12 ラーシャの異様な行動
上階から聞こえてきた声は、叫び声だとは分かっても、何を言ってるのか分からなかった。
(もしかしてラーシャの声か!?)
グレンは上がっていた息を一度止めた。指先が勝手に動き、小さな陣を描く。誰にも視認できない小さな陣は、魔力探知にもかからないと長年の経験で知っていた。身体が一気に軽くなり、飛び上がるようにして階段を駆け上がる。
八階の廊下に出ると、ラーシャの部屋の扉の前で、「ラーシャ君? ラーシャ君!?」と声をかけながら扉を叩くレナードがいた。
「レナード、どうした!?」
「あ、グレン。来てくれたんだ」
振り向いたレナードは――相変わらず黒モフに顔が覆われていて、表情が分からなかった。ただ、声からして焦っているのが伺えた。
「悪い寝坊した。で、何があったんだ?」
「それが良くわからないんだ。突然ラーシャ君が叫んで、部屋に戻ってしまって……」
「ラーシャが?」
出会ってから感情をほぼ表に出さないラーシャが『叫んだ』と聞いて驚く。あの無表情がどんな風に変わったのか不思議に思った。
話を聞くと、レナードは最初グレンを待っていたようだがなかなか来なかった。仕方なく先にラーシャを呼ぼうと思い、昨日と同じように声をかけたらしい。昨日のことがあってか、扉はすんなりと開いた。
しかし――扉をあけてレナードを見たラーシャは、突然大声を上げて扉を閉じてしまったらしい。その後は何度声をかけても出てきてくれないという。
(何か大変なことが起きたとかじゃないのか……?)
あまりにも切羽詰まった声に聞こえたので、森での時のように咄嗟に動いてしまったが、話をきくにそこまで深刻ではなさそうである。
かかっていた魔術が自然と消えていくのを感じながら、落ち着いて再びレナードに問いかける。
「……一応聞くけど、何かしたのか?」
「いや、何もしてないよ。普通に「おはよう」って声をかけただけなのだけど……」
「うーん」
確かにそれでは何故驚いたのか理由はわからない。昨日だって同じようにしたのにラーシャは普通だった。
「おい、何かあったのか? ……お前ら、この階の奴じゃないだろ?」
二人で首をかしげていると、隣の部屋の男子生徒がドアから顔を覗かせて声をかけてきた。
(あ、やば……)
グレンが周囲を伺うと、時間帯的に丁度皆が食堂へ行くころなので、少し人が集まっているのに気づいた。八階は部屋の数が少ないのがせめてもの救いだ。
「え……その」
「いや、なんでもないよ。ちょっと早くに友だちを迎えに来たら、部屋の奴が驚いたみたいで。慌てて部屋の中に戻っていっただけだ」
「……ふん。なんだ」
動揺しているレナードを遮って、グレンは声をかけてきた男子生徒に返事をする。言い訳は適当だったが、グレンが堂々としていたためか、相手は直ぐに興味を失った。 隣が部屋に引っ込むと、様子を伺っていた男子生徒たちも、それぞれ部屋に戻っていく。
レナードが少し屈んで、声を潜めてくる。
「ごめん、変に動揺しちゃって。騒ぎになってしまうところだった」
「気にすんな。それよりラーシャだ」
グレンはそう言いながら、いつものようにレナードの首根っこの部分を軽く叩く。ようやく彼の顔を覆っていた黒モフは『ミー』と声を上げながら消えた。
「おい、ラーシャ。『朝食』『朝食』部屋に引っ込んだら飯食いにいけないだろ? おい、開けろ、開け――って開いてる」
「本当だ」
レナードは声をかけたが、扉を開けようとはしなかったため、開けっぱなしだったことに気づかなかったらしい。ラーシャはよほど焦って中に入ったに違いない。
「おーい、ラーシャー入るぞー」
一応声をかけつつ、二人は部屋の中に入っていく。
(マジで部屋のグレードとかあるんだ。オレの部屋の何倍だよ。広いな……)
ラーシャの部屋は八階ということもあり、思った以上に広かった。通路から風呂場からグレンのいる部屋とはサイズ感がまるで違う。隅にはちょっとした水道や魔法コンロなども置いてあり、料理すらできそうだ。
(綺麗な部屋だな……)
部屋の造りや家具の話ではない。ラーシャの部屋には黒モフが全く存在していなかった。グレンの部屋も寄っては来ないが、あまりいない場所には時々顔をだしてくるのに、この部屋には一匹たりとも姿が見えなかった。
「おーい、ラーシャって……いない?」
「あっちに奥の部屋があるみたい」
「マジか」
二人が入った部屋にはソファーや勉強机などしかなかったが、その部屋の奥にもう一つ部屋があるらしい。扉を開けると大きめのベッドが置かれており、その中央で毛布をかぶって丸くなっている物体があった。
(あれ、ラーシャだよな……あのラーシャがなんで?)
