11 黒モフとグレン
黒い綿が視界に入ってきたことで、自然とグレンの頬は緩んだ。
(遊んでいるな~黒モフ)
街灯の下で黒モフがふわふわと浮きながら数匹で動き回っているのが見えた。鬼ごっこでもしているのか、あっちにいったりこっちにいったりしている。そのほかにも黒モフ同士で身体を引っ張りあって伸ばしたり、木に登ろうと引っ付いてずり落ちている姿が見えた。
「こうしていると無害にしか見えないんだけどな」
黒モフは姿は黒い綿だが、小動物程度の知能はあるかもしれない。言葉は流石に通じないものの、動きが可愛らしく、見ていると和んでいくる。グレンには年の離れた弟妹がいるせいもあるだろう。
(でも人間には害なんだよな……)
人の精神を狂わすことを考えると有害としかいうことはできない。本来ならもっと嫌って側にも寄せ付けないし、こんな風に姿を見て和むのも絶対に無理だろう。
けれどグレンには黒モフをそこまで嫌えない理由があった。――なぜなら彼にとって黒モフは、幼い頃の遊び相手だったからだ。
グレンの家はグレンを生んだ直後辺りに両親が忙しくなり、兄姉も少し年が離れていたので幼い頃はひとり遊びが多かった。その時側にいたのが黒モフの存在だ。
(小さい頃はあんまり逃げなかったしな……)
今でこそ近寄ると逃げ出していくが、幼い頃に遊んでいた黒モフはあまり逃げなかった。触れることは出来なかったが、グレンの周りで鬼ごっこをしたり、昼寝をしたりしていた。だから可愛らしい小動物が自分の家に住んでいるのだと思っていたのだ。黒モフの後を付いて回って、いろんなところに探検へ向かったこともあった。秘密の抜け穴をみつけたり、迷子になったグレンを助けてくれた(?)こともある。『黒モフ』なんて可愛らしい名前をつけたのもその頃だ。
だが年齢が上がっていくと、家族と黒モフに関しての話が噛み合わないことに段々と気づき始めた。
(そしてオレが黒モフのことをしっかりと認識したのは、あのことが切っ掛けだよな)
黒モフが人につくとどういう意味があるのか、それを知ってしまったのは、グレンがまだ十にも満たない幼い頃のことだった。
ある日、父親の仕事の同僚がグレンの家に来たのだが、顔に大量の黒モフが付いていたことがあった。
この時初めてグレンは黒モフが沢山付いている人を初めて見た。
彼が気になったグレンは、こっそり様子を伺うことにしたのだ。黒モフの秘密を探るような、単なる好奇心で隠れながら様子を伺っていると、その男は勝手に父親の部屋に入った。そしてグレンが後をつけているとも知らずに、父親の研究資料を漁りはじめたのだった。
『おじさん、何やってるの? そこ、お父さんの机だよ』
グレンがそうやって声をあげたことで、彼は父や兄に現行犯で取り押さえられた。当時はよくわかってなかったが、男は父親の仕事に関する機密情報を盗もうとした罪で騎士に連れていかれ、しかるべき機関に引き渡されたのだ。その時グレンは何故彼の犯行を見抜いたのか何度も事情を聴かれた。
グレンは両親には正直に話した。二人は半信半疑ながらグレンの話を納得してくれた。けれども、そのほかには全く理解されず結局“偶然”ということで片付けられた。「黒モフがいっぱいついていたから」などと言っても誰も理解できない出来ないし、そもそも誰も見えていないのだとはっきりと悟ったのはこの時だ。
それ以来グレンは黒モフに対して慎重になった。
以前のように遊ばなくなったし、じっくり観察するようになり、実験も行うようにした。その過程で自分が黒モフを祓うことができると知った。祓われた人がどうなるのかも。
そんなことそしていたからか、黒モフ自体もグレンと距離を取り始めた。黒モフが逃げてしまうようになったのはこのころだ。そして現在に至る。
(本当はもっと積極的に祓って、人に近寄らせないようにしないといけないんだけどさ)
嫌悪しなければならない。そう理性では分かっていても、幼いころに遊んでいたことを思い出すと感情面が追い付かない。そのためいまだに黒モフに対する対応が曖昧になってしまう。消えてしまうと分かってても祓うことはできる。だけれど消えてしまうと少し胸が痛い。
(仕事にするって決めたんだから、いい加減に割り切らないとな)
それでも黒モフたちと庭を駆けていた時のことを思い出すと、少し感傷的な気分になってしまうグレンだった。
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いつの間にか、グレンは教室にいた。教室は明るくて、昼間だというのが分かった。けれどいつもは騒がしい教室内には誰もいなかった。通学用のカバンもひとつも置いてはいなくて、廊下に出ても同じように人の気配はなかった。
しかもただ“人がいない”というだけではなく、時が止まったかのような妙な感覚を覚えた。呼吸ができないわけではないのに、息苦しさを感じた。
(な、なんだこれ……?)
理解が及ばない状況に不安を覚えて周囲を伺いつつ歩き出す。廊下をしばらく歩くがそれでも誰も見つからない。
外に出ても鳥も見えず、黒モフの存在すらひとつも見つからない。耳が痛くなるほどの静寂が辛くなり声を上げた。
「だれかいませんかー、あのーだれかー」
『――せ』
「え?」
突然背後から声がした、振り向くと空中に黒い物体が浮いているのに気づいた。さきほどまでそんな気配は一切なかったのに。
(黒モフ……?)
