゃないかということだ。「カッコいい」なんて呟いている奴もいたという。
「ま、言葉が分からないから、近寄りがたいけどな」
「確かにそこはネックだね」
「オレたちも意思疎通に苦労してるしな」
「……その話しぶりだとソーンダイクとカースティンは、ミルゼ先生から世話任されている感じか?」
「まあ」
「そうだよ」
昨日からなんだかんだでユリウスと共にいると教えると、彼は笑顔になった。
「なら簡単だな」
男子生徒は二人の肩を叩く。
「ラーシャの面倒は任せたぞ。俺は外から眺めている」
そう言って彼は教室に戻っていった。
つまり見ている分には構わないけど、面倒を見る気はないという。
「はぁ……」
結局そうなるのかとグレンは重いため息をついた。
絶対に食券六枚では足りない。