昨日の彼のクールな佇まいを思い出すと、とても毛布にくるまるなんて考えられないが、この部屋の持ち主は彼しかいない。
「あの、ラーシャ君?」
「おい、ラーシャ」
二人で、ベッドの脇に立ち、毛布のふくらみに声をかける。二人の声に反応したので、その中にラーシャがいるのは確実だが、毛布から出てはこない。
「ラーシャ君、僕が何か君にしてしまったかな?」
「……」
「ラーシャ君?」
「……」
レナードが何度声をかけてもラーシャはきつく布団を握りしめるだけで出てこない。いくら言葉が通じないとはいえ、名前を呼んでいることぐらいは分かるだろう。それなのにここまで頑なに無視するのは意味が分からない。そもそもレナードの話では何も非がないはずなのに、何故こんな状況になっているのかグレンも不思議だった。
「ラーシャ君、何か言ってくれないと、僕もわからないよ」
全く反応を返してくれない状況を、レナードも不満に思ったのか、少しだけ語尾が強くなる。
「ラーシャ君、せめて顔を向けてくれよ」
そういってレナードが、ラーシャが包まる布団を掴んだ瞬間だった。
「――×△××!!」
――突然布団から手が伸びてきて、レナードの身体を思いっきり押した。
「わっ!」
不意に突き飛ばされたかたちになったレナードは、バランスを失って後ろへたたらを踏むと、その場にしりもちをついた。しかも尻をついた場所が悪く、真後ろに低いチェストが置いてあったため、流れで角に頭を打ち付けてしまう。ゴン――と鈍い音が辺りに響いた。
「っ、たた……」
「お、おい、大丈夫か?」
「だ、大丈夫。ちょっと頭を打っただけ……いっ……」
そう言いながらレナードは後頭部を摩った。本人の申告通り怪我とまではいかなかったらしく、苦笑いしている。とはいえ、危ないことには違いない。
「……っ、おい、ラーシャいい加減にしろ!」
苛立ってきたグレンは少し乱暴に布団を掴んだ。
「同じ手は食うか!」
先ほどと同じように手が出てきて、今度はグレンを突き飛ばそうとしたので、咄嗟にその腕を脇に挟んで動けなくする。そんなことをされるとは思ってなかったらしく、あからさまに動揺してラーシャが暴れた。そのせいで、グレンの身体が浮き上がり、ひっくり返されそうになる。
(くそ、コイツとじゃウエイトの差で負ける……なら)
グレンの指はまた自然と陣を描いた。全身が重くなり、浮かされた身体が沈む。その勢いでベッドに乗り上げると、暴れる相手を片足で抑え込んだ。今度はどんなに相手が暴れてもグレンはビクともしない。
「そうやって不意に着き飛ばしたら危ないだろうが! 打ち所が悪かったら怪我するんだぞ!」
「×△××!」
「ともかく布団を退かせ、顔を出せ!」
グレンが布団を引っ張ると、ラーシャははがされまいと必死に抵抗を始めた。掴んでいない方の手が叩こうと暴れたが、既に抑え込んでいる体勢のためグレンの方が有利だ。それにグレンの下には双子の弟がいる。悪ガキの二人を格闘しながら叱ることも多いので、この程度はへでもない。
「ぐ、グレン? そこまでしなくても、言葉が通じないんだし……」
「そもそもコイツはこっちを無視するだろ、言葉が通じないとかの問題じゃないだろ! 言いたいことがあるならちゃんとアピールしろっていうんだ!」
「×△××!」
「いや、その前に顔を出せ! 表情が見えなきゃ余計に何言いたいのか分からないだろ!」
グレンは思いっきり布団を引っ張った。流石に体勢が悪く、ずるずると布団はラーシャからはがれていく。顔はまだ覆われているものの、引きはがせるのも時間の問題だ。
(ん!?)