拳ほどの大きさの物体に、直ぐ浮かんだのは黒モフの存在だ。しかし、それは急に大きくなり、グレンの身長を越えるほどに膨らんだ。
「え……な、え?」
動揺しながらも自然と身体は逃げ出した。校舎の間を真っすぐ走りながら時々後ろを振り返る。
「嘘だろ」
それは校舎より大きくなっていた。そしてグレンを追いかけるようにこちらに近づいてくる。
グレンは校舎を抜けて森に向かって必死に走ったが、その黒い物体が大きくなる――否、広がる速度の方が早かった。物体はいつの間にか左右の空間までも覆い始める。
「あそこに!」
やがて森の向こうに門が見えた、やけに頑丈そうな門だったが、扉が開いていてグレンはその中へ滑り込んだ。門の中を必死に駆けて行くと、やがて行く先の地面に大穴が開いているのに気付いた。
あれだけ大きな物体なのだから、穴の中までは来ないだろう――そう思った瞬間だった。
「うわっ!」
グレンが入ろうとした穴から、追いかけてきていたモノと同じような黒い物体が吹き上がってきた。
前後から黒い物体に囲まれて、一瞬にして周囲は完全な闇に包まれてしまった。
(な、なんだよこれ!?)
逃げ場を失ったグレンの耳に、再びあの声が届く。
『――さ、がせ』
「探す? 何を?」
反射的に聞き返したが、誰に向かって話しているのかはグレン本人も分からない。
『さがせ、さがせ、さがせ』
声は同じ言葉を繰り返した、その声が段々と迫ってくる。暗闇で何も見えないのに、押しつぶされるような圧迫感が迫ってくる。
『さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ』
「やめろ、やめろよ!」
グレンは必死に叫んで、手を振って近づく声を祓おうとした。指先には何の感触もないが、それでも声はどんどん迫ってくる。
『さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ』
「やめろって! やめろっ!!」
『さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ、さがせ』
頭の中が相手の声で一杯になっていく。何も考えられない、段々と思考が「探さなくては」という意識に塗り替えられていく。
『を、さがせ。――取り戻すんだ』
最後にそう耳元で囁かれて、グレンの意識は途絶えた。
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「――っぶはっ!」
飛び起きると、窓から光が差し込んでいた。鳥の鳴き声が外から聞こえてくる。自分がどこにいるのか一瞬分からなくなったが、呆然としながら周囲を伺うと寮の自室のベッドの上にいることに気づいた。
(そっか昨日、黒モフ見ていたら眠くなって……)
そのままベッドに横になった。これからどうしようか考えなくてはいけなかったし、少しだけ仮眠をとるだけのつもりだったが、そのまま朝までぐっすり眠ってしまったらしい。
「やば、服着替えるの忘れてた」
皺くちゃになってしまったシャツを脱ぎながら、部屋に付属しているシャワーへ入る。魔法温水の元を捻り、少し熱めのお湯を頭から被った。
「各個室に魔法温水とか贅沢だよな~」
実家にもあるにはあるが、水からお湯に切り替わるのが遅いし、そもそもシャワーではなく蛇口だけだ。しかも、人数が多いため風呂の時間は順番が決まっていて、自由に入ることも長くいることもできない。グレンは一番下の弟と一緒に入るので、入るときはゆっくりなんてできない。
一人でゆっくり入れることに幸せを感じながら、ふと先ほど見たことを思い出した。
「……あれは夢だったんだよな」
先ほど見た、黒い闇に襲われるという妙な出来事が、夢だったことに安堵してため息をつく。今思い出してもいい気分ではなかった。
(あれかな、昨日黒モフが変な動きしたからかな)
星貴族の一人であるナタリー・ブロンデルに出会って、彼女を大きく包む黒モフの集団を追い払った時、夢で見たように黒モフが――黒い闇がグレンの周囲を囲ってきた。その動きは今までに見たことが無かったので、もしかしたら印象が強くて夢にまでにでてきたのかもしれない。
(だいたい「探せ」って、何をって感じだし。アホくさ)
夢のお話に付き合っていられるほどグレンは暇ではない。
目的の人物との接触を伺い、ラーシャの世話をし、一応勉強もしておこう、とかなり忙しいのだ。あの声が言っていた、探す理由もそもそも目的も、全く思い当たらないので、さっさと忘れることにした。
シャワーから出ると、壁にかかった時計でいつもより少し遅い時間になってしまっていることに気づいた。とはいえ、いつもは混在を避けてかなり早めに食堂に行くので、多少遅くても問題ない。
「――いや、問題ある! しまったラーシャ!」
レナードとラーシャの朝食に付き合うことになっていたのを、今になってグレンは思い出した。
慌てて制服に着替えて、カバンを持って部屋を飛び出した。急いで八階まで階段を上がっていく。
(レナードのやつ、先に着いてるかな?)
約束の時間より少し遅れてしまっている。レナードは昨日気合を入れていたようだし、真面目な性格なので先についているだろう。焦った気持ちになりながら、急いで階段を走った。
七階まできた、その時――ー。
「――×△××!!」
上階から叫び声が聞こえてきた。