引っ張る力が加わるのを感じて後ろを見ると、レナードが毛布を引きはがそうとするのを手伝ってくれていた。
「僕も無視されるのは嫌だから」
止めようとしてたレナードだが、思うところがあって加勢する気になったらしい。「助かる」とグレンは笑うと、一緒に布団を引っ張った。
「ラーシャ、互いにうまく言葉が通じないんだから、ちゃんと理解してもらおうと努力しないと駄目に決まってるだろ! 何でも黙って押し通そうとするな!」
「僕たちも努力するから、君もコミュニケーション取ろうと努力してくれ! 無視は困る! 仲良くしていけないよ!」
「×△××!」
必死に抵抗していたラーシャだったが、流石に二人の力が加わっては勝てなかったらしく、布団はあっさりとはがれた。
「×△××――…………あ?」
「あ?」
布団をはぎ取られたラーシャは、怒りに満ちた表情を浮かべていたものの、グレンたちの顔を見ると――不思議な表情になった。
驚き、困惑、唖然、そんな言葉が相応しい顔だ。
そのままラーシャは数秒固まった。
「……×××◇×■×?」
何かを呟きながら、ラーシャは段々と眉間の皺を緩ませた。彼の周囲から先ほどまでの怒りや苛立ちが消えたのが見た目にもわかった。
「◇■〇〇×……」
「え?」
「◇■〇〇×」
言葉は分からなかったが、グレンの肩を肩を押したので、上から退いてくれと言われたのは理解できた。
落ち着いている様子を見て、大丈夫だろうと思ったグレンは、魔術を解きながら乗り上げていた体勢を戻しベッドの脇に立つ。ラーシャはゆっくりと起き上がった。そして二人の顔や周囲を執拗に伺う。何か探しているようにも見えた。
「なんだ、どうした?」
「わからない」
行動の意味が分からず、二人で困惑の表情を浮かべていると、ラーシャはベッドから立ち上がってレナードに近寄った。
「■×■〇◇〇〇」
「え?」
「〇◇〇〇?」
「ごめん、何を言っているか――ぶ」
しばらくレナードをじっくり観察していたラーシャだが、不意にその手を顔に置いた。いきなり顔に手を押し付けられた形になったレナードが、「ちょっと!」と言いつつ眼鏡を直しながら手を剥がすと、あっさり彼は手を引っ込め、自分の手をまじまじと見つめた。
「何やってるんだよラーシャ?」
「××××××■×■◇〇……」
「だめだ、わからね。レナード分かるか?」
「いや、僕にも分からないけど、何か驚いてるみたい」
「驚く? 何を?」
「分からない」
不毛な会話だ。
二人がそんな話をしていると、今度はラーシャがグレンを向く。その瞳に少しばかり好奇心があるのを感じて、咄嗟にグレンは動いた。
「っと」
グレンの顔があった場所にラーシャの手が伸びてきたが、咄嗟に下がったため空振りに終わる。ラーシャの目は少しばかり不満げだった。
「■■◇×……」
「レナードと同じ目には合わないぞ」
「◇■×◇×?」
「残念だな」
何を言っているかは分からないが、グレンは少しだけニヤリと笑った。その顔にラーシャはイラっとしたのか、あからさまに口元をゆがめた。
「はは」
そんな二人の様子にレナードが少し笑う声が響いた。
しかし、三人の空気が少しばかり和んだ時、不意にレナードが声を上げた。
「――って、朝食! 朝食だよ! 急がないとこの時間は席無くなるよ!」
「うお、もうそんな時間か!?」
朝食の時間は短いため、混雑すると席を確保するのが大変だ。タイミングに失敗すると座る席がなくて、そのまま食事をとれずに始業時間になってしまうからだ。
「何だったのか分からねえけど、とりあえずラーシャはもう平気そうだし、飯行くか」
「そうだね。ラーシャ君『朝食』『行こう』」
まだどこか呆然としているラーシャに声をかけて、入り口に向かって歩き出す。だが手前の部屋に入ると、素早く動いたラーシャが二人の前に回り込んだ。
腕を組んで堂々とした振る舞いをするラーシャの灰色の瞳が、静かに二人を見つめる。何か言いたげた。
「なんだよ?」
「……グレン、レナード」
「え?」
「名前……?」
ラーシャが二人のことを呼ぶのも滅多にないので驚いたが、苗字ではなく名前の方を呼んできたことに余計に驚いた。最初は苗字だったことを考えると、意図的に呼んでいるに違いなかった。
「■◇〇■〇〇■◇××■■■◇×◇〇……」
だがその後の言葉はイティア語だったので全く理解できなかった。二人で「分からない」と言って渋い表情を浮かべていると、ラーシャはわざとらしく盛大にため息をついて、咳ばらいをした。
そしてそのままスッと小さく頭を下げる。
「え?」
「は?」
「■〇◇〇■◇!」
何か言って、一秒もせずにもとの踏ん反り体勢に戻ったが、表情は少し照れ臭そうだ。つまり、いまのは間違いなく――。
「もしかして謝罪的な?」
「って感じだよな」
状況からしてもそうとしか考えられない。
(なんだ、わりと素直だな)
グレンは自然と笑っていた。そして同じく軽く頭を下げる。
「オレも無理矢理布団を剥がして悪かったよ。お互いさまってことで」
グレンの怒っていないという意思が通じたのか、ラーシャは今度レナードを見て、手で押す動作をして軽く頭を下げた。きっと突き飛ばしたことを謝っているのだ。
「大丈夫だよ、ちょっとぶつけたぐらいだし」
レナードの笑顔で謝罪を受け入れてくれたことが分かったのか、ラーシャは少し表情を緩めた。
「〇◇〇■」
「何言ってるか分からないって、もっとわかりやすい単語で話してくれよ」
「………………ユリウス」
「え?」
「グレン、レナード……ユリウス」
ラーシャは二人を見ながら、グレン、レナードを指差し、最後に自分を指差す。
「ユリウス」
もう一度自分の名前を言って、強調するように己を指差した。
そして直ぐに口を思いっきり曲げると、先に歩き出してしまう。
「今のって」
「名前で呼べって事かな?」
「だよね」
ふんぞり返った態度と合わない言葉に、二人で思わず笑ってしまった。
しかし直ぐに「グレン、レナード!」と苛立った声が聞こえたので、苦笑いしながらラーシャ――ユリウスを追いかけた。




